コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

かもめビーチ号

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
かもめビーチ号
169系湘南色(参考)
概要
種類 快速列車
現況 廃止
前身 かもめ
運行開始 1975年
運行終了 1999年
旧運営者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
路線
起点 小諸駅上田駅軽井沢駅長野駅)・(茅野駅上諏訪駅松本駅
終点 能生駅・(柏崎駅
使用路線 信越本線北陸本線
車内サービス
クラス 普通車
技術
車両 #使用車両を参照
軌間 1,067 mm
電化 直流1,500 V
備考
臨時列車扱い
路線図

地図

テンプレートを表示
たにはま海水浴場のある上越市長浜地区
谷浜駅前から海水浴場へ続く跨線橋

かもめビーチ号(かもめビーチごう)は、かつて東日本旅客鉄道(JR東日本)が7月下旬から8月上旬に信越本線北陸本線で運行していた臨時快速列車である。同じく長野県から大糸線を経由した「さざなみビーチ号」、信越本線を経由して柏崎方面に向かう「スカイビーチ号」も記す。

概要

[編集]

長野県内より信越国境を超えて日本海側の新潟県西頸城地域へ向かう海水浴季節列車で、普通車の指定席と自由席を連結していた。年による区間や運用の変化はあったが、おおよそ信越本線小諸駅から直江津駅を経由し北陸本線能生駅との間を学校の夏休み始まりからお盆休み前まで昼行で1往復した。繁忙の特定日には指定席の割合を増やして「海の日かもめビーチ号」と称したこともあった。

停車駅

[編集]

最終運行前年1998年の停車駅を示す[1]

使用車両

[編集]

晩年は長野以北の信越本線を走る「信越リレー妙高」と同じ「あさま色189系」が使われていた。ほかにも年代により「169系湘南色」や「169系新長野色」などが使用された。

歴史

[編集]

海水浴列車の誕生

[編集]

1960年代の観光需要の増大により夏季には各地で海水浴場へ向かう列車が運行されるようになったが、国鉄長野鉄道管理局管内においても長野県内の海水浴客に応えるため旧型客車による信越本線経由「かもめ」[2]、気動車による大糸線経由「さざなみ」の季節臨時列車が企画された。当時の終着駅はいずれも谷浜駅であった。その後、列車愛称のない1974年[3]を経て、1975年に名称が「かもめビーチ」「さざなみビーチ」に変更された。

さざなみビーチの篠ノ井線経由での統合とスカイビーチの新設

[編集]

松本地域の需要を受け持つ「さざなみビーチ」は1981年ころを最後に廃止[3]されたが、数年の休止期間を経て、1985年に篠ノ井線を経由して小諸からの「かもめビーチ」へ併結させる統合が行われた。往路が篠ノ井駅での連結。復路が長野駅での分割という変則的なものであった[4]。この併結運行は1992年まで続けられた。

JR発足の1987年には上田発柏崎行き「スカイビーチ」が新たに設定された。1989年のみ「かもめビーチ」を直江津で柏崎行きと分割する統合が図られた[4]が、翌年より小諸発として単独の運行が復活し1997年まで続いた。

長野新幹線の開業とかもめビーチの終焉

[編集]

1997年10月に長野新幹線が開業し、在来線がしなの鉄道に移管されると、翌年より出発地が長野駅に短縮された。このころの交通事情としては、北へ徐々に開通区間を伸ばしていた上信越自動車道が1999年10月には全線開通する状況であったが、この翌年の2000年以降「かもめビーチ」が企画されることはなくなった。

脚注

[編集]
  1. ^ 北陸本線に乗り入れた189系 快速「かもめビーチ号」の時刻(Rail・Artブログ)
  2. ^ 「かもめ」の確認できる古い記録が1965年8月(要更新)
  3. ^ a b 臨時列車検索(逢坂山から眺めた鉄道史)
  4. ^ a b 1989年8月 信州の海水浴臨 快速「かもめビーチ」の時刻(Rail・Artブログ)

参考文献

[編集]
  • 朝日新聞新潟支局 編『越後の停車場』朝日新聞社、1981年12月15日。全国書誌番号:82010086