アクラム・ペールワン
アクラム・ペールワン | |
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プロフィール | |
リングネーム | アクラム・ペールワン |
ニックネーム | The Lion |
身長 | 178cm |
体重 | 100kg - 120kg |
誕生日 | 1930年 |
死亡日 | 1987年4月12日 |
出身地 | 英領インド |
トレーナー | グレート・ガマ |
デビュー | 1953年 |
引退 | 1976年 |
アクラム・ペールワン(Akram Pahalwan、1930年 - 1987年4月12日[1])は、パキスタンのプロレスラーである。
概要
[編集]インド・パンジャブ州のアムリトサルに、六人兄弟の五男として生まれる。アクラムの一族は現地のマハラジャに代々仕えるクシュティー(コシティ)の家で、父のイマン・バッシ、おじのグレート・ガマもパヘルワーン(ペールワン=クシュティーの選手)だった。
1947年に英国からインドとパキスタンが分離独立してパンジャブ州が両国に分割されると、イスラム教徒だった一族はパキスタン側のラホールへ移住する。1950年代の初めから、兄弟たち(長男のボル、三男のアザム、四男のアスラム、六男のゴガ)と共にパキスタンでプロレスを始め、パキスタンのプロレス界を牽引する存在となる。この五人は「ボル・ブラザーズ(Bholu Brothers)」と呼ばれていた。
アントニオ猪木戦
[編集]モハメド・アリとの試合で世界的に有名になったアントニオ猪木の対戦相手に名乗りを挙げ、1976年12月12日にカラチのナショナルスタジアムで対決が実現した。この試合はシナリオに沿ったブックのある興行ではなく、いわゆるセメントマッチだったとされ、試合の数時間前に初めてペールワン陣営から「ノーブック勧告」を突き付けられたという。それについては当時猪木に同行した藤原喜明やミスター高橋など複数の関係者が明言している。この一方的な「潰し予告」ともいえる要求は、単なる海外でのプロレス興行と思い込んでいた猪木陣営にとっては、まったく不測の事態だった。
ルールは1ラウンド3分の5ラウンド制で、先に2本先取したほうが勝利者となるというもの。他は通常通りのルール。
試合は開始直後から異様な展開になり、両者ともスープレックスなどの投げ技やハンマースルー(ロープワーク)も一切使わず、打撃技は猪木がキックを一発放っただけで、お互い組み合ってからのグラウンドレスリングを展開している[2]。
2ラウンド目にアクラムは組み合う最中に上から伸し掛る猪木の腕を、歯型の傷が付くほど強烈に噛み付いた。それに応報するように猪木はアクラムの目に親指を突き入れ[3]、戦意を喪失。加えてスタミナを著しく消耗していたアクラムは、次のラウンドで猪木にチキンウィング・アームロックを完全な形で極められるがギブアップせず、腕を脱臼させられ、3ラウンド1分5秒、ドクターストップで敗退[4][5]。アクラムはこの試合で片目を失明したともいわれており、同年限りで現役を引退している[6]。
対戦した猪木はアクラムを「とにかく体が柔らかく、組んでからものをいう体幹のパワーがあった」、「関節が非常に柔らかく締めても手ごたえがない」、「日本的にいえば力士をウェイトダウンさせたような感じ」と評している。
脚注
[編集]- ^ “Bholu Brothers”. Wrestlers Information. 2011年11月7日閲覧。
- ^ (日本語) 1976 12 12 Pakistan Antonio Inoki vs Akram Pahalwan 2021年4月7日閲覧。
- ^ “【Sports Watch】猪木が振り返る「最悪の試合」とは?”. Sports Watch - ライブドアニュース - Livedoor (2011年2月19日). 2017年2月23日閲覧。
- ^ 新間寿『日本プロレス史の目撃者が語る真相! 新間寿の我、未だ戦場に在り!<獅子の巻>』ダイアプレス、2016年7月22日、90-91頁。ISBN 978-4802301886。
- ^ “【猪木さん死去】坂口征二戦“黄金コンビ”初のシングル対決ほか/名勝負ベスト30&番外編”. 日刊スポーツ (2022年10月1日). 2022年12月12日閲覧。
- ^ 猪木は引退後、この試合が収録されたDVDの中で当時のことを解説しており、ペールワンの腕を脱臼させたことについては、「僕はレフェリーに『折れるぞ。試合は終わりだ』と言ったんですが、試合を止めないし、相手(ペールワン)もギブアップしない。それで思い切って力を入れたら、腕がバキバキと音を立てて折れてしまった」と述べており、あくまで事態を終息させるための最終手段だったと発言している。その一方でペールワンに仕掛けた目突きのように見える行為は「フェイスロックを極める際の流れがそう見えるだけで、反則(目突き)ではない」としている。