はまゆり (遊覧船)
はまゆり | |
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津波により打ち上げられた本船 | |
基本情報 | |
船種 | 旅客船 |
船籍 | 日本 |
所有者 | 釜石市 |
建造所 | 横浜ヨット |
建造費 | 約4億円 |
航行区域 | 限定沿海[1] |
経歴 | |
起工 | 1996年 |
進水 | 1997年 |
竣工 | 1997年3月20日[1] |
就航 | 1997年4月2日[1] |
最後 | 2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震による津波で被災、同年5月に解体 |
要目 | |
総トン数 | 109 トン[1] |
全長 | 28.0 m[1] |
登録長 | 26.8 m[1] |
垂線間長 | 24.8 m[1] |
幅 | 7.6 m[1] |
深さ | 2.7 m[1] |
満載喫水 | 1.3 m[1] |
機関方式 | ディーゼル |
主機関 | 12LAK−ST2 2基[1] |
推進器 | 5翼固定ピッチハイスキュードプロペラ 2軸[1] |
出力 | 2,200 PS[1] |
旅客定員 | (平水)229名、(限定沿海)160名[1] |
乗組員 | 4名[1] |
はまゆりは、岩手県釜石市が所有していた遊覧船。東日本大震災の津波で被災し、建築物の上へ取り残されたことから広く報道された。
概要
[編集]釜石市の観光事業振興を目的として横浜ヨットで建造され、1997年4月2日に就航した[1]。船名は、スカシユリ(通称ハマユリ)に由来する。
本船の調達は釜石市から岩手県観光開発公社に委託され、公募プロポーザル方式で基本設計が行われた。コンサルタントおよび建造監理業務は日本造船技術センターが行った[1]。
運行期間は、例年であれば4月上旬 - 1月末日までの期間、「釜石湾絶景巡りコース」、「三貫島めぐり豪快コース」を1日3便から最大5便が運行していた。
朝夕は釜石港湾口防波堤の泉作業基地への交通船としても運航されていた。
設計
[編集]軽合金製の翼付高速双胴船で、艇体部の船型はディープV型高速艇となっている。波浪中の運動低減を目的として左右の単胴間の前後2箇所に水中翼を装備しており、波浪中における上下方向の加速度を半減している。振動・騒音低減のため、主機関は防振ゴム支持で、Vドライブ減速機の採用により船尾配置とされた。プロペラは5翼固定ピッチハイスキュードプロペラを採用した[1]。
東日本大震災による被災
[編集]2011年3月11日、翌月から始まるシーズンに備え大槌町のドックに入った直後、津波により被災。陸側へ乗り上げ漂流した後に、2階建ての民宿の上に取り残された。船体自体は目立った損傷もなく、「屋根の上の船」というあまりに大きな視覚的インパクトから「津波被害の象徴としてそのまま保存すべき」との意見もあったが、余震による転倒、落下も危惧されたことから、釜石市は解体処分を決定した[2]。
2011年5月の解体後に復元計画が立てられ、4億5千万円が必要とされたが、2015年12月時点で寄付金が355万円しか集まらなかった[3]。その後も寄付は低調で、2019年3月時点で370万円に留まり、復元にこだわらない可能性も報じられた[4]。結局、2020年8月に町は復元の断念を決定した[5][6]。
本船が乗り上げた民宿についても取り壊しが2020年8月に決まり、2021年2月に取り壊された[5][6]。町は模型やデジタル技術による被害の伝承を検討するとしている[6]。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r SRC news(37号,p6)
- ^ “「はまゆり」保存せず解体へ-大槌でつり下ろし”. 岩手日報. (2011年5月11日)
- ^ 日本経済新聞2016年1月22日夕刊
- ^ “観光船「はまゆり」、復元ほど遠く【東日本大震災パノラマ】Vol.532”. 産経新聞. (2019年3月20日) 2019年7月13日閲覧。
- ^ a b “「はまゆり」の復元断念 大槌・被災の観光船、寄付必要額に届かず”. 岩手日報. (2020年8月21日) 2021年9月19日閲覧。
- ^ a b c “観光船乗り上げた民宿取り壊し 資金不足で保存断念 岩手・大槌”. 河北新報. (2021年2月2日) 2021年9月19日閲覧。
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- 「釜石市の新観光船『はまゆり』について」『SRC news』第37号、財団法人日本造船技術センター、1997年6月、6-7頁、NAID 110007329516、2017年2月15日閲覧。