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アリババと40人の盗賊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『アリババ』
マックスフィールド・パリッシュ画(1909年)

アリババと40人の盗賊』(アリババと40にんのとうぞく、アラビア語: علي بابا‎、ペルシア語: علی‌بابا‎、英語: Ali Baba and the Forty Thieves)は、イスラム世界に伝わっている物語とされるものの一つである。一般には『アラビアンナイト』(千夜一夜物語)の中の一編として認識されることが多いが、『アラビアンナイト』の原本には収録されていなかった(後述「アラビアンナイトとの関係」を参照のこと)。

主人公のアリババの「ババ」という言葉は、アラビア語「お父さん」の意である。

あらすじ

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昔、ペルシャの国に、貧乏だが真面目で働き者のアリババという男がいた。ある日、アリババがロバを連れて近くの山へ行き、薪を集めていると、40人の盗賊の一団が奪った宝を洞穴の中に隠しているのを偶然目撃した。盗賊の頭領が「開けゴマ[1][2](「おいシムシム、お前の門を開けろ!」とも。「シムシム」は胡麻の意味でアラビア語では سمسم(simsim, スィムスィム)と表記・発音される)という呪文を唱えると、洞穴の入口をふさぐ岩の扉が開き、盗賊たちが洞穴の中に入ると自動的に岩の扉が閉まる。しばらくすると再び岩の扉が開き、盗賊たちが外に出てきた後、扉は再び閉まった[3]。その一部始終を木の陰に隠れて見ていたアリババは、盗賊たちが立ち去るのを待って自分も洞穴の中に入り、手近な場所に置いてあった金貨の袋をロバの背中に積めるだけ積んで家へ持ち帰った。

かくして大金持ちになったアリババは、このことを妻以外の者には秘密にしていたが、不運にも元から金持ちの兄・カシムに知られてしまった。強欲でねたみ深い性格のカシムは、金貨を手に入れた経緯と洞穴の扉を開けるための呪文をアリババから無理やり聞き出し、自分も財宝を狙って洞穴に忍び込んだ。ところが、洞穴の中の財宝に夢中になり過ぎて、扉を再び開ける呪文を忘れてしまい、洞穴から出られなくなったところを、戻ってきた盗賊たちに見付かり[4]、カシムはバラバラに切り刻まれて惨殺されてしまった。

カシムがいつまでも帰ってこないのを心配したアリババは、翌日になって洞穴へ向かい、盗賊たちの手でバラバラにされたカシムの死体を発見した。驚いたアリババは、カシムの死体を袋に入れ、ロバの背中に乗せて密かに持ち帰り、カシムの家に仕えていた若くて聡明な女奴隷モルジアナ[5]と相談の末、遠くの町から仕立屋の老人[6]を呼んで、死体を元通りの形に縫い合わせてもらい、表向きはカシムが病死したことにして、内密に葬儀をすませた。その後はカシムの家と財産もアリババの物になり、アリババはカシムの一人息子を養子にして、この上もなく恵まれた身分の男になった。

一方、洞穴の中から金貨の袋と死体が持ち去られたことに気付いた盗賊たちは、死んだ男の他にも仲間がいると考えて、すぐに捜査を始め、死体を縫い合わせた老人を見付けて、情報を聞き出すことに成功した。そして、老人の協力でアリババの家(元・カシムの家)を見付けた盗賊たちは、頭領が20頭のロバを連れた旅の油商人に変装し、ロバの背中に2つずつ積んだ油容器の中に39人の手下たちが隠れ[7]、アリババの家に一夜の宿を求めて泊めてもらう作戦で家の中に入り込み、家の人々が寝静まるのを待ってアリババを殺そうと企てたが、庭に運び込まれた油容器の中身が盗賊たちと気付いたモルジアナは、1つだけ本物の油が入っている容器を探し当てると、急いでその油を台所へ運び込み、大鍋に入れて沸騰させ、煮えたぎった油を全ての容器に注ぎ込んで、中に隠れている盗賊たちを一人残らず殺した。そうとも知らず夜中に寝床から起き上がり、仕事に取りかかるために手下たちを呼ぼうとした頭領は、容器の中をのぞき込んで手下たちの全滅を知ると、驚いて単身アリババの家から逃げ去った。

