駐屯地
駐屯地(ちゅうとんち、英: Garrison)は、陸軍が平時に駐在する軍事基地である。陸軍軍隊が永久一地に配備駐屯する場合は衛戍地と言った。
日本の法令上での表記は、帝国陸軍、警察予備隊では「駐屯地」であったが、保安隊発足時に当用漢字の制限から「駐とん地」となり陸上自衛隊に継承、1982年4月30日の政令・総理府令改正で再び「駐屯地」となった。なお、陸上自衛隊では駐屯地の英略称はstationである。
概要
海軍や空軍においては、平時に駐在する基地(Base)が作戦行動の拠点となる事が多いのに対し、陸軍は移動した先々が作戦行動の拠点となり、平時の基地が作戦行動時に基地とならない事から、特に区別する。
陸上自衛隊では、陸上自衛隊の部隊または機関が所在する施設を「駐屯地」と称し、通常一つの駐屯地に複数の部隊・機関が所在する(通常、これらを全てあわせて一つの部隊と見なし「駐屯部隊等」と呼ばれる)各駐屯地には、その長として駐屯地司令が置かれる。駐屯地司令は通常その駐屯地に駐屯する部隊の中の最上位者が充てられるが、師団・旅団等の主要司令部所在駐屯地においては原則を厳格に適用すると最高位の陸将が担当することになってしまうため、一部例外も存在する。(詳細は駐屯地司令を参照)。現在、分屯地も含めた駐屯地の総数は156庁である。
隊員が課業(業務)を行う場である以外に、各駐屯地司令が定める細則等に基づき営外居住を許可された者を除いた独身の陸曹以下にとっては生活の場である為、隊舎や日々の訓練を行う営庭(グラウンド)、体育館、射撃場、車両倉庫など以外に、営内舎(寮)、食堂、売店、医務室、浴場など生活に必要な施設が整備されている。
中隊内で営内班を組織し、班ごとに営内での居住区が割り当てられる。営内班長たる曹は営内士の教育、指導に当たる。
売店は通常“PX”(Post Exchange)と呼ばれ、被服装備品、食料品、衣類、文具などの生活雑貨、自衛隊グッズなどが販売されている。売店には民間委託の書店、菓子屋、薬局、電器店、食堂なども含まれ、駐屯地によっては、ゲームセンターやパチンコ店、(営舎内での飲酒が禁じられている為)居酒屋なども設けられている。また近年では大手チェーン系コンビニエンスストアが続々参入している駐屯地(主に総監部・師団等司令部所在や連隊規模が複数駐屯する駐屯地)も散見される。これら売店を総括して厚生センターと言う。
陸上自衛隊の各駐屯地では、大災害や有事の勃発に備え、常に一定人数の隊員が寝泊りをしながらスクランブル体制で待機している。陸上自衛隊の場合、防衛出動・治安出動もしくは災害派遣命令が下ってから1時間以内に一定の規模の部隊が駐屯地を出発できる状態をスクランブル体制と規定している。佐藤正久(参議院議員、元陸上自衛官)によれば、日本国内の殆どの地域には出発から4時間以内に派遣隊員が到着可能とされる[1]。
基本的に駐屯地内における写真撮影は原則禁止となる事が多く(駐屯地開放日でも式典会場周辺や会食会場等に限られる)、特に駐屯地正門等で正当な理由が無い写真撮影は適時必要に応じて所轄警察署・地方公安委員会への通報の原因に繋がる為注意が必要である[2]。
駐屯部隊
陸上自衛隊では、駐屯地の形態は多岐に渡るが、一般的な駐屯地の場合、次のような部隊も同時に置かれる。
- 方面総監部所在駐屯地は方面警務隊本部が分遣される。師団・旅団司令部所在の駐屯地には地区警務隊本部が置かれ、他の駐屯地には規模に応じ派遣隊または連絡班が(師団・旅団司令部ではないが富士、習志野、久里浜の各駐屯地にも地区警務隊本部が置かれる。市ヶ谷駐屯地は中央警務隊が担当)。
- 方面総監部所在駐屯地に基地システム通信中隊が、師団等司令部所在駐屯地には基地通信中隊本部が置かれる。担当区域の駐屯地には派遣隊が分遣される(市ヶ谷駐屯地は中央基地システム通信隊が担当)。
これ以外に、陸上自衛隊の編成ではないが、駐屯部隊の持ち回りで、警衛隊(当直制)、消防隊(班)、糧食班などが構成される。
当直勤務等
