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アメリカ合衆国連邦最高裁判所判事の一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

合衆国最高裁判所は、アメリカ合衆国で最も権威のある司法機関である。1869年裁判所法英語版の制定により、長官(首席判事)と8人の陪席判事で構成され、定足数は6人となっている[1][2]憲法第2条第2節第2項英語版ではアメリカ合衆国大統領には最高裁長官を指名し、連邦上院助言と同意英語版を得て任命する強権が与えられている。最高裁判事は終身在職権英語版を持ち[3]、給与は2014年時点で長官が年間25万5500ドル、陪席判事が年間24万4400ドルと定められている[4][5][6]

背景

[編集]

合衆国最高裁判所は「合衆国の司法権は、1つの最高裁判所に属する」と規定するアメリカ合衆国憲法第3条英語版に基づいて創設され[7]アメリカ合衆国第1議会英語版によって組織された。1789年裁判所法英語版を通じて議会は裁判所の原審と控訴審の管轄権を規定し、13の司法区域を設け、判事の数を6人(1人の主席判事と5人の陪席判事)に定めた[8][9]

1789年以降、議会は時折、最高裁判所の規模を変更してきたがそれは歴史的に国の規模の拡大に対応してのことであった。1801年法英語版では次に空席が発生した際に裁判所を定員5人まで縮小するとされていた。しかしながら1802年法英語版の成立によって空席が生じる前に1801年法が廃止されると定員は6人のまま維持された。その後、1807年に7人英語版1837年に9人英語版1863年に10人英語版に増員された。1866年法英語版では次に3人の空席が出た際に定員を10人から7人に減らすことが定められ、その後2人分の空席が生じた。しかしながら3つ目の空席が生じる前に1869年裁判所法英語版が成立したことで判事の定員は9人まで回復し、以後今日まで維持されている[10]

歴代の最高裁判事の平均在任期間は15年未満であったが、1970年以降に限ると約26年にまで延びている[11]

現職判事

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以下は先任順の現職の最高裁判事である(首席判事のみは就任時期と関係なく1番目とする)。

歴代判事の一覧

[編集]

1789年に合衆国最高裁判所が設立されて以来、115人が在職した。現職ではない106人の判事の在任期間はウィリアム・O・ダグラス英語版36年209日からジョン・ラトリッジ陪席判事としての1年18日と首席判事としての138日まで多岐にわたっている。2024年11月21日現在、9人の現職判事のうち最長はクラレンス・トーマス33年29日、最短はケタンジ・ブラウン・ジャクソンの2年144日である。陪席判事のうち、ジョン・ラトリッジ[注釈 1]エドワード・ダグラス・ホワイト[注釈 2]チャールズ・エヴァンズ・ヒューズ[注釈 1]ハーラン・F・ストーン[注釈 2]ウィリアム・レンキストの5人が後に首席判事に任命されており[注釈 2]、彼らは一覧には2度掲載されているが代数は1回分として計算されている。以下は最高裁判事の一覧である:[21][22]

判事 [注釈 3] 地位 前任 承認日
(票数)
在任期間 在任年日数[注釈 4] 指名者
1 ジョン・ジェイ
(1745–1829)
ニューヨーク 主席
判事
新設 1789年9月26日
(喝采投票)
1789年10月19日

1795年6月29日
(辞任)
5年253日 ジョージ・ワシントン
2 ジョン・ラトリッジ
(1739–1800)
サウスカロライナ 陪席
判事
新設 1789年9月26日
(喝采投票)
1790年2月15日[注釈 5]

1791年3月5日
(辞任)
1年18日
3 ウィリアム・クッシング
(1732–1810)
マサチューセッツ 陪席
判事
新設 1789年9月26日
(喝采投票)
1790年2月2日[注釈 5]

1810年9月13日
(死去)
20年223日
4 ジェイムズ・ウィルソン
(1742–1798)
ペンシルベニア 陪席
判事
新設 1789年9月26日
(喝采投票)
1789年10月5日[注釈 5]

1798年8月21日
(死去)
8年320日
5 ジョン・ブレア
(1732–1800)
バージニア 陪席
判事
新設 1789年9月26日
(喝采投票)
1790年2月2日[注釈 5]

