はやて (海運業)
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
日本 〒906-0013 沖縄県宮古島市平良字下里108-11 マリンターミナルビル2階[1] |
業種 | 海運業 |
法人番号 | 3360003005222 |
事業内容 | 遊覧船事業 |
代表者 | 代表取締役社長 川平 三秀 |
主要株主 | 株式会社たびのレシピ(100%) |
外部リンク | http://www.hayate-montblanc.com/ |
株式会社はやて[1][2]は、沖縄県宮古島市平良に本社を置き、宮古島周辺で遊覧船事業を行う海運会社である。旧社名は合資会社はやて海運(はやてかいうん)[3]。
2015年1月31日の伊良部大橋開通までは、宮古島平良港と伊良部島佐良浜港間の一般旅客定期航路(旅客船、フェリー)を運航していた。この航路は宮古フェリーとのダブルトラックであった。
沿革
[編集]前史
[編集]宮古フェリー等によると、伊良部島と宮古島の間には、明治時代時代末期に渡口港からの航路に「バトンミ丸」、佐良浜港からの航路に「キイナカ丸」の2隻の帆船が就航した[4][5]。1920年頃には渡口航路に発動機船「ガラサ丸」が就航。2、3年後には佐良浜航路にも発動機船が就航した[4]。
第二次世界大戦後には、米軍から払い下げられた船舶が就航[4]。その後、佐良浜航路に「第3旭丸」、「雄勝丸」[6]、長山港からの航路に「勝幸丸」[7]が就航し競争が過熱した[4]。
定期航路の開設
[編集]その後、1966年(昭和41年)の合名会社伊良部海運(宮古フェリーの前身)による宮古-伊良部航路の免許取得を皮切りに宮古-伊良部間の定期航路が開設され[5]、当社及び宮古フェリーが共に伊良部航路の定期船運航を行ってきた。
定期航路の廃止と遊覧船事業の開始
[編集]しかし、2015年(平成27年)1月31日に宮古島と伊良部島の間に伊良部大橋が開通し、本航路は同日をもって廃止された[5][8]。
当社は航路廃止後も会社を存続し、新たな事業を行う予定であることを明らかにしていたが[9]、航路廃止後の2015年2月には、かつて石川県の七尾湾などで運航されていたクルーズ船「モンブラン」(619総トン、最大定員300名)を購入し、同年4月以降に八重干瀬ツアーなどの遊覧船事業を行う計画を進めていることが明らかになった[10]。「モンブラン」は2015年(平成27年)3月22日に平良港に回航され[11]、その後、遊覧船事業が開始された。
2018年(平成30年)5月、宮城県仙台市の建設会社深町組がモンブランを購入するとともに、株式会社はやては同市の旅行会社たびのレシピの完全子会社となり、引き続き遊覧船事業を運営すると報じられた[12][13][14]。
クルーズ
[編集]以下のコースでクルーズを行っている。
- 伊良部大橋モーニングクルーズ
- 9:00 - 10:20
- 伊良部大橋コース - 伊良部大橋の下をくぐり周辺を周遊するコース
- パン、コーヒー、ソフトドリンク付き
- ランチクルーズ
- 12:30 - 14:00
- 湾内周遊コース - 伊良部大橋以北の宮古島沿岸及び伊良部島沿岸を周遊するコース
- ランチブッフェ、ソフトドリンク付き
- サンセットクルーズ
- 18:00 - 20:30(4-9月)、17:00 - 19:30(10-3月)
- 湾内周遊コース - 伊良部大橋以北の宮古島沿岸及び伊良部島沿岸を周遊するコース
- ディナーブッフェ付き又はクルーズのみ[15]。
また、大潮の干潮時に八重干瀬クルージングツアーを実施している[16]。
船舶
[編集]運用中の船舶
[編集]- モンブラン
- 1999年(平成11年)竣工、讃岐造船鉄工所建造、株式会社深松組所有。
- 619総トン、全長56.90m、幅10m、深さ5.20m、機関出力1500PS、最大速力13.5ノット、旅客定員300名[10]。
かつて保有していた船舶
[編集]- スーパーライナーはやて
- 145総トン、航海速力24ノット。旅客定員150名。乗用車8台[17]。
- 2005年(平成17年)11月15日進水[17]、2006年3月就航[要出典]。讃岐造船鉄工所建造。双胴船[18]。
- 高速船(旅客船)
- 第11はやて丸
- 第15はやて丸
- 定期時間外の急病人搬送などに利用[20]
- 第18はやて丸
- 79総トン、航海速力28ノット。旅客定員194名[3]。瀬戸内クラフト建造。
- 1989年(平成元年)1月進水[3]、1989年10月就航。[要出典]スーパーライナーはやての就航後は予備船となっていた。[要出典]
