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つるぎ町立貞光小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
つるぎ町立貞光小学校
地図北緯34度02分13.6秒 東経134度03分35.1秒 / 北緯34.037111度 東経134.059750度 / 34.037111; 134.059750座標: 北緯34度02分13.6秒 東経134度03分35.1秒 / 北緯34.037111度 東経134.059750度 / 34.037111; 134.059750
過去の名称 貞光尋常小学校
貞光尋常高等小学校
美馬郡貞光町貞光国民学校
貞光町立貞光小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 つるぎ町
設立年月日 1872年
創立者 貞光町
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B136246800031 ウィキデータを編集
所在地 779-4102
徳島県美馬郡つるぎ町貞光字野口88
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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つるぎ町立 貞光小学校(つるぎちょうりつ さだみつしょうがっこう)は、徳島県美馬郡つるぎ町にある公立小学校

概要

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明治時代初期に設置された郷学校を前身としている。

地域での小中一貫教育の取り組みを実施している。旧貞光町の時代には、1966年から2004年まで保幼小中一貫教育を進めていた。合併でつるぎ町が発足したのちの2006年には、徳島県教育委員会から「小中一貫教育パイオニア事業」のモデル地域(3年間)に指定された。

また太平洋戦争時の1945年1月29日、学校に隣接する真光寺で火災が発生し、同寺を学童疎開先の宿舎としていた大阪府大阪市大正区・南恩加島国民学校(現在の大阪市立南恩加島小学校)の児童16人が死亡する事故があった[1][2]。この火災では終戦直後に当時の貞光町民らが募金を出し合って「十六地蔵尊」を建立し、また十六地蔵尊に関する書籍[3]やアニメ[4]が制作されている。

学校では十六地蔵尊の法要に毎年参加し、また南恩加島小学校との交流活動をおこなうなど、十六地蔵尊を通した平和学習にも力を入れている。

学校では『スーパー挨拶校』を目指して、毎朝、校長先生と児童会のメンバーが、校門に立って挨拶運動をしている。[5]

毎年、全校児童が農業体験に参加している。[5]

沿革

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  • 1872年 - 郷学校を創立。
  • 1873年 - 益習小学校と改称。
  • 1876年 - 貞光小学校と改称。
  • 1886年 - 貞光尋常小学校と改称。
  • 1899年 - 貞光尋常高等小学校と改称。
  • 1941年 - 徳島県美馬郡貞光町貞光国民学校と改称。
  • 1947年 - 徳島県美馬郡貞光町貞光小学校と改称。
  • 2005年 - 町村合併により、つるぎ町立貞光小学校と改称。

クラブ活動

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  • 金管バンド[6]

通学区域

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  • つるぎ町[7]
    • 貞光字西山、字馬出、字宮下、字大須賀、字町、字中須賀、字前田、字東浦、字西浦、字野口、字辻、字宮内、字江ノ脇、字大坊、字岡、字平石、字別所、字白村、字引地、字浦山、字定山、字中山、字長木、字長木影、字広谷、字広谷東、字広谷影、字西谷、字谷向、字平野、字家賀道下、字家賀道上、字捨子、字捨子谷北、字捨子谷南、字乙部、字竹屋敷、字長谷、字宅熊、字皆瀬、字皆瀬川向、字森ノ本、字三木枋、字川見、字川見西、字川見津、字東丸井、字西丸井、字木屋、字横野、字吉良、字長瀬、字西長瀬、字宮平、字日浦、字日浦川向、字猿飼、字成谷

進学先中学校

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交通

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通学区域が隣接している学校

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関連項目

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脚注

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  1. ^ 『新修大阪市史』第七巻、1994年。
  2. ^ 大阪市学校園教職員組合城北支部『疎開先の火事で亡くなった子どもたちと十六地蔵(大正区 南恩加島国民学校)』
  3. ^ 『十六地蔵物語-戦争で犠牲になった子どもたち-』(著・原田一美、画・福田庄助、文研出版、1988年、ISBN 4-580-81477-0
  4. ^ 大阪国際平和センター(ピースおおさか)制作『十六地蔵物語』
  5. ^ a b 徳島新聞2015年2月27日付 11面 阿波っ子タイムズ 校舎の風景<173>
  6. ^ 徳島新聞週刊阿波っ子タイムズ第56号2015年1月25日付 6面 夢中時間『貞光小』
  7. ^ a b つるぎ町立学校通学区域等に関する規則つるぎ町.2021年11月21日閲覧。

外部リンク

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