高木毅
髙木 毅 たかぎ つよし | |
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生年月日 | 1956年1月16日(68歳) |
出生地 | 福井県敦賀市 |
出身校 | 青山学院大学法学部 |
前職 | 高木商事株式会社代表取締役 |
所属政党 | 自由民主党(細田派) |
親族 | 父・髙木孝一(元敦賀市長) |
公式サイト | 衆議院議員 高木つよし |
第5代 復興大臣 | |
内閣 | 第3次安倍改造内閣 |
在任期間 | 2015年10月7日 - 現職 |
選挙区 |
(福井3区→) 福井2区 |
当選回数 | 6回 |
在任期間 | 2000年6月25日 - 現職 |
髙木 毅(たかぎ つよし、1956年1月16日 - )は、日本の政治家、実業家。自由民主党所属の衆議院議員(6期)、復興大臣(第5代)。本名の「髙」はいわゆる「はしごだか」だが、JIS X 0208に収録されていない文字のため、高木 毅(たかぎ つよし)と表記されることも多い。選挙などでは高木 つよし(たかぎ つよし)との表記で活動することも多い。
高木商事株式会社代表取締役、社団法人日本青年会議所北陸信越地区協議会会長、防衛庁長官政務官、衆議院議院運営委員長(第75代)、国土交通副大臣などを歴任した。
来歴
生い立ち
福井県敦賀市生まれ[1]。福井県立敦賀高等学校、青山学院大学法学部卒業[1]。高木商事代表取締役、日本青年会議所北陸信越地区会長などを歴任した[1]。1996年の第41回衆議院議員総選挙には、自由民主党公認で福井3区から出馬した。しかし、選挙の結果、民主党公認の辻一彦に敗れ、落選した。
政治家として
2000年の第42回衆議院議員総選挙では、再び福井3区から自民党公認で出馬した。その結果、前回敗れた辻を下して初当選を果たした。2005年、第3次小泉改造内閣で防衛庁長官政務官に任命。
2009年の第45回衆議院議員総選挙では、福井3区で民主党公認の松宮勲を6,666票差で破り、4選(ただし、対立候補に初めて比例復活を許した)。この選挙で自民党は歴史的な大惨敗を喫したが、福井県の小選挙区は1区で稲田朋美、2区で山本拓が当選し、全て自民党議員が当選。
2012年12月の第46回衆議院議員総選挙では、松宮らを大差で破り、5選。なお同選挙を最後に福井3区は廃止されるため同選挙区から選出された最後の国会議員となった。2013年7月、佐田玄一郎が『週刊新潮』に女性問題を報じられ議院運営委員長を辞任したのに伴い、後任が選出されるまでの間、委員長代理を務めた[2]。2013年8月2日、佐田の辞任後空席になっていた衆議院議院運営委員長に正式に就任した[1][3]。2014年9月、第2次安倍内閣で国土交通副大臣に任命される[1]。同年12月の第47回衆議院議員総選挙では、衆議院の定数削減に伴う選挙区調整により、新設された福井2区から出馬し[4]、6選。2015年10月7日、第3次安倍改造内閣で復興大臣に任命され、初入閣した[5]。
政策・主張
- 日本国憲法
- 日本国憲法第9条の改正、集団的自衛権の行使に賛成[6]。
- 原子力発電
- 原子力規制委員会の新基準を満たした原子力発電所の再稼働に賛成[7]。なお高木の選出選挙区である福井2区は、全国で最多の14基の原発が立地する[8]。
- 環太平洋戦略的経済連携協定
- 2012年の第46回衆議院議員総選挙においては、日本の環太平洋戦略的経済連携協定参加に反対を表明していた[7]。TPP参加の即時撤回を求める会にも、参加議員の一人として名を連ねている[9][10]。
- 核武装論
- 日本の核武装について「今後の国際情勢によっては検討すべきだ」としている[7]。
- 歴史認識