1795年12月25日
(辞任)
5年265日
6 ジェイムズ・アイアデル
(1751–1799)
ノースカロライナ 陪席
判事
新設 1790年2月10日
(喝采投票)
1790年5月12日

1799年10月20日
(死去)
9年161日
7 トマス・ジョンソン
(1732–1819)
メリーランド 陪席
判事
J・ラトリッジ 1791年11月7日
(喝采投票)
1791年9月19日[注釈 6]

1793年1月16日
(辞任)
1年119日
8 ウィリアム・パターソン
(1745–1806)
ニュージャージー 陪席
判事
T・ジョンソン 1793年3月4日
(喝采投票)
1793年3月11日

1806年9月9日
(死去)
13年181日
2 ジョン・ラトリッジ
(1739–1800)
サウスカロライナ 主席
判事
ジェイ 1795年12月15日
(10–14)[注釈 7]
1795年8月12日[注釈 6]

1795年12月15日
(指名拒否により退任)
138日
9 サミュエル・チェイス[注釈 8]
(1741–1811)
メリーランド 陪席
判事
ブレア 1796年1月27日
(喝采投票)
1796年2月4日

1811年6月19日
(死去)
15年135日
10 オリバー・エルスワース
(1745–1807)
コネチカット 主席
判事
J・ラトリッジ 1796年3月4日
(21–1)
1796年3月8日

1800年12月15日
(辞任)
4年282日
11 ブッシュロッド・ワシントン英語版
(1762–1829)
バージニア 陪席
判事
ウィルソン 1798年12月20日
(喝采投票)
1798年11月9日[注釈 6]

1829年11月26日
(死去)
31年17日 ジョン・アダムズ
12 アルフレッド・ムーア英語版
(1755–1810)
ノースカロライナ 陪席
判事
アイアデル 1799年12月9日
(喝采投票)
1800年4月21日

1804年1月26日
(辞任)
3年280日
13 ジョン・マーシャル
(1755–1835)
バージニア 主席
判事
エルスワース 1801年1月27日
(喝采投票)
1801年2月4日

1835年7月6日
(死去)
34年152日
14 ウィリアム・ジョンソン英語版
(1771–1834)
サウスカロライナ 陪席
判事
ムーア 1804年3月24日
(喝采投票)
1804年5月7日

1834年8月4日
(死去)
30年89日 トーマス・ジェファーソン
15 ヘンリー・ブロックホルスト・リビングストン
(1757–1823)
ニューヨーク 陪席
判事
パターソン 1806年12月17日
(喝采投票)
1807年1月20日[注釈 6]

1823年3月18日
(死去)
16年57日
16 トーマス・トッド英語版
(1765–1826)
ケンタッキー 陪席
判事
増設 1807年3月2日
(喝采投票)
1807年5月4日

1826年2月7日
(死去)
18年341日
17 ガブリエル・デュバル英語版
(1752–1844)
メリーランド 陪席
判事
S・チェイス 1811年11月18日
(喝采投票)
1811年11月23日

1835年1月14日
(辞任)
23年50日 ジェームズ・マディソン
18 ジョセフ・ストーリー英語版
(1779–1845)
マサチューセッツ 陪席
判事
クッシング 1811年11月18日
(喝采投票)
1812年2月3日

1845年9月10日
(死去)
33年219日
19 スミス・トンプソン
(1768–1843)
ニューヨーク 陪席
判事
リビングストン 1823年12月9日
(喝采投票)
1823年9月1日[注釈 6]

1843年12月18日
(死去)
20年108日 ジェームズ・モンロー
20 ロバート・トリンブル英語版
(1776–1828)
ケンタッキー 陪席
判事
トッド 1826年5月9日
(25–5)
1826年6月16日

1828年8月25日
(死去)
2年70日 ジョン・クィンシー・アダムズ
21 ジョン・マクレーン
(1785–1861)
オハイオ 陪席
判事
トリンブル 1829年3月7日
(喝采投票)
1829年3月12日

1861年4月4日
(死去)
32年23日 アンドリュー・ジャクソン
22 ヘンリー・ボールドウィン英語版
(1780–1844)
ペンシルベニア 陪席
判事
ワシントン 1830年1月6日
(41–2)
1830年1月18日