しばらくの後、盗賊の頭領は偽名を使って今度は宝石商人になりすまし、カシムの息子が経営する商店の近所に住み着いて、カシムの息子と親しくなり、アリババの家に客人として招かれた。頭領は服の中に隠し持った短剣でアリババを殺すつもりだったが、またしても客人の正体を見抜いたモルジアナは、余興として客人に舞踊を披露すると言い、彼女も短剣を持って踊りながら隙を見て頭領を刺し殺し、アリババたちに客人の正体を晒した。

かくして40人の盗賊たちは、聡明なモルジアナの機転により全員返り討ちにされた。この功績によって、モルジアナは奴隷の身分から一躍カシムの息子の妻になり、洞穴の中に残っていた莫大な財宝は国中の貧しい人たちに分け与えられて、アリババの家は末永く栄えた。

アラビアンナイトとの関係

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この物語の原典・出所については複雑な事情がある。

まず、18世紀初めにフランスの東洋学者のアントワーヌ・ガランが『千夜一夜物語』の第11巻に入れた("Histoire d'Ali-Baba et de quarante voleurs exterminés par une esclave")ことで世界中に知られたが、『千夜一夜物語』の原本の中にも、独立の写本にしても、アラビア語原典が見つからなかった。ガランは、シリア北部アレッポの出身でフランスに滞在していたハンナ・ディヤーブ(Hanna Diab 又は Youhenna Diab)から聞き取り、千夜一夜の翻訳の続きに加えたとしている[8][9]

1908年に至り、ダンカン・B・マクドナルド英語版がオックスフォード大学のボドリアン図書館の写本目録の中からアラビア語原典の存在を確認し、1910年に英国王立アジア協会の雑誌にその原文を発表した[10]。これで原典探しは一件落着となったとされた。日本では、この原文は前嶋信次によって日本語に訳され、1985年、前嶋の死去のあと、平凡社東洋文庫「アラビアン・ナイト」の別巻として出版されている[11]。ただし、前嶋は、「果たしてガランが使用したものと同じか否か、両者間に文体の差があって不確かである。またシリア系の説話という説が有力だが、トルコやスラブ系の説話の影響も認められる」としている[12]

ところが、1984年にハーバード大学のアラビア語の教授であったムフシン・マフディー英語版が、「千夜一夜物語」の原型といわれるものの復元に成功して、「初期アラビア語原典による千夜一夜物語の書」という、画期的な研究成果を発表し、今まで解明されていなかった多くの問題に光を与えるところとなった[13][14]。マフディーの写本研究はまた思いがけない発見をしている[11]。マクドナルドが発見したアラビア語写本をマフディーが子細に検討した結果、この写本はド・サシーの門下生で、18世紀の後期に商人となってエジプトに移り住んだジャン・ワルシー(Jean Varsi)というフランス人の筆跡によるもので、ガランのフランス語訳から逆にアラビア語に訳し直したものと解明された[15][16][17]。結局、この有名な物語は、「アラビアン・ナイト」の外典として存在していたのか、ガランが創作したのか、何によったのか、出所探しは振り出しに戻ってしまった[17]

なお、「アリババと40人の盗賊」、「アラジンと魔法のランプ」のように、アラビア語の原典が見当たらない物語群は「orphan stories」[18]や「orphan tales」[19]と呼ばれている。