- 村山内閣総理大臣談話「戦後50周年の終戦記念日にあたって」については、見直すべきではないと主張している[6]。それに対して、慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話については、見直すべきだと主張している[6]。
- また、映画「南京の真実」の賛同者である。
- 防災道路整備事業
- 日本原子力発電敦賀発電所周辺の防災道路整備事業に対し、国と電力会社が420億円を投じることになったが、 2012年2月に地元で開催した国政報告会にて[11]、その調整に尽力したと主張している[12]。一方で、この発言を聞いた来賓の福井県議会議員が「高木の功績ではない」[12]と指摘したが、高木による発言の撤回はなかった[12]。
政治資金
日本共産党の機関紙であるしんぶん赤旗の報道によれば、高速増殖炉「もんじゅ」を運営している独立行政法人「日本原子力研究開発機構」の関連企業「高速炉技術サービス」が、高木が代表を務める自由民主党福井県第3選挙区支部及び高木の資金管理団体「21世紀政策研究会」のパーティー券を購入し、高木側に対し計354万円の献金を行っていた[13]。
不祥事
- 有権者への法的問題のある寄附
- 高木が代表を務める政党支部と資金管理団体が、選挙区内の有権者に対して法的に問題のある寄附を行っていたことが明らかになっている[14]。
- 公職選挙法では、政治家や政党支部および資金管理団体が、選挙区内で香典や供花などを出すことを禁止している[14][15]。しかし、高木が代表を務める政党支部は、2011年から2013年にかけて選挙区内で行われた葬儀に対して香典や枕花を支出したと政治資金収支報告書に記載していた[14]。さらに、高木が代表を務める資金管理団体も、2011年から2012年にかけて選挙区内で行われた葬儀に対して枕花を支出したと政治資金収支報告書に記載していた[14]。
- なお、有権者に対する香典に関しては、政治家本人が葬儀に出席しポケットマネーで支払った場合に限り、公職選挙法で例外的に認められている[14][16]。そのため、高木の事務所は、香典について「本人が私費で香典を出したが、誤って政党支部の支出として記載した」[14]と説明しており、高木のポケットマネーであるにもかかわらず政党支部の支出として記載していただけだと説明している。
- 一方、有権者に対する枕花については、公職選挙法に例外規定はなく、全面的に禁止されている[14]。そのため、高木の事務所は、枕花について「後援会として会の最高幹部らに出したが、法律上問題があり、二度と起こらないよう関係者に注意した」[14]と説明し、法律上問題のある寄附であったことを認めている[14]。ただし、閣僚辞任や議員辞職などについては、特に表明しなかった。
その他
- 政党助成金未返還
- 支給された政党助成金は余った場合、国庫へ返還するよう政党助成法により定められているが、2013年、高木は計1119万円を「基金」の名目で保管し、うち224万5千円を車の購入代金に充てていた[17]。
- 下着窃盗報道
- 2015年10月15日発売の『週刊新潮』と『週刊文春』の両誌において、下着泥棒の常習犯であったと報じられた[18][19][20][21]。
- 被害者の妹の説明によれば、30代当時の高木は福井銀行敦賀支店の窓口担当の女性に一方的に好意を抱いており、この女性の自宅の合鍵を勝手に作成して侵入し、下着を持ち出していた[22]。また、侵入するところを目撃していた近所の住民の説明によれば、高木は女性宅侵入前に手袋を着用し侵入後に手袋を脱いだことから、不審に思い車のナンバーをメモしていたという[23]。この目撃者から話を聞いた被害者の妹が警察に通報し、ナンバーのメモなどから足がつくことになった[22]。ただ、騒ぎ立てると勤務先にも迷惑がかかるのではと被害者本人が懸念しており、敦賀市長であった高木の父も謝罪したことから、本件は示談となり、立件されることなく捜査は終結した[24]。また、青山学院大学在学当時にも、高木が帰省に際してかつて交際していた女性の下着をとったと指摘されている[25]。
