コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

アムジャド・カーン (俳優)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アムジャド・カーン
Amjad Khan
生年月日 (1940-11-12) 1940年11月12日
没年月日 (1992-07-27) 1992年7月27日(51歳没)
出生地 イギリス領インド帝国の旗 イギリス領インド帝国 ボンベイ州英語版ボンベイ(現マハーラーシュトラ州
死没地 インドの旗 インド マハーラーシュトラ州ボンベイ
職業 俳優映画監督
ジャンル ヒンディー語映画
活動期間 1951年-1992年
配偶者 シャイラ・カーン
著名な家族 ジャヤント英語版(父)
イムティアズ・カーン英語版(弟)
シャダーブ・カーン英語版(息子)
主な作品
英語版
受賞
フィルムフェア賞
助演男優賞
1980年『Dada
1982年『Yaarana
コメディアン賞英語版
1986年『Maa Kasam
その他の賞
テンプレートを表示

アムジャド・カーン(Amjad Khan、1940年11月12日 - 1992年7月27日)は、インドヒンディー語映画で活動した俳優映画監督[1][2]。悪役俳優として知られており、キャリアを通して130本以上の映画に出演した。代表作には『英語版』『Muqaddar Ka Sikandar』がある[3]

生涯

[編集]

生い立ち

[編集]

ボンベイ州英語版ボンベイに暮らすスンナ派パシュトゥーン人家庭に生まれる。父のジャヤント英語版ペシャーワル出身の俳優であり[4][5][6][7][8][9]、長男のアムジャド、次男のイムティアズ・カーン英語版も後に俳優となった。アムジャドはバーンドラ英語版セント・アンドリュース高等学校英語版R・D国立大学英語版で教育を受け、学生時代は弟イムティアズと共に舞台演劇活動に参加していた。

キャリア

[編集]

1951年に子役として『Nazneen』に出演し、1957年には『Ab Dilli Dur Nahin』に出演している[1]。また、1960年代には『Love and God』ではキャストのほかにK・アーシフ英語版の助手も務めたが、アーシフや主演のグル・ダットの死去が重なったため製作が停滞し、1986年まで公開されなかった[10]。このほか、1973年には『Hindustan Ki Kasam)に出演している。1975年にはサリーム・カーン英語版の依頼を受け、『英語版』に登場する盗賊ガッバル・シン英語版役を演じることになった。出演に際し、アムジャド・カーンは役作りのためにタルーン・クマール・バードゥリー(ジャヤー・バッチャンの父)がチャンバール英語版の盗賊について著した『Abhishapth Chambal』を読み込んでいる。『炎』は興行的な成功を納め、ガッバル・シン役を演じたアムジャド・カーンは人気俳優の地位を確立した。同作における彼の立ち振る舞いや台詞は注目を集め、後年のヒンディー語映画で数多くのパロディやオマージュを生み出した[4]。『炎』の成功後、アムジャド・カーンは1970年代から1990年代にかけて多くの映画で悪役に起用され、アジット英語版に代わる悪役俳優として不動の地位を確立した。彼はアミターブ・バッチャンの敵役として度々起用され、この時期には『Inkaar』『Des Pardes』『Nastik』『Satte Pe Satta』『Chambal Ki Kasam』『Ganga Ki Saugandh』『Hum Kisise Kum Naheen』『Naseeb』などの映画に出演した[11]。また、アミターブ・バッチャン主演作『The Great Gambler』にも起用されたが、1976年10月15日に交通事故で重傷を負ったため降板している[12][13]

1977年に出演したサタジット・レイの『チェスをする人英語版』では、イギリス東インド会社に領土を狙われる中で怠惰な日々を過ごすアワド藩王ワージド・アリー・シャー役を演じ、サンジーヴ・クマールリチャード・アッテンボローと共演した。さらに『Meera』ではアクバル役、『Yaarana』『Laawaris』ではアミターブ・バッチャンの友人役、『ロッキー英語版』『Commander』では父親役などを演じたほか、『Utsav』ではヴァーツヤーヤナ英語版役、『ボンベイ大走査線英語版』では裏社会のドン役を演じている。このほか、『Qurbani』『Love Story』『Chameli Ki Shaadi』ではコミックリリーフな役柄も演じている。1980年代には監督業にも挑戦し、『Chor Police』『Ameer Aadmi Gharib Aadmi』を製作したが、いずれも興行成績は振るわなかった[1][4]。1991年には『炎』のパロディ映画『Ramgarh Ke Sholay』で再びガッバル・シン役を演じている[14]

死去

[編集]

1992年7月27日に心臓発作を起こして死去した[12][1][8]。翌1993年に公開された『ルダリ 悲しむもの英語版』のオープニング・クレジットでは、アムジャド・カーンに弔意が捧げられた[15]

私生活

[編集]