ギャラリー

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日本語訳

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関連項目

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脚注

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  1. ^ 前嶋信次の訳による。『アラビアン・ナイト 別巻』アラジンとアリババ、東洋文庫443)p.198,200,213など、平凡社平凡社東洋文庫〉、1985年3月8日初版第1刷
  2. ^ 原典のアラビア語では、「イフタフ(開け)・ヤー(おい)・シムシム(胡麻)」と言う。日本では一般に「開け、胡麻」と訳されていることが多いが、これは英語版に見られる「Open Sesame」からの重訳である。
  3. ^ 岩の扉を閉じる呪文については、原典には記載が無い。
  4. ^ 「すぐに見つかった」とするものと「もう少しで盗賊たちが洞穴から出ていくところまで身を隠していたが、クシャミをして見つかった」とするものとがある。
  5. ^ モルジアナ自体は、元になったアラビア語女性名 مُرْجَانَة(Murjānah ないしは Murjāna, ムルジャーナ)の口語発音(方言発音)「モルジャーナ(Morjāna)」に対するラテン文字(英字などのこと)での当て字「Morjiana」などを日本語のカタカナで表したものである。 『千夜一夜物語(アラビアンナイト)』のこの登場人物に関しては日本語書籍・記事によってカタカナ表記違いである女性名マルジャーナ(مَرْجَانَة, Marjānah ないしは Marjāna)も用いられているが、上のムルジャーナと同綴の同一語に対する発音違いとなっている。 マルジャーナと読む場合もムルジャーナ(モルジアナの元)と読む場合も語義は全く変わらず、「(小さな)真珠(の粒)」「(小さな)珊瑚(のかけら)」を表す。かつてアラブ・イスラーム世界では奴隷を宝石・珊瑚・真珠・花などの名で呼ぶ風習があった。
  6. ^ ちなみに老人の職業は靴屋であったとする話もある(靴屋も仕立屋と同じく針と糸で物を縫い合わせる作業が得意であるため)。
  7. ^ ちなみに、盗賊たちがアリババの家を捜索する際に失敗した2人が頭領に処刑されたとする話もあり、その場合には残りの手下は37人で、頭領が連れていたロバの数は19頭になる。いずれにせよ、1つの容器だけ偽装のために本物の油が入っていた点は共通している。
  8. ^ [1] Ulrich Marzolph: The Arabian Nights Encyclopedia(2004), Volume 1, pp.12-13 , ISBN 9781576072042
  9. ^ 西尾哲夫『アラビアンナイト --- 「物語」に終わりはない』、100分de名著、NHK出版、2013年11月、pp.19-20、ISBN 978-4-14-223032-7 『ガランは「千一夜」物語という以上は物語は千一夜分あるはずだとかたく信じていたので、続きが書かれた写本を必死で探しまわりました。しかし、うまく見つけることができません。困り果てていたところ、シリア北部アレッポの出身でフランスに滞在していたハンナ・ディヤーブという人物と知己になり、彼が故郷の民話にくわしいことがわかりました。そこで彼に写本に入っていないアラビアンナイトのような物語をいろいろ聞き取りし、それを翻訳の続きに加えていきました。このとき聞き取った話の中に、いまのわれわれにおなじみの「アラジン」や「アリババ」「空飛ぶ絨毯」などがありました。』
  10. ^ ロバート・アーウィン、西尾哲夫訳『必携アラビアン・ナイト 物語の迷宮へ』、p.76、平凡社、1998年1月、ISBN 4-582-30803-1
  11. ^ a b 池田修、ムフシン・マフディー版「アラビアン・ナイト」の登場、「千夜一夜物語と中東文化---前嶋信次著作集I」に所載、p.471、平凡社東洋文庫669、2000年4月10日初版、ISBN 4-582-80669-4
  12. ^ 前嶋信次(訳)『アラビアン・ナイト 別巻』アラジンとアリババ、東洋文庫443)あとがきにかえて、pp.287-288、平凡社平凡社東洋文庫)、1985年3月8日初版第1刷
  13. ^ 池田修、ムフシン・マフディー版「アラビアン・ナイト」の登場、「千夜一夜物語と中東文化---前嶋信次著作集I」に所載、p.469、平凡社東洋文庫669、2000年4月10日初版、ISBN 4-582-80669-4
  14. ^ ロバート・アーウィン、西尾哲夫訳『必携アラビアン・ナイト 物語の迷宮へ』、p.79-81、平凡社、1998年1月、ISBN 4-582-30803-1
  15. ^ Husain Haddawy訳, "The Arabian Nights II: Sinbad and Other Popular Stories (v. 2)", Introduction, p.xiii, W W Norton & Co Inc (September 1995), ISBN 978-0393038156 "Although it is written in a pseudo-grammatical Arabic, with some mistakes and colloquial words, as well as purple patches, verses, and rhyming phrases alien to Galland's verdion, a close examination reveals that it is a modified translation of Galland. It is no more of Arabic origin than its author Jean Varsi, a Frenchman attached to the French mission in Egypt."
  16. ^ ロバート・アーウィン、西尾哲夫訳『必携アラビアン・ナイト 物語の迷宮へ』、p.83-84、平凡社、1998年1月、ISBN 4-582-30803-1
  17. ^ a b 池田修、ムフシン・マフディー版「アラビアン・ナイト」の登場、「千夜一夜物語と中東文化---前嶋信次著作集I」に所載、p.472、平凡社東洋文庫669、2000年4月10日初版、ISBN 4-582-80669-4
  18. ^ The eternal adventure: The amazing tale of the Arabian Nights The Independent、2008年11月21日
  19. ^ [2] Robert Irwin: The Arabian Nights: A Companion(1994), p.30(下から3行目), ISBN 978-1860649837

外部リンク

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