1844年4月21日
(死去)
14年94日
23 ジェームズ・ムーア・ウェイン英語版
(1790–1867)
ジョージア 陪席
判事
W・ジョンソン 1835年1月9日
(喝采投票)
1835年1月14日

1867年7月5日
(死去)
32年172日
24 ロジャー・B・トーニー
(1777–1864)
メリーランド 主席
判事
J・マーシャル 1836年3月15日
(29–15)
1836年3月28日

1864年10月12日
(死去)
28年198日
25 フィリップ・P・バーバー英語版
(1783–1841)
バージニア 陪席
判事
デュバル 1836年3月15日
(30–11)
1836年5月12日

1841年2月25日
(死去)
4年289日
26 ジョン・カトロン英語版
(1786–1865)
テネシー 陪席
判事
増設 1837年3月8日
(28–15)
1837年5月1日

1865年5月30日
(死去)
28年29日
27 ジョン・マッキンレー英語版
(1780–1852)
アラバマ 陪席
判事
増設 1837年9月25日
(喝采投票)
1838年1月9日[注釈 6]

1852年7月19日
(死去)
14年192日 マーティン・ヴァン・ビューレン
28 ピーター・ヴィヴィアン・ダニエル英語版
(1784–1860)
バージニア 陪席
判事
バーバー 1841年3月2日
(25–5)
1842年1月10日

1860年5月31日
(死去)
18年142日
29 サミュエル・ネルソン英語版
(1792–1873)
ニューヨーク 陪席
判事
トンプソン 1845年2月14日
(喝采投票)
1845年2月27日

1872年11月28日
(引退)
27年275日 ジョン・タイラー
30 リーヴァイ・ウッドベリー
(1789–1851)
ニューハンプシャー 陪席
判事
ストーリー 1846年1月31日
(喝采投票)
1845年12月23日[注釈 6]

1851年9月4日
(死去)
5年346日 ジェームズ・K・ポーク
31 ロバート・クーパー・グリア英語版
(1794–1870)
ペンシルベニア 陪席
判事
ボールドウィン 1846年8月4日
(喝采投票)
1846年8月10日

1870年1月31日
(引退)
23年174日
32 ベンジャミン・ロビンス・カーティス英語版
(1809–1874)
マサチューセッツ 陪席
判事
ウッドベリー 1851年12月20日
(喝采投票)
1851年10月10日[注釈 6]

1857年9月30日
(辞任)
5年355日 ミラード・フィルモア
33 ジョン・アーチボルド・キャンベル英語版
(1811–1889)
アラバマ 陪席
判事
マッキンレー 1853年3月22日
(喝采投票)
1853年4月11日

1861年4月30日
(辞任)
8年19日 フランクリン・ピアース
34 ネイサン・クリフォード
(1803–1881)
メイン 陪席
判事
カーティス 1858年1月12日
(26–23)
1858年1月21日

1881年7月25日
(死去)
23年185日 ジェームズ・ブキャナン
35 ノア・ヘインズ・スウェイン英語版
(1804–1884)
オハイオ 陪席
判事
マクレーン 1862年1月24日
(38–1)
1862年1月27日

1881年1月24日
(引退)
18年363日 エイブラハム・リンカーン
36 サミュエル・フリーマン・ミラー英語版
(1816–1890)
アイオワ 陪席
判事
ダニエル 1862年7月16日
(喝采投票)
1862年7月21日

1890年10月13日
(死去)
28年84日
37 デヴィッド・デイヴィス英語版
(1815–1886)
イリノイ 陪席
判事
キャンベル 1862年12月8日
(喝采投票)
1862年12月10日[注釈 6]

1877年3月4日
(辞任)
14年84日
38 ステファン・ジョンソン・フィールド英語版
(1816–1899)
カリフォルニア 陪席
判事
増設 1863年3月10日
(喝采投票)
1863年5月20日

1897年12月1日
(引退)
34年205日
39 サーモン・P・チェイス
(1808–1873)
オハイオ 主席
判事
トーニー 1864年12月6日
(喝采投票)
1864年12月15日

1873年5月7日
(死去)
8年143日
40 ウィリアム・ストロング英語版
(1808–1895)
ペンシルベニア 陪席
判事
グリア 1870年2月18日
(投票記録無し)
1870年3月14日

