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やくざ残酷秘録・片腕切断

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
やくざ残酷秘録・片腕切断
監督 安藤昇
製作 安藤昇
ナレーター 安藤昇
撮影 椎塚彰
編集 菅野順吉
配給 東映
公開 日本の旗 1976年10月16日
上映時間 65分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
前作  
次作  
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やくざ残酷秘録・片腕切断』(やくざざんこくひろく かたうでせつだん)は、1976年10月16日に公開された日本の映画[1][2][3]モノクロ及びパートカラー[1][4]R18+[5]

概要

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モンドフィルム偽ドキュメントが全盛の時代に[2][4]安藤昇が企画・製作・監督した異色の暴力団探訪ドキュメント[4][6][7]。やくざ社会の裏側を初めて撮影し[1]、フェイクとリアルが入り交じるフィルムとなっている[2][3][7]。安藤自らナレーションを務めている[3][4]

実録ヤクザ映画は1973年の『仁義なき戦い』以降であるが、本作公開時にはマスメディアにまだ本物の極道や親分衆は取材に応じることはなかった[4]。これが実現出来たのは安藤の力ではあるが[4]、彼にこのような映画を撮らせるまで追い込まれた東映実録映画の終焉を早くも予感させる内容となっている[4]

キャスト

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ほか

スタッフ

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製作

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企画

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この年日本でも公開された『グレートハンティング』や『スナッフ』といった残酷洋画の連続ヒットに刺激を受けた当時の岡田茂東映社長が[2][8][9]、同年夏に「"見世物映画"で押しまくる」と宣言[8][9]、「(1976年)下半期の東映ラインナップは、実録ものをさらにドギツク、リアルにした"ドキュメンタリー・ドラマ路線"の新設する」と発表し[8][9]、東映版『グレートハンティング』の位置付けとして企画された[2]

撮影

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企画を東映に持ち込んだ安藤昇によれば[2]、撮影を兼ねる椎塚彰との共同監督だという[6]指詰めシーンはフェイクなしで、安藤が知り合いの暴力団構成員に「30万円出すから指を切るヤツいないか」と訊ねたところ、実際に指詰めシーンが撮影できた[6]。すぐに接合させようと医者を現場に待機させていたが、その男は「いらない」と手当だけしてその日は帰途についた[6]。安藤たちが男に労をねぎらってやろうとクランクアップ後に高級旅館に招待して御馳走を振る舞い、詰めた指を男に返したが、それを冷蔵庫に入れたまま持ち帰らず、旅館の従業員が冷蔵庫を開けて腰を抜かしたという[6]

作品の評価

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高田宏治は「例えフェイクが含まれているとしても、ほぼ全て犯罪行為といえるこのような映画が劇場で公開されていたことが、今のご時世を考えると信じがたい」と評している[7]

映像ソフト

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  • 東映ビデオからビデオソフト(VHS)が発売されたが絶版となっている。

同時上映

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劇場により、5本の映画を二本立てないし三本立ての組み合わせという珍しい興行が行われた。

脚注

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  1. ^ a b c 『日本映画1977 '76年公開日本映画全集 シネアルバム(52)』佐藤忠男山根貞男 責任編集、芳賀書店、1977年、232頁。 
  2. ^ a b c d e f 杉作J太郎、植地毅『東映実録バイオレンス浪漫アルバム』徳間書店、2018年、64–65頁。ISBN 9784198645885 
  3. ^ a b c 「実録やくざ映画大全」、洋泉社、2013年、ISBN 9784862489845 
  4. ^ a b c d e f g 鈴木義昭「東映やくざ映画のカリスマ 安藤昇の世界 この安藤昇も凄い!異色のやくざ探訪ドキュメント 『やくざ残酷秘録・片腕切断』」『映画秘宝』2015年5月号、洋泉社、75頁。 
  5. ^ やくざ残酷秘録・片腕切断”. 日本映画製作者連盟. 2023年3月28日閲覧。
  6. ^ a b c d e 轟夕起夫「フロントインタビュー81 『渋谷物語』企画プロデューサー 安藤昇 『渋谷物語』は俺の集大成みたいな映画だね」『キネマ旬報』2005年3月上旬号、キネマ旬報社、8頁。 
  7. ^ a b c 高田宏治『東映実録路線 最後の真実』メディアックス、2014年、69頁。ISBN 978-4-86201-487-0 
  8. ^ a b c “ドキュメンタリー調で押す 東映、秋のラインアップ”. 報知新聞 (報知新聞社): p. 15. (1976年7月21日) 
  9. ^ a b c 文化通信社『岡田茂の活動屋人生』ヤマハミュージックメディア、2012年、82-86頁。ISBN 978-4-636-88519-4 今村三四夫他「映画業界動向/製作・配給界 邦画配給界 展望 東映」『映画年鑑 1977年版(映画産業団体連合会協賛)』1976年12月1日発行、時事映画通信社、54、109–110頁。 坂東護「映画界の動き 東映、見世物映画へ大転換」『キネマ旬報』1976年9月上旬号、キネマ旬報社、179頁。 河原一邦「邦画界トピックス」『ロードショー』1976年10月号、集英社、175頁。 「岡田社長"見せもの"重点の方向転換語る 東映、大香具師の精神で大攻勢展開/前途多難・楽観許さぬ日本映画界 百億配収を狙う各社には大型企画と作品の多様化を要望」『映画時報』1976年7月号、映画時報社、19、13-15頁。 鈴木常承(東映取締役・営業部長) ・畑種治郎(東映・興行部長)・ 登石雋一(東映取締役・企画製作部長)・池田静雄 (東映・宣伝部長)、司会・北浦馨「百億を目前にした東映の頂上作戦近代的な野師精神と徹底化と『日本の首領』ほか大作づらりと並ぶ」『映画時報』1976年8月号、映画時報社、4-18頁。 “東映岡田社長40分の獅子吼 邦高洋画低まづ東映活況から”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 1. (1976年9月11日) 「匿名座談会 下半期の日本映画を展望する」『月刊ビデオ&ミュージック』1976年8月号、東京映音、23-25頁。 

外部リンク

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