アレクサンドル・ゴリア
アレクサンドル・ゴリア Alexandre Goria | |
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基本情報 | |
生誕 |
1823年1月21日 フランス王国 パリ |
死没 |
1860年7月6日(37歳没) フランス帝国 パリ |
ジャンル | クラシック |
職業 | ピアニスト、作曲家 |
アレクサンドル・エドゥアール・ゴリア(Alexandre Édouard Goria, 1823年1月21日 - 1860年7月6日)は、フランスのピアニスト、作曲家。
生涯
[編集]パリに生まれ、1830年11月15日に7歳でパリ音楽院への入学を許可された[1]。彼は音楽院において、ヴィクトル・ドゥルランの下で和声学を学び[1]、アルカンやフランクの師であるピエール・ジメルマン[2]、並びにマスネの師であったアドルフ=フランソワ・ローラン(Adolphe-Francois Laurent 1796年-1867年)にピアノを師事した。
1834年、ゴリアはピアノコンクールで第2位を獲得し[3]、翌年には12歳で第1位に輝いた[1]。後に彼は音楽院のコンクールにおいてコレペティートルを務めている[4]。1839年に教育課程を修了した彼は、教育活動に従事するとともに様々なピアノ作品によって音楽界で知られた存在となっていく。
ゴリアはウィーンに居住していた一時期、ボヘミアの作曲家であるカール・チェルニーと親しい間柄となり[5]、またアメリカの作曲家であるルイス・モロー・ゴットシャルクとも親交を築いた。ゴットシャルクは『バナナの木』をゴリアへ献呈している[6]。彼はスペイン女王から勲章[注 1]を授与された[7]。
ゴリアの作品はサロン風のピアノ曲が主である。総数は100曲以上になり、練習曲、幻想曲、奇想曲、演奏会用楽曲、夜想曲、ポルカ、マズルカ、子守唄、バラード、夢想曲などがある。中でも名高いのは『演奏会用練習曲』 Op.7、『若い娘の嘆き』などの劇場作品に基づくピアノのための幻想曲、そしてシューベルトや他の作曲家のリートの編曲作品である。
ゴリアはパリで死去した。
関連項目
[編集]脚注
[編集]注釈
- ^ 訳注:1771年9月19日にカルロス3世によって創設されたOrder of Charles III。
出典
- ^ a b c Brofeldt, Hans. “Alexandre Édouard Goria”. Piano Music for the Left Hand Alone. Left-hand-brofeldt.dk. 18 July 2012閲覧。
- ^ Brown, James Duff. “Ebooks of the author James Duff Brown”. GORIA (Alexandre Edouard). Ebooksread.com. 18 July 2012閲覧。
- ^ Biographie universelle des musiciens et bibliographie génèrale de la musique, Vol. 4. Firmin-Didot. pp. 60 OCLC 174729129 Fétis, François-Joseph (1869).
- ^ Histoire anecdotique, politique et militaire de la Garde impériale. Paris: E. Penaud. pp. 4 OCLC 504448737 Emile Marco de Saint-Hilaire, Joseph Louis Hippolyte Bellangé, E Lamy (1847).
- ^ Lemoine, Henry. “Czerny, Carl: Nocturnes”. Éditions Henry Lemoine. 17 JUly 2012閲覧。
- ^ Starr, S. Frederick (2000). Louis Moreau Gottschalk. University of Illinois Press. pp. 87. ISBN 025-206-876-9
- ^ Gazette Musicale de Paris. Paris: Gazette Musicale de Paris. pp. 125 OCLC 11734782 Gazette Musicale (1857).
外部リンク
[編集]- アレクサンドル・ゴリアの楽譜 - 国際楽譜ライブラリープロジェクト
- ゴリア - ピティナ・ピアノ曲事典