1880年12月14日
(引退)
10年275日 ユリシーズ・S・グラント
41 ジョセフ・P・ブラッドリー英語版
(1813–1892)
ニュージャージー 陪席
判事
増設 1870年3月21日
(46–9)
1870年3月23日

1892年1月22日
(死去)
21年305日
42 ウォード・ハント英語版
(1810–1886)
ニューヨーク 陪席
判事
ネルソン 1872年12月11日
(喝采投票)
1873年1月9日

1882年1月27日
(引退)
9年18日
43 モリソン・ワイト英語版
(1816–1888)
オハイオ 主席
判事
S・P・チェイス 1874年1月21日
(63–0)
1874年3月4日

March 23, 1888
(死去)
14年19日
44 ジョン・マーシャル・ハーラン英語版
(1833–1911)
ケンタッキー 陪席
判事
デイヴィス 1877年11月29日
(喝采投票)
1877年12月10日

1911年10月14日
(死去)
33年308日 ラザフォード・B・ヘイズ
45 ウィリアム・バーナム・ウッズ英語版
(1824–1887)
ジョージア 陪席
判事
ストロング 1880年12月21日
(39–8)
1881年1月5日

1887年5月14日
(死去)
6年129日
46 スタンリー・マシューズ英語版
(1824–1889)
オハイオ 陪席
判事
スウェン 1881年5月12日
(24–23)
1881年5月17日

1889年3月22日
(死去)
7年309日 ジェームズ・A・ガーフィールド
47 ホレイス・グレイ英語版
(1828–1902)
マサチューセッツ 陪席
判事
クリフォード 1881年12月20日
(51–5)
1882年1月9日

1902年9月15日
(死去)
20年249日 チェスター・A・アーサー
48 サミュエル・ブラッチフォード英語版
(1820–1893)
ニューヨーク 陪席
判事
ハント 1882年3月22日
(喝采投票)
1882年4月3日

1893年7月7日
(死去)
11年95日
49 ルーシャス・クィントゥス
・キンキナトゥス・ラマー
英語版

(1825–1893)
ミシシッピ 陪席
判事
ウッズ 1888年1月16日
(32–28)
1888年1月18日

1893年1月23日
(死去)
5年5日 グロバー・クリーブランド
50 メルヴィル・フラー英語版
(1833–1910)
イリノイ 主席
判事
ワイト 1888年7月20日
(41–20)
1888年10月8日

1910年7月4日
(死去)
21年269日
51 デヴィッド・J・ブルーワー英語版
(1837–1910)
カンザス 陪席
判事
マシューズ 1889年12月18日
(53–11)
1890年1月6日

1910年3月28日
(死去)
20年81日 ベンジャミン・ハリソン
52 ヘンリー・ビリングス・ブラウン英語版
(1836–1913)
ミシガン 陪席
判事
ミラー 1890年12月29日
(喝采投票)
1891年1月5日

1906年5月28日
(引退)
16年143日
53 ジョージ・シラス・ジュニア英語版
(1832–1924)
ペンシルベニア 陪席
判事
ブラッドリー 1892年7月26日
(喝采投票)
1892年10月10日

1903年2月23日
(引退)
10年136日
54 ハウエル・エドマンズ・ジャクソン英語版
(1832–1895)
テネシー 陪席
判事
L・ラマー 1893年2月18日
(喝采投票)
1893年3月4日

1895年8月8日
(死去)
2年157日
55 エドワード・ダグラス・ホワイト
(1845–1921)
ルイジアナ 陪席
判事
ブラッチフォード 1894年2月19日
(喝采投票)
1894年3月12日

1910年12月18日
(主席判事として継続)
16年281日 グロバー・クリーブランド
56 ルーファス・W・ペッカム英語版
(1838–1909)
ニューヨーク 陪席
判事
H・ジャクソン 1895年12月9日
(喝采投票)
1896年1月6日

1909年10月24日
(死去)
13年291日
57 ジョセフ・マッケナ英語版
(1843–1926)
カリフォルニア 陪席
判事
[注釈 9]
フィールド 1898年1月21日
(喝采投票)
1898年1月26日

1925年1月5日
(引退)
26年345日 ウィリアム・マッキンリー
58 オリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニア
(1841–1935)
マサチューセッツ 陪席
判事
[注釈 10]
グレイ 1902年12月4日
(喝采投票)
1902年12月8日

