あま市立篠田小学校
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あま市立篠田小学校 | |
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北緯35度11分13.0秒 東経136度46分53.7秒 / 北緯35.186944度 東経136.781583度座標: 北緯35度11分13.0秒 東経136度46分53.7秒 / 北緯35.186944度 東経136.781583度 | |
過去の名称 |
美和村立篠田小学校 美和町立篠田小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | あま市 |
設立年月日 | 1872年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | B123210008880 |
所在地 | 〒490-1211 |
愛知県あま市篠田十王堂59 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
あま市立篠田小学校(あましりつ しのだしょうがっこう)は、愛知県あま市にある公立小学校。
概要
[編集]- 篠田1-4丁目、篠田(新割(一部)、居島(一部)、東苗田、生膾田(一部)、北長無(一部)、南長無(一部)、虱掛、北苗田、小塚浦、小塚東、小塚、明田、南大門、東分、高畑、小町塚、木田前、鷲之巣、陰島、島原、宮裏、鳥先、上大門、南組、寺前、西苗田、十王堂、寺裏、中分、向島、寺後、三田畑、南分、天神前、辨天、乙柳、三分寺、西出、中深、一之沢、五之坪、長堀、一之条、榊、八原先、稲荷、八原)北苅、小橋方、乙之子が校区であり、公立中学校に進学する場合はあま市立美和中学校に進学する[1] [2]。
- 旧・海部郡美和町の小学校である。
沿革
[編集]- 1872年(明治5年) - 篠田義校が開校する。桑光寺[注釈 1]を仮校舎とする。後に篠田学校に改称する。
- 1874年(明治7年)6月 - 欽斯学校から郁文学校が分離する。福栄寺[注釈 2]を仮校舎とする。
- 1877年(明治10年)1月 - 篠田学校と郁文学校を統合し、篠田学校となる。
- 1883年(明治16年) - 新校舎が完成し、移転する。
- 1887年(明治20年)4月 - 尋常小学篠田学校に改称する。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 篠田村、北苅村、乙之子村、小橋方村が合併し、篠田村が発足する。
- 1891年(明治24年)10月28日 - 濃尾地震により校舎が倒壊する。
- 1892年(明治25年)
- 7月 - 篠田村立篠田尋常小学校に改称する。
- 12月 - 校舎を改修する。
- 1900年(明治33年)12月 - 校舎を増築する。
- 1906年(明治39年)7月1日 - 篠田村、蜂須賀村、正則村が合併し、美和村が発足する。
- 1907年(明治40年)2月28日 - 美和村立篠田尋常小学校に改称する。
- 1910年(明治43年)11月4日 - 新校舎が完成する。
- 1923年(大正12年)4月 - 篠田農業補習学校を併設する。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 篠田国民学校に改称する。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 美和村立篠田小学校に改称する。
- 1958年(昭和33年)1月1日 - 美和村が町制施行し美和町となる。同時に美和町立篠田小学校に改称する。
- 1964年(昭和39年)12月16日 - 火災により校舎の一部を焼失する。
- 1965年(昭和40年)9月1日 - 新校舎(鉄筋コンクリート造)が完成する。
- 1975年(昭和50年)6月25日 - プールが完成する。
- 1981年(昭和56年)3月18日 - 体育館が完成する。
- 1986年(昭和61年)4月 - 校区の一部が新設の美和町立東小学校に移る。
- 2010年(平成22年)3月22日 - 七宝町、美和町、甚目寺町が合併し、あま市が発足。同時にあま市立篠田小学校に改称する。
交通アクセス
[編集]周辺施設
[編集]- 愛知県立美和高等学校
- 愛知県立津島東高等学校
- あま市立美和中学校
- あま市立七宝北中学校
- あま市立美和小学校
- あま市立美和東小学校
- 津島市立神守小学校
- 津島市立蛭間小学校
- 篠田保育園
- あま市篠田防災コミュニティセンター
- 十六銀行美和支店
- 岐阜信用金庫美和支店
- 名鉄津島線木田駅