アル・シディク級ミサイル艇
アル・シディク級ミサイル艇 | |
---|---|
517 ファイサル | |
基本情報 | |
艦種 | ミサイル艇 |
建造所 | ピーターソン造船所[1][2][3] |
運用者 | サウジアラビア海軍[1][2][3] |
就役期間 | 1980年 - 就役中[1][2][3] |
建造数 | 9隻[1][2][3] |
次級 | バドル級コルベット |
要目 | |
基準排水量 | 425トン[3] |
満載排水量 | 495トン[1][2] |
全長 | 58.02 m[3] |
最大幅 | 8.08 m[3] |
吃水 | 1.95 m[3] |
機関方式 | CODOG方式[1][2][3] |
主機 | |
推進器 | スクリュープロペラ×2軸 |
最大速力 | 38ノット[1][2] |
航続距離 | 2,900海里(14ノット時)[2] |
乗員 | 38名(うち士官5名)[1][2] |
兵装 | |
C4ISTAR | リンクW 戦術データ・リンク |
FCS | Mk.92 mod.5 艦砲用[1][2][3] |
レーダー | AN/SPS-55 水上捜索/航海用[1][2] |
光学機器 | サファイア 前方監視赤外線センサー(後日装備)[1][2] |
電子戦・ 対抗手段 |
アル・シディク級ミサイル艇(英語: Al-Siddiq-class missile boat)は[注 2]、サウジアラビア海軍のミサイル艇の艦級[1][7]。アメリカのウィスコンシン州にあるピーターソン造船所によって9隻が建造された[1]。
当初はPGG-1から9までの記号・数字のみで呼ばれていたが[3]、後にサウジアラビア王族の名前に由来する艦名が付与された[1]。
設計
[編集]1977年2月に発注されたミサイル艇であり、設計は同年にタコマ・ボート造船所に発注されたバドル級コルベットと同じく、PCFG(高速ミサイル哨戒艇)設計に基づいている[1]。バドル級と比較すると、推進機構成は同一だが兵装はやや縮小されており、対艦ミサイル搭載数は半分で対潜戦装備も搭載されていない[1]。艦型は中央船楼型で、高速戦闘艇としては珍しく煙突を装備している[7]。またフィンスタビライザーも設置されている[3]。なお建造にあたっては、設計排水量を超過してしまい、就役の遅延につながった[3]。
機関はCODOG方式で、高速航行用の「LM2500 ガスタービンエンジン1基(23,000 shp)と巡航用のMTU 12V 652TB91ディーゼルエンジン2基(計3,485 bhp)を組み合わせて、2軸の可変ピッチプロペラを駆動している[1][2]。艇のサイズと比較すると極めて高出力の機関であり、速力は高速航行時で38ノット、巡航時で25ノットを発揮できる[1][2]。航続距離は14ノット時で2,900海里[2]、30ノットで600海里である[3]。
装備
[編集]本級は、艦砲用の射撃指揮システム(FCS)としてMk.92 mod.5を搭載するが、これはXバンドの捕捉・火器管制レーダーを備えており、アンテナは艦橋上部の球形レドーム内に収容されている[1][2][3]。このほか、水上捜索/航海レーダーとして、マストにAN/SPS-55が搭載されている[1][2]。また電子戦・対抗装備として、AN/SLQ-32(V)1」電波探知機と、Mk 137 6連装デコイ発射機2基を搭載している[1][2]。
砲熕兵器としては、艦首甲板にMk 75 mod 0 62口径76mm単装速射砲(オート・メラーラ社のコンパット砲をFMC社がライセンス生産した砲)を、艦尾にはMk 15(ファランクス・ブロック0) 20mmCIWSを搭載している[1][4][2][3]。また、上部構造物の艦尾側にはハープーン ブロック1B艦対艦ミサイルの連装発射筒2基を舷側に向けて設置している[1][4][2]。このほか、70口径20mm機関砲[3][注 1]、81mm迫撃砲2基、「Mk19」40mm自動擲弾銃2基を装備している[1][2]。
本級はサウジアラビア海軍の軍務では概ね成功を収めており、就役以来大きな改良は行われていないが、「サファイア」前方監視赤外線装置とリンクW データリンクシステムが後日装備されている[1][2]。
同型艦
[編集]一覧表
[編集]番号 | 艦名 | 建造所 | 進水 | 就役 | 状況 |
---|---|---|---|---|---|
511[2] | アル・シディク[1][注 2] Al Siddiq[2] |
ピーターソン造船所[1] | 1979年 9月22日[2] |
1980年 12月15日[2] |
現役[4] |
513[2] | アル・ファロウク[1] Al Farouq[2] |
1980年 5月17日[2] |
1981年 6月22日[2] | ||
515[2] | アブドゥル・アジズ[1] Abdul Aziz[2] |
1980年 8月23日[2] |
1981年 9月3日[2] | ||
517[2] | ファイサル[1] Faisal[2] |
1980年 11月15日[2] |
1981年 11月23日[2] | ||
519[2] | クハリドゥ[1] Khalid[2] |
1981年 3月23日[2] |
1982年 1月11日[2] | ||
521[2] | アミール[1] Amyr[2] |
1981年 6月13日[2] |
1982年 6月21日[2] | ||
523[2] | タリク[1] Tariq[2] |
1981年 9月23日[2] |
1982年 8月11日[2] | ||
525[2] | オクバー[1] Oqbah[2] |
1981年 12月12日[2] |
1982年 10月18日[2] | ||
527[2] | アブー・オバイダー[1] Abu Obaidah[2] |
1982年 4月3日[2] |
1982年 12月6日[2] |
運用史
[編集]「ファイサル」は1991年の湾岸戦争中に損害を受けたが、修理を受けて1994年に復帰した[1][2]。
2009年時点で、「アミール」と「タリク」はジッダ、残りの艇はアル・ジュバイルを拠点としている[2]。2023年時点で全艇が現役である[4]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar 『週刊ワールド・ウェポン No.91』デアゴスティーニ、2004年6月29日。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq Saunders 2015, p. 741.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t Wertheim 2013, p. 648.
- ^ a b c d e f IISS 2023, p. 352.
- ^ 竹田 1999.
- ^ 光成 & 山本 2021.
- ^ a b 海人社 1995, p. 31.
参考文献
[編集]- 海人社 編「写真特集 世界の高速戦闘艇」『世界の艦船』第502号、海人社、21-32頁、1995年10月。doi:10.11501/3292286。
- 竹田新「<翻訳>マスウーディー著『黄金の牧場と宝石の鉱山』の第三〜第六章をめぐって (5)」『大阪外国語大学論集』第20号、大阪外国語大学、289-309頁、1999年。NCID AN10191864 。
- 光成歩; 山本博之「『カラム』の時代Ⅻマレー・イスラム世界の社会変容と女性」『CIRAS Discussion Paper』第101号、京都大学東南アジア地域研究研究所、2021年。NCID BC06809680 。
- Saunders, Stephen, ed. (2015), Jane's Fighting Ships 2015-2016, Janes Information Group, ISBN 978-0710631435
- The International Institute for Strategic Studies (IISS) (2023-02-15), The Military Balance 2023, Routledge, ISBN 978-1-032-50895-5
- Wertheim, Eric (2013), The Naval Institute Guide to Combat Fleets of the World (16th ed.), Naval Institute Press, ISBN 978-1591149545