アレアルド・アレアルディ
表示
アレアルド・アレアルディ | |
---|---|
誕生 |
Gaetano Maria 1812年11月14日 イタリアヴェローナ |
死没 |
1878年7月17日(65歳没) イタリア王国ヴェローナ |
職業 | 詩人 |
最終学歴 | パドヴァ大学 |
文学活動 |
新ロマン主義 イタリア統一運動 |
代表作 | 『チルチェッロ山』(1856年) |
主な受賞歴 |
イタリア王冠勲章 it:Ordine al merito civile di Savoia 聖マウリッツィオ・ラザロ勲章 |
影響を受けたもの
| |
影響を与えたもの
| |
ウィキポータル 文学 |
アレアルド・アレアルディ(イタリア語:Aleardo Aleardi、1812年11月14日 - 1878年7月17日)は、イタリア[1]ヴェローナ出身の詩人。
同国出身の詩人であるジョヴァンニ・プラティと並んで新ロマン主義の代表者として名高い[2]。
イタリア王冠勲章のグランデ・ウッフィチャーレ、it:Ordine al merito civile di Savoia、聖マウリッツィオ・ラザロ勲章を受章の他、イタリア王国として独立後、国会議員やフィレンツェ美術学校の教授を務めた[3]。
生涯
[編集]1812年11月14日、イタリア[1]ヴェローナにて伯爵の爵位を持つ母マリア(Maria Channels)、父アレアルディ(Count Giorgio Aleardi)の元に出生名ガエターノ・マリア(Gaetano Maria)として生まれる。
その後、アレアルディの友人であったプラティや同国出身の詩人アルナルド・フシナートと共にパドヴァ大学へ入学し、詩と美術の評論に関心を持った。
イタリア統一運動(リソルジメント)に参加し、イタリア王国として独立後は国会議員とフィレンツェ美術学校の教授を務めた。
1878年7月11日、ヴェローナで没した。
作品
[編集]初期のスタイルはイタリア統一運動に関しての理想を謳う詩風であったがその後は感傷的なスタイルとなっている。なお、イタリア文学者で大阪外国語大学名誉教授である荒谷次郎はアレアルディのイタリアに対する愛国心を評価している[3]。
この節の加筆が望まれています。 |
脚注
[編集]- ^ a b アレアルディが生まれた1812年はまだイタリアとして統一していないため、正しい呼称ではない。
- ^ 鷲平京子. “アレアルディ”. 日本大百科全書(ニッポニカ)(コトバンク). 2019年6月10日閲覧。。
- ^ a b 万有百科大事典 1973, p. 31.
参考文献
[編集]外部リンク
[編集]- 『アレアルディ』 - コトバンク。
- 『アレアルド アレアルディ』 - コトバンク。
- Chisholm, Hugh, ed. (1911). . Encyclopædia Britannica (英語) (11th ed.). Cambridge University Press.