- 敦賀市長であった高木の父は、本件を記事にしないよう地元マスコミに要請した[26]。しかし、1996年の時点で既に『財界北陸』が記事化しており[23]、問題視した「良識ある政治家を育てる会」が高木を糾弾する文書を配布するなど[27]、地元においては広く人口に膾炙している[23][25][28]。2015年10月に第3次安倍改造内閣で入閣を果たしたことで、本件が全国的に大きく報道された[29][30]。なお、高木の地元の福井県では『週刊新潮』の発売日が一日遅れとなるため、本件を報じた号は2015年10月16日に書店で販売された[31]。しかし、開店と同時に店頭の『週刊新潮』を全て買い占める者が各地に出現したため完売が続出し、福井県民が『週刊新潮』を読みたくても購入できない異例の事態が発生した[31]。一部の書店では一人一冊までとする購入制限をかけたが、買い占めようとした者が抗議、敦賀市内では警察官が出動するほどの騒ぎとなった[31]。また、書店に対して『週刊新潮』の追加発注をするなと要求する電話がかかってきたり、既に発注済みなら全て買い取りたいと要請する電話もかかってきた[31]。その結果、高木の地元選挙区では『週刊新潮』が店頭から消え、地元の有権者がこの記事を目にすることは困難な状況となった[31]。この状況について「高木大臣の後援会が、敦賀市内の書店で週刊誌を買い占めて『口封じ』に走っている」[32]「後援会の要請を受け、地元企業や公的機関の関係者も“動員”された」[32]などと報じられた。
- 折しも内閣官房長官の菅義偉が臨時会召集の見送りを示唆したことから[29]、本件が国会の召集日程にも影響していると報じられるなど[29][33][34]、政界にも大きな影響を及ぼした。同年10月16日には、部下である復興副大臣の若松謙維が「大臣自身が、政治家として、しっかり説明するのではないか」[30]と指摘するなど、閣内からも説明責任を果たすよう求める声が挙がった。一方、同日、高木は総理大臣官邸にて本件について質問されると「今日はそういった場所ではございませんので、お答えを控えさせていただく」[30]と回答するなど、否定も肯定もしないという立場を貫いた。
- 2015年10月20日、高木は記者会見を開き、『週刊新潮』などの女性下着窃盗に関する関する報道について言及し「そういった事実はございません」[35]と明確に否定した。なお、『週刊文春』からの取材に対し、高木の事務所は当初「そんなこと初めて聞きました」[25]と回答しており、本件についての噂が広まっていること自体知らなかったと主張していた。しかし、10月21日の記者会見にて、記者から「地元では有名な話と伺っているが」[36]と質問されると、高木は「選挙のたびに、正直いろいろとそういった話が出ているのは承知もしている」[36]と回答、また警察の取り調べを受けたとする報道については「ありません」[35]と明確に否定している。
人物
- 身体的特徴
- 身長184cm[37]。
- 宗教・信仰
- 2006年6月、世界基督教統一神霊協会による集団結婚式(天宙平和連合祖国郷土還元日本大会)に祝電を送っていた[38]。
- 趣味・嗜好
- 飲酒を好み、酒量について「ボトル一本はいく。酔えばますます弁舌勢いを増す」[1]と述べている。
- あしがら
- 2006年8月30日、防衛庁長官政務官として三菱重工業長崎造船所で行われた護衛艦の命名・進水式に出席し、新造艦に「あしがら」と命名した[39]。
家族・親族
実父は元敦賀市長の高木孝一。
所属団体・議員連盟
- 創生「日本」(副幹事長)
- 再チャレンジ支援議員連盟
- TPP交渉における国益を守り抜く会
- 日韓議員連盟
- 自由民主党朝鮮半島問題小委員会
- パチンコチェーンストア協会(政治分野アドバイザー[40])