1972年にシャイラ・カーンと結婚し、彼女との間に2男1女(シャダーブ・カーン英語版、シーマーブ・カーン、アーラム・カーン)をもうけた。長男のシャダーブは俳優として活動しており、長女のアーラムは2011年に舞台俳優のザファル・カラチワーラー英語版と結婚している[8][16][17]

受賞歴

[編集]
部門 作品 結果 出典
フィルムフェア賞
1976年英語版 助演男優賞 『炎』 ノミネート [18]
1980年英語版 『Dada』 受賞
1981年英語版 『Qurbani』 ノミネート
1982年英語版 『Yaarana』 受賞
『Love Story』 ノミネート
1987年英語版 コメディアン賞英語版 『Maa Kasam』 受賞
『Utsav』 ノミネート
ベンガル映画ジャーナリスト協会賞英語版
1976年 ヒンディー語映画部門助演男優賞 『炎』 受賞

出典

[編集]
  1. ^ a b c d Amjad Khan Biography, Amjad Khan Profile – Filmibeat”. Entertainment.oneindia.in. 29 October 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。11 October 2023閲覧。
  2. ^ “Remember the old baddies?”. MSN India. オリジナルの5 February 2012時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120205165721/http://lifestyle.in.msn.com/exclusives/it/it_photoviewer.aspx?cp-documentid=5815683 11 October 2023閲覧。 
  3. ^ “Gabbar Singh”. Timesofindia.indiatimes.com. オリジナルの12 October 2016時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20161012200504/http://timesofindia.indiatimes.com/articleshow/2161793.cms 11 October 2023閲覧。 
  4. ^ a b c “Obituary: Amjad Khan”. The Independent newspaper. (26 August 1992). オリジナルの2015年5月12日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150512052212/http://www.independent.co.uk/news/people/obituary-amjad-khan-1542614.html 11 October 2023閲覧. "The son of Zakaria Khan, a Pathan from the North-West Frontier Province and popular Bollywood character actor of the Fifties and Sixties (screen name Jayant), Amjad Khan was born in Bombay in 1940." 
  5. ^ actor Jayant profile (Amjad Khan's father)”. Cinemaazi.com website. 3 December 2020時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年10月11日閲覧。
  6. ^ The Khans of Bombay's Hindi film industry – Gateway House”. 22 April 2020時点のオリジナルよりアーカイブ。11 October 2023閲覧。
  7. ^ When Amjad Khan had 'broken' the promise made to Allah, he used to say that I got his punishment- Newslead India” (12 November 2021). 28 December 2021時点のオリジナルよりアーカイブ。12 October 2023閲覧。
  8. ^ a b c When Amjad Khan had 'broken' the promise made to Allah, he used to say that I got his punishment”. DailyIndia.net website (12 November 2021). 28 December 2021時点のオリジナルよりアーカイブ。11 October 2023閲覧。
  9. ^ Jayant profile (Amjad Khan's father)”. Swapnil Sansar website (2 June 2020). 28 December 2021時点のオリジナルよりアーカイブ。12 October 2023閲覧。
  10. ^ 10 Last Films of Bollywood's Noted Directors”. Rediff.com. 2024年10月11日閲覧。
  11. ^ Amjad Khan filmography”. Complete Index To World Film (CITWF) website. 20 April 2016時点のオリジナルよりアーカイブ。11 October 2023閲覧。
  12. ^ a b “Tragic Nostalgia”. The Times of India. (4 June 2012). オリジナルの14 September 2018時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180914102914/https://timesofindia.indiatimes.com/city/mumbai/Taste-of-own-medicine/articleshow/13797171.cms 25 March 2017閲覧。 
  13. ^ "I was confident my marriage would never break"” (27 July 2015). 26 March 2017時点のオリジナルよりアーカイブ25 March 2017閲覧。
  14. ^ Ramgarh Ke Sholey Cast & Crew”. Bollywood Hungama. 5 March 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。25 April 2016閲覧。
  15. ^ Arunachalam, Param (17 August 2019) (英語). BollySwar: 1991–2000. Mavrix Infotech Private Limited. p. 410. ISBN 978-81-938482-1-0. オリジナルの8 February 2022時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220208100233/https://books.google.com/books?id=3vbyDwAAQBAJ&pg=PA410 8 February 2022閲覧。 
  16. ^ “Zafar Karachiwala, Ahlam Khan got married”. The Times of India. (23 September 2011). オリジナルの21 September 2013時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130921054212/http://articles.timesofindia.indiatimes.com/2011-09-23/news-interviews/30189894_1_mustan-abbas-theatre 2024年10月11日閲覧。 
  17. ^ Born to act: Ahlam Khan Karachiwala”. 28 December 2021時点のオリジナルよりアーカイブ28 December 2021閲覧。
  18. ^ Filmfare Nominees and Winner”. deep750.googlepages.com (2006年). 12 June 2009時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年10月9日閲覧。

外部リンク

[編集]