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アメリカ合衆国第三国務次官補

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アメリカ合衆国第三国務次官補(あめりかがっしゅうこくだいさんこくむじかんほ、United States Third Assistant Secretary of State)は、アメリカ合衆国国務省において国務長官を補佐し、事務作業を管理する役職である。1875年から1924年まで存在し、1912年までは国務省内部において国務長官、国務次官補第二国務次官補に次ぐ第4位の地位であった。

第三国務次官補は1874年6月20日連邦歳出法 (18 Stat. 90) によって制定され、大統領に対して第三国務次官補を任命する権限が与えられた。また同時に国務長官に対して、国務次官補、第二国務次官補、第三国務次官補、およびその他の国務省職員の職務を、国務長官の判断により必要に応じて規定できる権限が与えられた。

第三国務次官補には以下のような職務が割り当てられた。

  • いくつかの地域区分の監視
  • 国務省の会計および人事の監督
  • 外交式典および儀典の管理
  • 諸外国からの外交使節団の歓迎

第三国務次官補の地位は1924年5月24日に可決された外務職員法 (43 Stat. 146) によって廃止され、その職務は専門案件ごとにいくつかの国務次官補に分担されることになった。

歴代第三国務次官補

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# 氏名 任命 在任期間 備考
着任 退任
ベンジャミン・モラン 1874年6月22日 [1]
1 ジョン・アレン・キャンベル 1875年2月24日 1875年2月24日 1877年11月30日
2 チャールズ・ペイソン 1878年6月11日 1878年6月22日 1881年6月30日
3 ウォーカー・ブレイン 1881年7月1日 1881年7月1日 1882年6月30日 [2]
4 アルヴィー・エイディー 1882年7月18日 1882年7月18日 1886年8月5日
5 ジョン・バセット・ムーア 1886年8月3日 1886年8月6日 1891年9月30日
6 ウィリアム・グリンネル 1892年2月11日 1892年2月15日 1893年4月16日
7 エドワード・ストロベル 1893年4月13日 1893年4月17日 1894年4月16日
8 ウィリアム・ウッドヴィル・ロックヒル 1894年4月17日 1894年4月17日 1896年2月13日
9 ウィリアム・ウッドワード・ボールドウィン 1896年2月24日 1896年2月29日 1897年4月1日
10 トマス・ウィルバー・クリドラー 1897年4月8日 1897年4月8日 1901年11月15日
11 ハーバート・ヘンリー・デイヴィス・パース 1901年11月15日 1901年11月16日 1906年6月22日 [3]
12 ハンティントン・ウィルソン 1906年6月22日 1906年7月2日 1908年12月30日
13 ウィリアム・フィリップス 1909年1月11日 1909年1月11日 1909年10月13日
14 チャンドラー・ヘイル 1909年9月25日 1909年10月14日 1913年4月21日 [4]
15 ダッドリー・フィールド・マローン 1913年4月21日 1913年4月22日 1913年11月22日
16 ウィリアム・フィリップス 1914年3月13日 1914年3月17日 1917年1月24日
17 ブレッキンリッジ・ロング 1917年1月24日 1917年1月29日 1920年6月8日
18 ヴァン・サントヴォード・マール=スミス 1920年6月21日 1920年6月24日 1921年3月4日 [5]
19 ロバート・ウッズ・ブリス 1921年3月15日 1921年3月16日 1923年5月3日
20 ジョシュア・バトラー・ライト 1923年1月30日 1923年6月11日 1924年6月30日 [6]

備考

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  1. ^ 上院に承認を拒否されたため、着任せず。
  2. ^ 上院休会中の任命。1881年10月14日に上院の承認を受ける。
  3. ^ 上院休会中の任命。1901年12月10日に上院の承認を受ける。
  4. ^ 上院休会中の任命。1909年12月13日に上院の承認を受ける。
  5. ^ 上院休会中の任命。
  6. ^ 1924年7月1日国務次官補に役職変更。

外部リンク

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