- 神道政治連盟国会議員懇談会
脚注
- ^ a b c d e f 『衆議院議員 高木つよし』高木つよし敦賀事務所・武生事務所・東京事務所。
- ^ “佐田議運委員長が辞任 女性問題”. 産経新聞. (2013年7月2日) 2015年10月11日閲覧。
- ^ “衆院議運委員長に福井の高木氏 佐田氏後任「信念もって判断」”. 福井新聞. (2013年8月2日) 2015年10月11日閲覧。
- ^ “衆院選・自民、選挙区の候補者内定 定数減の福井、2区は高木毅氏”. 福井新聞. (2014年11月16日) 2015年10月11日閲覧。
- ^ “【復興】高木毅氏(初入閣)”. 日本経済新聞. (2015年10月7日) 2015年10月11日閲覧。
- ^ a b c “2014衆院選 福井2区 高木 毅”. 毎日jp (毎日新聞社) 2015年10月11日閲覧。
- ^ a b c “2012衆院選 福井3区 高木 毅”. 毎日jp (毎日新聞社) 2013年4月18日閲覧。
- ^ “原発再稼働 反対が賛成を上回る”. 日刊県民福井. (2014年12月10日) 2015年10月11日閲覧。
- ^ 「新会員名簿」『会員名簿|TPP参加の即時撤回を求める会 公式ブログ』TPP参加の即時撤回を求める会、2013年2月22日。
- ^ 森島賢「改訂版『TPP参加の即時撤回を求める会』の会員と未会員」『改訂版「TPP参加の即時撤回を求める会」の会員と未会員|コラム|JAcom 農業協同組合新聞』農協協会、2013年2月19日。
- ^ 「国政報告会ご出席のお願い」『衆議院議員:高木つよし[活動報告]』高木つよし敦賀事務所・武生事務所・東京事務所、2012年1月31日。
- ^ a b c 「閣下! 嘘をついたらアウトです!――『高木パンツ大臣』の幼い危機管理」『週刊新潮』60巻42号、新潮社、2015年11月5日、29頁。
- ^ “「もんじゅ」下請けが献金/パー券購入 福井県知事らに”. しんぶん赤旗. (2010年3月16日) 2015年10月11日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 「高木復興相側が慶弔費――11〜13年に18万円――公選法に抵触か」『讀賣新聞』50206号、14版、読売新聞東京本社、2015年11月1日、34面。
- ^ 公職選挙法第199条の5第1項。などを参照。
- ^ 公職選挙法第249条の2第3項第2号。などを参照。
- ^ “政党助成金 あきれた使途/懐石料理店・ゴルフ場で「会議」/領収書いらない「人件費」に全額”. しんぶん赤旗. (2015年1月14日) 2015年10月11日閲覧。
- ^ 「『安倍内閣』が踏んだ大型地雷! 『下着ドロボー』が『大臣閣下』にご出世で『高木毅』復興相の資質」『週刊新潮』60巻40号、新潮社、2015年10月22日、24-27頁。
- ^ 「ああ『一億総活躍』アベノミクス新三本の矢という名の的外れ」『週刊文春』57巻40号、文藝春秋、2015年10月22日、22-26頁。
- ^ 復興相『お答え控える』30年前下着窃盗と週刊誌報道 朝日新聞2015年10月16日
- ^ “安倍内閣の新閣僚に「下着ドロボー」の過去! 警察で取り調べ受けるも敦賀市長の父親と原発利権の力でもみ消し”. リテラ. (2015年10月15日) 2015年10月16日閲覧。
- ^ a b 「『安倍内閣』が踏んだ大型地雷! 『下着ドロボー』が『大臣閣下』にご出世で『高木毅』復興相の資質」『週刊新潮』60巻40号、新潮社、2015年10月22日、24頁。
- ^ a b c 「『安倍内閣』が踏んだ大型地雷! 『下着ドロボー』が『大臣閣下』にご出世で『高木毅』復興相の資質」『週刊新潮』60巻40号、新潮社、2015年10月22日、27頁。
