さんふらわあ8
さんふらわあ8 | |
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1978年 | |
基本情報 | |
船種 | フェリー |
船籍 |
日本 フィリピン |
所有者 |
日本高速フェリー 来島どっく |
運用者 |
日本高速フェリー ブルーハイウェイライン |
建造所 | 来島どっく大西工場[1] |
姉妹船 | さんふらわあ5[1] |
建造費 | 47億円 |
IMO番号 | 7313913 |
改名 | さんふらわあ とさ |
経歴 | |
起工 | 1972年3月14日[1] |
進水 | 1973年3月5日[1] |
竣工 | 1973年6月25日[1] |
就航 | 1973年7月4日 |
運航終了 | 1997年7月 |
要目 | |
総トン数 | 12,759 t[1] |
載貨重量 | 3,280 kt[1] |
排水量 | 11,304 kt(満載時)[1] |
全長 | 185.0 m[1] |
垂線間長 | 170.0 m[1] |
全幅 | 24.0 m[1] |
型深さ | 15.6 m[1] |
満載喫水 | 16.4 m[1] |
機関方式 | ディーゼル |
推進器 | 可変ピッチプロペラ 2軸[1] |
最大速力 | 26.2ノット[1] |
航海速力 | 24.0 ノット[1] |
航続距離 | 6,000海里[1] |
旅客定員 | 1,079名[1] |
車両搭載数 | トラック84台、乗用車81台 |
さんふらわあ8は、日本高速フェリーが運航したフェリー。後に航路を継承したブルーハイウェイラインでも運航された。
概要
[編集]さんふらわあシリーズの4番船として、さんふらわあ5とともに来島どっく大西工場で建造され、東京 - 那智勝浦 - 高知航路に1973年7月4日に就航、本船の就航により毎日運航となり、那智勝浦港への寄港が開始された。親会社の照国海運倒産による運航体制の縮小により、1976年10月にさんふらわあ5が名古屋 - 高知 - 鹿児島航路に転配された後も、本船は引き続き東京 - 那智勝浦 - 高知航路に就航した。
1982年7月、来島どっくで旅客設備の改装工事を実施、総トン数が増加した。
1984年2月、来島どっくに売却され、日本高速フェリーがチャーターバックして運航を継続した。
1990年には日本沿海フェリーへ譲渡され[2]、6月のドック入り時には同社のファンネルマークデザインが施された[3]。
11月にブルーハイウェイラインへの社名変更後には、さんふらわあ とさと改名しファンネルマークもオレンジ一色となった。
1997年7月、さんふらわあ くろしおの就航により引退した。
その後は、海外売船され、フィリピンのスルピシオ・ラインズでPRINCESS OF NEW UNITYとして就航した。
設計
[編集]3番船「さんふらわあ5」と同型船である。就航時は日本最高速のフェリーだった。先に建造された2隻の設計を踏襲しているが、旅客設備の拡充により、操舵室が1層高い配置となり総トン数が増加、ラウンジを内側に配置することで、客室を海側に配置するなど、船内配置も見直されている。1等船室はバス・トイレ付きとなったが、隣室と共有する構造で乗客には不評だったため、さんふらわあ5では後に改装が行われたが、本船は引退までそのままであった。建造費は47億円と1番船、2番船と比較して増加した。
脚注
[編集]外部リンク
[編集]- 東京←→那智勝浦←→高知航路 - ブルーハイウェイライン