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アルバレート (列車)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1957年時点のTEE網におけるアルバレート

アルバレート (Arbalète) は、フランスパリスイスチューリッヒミュールーズバーゼル経由で結んでいた国際列車である。1956年にパリ - ミュールーズ間の国内列車として運行を開始し、1957年から1979年までパリ - チューリッヒ間のTEEとして運行された。その後1980年からは国際インターシティ1987年からはユーロシティとなり、1997年TGVに置き換えられて廃止された。

列車名はフランス語で機械弓(クロスボウ)の意[1]。フランス語では定冠詞をつけてL'Arbalète(ラルバレート)とも表記される。

歴史

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(赤)アルバレートの走行経路
(紫)TGV(1997年 - 2007年)
(青)TGV(2007年 - 2011年)

アルバレートは1956年6月3日フランス国鉄 (SNCF) によるパリ - ミュールーズ間の国内列車として運行を開始した[2]

翌1957年6月2日TEE発足とともに、アルバレートはTEEの一列車となり、パリ - チューリッヒ間に延長された。運行ダイヤは早朝チューリッヒを発車し昼過ぎにパリに到着、折り返し夕方にパリを出て深夜にチューリッヒに着くというものであった[3]

この時期のアルバレートはパリ - ミュールーズ間でフランスの国内列車と併結されて運転されていた。これは当時のフランス国鉄の人件費抑制策によるものである。このためTEEとしては停車駅が多くなっていた。TEEも併結される国内列車も一等車のみの編成であったが、TEEの一等車は座席が横3列であったのに対し国内列車は横4列であるなど、設備は差がつけられており、運賃・料金も別であった[3]

1960年から1962年の夏にはヴィッテルへの乗換駅であるキュルモン・シャランドレ駅にも停車した[3]

1963年冬のダイヤ改正でアルバレートとパリ - ミュールーズ間の国内列車は分離された。アルバレートの停車駅は大きく削減され、所要時間はわずかであるが短縮された[3]

1969年冬のダイヤ改正でアルバレートは機関車牽引の客車列車となった。1971年からは、パリ行のアルバレートはチューリッヒ - バーゼル間でドイツ連邦鉄道(西ドイツ国鉄)車両のハンブルク行のTEEヘルヴェティアと併結されるようになった。なお、パリ - ベルフォール間はパリ近郊の一部を除いて非電化区間であるため、パリ - バーゼル間はフランス国鉄のディーゼル機関車が牽引した。この路線はフランスの幹線の中でも近代化の遅れた路線であり、最高速度も120km/hで他の路線より低かった[4]

TEE時代のアルバレートの利用者は、パリからベルフォールやミュールーズなどフランス国内が多く、国境を越える区間の乗車率は低迷していた。このため、1979年5月27日のダイヤ改正からアルバレートは二等車を含む特急列車 (train rapide) となり、TEEではなくなった[4]

その後1980年夏からは国際インターシティの一列車となり、1987年夏にはユーロシティに種別を変更した[4]

1997年9月28日、パリ - ベルン間をディジョン経由で結んでいたTGVのうち一往復がチューリッヒまで延長されたのと引き替えに、アルバレートは廃止された。TGV化されたとはいえ経路が遠回りになったため、所要時間はほとんど変わらず、チューリッヒ行では逆に長くなってしまった。さらに運賃・料金も通常期で約20%の値上げとなるなど、利用者には不評であった[2]

2007年にはLGV東ヨーロッパ線が開業し、パリ - チューリッヒ間のTGVはストラスブール、ミュールーズ、バーゼル経由とされたが[5]2011年12月11日LGVライン-ローヌ線が開業したことでディジョン、ミュールーズ経由で運行されるようになった[6]

年表

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  • 1956年6月3日 : パリ - ミュールーズ間の国内特急列車として運転開始。
  • 1957年6月2日 : パリ - チューリッヒ間のTEEとなる。
  • 1969年9月28日 : 客車列車化。
  • 1979年5月27日 : 二等車を含む特急列車となる。
  • 1980年6月1日 : インターシティに種別変更。
  • 1987年5月31日 : ユーロシティに種別変更。
  • 1997年9月28日 : 別経路のTGVに置き換えられ廃止。