- カーフェリー(貨客船)
- フェリーはやて
- 1997年(平成9年)3月進水[17]、同年7月5日就航。関門造船建造。
- 2003年(平成15年)9月、台風14号による被害の修繕のため糸満市のドックに向けて運航中、台風15号の高波を受け渡嘉敷島の南西約415kmの海上で浸水、海上保安庁の協力により回収が図られたが同日10時に船体放棄される。その後2週間にわたり約400kmを漂流した後、同年10月3日に石垣島の南方約130kmの海上で海上保安庁により発見された。本船は、糸満市のドックに回航されて、修繕やデッキ放水口の増設などが行われた後、復帰した[22]。
かつて運航していた航路
[編集]- 一般旅客定期航路
- その他
- 旧暦3月3日の大潮前後に八重干瀬上陸ツアーを行ってきたが、伊良部大橋開通による平良港 - 佐良浜港の一般旅客定期航路廃止に伴い、2014年のツアーが最後となった[23]。なお、八重干瀬への上陸はしないが、クルーズ船による八重干瀬の周遊ツアーは行われている[16]。
関連項目
[編集]- 沖縄県道252号平良下地島空港線 - 伊良部大橋などで構成される。
- 宮古列島
脚注
[編集]- ^ a b “インフォメーション”. ベイクルーズ宮古島「MontBlanc」モンブラン. 株式会社はやて. 2018年5月31日閲覧。
- ^ 「ありがとう」懸垂幕設置/伊良部商工会青年部 宮古毎日新聞、2014年12月10日
- ^ a b c d e 『宮古概観』平成23年度版 第5章 交通運輸・通信 (PDF) 沖縄県総務部宮古事務所、2012年3月、2015年2月11日閲覧
- ^ a b c d 伊良部航路 1月31日最終運航/「宮古フェリー」「はやて」 宮古毎日新聞、2014年12月5日
- ^ a b c 伊良部航路 来月に廃止 大橋開通で歴史に幕 琉球新報、2014年12月13日
- ^ 2006元旦特集 6集 宮古毎日新聞、2006年1月1日
- ^ 一大海水浴のメッカ 伊良部・渡口の浜 宮古毎日新聞、2005年9月19日
- ^ 「今までありがとう」 伊良部島民、フェリー廃止惜しむ 琉球新報、2015年2月1日
- ^ 伊良部航路 1月31日最終運航/「宮古フェリー」「はやて」 宮古毎日新聞、2014年12月5日
- ^ a b はやてクルーズ船運航へ/船底に海中展望ラウンジ/八重干瀬周遊海婚など計画/4月スタート目指す 宮古毎日新聞、2015年2月4日、同月11日閲覧
- ^ 海中展望型客船「モンブラン」回航 宮古毎日新聞、2015年3月24日
- ^ “伊良部と今帰仁にヴィラ 沖縄観光に投資 仙台の建設会社・深松組”. 琉球新報. (2018年5月18日) 2018年5月28日閲覧。
- ^ “伊良部に格安ホテル建設へ”. 宮古毎日新聞. (2018年5月20日) 2018年5月28日閲覧。
- ^ “沖縄開発事業 海中展望型客船「モンブラン」”. 株式会社深松組. 2018年5月28日閲覧。
- ^ “クルージングプラン”. 株式会社はやて. 2018年5月28日閲覧。
- ^ a b “浮上したサンゴ礁群に歓声/八重干瀬遊覧クルージング”. 宮古毎日新聞. (2018年5月17日) 2018年5月28日閲覧。
- ^ a b c d 『宮古概観』平成21年度版 第5章 交通運輸・通信 (PDF) 沖縄県総務部宮古事務所、2010年3月、2015年2月11日閲覧
- ^ SUPER LINER HAYATE(スーパーライナー はやて)詳細データ 海上技術安全研究所
- ^ a b “第11はやて丸”. 2006年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月30日閲覧。 はやて海運(旧ウェブサイト)
- ^ “第15はやて丸”. 2015年2月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月30日閲覧。 はやて海運(旧ウェブサイト)
- ^ 『日本のカーフェリー -その揺籃から今日まで-』(世界の艦船 別冊) - 海人社(2009年3月発行) JANコード 4910056040393
- ^ 海難審判庁採決録 平成16年那審第5号 旅客船フェリーはやて遭難事件 日本財団図書館
- ^ 海の生き物間近に/八重干瀬観光ツアー 宮古毎日新聞、2014年4月2日
外部リンク
[編集]- ベイクルーズ宮古島 MontBlanc(モンブラン) - 株式会社はやて
- はやて海運 - ウェイバックマシン - 旧ウェブサイト
- はやて海運 - ウェイバックマシン - 旧ウェブサイト