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アスターインターナショナル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

株式会社アスターインターナショナルはかつて存在した、主にパーソナルコンピュータメモリーカードの製造および販売を手がけた日本の企業。特に、1970年代後半の日本のパソコン黎明期にいち早くパソコン量販店(パソコンショップ)の「コスモス (COSMOS)」を展開したことで知られる。

沿革

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1974年3月、浜田義隆が東京都新宿区新宿の武シートビルにて創業。浜田は1965年に武蔵大学経済学部を卒業後、親族が経営する東京ダイヤモンド工具製作所に入社したが、単調な仕事をこなす毎日で事業拡大の兆しがなく、自分の提案が採用されない状況に嫌気が差していた。いずれ再び工業用ダイヤモンドの仕事をしたいという希望はあったが、独立して当分の間の資金集めのため、当時は珍しい中古コンピュータのリサイクル販売事業を始めた。リースが終了して再リースの見込みがないコンピュータ(主にオフィスコンピュータ)やタイプライターなどを金属くずとして買い取り、状態が良好なものは中古商品として再生して企業向けに販売し、使えないものは解体して部品を秋葉原でマニア向けに露店販売していた[1]

1976年4月、新宿にパソコン販売店[注 1]「コスモス」を開店[2]。1978年7月には秋葉原にも直営店を設置[3]。まだ日本の企業がパソコン事業に本格参入する前の時期であり、販売品目は輸入品が多くを占めた。アスキー創業者の西和彦塚本慶一郎マイクロソフト日本法人初代社長の古川享が学生・アルバイト時代にこれらの店へ通い詰めていた[4][5]。浜田義隆の実弟である浜田義史はその運営を手伝っていたが、1982年にアスキーへ移籍し、取締役営業部長を務めた[6]

1977年10月頃、個人向け低価格パソコンの「COSMO TERMINAL-D」を発売[7]。これはベンチャー企業の株式会社ソフィアによる企画およびOEM生産であった[8][9]モトローラ MC6800互換CPUのパナファコム MB8861と、2KBまたは16KBのRAM(モデルによる)、ファームウェアとして6800用モニタープログラムのモトローラ MIKBUG英語版と、これに連結してカラー表示機能などを追加するCOSMOBUGを搭載[10]SWTPC 6800システムに類似したアーキテクチャーを持ち、そのソフトウェア資産を流用できた。1977年に約20台、1978年に約700台を販売[11]。これを機にコンピュータ関連ハードウェアの開発を手がけるようになる。

1978年、パソコンの低価格化で中古コンピュータの需要が一時的に減少すると見込んで、リサイクル業を株式会社アルバスとして分社[12]

同年より、フランチャイズ制でパソコン販売店「コスモス (COSMOS)」チェーン店を7店舗展開。1981年11月時点で26店舗まで拡大したが、その後は市場競争の激化を受けて停滞[13]。かつては本部を通した仕入れ体制によりロイヤルティーを得ていたが、パソコン市場とともに流通ルートも拡大し、チェーン店が現地で直接仕入れるようになったことが収益低下の原因と考えられた。1984年6月に直営店を撤退[3]

1983年9月、メモリーカード市場へ参入[14]。半導体メモリーカードの開発および製造を手がけ、セガ・エンタープライゼスへ同社のテレビゲーム機用ROMカートリッジとして供給していた。1985年実績で約65万枚を生産[15][16]

1986年7月、鉄骨加工システム開発会社の株式会社ミプスへ被合併される[17]。メモリーカード事業に注力するも、1993年4月に70億円の負債を抱えながら倒産(任意整理)[18]。1997年12月末に解散[19]

脚注

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注釈

  1. ^ 当時は「マイコンショップ」と呼ばれた。

出典

  1. ^ 『このベンチャーが未来を拓く : 異色100社の技術と経営』日本経済新聞社、1985年、12-13頁。ISBN 4-532-03243-1 
  2. ^ 『コンピュータハードウエア会社録 1984』シィ産業研究所、1984年、44頁。 
  3. ^ a b 『OA機器販売店の戦略展望 no.2 (分析・エリアマーケティング編)』矢野経済研究所、1985年、135-136頁。 
  4. ^ 富田, 倫生 (1995年). “パソコン創世記”. ボイジャー. 2024年3月20日閲覧。
  5. ^ 関口, 和一『パソコン革命の旗手たち』日本経済新聞社、2000年3月6日、7-10頁。ISBN 4-532-16331-5 
  6. ^ 神, 一行『超優良企業のパワー・エリート』講談社、1984年、145-146頁。 
  7. ^ 「アスターインター、30万円割る低価格パーソナル電算機拡販へ」『日本情報産業新聞』 1977年9月19日、6面。
  8. ^ 株式会社ディーグラット | 沿革”. 2024年4月1日閲覧。
  9. ^ 古川, 享. “私のマイコン遍歴、日本のパソコン30年史、その1”. Spaces 古川 享 ブログ Blog. 2006年11月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月1日閲覧。
  10. ^ 「本格的パーソナルコンピュータ COSMO TERMINAL-D」『ASCII』第2巻第4号、アスキー出版、1978年、36-37頁、ISSN 0386-5428 
  11. ^ 「アスターインターナショナル」『マイコン業界の現状と展望 : 多用途化時代』日本エコノミックセンター、1979年、43頁。 
  12. ^ 「コンピュータ中古市場に賭ける夢」『近代企業リサーチ』第438巻、中小企業経営管理センター事業部、1982年、19頁。 
  13. ^ 『'84マイコン/OAショップ経営の実態と明日への展望 (調査報告書)』日本マーケティングセンター、1984年、42頁。 
  14. ^ 日本能率協会総合研究所『市場予測レポート [1988] 第10巻』日本ビジネスレポート、1988年、116-117頁。 
  15. ^ 野口, 恒『ICカード : 高度情報社会のパスポート (Nikkei neo books)』日本経済新聞社、1985年、126頁。ISBN 4-532-09549-2 
  16. ^ 日本能率協会総合研究所 編『新市場開拓を狙うICカード』日本ビジネスレポート、1986年、466頁。 
  17. ^ 合併公告『官報』本紙第17837号(昭和61年7月29日)24頁
  18. ^ 平山, 隆英「ソフト会社の倒産処理の実際」『Credit & law』第54巻、商事法務研究会、1994年、34頁。 
  19. ^ 解散公告(第3回)『官報』本紙第2309号(平成10年1月29日)28頁