アウグスト・レオポルト・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータ
アウグスト・レオポルト August Leopold | |
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ザクセン=コーブルク=コハーリ家 | |
アウグスト・レオポルト(1918年頃) | |
全名 |
一覧参照
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出生 |
1867年12月6日 ブラジル帝国、リオ・デ・ジャネイロ |
死去 |
1922年10月22日(54歳没) オーストリア、シュタイアーマルク州シュラートミンク |
埋葬 | ドイツ国、コーブルク、聖アウグスティン教会 |
配偶者 | カロリーネ・フォン・エスターライヒ=トスカーナ |
子女 |
一覧参照
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父親 | ルートヴィヒ・アウグスト |
母親 | レオポルディナ |
宗教 | キリスト教カトリック教会 |
サイン |
アウグスト・レオポルト・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータ(ドイツ語: August Leopold von Sachsen-Coburg und Gotha, 1867年12月6日 - 1922年10月22日)は、コハーリ侯爵家の公子。ブラジル帝室の一員であり、ブラジルではアウグスト・レオポルド・デ・サクセ=コブルゴ・イ・ブラガンサ(ポルトガル語: Augusto Leopoldo de Saxe-Coburgo e Bragança)と呼ばれた。
生涯
[編集]ザクセン=コーブルク=ゴータ公子ルートヴィヒ・アウグストと、その妻でブラジル皇帝ペドロ2世の次女レオポルディナとの間の次男として生まれた。アウグスト・レオポルトは兄ペーター・アウグストとともに、外祖父のペドロ2世の手許で養育されたが、ブラジル帝室は1889年の帝政廃止と同時にフランスに亡命し、アウグスト・レオポルトはオーストリア=ハンガリー帝国海軍に仕官した。
ペドロ2世の死後、アウグスト・レオポルトは1895年に起きたブラジル帝政復活計画において、次のブラジル皇帝に推された。本来のブラジル帝位継承者である伯母のイザベルは、ブラジル国民の間で全く人気がなかったためである。オーストリア=ハンガリー外務省とドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は、ブラジル帝位の継承者としてアウグスト・レオポルトを熱心に支持した。
1903年にポルトガルの塔および剣勲章を受章した。同年、オーストリアのザンクト・エギデン・アム・シュタインフェルトの城と荘園を買い取って暮らした。1922年、シュラートミンクで死去。享年54。死後、コーブルクの聖アウグスティン教会にあるコハーリ侯爵家の地下納骨堂に埋葬された。
子女
[編集]1894年5月30日、ウィーンでオーストリア大公およびトスカーナ公子カール・ザルヴァトールの次女カロリーネと結婚した。間に4男4女を儲けた。
- アウグスト・クレメンス・カール・ヨーゼフ・マリア・ミヒャエル・ガブリエル・ラファエル・ゴンザーガ(1895年 - 1908年)
- クレメンティーネ・マリア・テレーザ・ヨーゼファ・レオポルディーネ・ヴィクトリア・ラファエーレ・ガブリエーレ・ゴンザーガ(1897年 - 1975年) - 1925年、エドゥアルト・フォン・ヘラーと結婚
- マリア・カロリーネ・フィロメナ・イグナティア・パウリーネ・ヨーゼファ・ミヒャエラ・ガブリエラ・ラファエラ・ゴンザーガ(1899年 - 1941年) - 精神疾患であり、ナチスのT4作戦の対象となって安楽死させられた
- ライナー・マリア・ヨーゼフ・フローリアン・イグナティウス・ミヒャエル・ガブリエル・ラファエル・ゴンザーガ(1900年 - 1945年) - 1930年にヨハンナ・カーロリー・デ・カーロイ=パティと初婚、1940年にエディス・デ・コーゾルと再婚
- フィリップ・ヨシアス・マリア・ヨーゼフ・イグナティウス・ミヒャエル・ガブリエル・ラファエル・ゴンザーガ(1901年 - 1985年) - 1944年、サラ・アウレリア・ハーラスと結婚
- テレジア・クリスティアーネ・マリア・ヨーゼファ・イグナティア・ベニツィア・ミヒャエラ・ガブリエーレ・ラファエーレ・ゴンザーガ(1902年 - 1990年) - 1930年、タクシス・デ・ボルドーニャ・エ・ヴァルニグラ男爵ラモラルと結婚
- レオポルディーネ・ブランカ・マリア・ヨーゼファ・イグナティア・パンクラツィア・ミヒャエラ・ガブリエーレ・ラファエーレ・ゴンザーガ(1905年 - 1978年)
- エルンスト・フランツ・マリア・ヨーゼフ・イグナティウス・タデウス・フェリックス・ミヒャエル・ガブリエル・ラファエル・ゴンザーガ(1907年 - 1978年) - 1939年、イルムガルト・レールと結婚
参考文献
[編集]- Erich Angermann, Norbert Finzsch, Hermann Wellenreuther: Liberalitas Band 1 von Transatlantische historische Studien, Franz Steiner Verlag, 1992, S. 250 f.