- ^ 「『安倍内閣』が踏んだ大型地雷! 『下着ドロボー』が『大臣閣下』にご出世で『高木毅』復興相の資質」『週刊新潮』60巻40号、新潮社、2015年10月22日、25頁。
- ^ a b c 「ああ『一億総活躍』アベノミクス新三本の矢という名の的外れ」『週刊文春』57巻40号、文藝春秋、2015年10月22日、25頁。
- ^ 「第2弾! 『下着ドロボー』から大出世『高木毅』復興相の露出癖」『週刊新潮』60巻41号、新潮社、2015年10月29日、24頁。
- ^ 「『安倍内閣』が踏んだ大型地雷! 『下着ドロボー』が『大臣閣下』にご出世で『高木毅』復興相の資質」『週刊新潮』60巻40号、新潮社、2015年10月22日、26頁。
- ^ 「被災者のために汗かいて――高木復興相汗だく否認――30年前下着ドロ報道――地元・敦賀では有名な話――『パンツ大臣』で全国区の皮肉」『スポーツニッポン』23892号、11版A、スポーツニッポン新聞社、2015年10月21日、19面。
- ^ a b c 竹山栄太郎「追及回避異例の対応――臨時国会召集見送りへ」『朝日新聞』46488号、14版、朝日新聞東京本社、2015年10月17日、3面。
- ^ a b c 「下着窃盗報道『お答え控える』――高木復興相」『朝日新聞』46488号、14版、朝日新聞東京本社、2015年10月17日、4面。
- ^ a b c d e 「第2弾! 『下着ドロボー』から大出世『高木毅』復興相の露出癖」『週刊新潮』60巻41号、新潮社、2015年10月29日、22頁。
- ^ a b 『日刊ゲンダイ|異常な箝口令…“パンティー泥棒”高木大臣の地元を現地ルポ』日刊現代、2015年10月25日。
- ^ 鈴木拓也・高橋健次郎「どうなる臨時国会――8会派会談与党慎重姿勢――野党、新閣僚追及の構え」『朝日新聞』46492号、14版、朝日新聞東京本社、2015年10月21日、4面。
- ^ 沢田大典・田中一世「臨時国会めぐり幹事長会談――与党問題閣僚の狙い撃ちを危惧――野党召集見送りで世論反発期待」『産経新聞』26160号、14版、産業経済新聞東京本社、2015年10月21日、5面。
- ^ a b 「高木復興相、下着報道を否定――馳文科相、寄付の違法性『ない』」『朝日新聞』46492号、14版、朝日新聞東京本社、2015年10月21日、4面。
- ^ a b 『「白い手袋を…」「週刊誌にあるようなことはない」 下着泥棒疑惑の高木復興相 一問一答(2/5ページ) - 産経ニュース』Sankei Shimbun & SANKEI DIGITAL、2015年10月20日。
- ^ “衆院選2014 〈2〉定数減直撃 微妙な空気”. 読売新聞. (2014年11月25日) 2015年10月11日閲覧。
- ^ “統一協会・集団結婚に祝電/小坂文科相・中川政調会長も/安倍官房長官、広島大会にも送付”. しんぶん赤旗. (2006年6月25日) 2015年10月11日閲覧。
- ^ 「最新イージス艦『あしがら』命名・進水式」『衆議院議員:高木つよし[活動報告]』高木つよし敦賀事務所・武生事務所・東京事務所、2006年8月30日。
- ^ パチンコチェーンストア協会(PCSA)
関連項目
外部リンク
公職 | ||
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先代 竹下亘 |
復興大臣 第5代:2015年 - |
次代 (現職) |
先代 梶山弘志・鶴保庸介 |
国土交通副大臣 野上浩太郎と共同 2013年 - 2014年 |
次代 北川イッセイ・西村明宏 |
先代 北村誠吾・愛知治郎 |
防衛庁長官政務官 愛知治郎と共同 2005年 - 2006年 |
次代 大前繁雄・北川イッセイ |
議会 | ||
先代 佐田玄一郎 |
衆議院議院運営委員長 第75代:2013年 |
次代 逢沢一郎 |