1932年1月12日
(引退)
29年35日 セオドア・ルーズベルト
59 ウィリアム・R・デイ
(1849–1923)
オハイオ 陪席
判事
シラス 1903年2月23日
(喝采投票)
1903年3月2日

1922年11月13日
(引退)
19年256日
60 ウィリアム・ヘンリー・ムーディ
(1853–1917)
マサチューセッツ 陪席
判事
ブラウン 1906年12月12日
(喝采投票)
1906年12月17日

1910年11月20日
(引退)
3年338日
61 ホレイス・ハーモン・ラートン英語版
(1844–1914)
テネシー 陪席
判事
ペッカム 1909年12月20日
(喝采投票)
1910年1月3日

1914年7月12日
(死去)
4年204日 ウィリアム・ハワード・タフト
62 チャールズ・エヴァンズ・ヒューズ
(1862–1948)
ニューヨーク 陪席
判事
ブルーワー 1910年5月2日
(喝采投票)
1910年10月10日

1916年6月10日
(辞任)
5年244日
55 エドワード・ダグラス・ホワイト
(1845–1921)
ルイジアナ 主席
判事
フラー 1910年12月12日
(喝采投票)
1910年12月19日

1921年5月19日
(死去)
10年151日
63 ウィリス・ヴァン・ドヴァンター英語版
(1859–1941)
ワイオミング 陪席
判事
E・D・ホワイト 1910年12月15日
(喝采投票)
1911年1月3日[注釈 11]

1937年6月2日
(引退)
26年150日
64 ジョセフ・ラッカー・ラマー英語版
(1857–1916)
ジョージア 陪席
判事
ムーディ 1910年12月15日
(喝采投票)
1911年1月3日[注釈 11]

1916年1月2日
(死去)
4年364日
65 マローン・ピツニー英語版
(1858–1924)
ニュージャージー 陪席
判事
J・ハーラン 1912年3月13日
(50–26)
1912年3月18日

1922年12月31日
(辞任)
10年288日
66 ジェームズ・クラーク・マクレイノルズ英語版
(1862–1946)
テネシー 陪席
判事
ラートン 1914年8月29日
(44–6)
1914年10月12日

1941年1月31日
(引退)
26年111日 ウッドロウ・ウィルソン
67 ルイス・ブランダイス
(1856–1941)
マサチューセッツ 陪席
判事
J・ラマー 1916年6月1日
(47–22)
1916年6月5日

1939年2月13日
(引退)
22年253日
68 ジョン・ヘシン・クラーク英語版
(1857–1945)
オハイオ 陪席
判事
ヒューズ 1916年7月24日
(喝采投票)
1916年10月9日

1922年9月18日
(引退)
5年344日
69 ウィリアム・ハワード・タフト
(1857–1930)
コネチカット 主席
判事
E・D・ホワイト 1921年6月30日
(喝采投票)
1921年7月11日

1930年2月3日
(引退)
8年207日 ウォレン・G・ハーディング
70 ジョージ・サザーランド英語版
(1862–1942)
ユタ 陪席
判事
クラーク 1922年9月5日
(喝采投票)
1922年10月2日

1938年1月17日
(引退)
15年107日
71 ピアス・バトラー英語版
(1866–1939)
ミネソタ 陪席
判事
デイ 1922年12月21日
(61–8)
1923年1月2日

1939年11月16日
(死去)
16年318日
72 エドワード・テリー・サンフォード英語版
(1865–1930)
テネシー 陪席
判事
ピツニー 1923年1月29日
(喝采投票)
1923年2月19日

1930年3月8日
(死去)
7年17日
73 ハーラン・F・ストーン
(1872–1946)
ニューヨーク 陪席
判事
[注釈 12]
マッケナ 1925年2月5日
(71–6)
1925年3月2日

1941年7月2日
(主席判事として継続)
16年122日 カルビン・クーリッジ
62 チャールズ・エヴァンズ・ヒューズ
(1862–1948)
ニューヨーク 主席
判事
タフト 1930年2月13日
(52–26)
1930年2月24日

1941年6月30日
(引退)
11年126日 ハーバート・フーヴァー
74 オーウェン・ロバーツ英語版
(1875–1955)
ペンシルベニア 陪席
判事
サンフォード 1930年5月20日
(喝采投票)
1930年6月2日