停車駅一覧

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TEE時代のアルバレートの停車駅は以下の通り[1]

駅名 1957年6月2日- 1963年9月29日- 1964年5月31日- 1969年9月28日- 1973年9月30日-
フランス パリ東駅
トロワ
Troyes
ショーモン
Chaumont
キュルモンシャランドレ
Culmont-Chalindrey
[注 1]
ヴズー
Vesoul
ベルフォール
Belfort
ミュールーズ・ヴィル駅
Mulhouse-Ville
スイス バーゼルSBB駅
チューリッヒ中央駅
凡例
停車 通過 パリ行のみ停車 注釈参照
  1. ^ 1960年から1962年の夏のみ停車(Mertens & Malaspina 2007, p. 147)

車両・編成

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気動車・客車

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TEE時代のアルバレートで使われた車両は以下の通り[1]

期間 所属 形式 備考
1957年6月2日 - 1964年8月1日 フランス国鉄 X2770型気動車(X 2770) 2両編成
1964年8月2日 - 1969年9月27日 オランダ国鉄スイス連邦鉄道 DE4型(オランダ)・RAm TEE型(スイス)(Nederlands-Zwitsers TEE-treinstel) 4両編成(うち一両は動力車)。オランダとスイスで名称が異なるが同一の形式であり、運用上も区別はない。
1969年9月28日 - 1976年9月30日 フランス国鉄 ミストラル56型客車
1976年10月1日 - 1979年5月26日 フランス国鉄 ミストラル69型客車

1964年の車両更新は、同年にパリ - ブリュッセルアムステルダム間のTEEエトワール・デュ・ノールオワゾ・ブルーが客車列車化されたため、余剰となった車両を用いたものである。この時期はアムステルダム - チューリッヒ間のTEEエーデルヴァイスと共通運用であった[1]

1969年には、パリ - ニース間のル・ミストラルに新型客車(ミストラル69型)が投入されたため、余剰となった旧客車(ミストラル56型)を利用して客車列車化された[4]。この時期の編成は一等車5両、一等・バー合造車1両、食堂車1両、荷物車1両を基本としていた[1]。1972年以降"Grill Express"の愛称で知られる新型食堂車が使用されている[4]

1976年にはパリ - リヨン間のTEEリヨネが二等車を含む特急列車に変更されたことにともない、余剰となったミストラル69型客車がアルバレートに充てられた。ただし、この客車のみではパリ - チューリッヒ間を2日で一往復する運用に充当するには不十分であり、全区間を走行するのは一等車3両のみとされ、一等車4両と食堂車1両はパリ - バーゼル間でのみ連結された。増結客車は同区間を一日一往復した[4]

1979年に二等車を含む特急列車となってからは、フランス国鉄のコライユ客車が用いられた。ただし1995年から廃止までの2年間はスイス連邦鉄道(スイス国鉄)の客車となった[4]

機関車

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1969年の客車列車化後は、パリ - バーゼル間はフランス国鉄のCC72000形ディーゼル機関車[7]、バーゼルではスイス国鉄のRe4/4IIまたはRe4/4III電気機関車が牽引した[8]。ユーロシティ化後はパリ - バーゼル間でBB67400形ディーゼル機関車 (BB 67400) が重連で用いられることもあった[9]

脚注

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出典

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参考文献

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  • Mertens, Maurice; Malaspina, Jean-Pierre (2007) (フランス語), La légende des Trans-Europ-Express, LR Press, ISBN 978-2-903651-45-9 
  • Malaspina, Jean-Pierre (2005) (フランス語), Train d'Europe Tome 1, La Vie du Rail, ISBN 2-915034-48-6 
  • Thomas Cook European Rail Timetable, Thomas Cook, ISSN 0952-620X  各号

関連項目

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