お山の杉の子
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『お山の杉の子』(おやまのすぎのこ)は、日本の唱歌。作詞は吉田テフ子、補作詞はサトウハチロー、作曲は佐々木すぐる。1944年(昭和19年)発表。
概要
[編集]1944年(昭和19年)8月、少国民文化協会が学童疎開中の子供たちを元気づけるためとして「少国民歌歌詞」の懸賞募集を行った[1][2]。最初、入選作はなかったが、選者の1人であるサトウハチローが、吉田テフ子の歌詞に戦時色を強めて補作した上で第1席となった[2]。作曲者はレコード会社7社の競作となり、ニッチク(現・日本コロムビア)の佐々木すぐるに決定し、12月に安西愛子の歌で日本放送協会から流され全国に広まった[2]。1945年(昭和20年)、日本音盤協会の昭和19年度音盤文化賞に入賞した[3]。
終戦後、戦意高揚の歌として封印されるが、1946年(昭和21年)、ニッチクのディレクターである足羽章が連合国軍最高司令官総司令部に交渉し、サトウハチローによって歌詞を改訂することにより復活させた[2]。また、復興の歌としてこの歌とともに全国各地で植樹祭が行われた[4]。
1974年(昭和49年)、徳島県宍喰町が町制五十周年記念の一環として、町民センターに「お山の杉の子」歌碑を建立した[5]。