1945年7月31日
(辞任)
15年59日
75 ベンジャミン・N・カードーゾ
(1870–1938)
ニューヨーク 陪席
判事
ホームズ 1932年2月24日
(喝采投票)
1932年3月14日

1938年7月9日
(死去)
6年117日
76 ヒューゴ・ブラック
(1886–1971)
アラバマ 陪席
判事
[注釈 13]
ヴァン・ドヴァンター 1937年8月17日
(63–16)
1937年8月19日

1971年9月17日
(引退)
34年29日 フランクリン・D・ルーズベルト
77 スタンリー・フォーマン・リード英語版
(1884–1980)
ケンタッキー 陪席
判事
サザーランド 1938年1月25日
(喝采投票)
1938年1月31日

1957年2月25日
(引退)
19年25日
78 フェリックス・フランクファーター
(1882–1965)
マサチューセッツ 陪席
判事
カードーゾ 1939年1月17日
(喝采投票)
1939年1月30日

1962年8月28日
(引退)
23年210日
79 ウィリアム・O・ダグラス英語版
(1898–1980)
コネチカット 陪席
判事
ブランダイス 1939年4月4日
(62–4)
1939年4月4日

1975年11月12日
(引退)
36年209日
80 フランク・マーフィー英語版
(1890–1949)
ミシガン 陪席
判事
バトラー 1940年1月16日
(喝采投票)
1940年2月5日

1949年7月19日
(死去)
9年164日
73 ハーラン・F・ストーン
(1872–1946)
ニューヨーク 主席
判事
ヒューズ 1941年6月27日
(喝采投票)
1941年7月3日

1946年4月22日
(死去)
4年293日
81 ジェームズ・F・バーンズ
(1882–1972)
サウスカロライナ 陪席
判事
マクレイノルズ 1941年6月12日
(喝采投票)
1941年7月8日

1942年10月3日
(辞任)
1年87日
82 ロバート・H・ジャクソン
(1892–1954)
ニューヨーク 陪席
判事
ストーン 1941年7月7日
(喝采投票)
1941年7月11日

1954年10月9日
(死去)
13年90日
83 ワイリー・ブラウント・ラトリッジ英語版
(1894–1949)
アイオワ 陪席
判事
バーンズ 1943年2月8日
(喝采投票)
1943年2月15日

1949年9月10日
(死去)
6年207日
84 ハロルド・ヒッツ・バートン英語版
(1888–1964)
オハイオ 陪席
判事
O・ロバーツ 1945年9月19日
(喝采投票)
1945年10月1日

1958年10月13日
(引退)
13年12日 ハリー・S・トルーマン
85 フレデリック・M・ヴィンソン
(1890–1953)
ケンタッキー 主席
判事
ストーン 1946年6月20日
(喝采投票)
1946年6月24日

1953年9月8日
(死去)
7年76日
86 トム・C・クラーク英語版
(1899–1977)
テキサス 陪席
判事
マーフィー 1949年8月18日
(73–8)
1949年8月24日

1967年6月12日
(引退)
17年292日
87 シャーマン・ミントン英語版
(1890–1965)
インディアナ 陪席
判事
W・ラトリッジ 1949年10月4日
(48–16)
1949年10月12日

1956年10月15日
(引退)
7年3日
88 アール・ウォーレン
(1891–1974)
カリフォルニア 主席
判事
ヴィンソン 1954年3月1日
(喝采投票)
1953年10月5日[注釈 6]

1969年6月23日
(引退)
15年261日 ドワイト・D・アイゼンハワー
89 ジョン・マーシャル・ハーラン2世英語版
(1899–1971)
ニューヨーク 陪席
判事
R・ジャクソン 1955年3月16日
(71–11)
1955年3月28日

1971年9月23日
(引退)
16年179日
90 ウィリアム・J・ブレナン・ジュニア
(1906–1997)
ニュージャージー 陪席
判事
ミントン 1957年3月19日
(喝采投票)
1956年10月16日[注釈 6]

1990年7月20日
(引退)
33年277日
91 チャールズ・エヴァンス・ウィテカー英語版
(1901–1973)
ミズーリ 陪席
判事
リード 1957年3月19日
(喝采投票)
1957年3月25日

1962年3月31日
(引退)
5年6日
92 ポッター・スチュワート英語版
(1915–1985)
オハイオ 陪席
判事
バートン 1959年5月5日
(70–17)
1958年10月14日[注釈 6]

1981年7月3日
(引退)
22年262日
93 バイロン・ホワイト
(1917–2002)
コロラド 陪席
判事
ウィテカー 1962年4月11日
(喝采投票)
1962年4月16日

1993年6月28日
(引退)
31年73日 ジョン・F・ケネディ
94 アーサー・ゴールドバーグ英語版
(1908–1990)
イリノイ 陪席
判事
フランクファーター 1962年9月25日
(喝采投票)
1962年10月1日

1965年7月25日
(辞任)
2年300日
95 エイブ・フォータス英語版
(1910–1982)
テネシー 陪席
判事
ゴールドバーグ 1965年8月11日
(喝采投票)
1965年10月4日

1969年5月14日
(辞任)
3年222日 リンドン・B・ジョンソン
96 サーグッド・マーシャル
(1908–1993)
ニューヨーク 陪席
判事
クラーク 1967年8月30日
(69–11)
1967年10月2日

1991年10月1日
(引退)
23年364日
97 ウォーレン・E・バーガー英語版
(1907–1995)
バージニア 主席
判事
ウォーレン 1969年6月9日
(74–3)
1969年6月23日

1986年9月26日
(引退)
17年95日 リチャード・ニクソン
98 ハリー・ブラックマン
(1908–1999)
ミネソタ 陪席
判事
フォータス 1970年5月12日
(94–0)
1970年6月9日

1994年8月3日
(引退)
24年55日
99 ルイス・F・パウエル・ジュニア英語版
(1907–1998)
バージニア 陪席
判事
ブラック 1971年12月6日
(89–1)
1972年1月7日[注釈 14]

1987年6月26日
(引退)
15年170日
100 ウィリアム・レンキスト
(1924–2005)
アリゾナ 陪席
判事
J・ハーラン2世 1971年12月10日
(68–26)
1972年1月7日[注釈 14]

1986年9月26日
(首席判事として継続)
14年262日
101 ジョン・ポール・スティーブンス
(1920–2019)
イリノイ 陪席
判事
[注釈 15]
ダグラス 1975年12月17日
(98–0)
1975年12月19日

2010年6月29日
(引退)
34年192日 ジェラルド・フォード
102 サンドラ・デイ・オコナー
(1930-2023)
アリゾナ 陪席
判事
スチュワート 1981年9月21日
(99–0)
1981年9月25日

2006年1月31日
(引退)
24年128日 ロナルド・レーガン
100 ウィリアム・レンキスト
(1924–2005)
バージニア 主席
判事
バーガー 1986年9月17日
(65–33)
1986年9月26日

2005年9月3日
(死去)
18年342日
103 アントニン・スカリア
(1936–2016)
バージニア 陪席
判事
レンキスト 1986年9月17日
(98–0)
1986年9月26日

2016年2月13日
(死去)
29年140日
104 アンソニー・ケネディ
(1936-存命)
カリフォルニア 陪席
判事
パウエル 1988年2月3日
(97–0)
1988年2月18日

2018年7月31日
(引退)
30年163日
105 デイヴィッド・スーター
(1939-存命)
ニューハンプシャー 陪席
判事
ブレナン 1990年10月2日
(90–9)
1990年10月9日

2009年6月29日
(引退)
18年263日 ジョージ・H・W・ブッシュ
106 クラレンス・トーマス
(1948-存命)
ジョージア 陪席
判事
T・マーシャル 1991年10月15日
(52–48)
1991年10月23日

現職
33年29日
107 ルース・ベイダー・ギンズバーグ
(1933–2020)
ニューヨーク 陪席
判事
B・ホワイト 1993年8月3日
(96–3)
1993年8月10日

2020年9月18日
(死去)
27年39日 ビル・クリントン
108 スティーブン・ブライヤー
(1938-存命)
マサチューセッツ 陪席
判事
ブラックマン 1994年7月29日
(87–9)
1994年8月3日

2022年6月30日
(引退)
27年331日
109 ジョン・ロバーツ
(1955-存命)
メリーランド 主席
判事
レンキスト 2005年9月29日
(78–22)
2005年9月29日

現職
19年53日 ジョージ・W・ブッシュ
110 サミュエル・アリート
(1950-存命)
ニュージャージー 陪席
判事
オコナー 2006年1月31日
(58–42)
2006年1月31日

現職
18年295日
111 ソニア・ソトマイヨール
(1954-存命)
ニューヨーク 陪席
判事
スーター 2009年8月6日
(68–31)
2009年8月8日

現職
15年105日 バラク・オバマ
112 エレナ・ケイガン
(1960-存命)
マサチューセッツ 陪席
判事
スティーブンス 2010年8月5日
(63–37)
2010年8月7日

現職
14年106日
113 ニール・ゴーサッチ
(1967-存命)
コロラド 陪席
判事
スカリア 2017年4月7日
(54–45)
2017年4月10日

現職
7年225日 ドナルド・トランプ
114 ブレット・カバノー
(1965-存命)
メリーランド 陪席
判事
ケネディ 2018年10月6日
(50–48)
2018年10月6日

現職
6年46日
115 エイミー・コニー・バレット
(1972-存命)
インディアナ 陪席
判事
ギンズバーグ 2020年10月26日
(52–48)
2020年10月26日

現職
4年25日
116 ケタンジ・ブラウン・ジャクソン
(1970-存命)
ワシントンD.C. 陪席
判事
ブライヤー 2022年4月7日
(53–47)
2022年6月30日

現職
2年144日 ジョー・バイデン
判事 [注釈 3] 地位 前任 承認日
(票数)
在任期間 在任年日数 指名者

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ a b 最高裁判事を2度務めた: 1度目は陪席判事として就任し、数年間の休職期間を経て首席判事となった。
  2. ^ a b c 最高裁陪席判事在任中に首席判事に昇任した。このような任命には別途の承認手続きが必要となる。
  3. ^ a b 任命時の居住州を指す。例えば1971年の任命時のレンキストはアリゾナ州だったが、1986年の首席判事昇格の際はバージニア州であった[22]
  4. ^ 開始日は所定の宣誓を行った日、終了日は判事の死去・辞任・引退の日である[22]
  5. ^ a b c d ウィルソン判事が最初に就任宣誓を行ったが、1789年の司法法第1条は司法委嘱状の日付によって陪席判事の優先順位を規定している。この判例規則は今日まで存在し、合衆国法典第28編第4節で法典化されている。最初の4人の陪席判事の任命状ではラトレッジは1789年9月26日、クッシングは9月27日、ウィルソンは9月29日、ブレアは9月30日と記されている。
  6. ^ a b c d e f g h i j k l 休会任命。休会任命日ではなく判事が司法宣誓を行った日を任期開始日とする。
  7. ^ 史上初めて上院で拒否された最高裁判事の指名であった。ラトリッジは以後にわたって上院で承認されなかった唯一の「全会任命」の判事である。
  8. ^ 弾劾英語版されたものの有罪とはならず、そのまま留任した。
  9. ^ 36 Stat. 1152に基づき1921年5月19日-7月11日は首席判事を代行した。
  10. ^ 36 Stat. 1152に基づき1930年2月3日-24日は首席判事を代行した。
  11. ^ a b ウィリス・ヴァン・デヴァンターとジョセフ・ラッカー・ラマーは同日に陪席判事として宣誓したが、最高裁での優先順位は司法委嘱状に記された日付によって決められた。タフト大統領は1910年12月16日にヴァン・デヴァンター、翌17日にラマーを判事に任命し、その日付が記された司法委嘱状を発行した。
  12. ^ 36 Stat. 1152に基づき1941年6月30日-7月3日は首席判事を代行した。
  13. ^ 62 Stat. 869に基づき1946年4月22日-6月24日および1953年9月8日-10月5日は首席判事を代行した。
  14. ^ a b ルイス・パウエルとウィリアム・H・レンキストは同日に陪席判事として宣誓したが、法律上は司法委嘱状の日付が1971年12月9日のパウエルが1971年12月9日のレンキストより優先順位の高い陪席判事となる。
  15. ^ 62 Stat. 869に基づき2005年9月3日-29日は首席判事を代行した。

出典

[編集]
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関連項目

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外部リンク

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