駐屯部隊には不測の事態(主として時間外に飛び込む災害派遣要請)に備え、待機要員と当直が置かれる。駐屯地当直司令及び部隊当直司令には補佐役として当直副官(駐屯部隊の人員の掌握・鍵の管理等)と当直伝令(主に当直司令のベッド取りや電話番・操縦手等 軍で言う当番兵)が設けられる。
駐屯地当直
- 司令は駐屯地所在部隊長(主に中隊長職や科長職等3佐~1尉の自衛官、1個中隊程度の小規模部隊が駐屯する場合は当該の当直幹部が兼務する場合もあり、状況によっては尉官・准尉・曹長~2曹)が上番する。主に駐屯部隊の当直を統括し、駐屯地司令に命ぜられた事項を行う。1尉の自衛官が駐屯地当直司令に上番する際は、駐屯する部隊の部隊当直は駐屯地当直司令よりも下位の自衛官が上番する。また、当直副官は1曹~2曹の自衛官が上番する。司令の腕章は紺色地に外側2本内側2本の赤線4本、副官は赤線が内側3本線、伝令は陸曹が内側2本線、陸士は1本線。
部隊当直
- 隷下に中隊等の部隊を保有する連隊・大隊・それに準ずる「隊」に設置され、部隊当直司令は隷下部隊の当直を統括する。所属部隊長から命ぜられた事項を行う。1尉~3尉若しくは部隊によっては准尉や曹長(但し最先任上級曹長の職若しくは補職が幹部職を指定された曹に限る)の階級を指定された自衛官が上番を行う。なお、小規模駐屯地等基幹部隊(連隊等)以外の駐屯部隊が1個中隊程度(業務隊等を除く)の駐屯地では基幹部隊の隷下外部隊等所属の自衛官が駐屯地当直司令に上番する場合を除き設置されない場合もある。但し、設置された場合は担当する部隊当直司令は所属中隊等の当直幹部を兼務する場合が殆どである。当直副官・伝令の指定階級は基本的に駐屯地当直副官・伝令と同じであり、装着する腕章も白地の物を使用する以外は同一である。
大隊・中隊等部隊当直
- 当直幹部は、大隊・中隊若しくはそれに準ずる「隊」の人員や武器などの管理・掌握などの責任者として勤務を行う(簡単に言えば電話番みたいな存在)。上番する自衛官は部隊等によるが1尉(部隊規模は中隊に準ずるが、部隊の特性上大隊規模として運用される偵察隊や後方支援隊補給隊等)~2曹(但し、2曹上番者は中級陸曹特技課程修了者に限る)が主に上番する。尚、所属部隊の人員の掌握等を受け持つ当直陸曹(2曹~3曹)や電話番や操縦手を担う当直士長(士長ないし1士)など2ないし3名で中隊等部隊当直は運用される。連隊・群等の隷下大隊に設置される当直幹部は1名で運用し、大隊隷下の中隊等に設置される当直は当直陸曹×2名ないし当直陸曹1名と当直士長×1で運用される。当直幹部は白地に外側に2本内側1本の赤線3本、当直陸曹は内側2本、伝令は1本の物を着用する。
師団・旅団・団等部隊当直
- 当直長は司令部(本部)勤務の幹部が上番、所属長から命ぜられた事項を行い隷下部隊当直を統括する。腕章等は特別な規則等は存在せず、各司令部毎示されている。
駐屯地の公開
基本的には関係者以外[3]立入りできないが、多くの駐屯地で広報や地域住民との交流などを目的として年に1~2回一般公開を実施している。一般公開の際は装備品展示・試乗、資料館開放、観閲式、音楽演奏、訓練展示、模擬店、グッズ売店の設置などが行われる。
特に展示訓練ではその駐屯地に駐屯する部隊の特色を活かした展示がおこなわれる。基本的には偵察~火砲による敵陣地射撃~戦車と普通科部隊協同での敵陣地への攻撃奪取という流れで行われるが施設科部隊の駐屯地では架橋や地雷除去、航空科部隊の駐屯地では空中消火の展示などが行われることもある。
一般公開時以外にも、地方協力本部等に申し込む等すれば体験入隊や見学が可能で、休日に駐屯地内のグランドを近隣住民に開放[4]していることもある。また、近隣の中学・高等学校の職業・職場体験学習を積極的に受け入れている駐屯地もあり、施設、装備品、用途廃止装備等の見学、車両装備等への体験乗車、徒歩行進訓練やレンジャー訓練等の体験等が行われる。
その他
駐屯地及び分屯地に関しては、月に1度必ず「駐屯地朝礼」が行われる。場所は夏場は主に屋外訓練場などの敷地、荒天時及び冬期は屋内訓練場にて行われる。主な内容は国旗に対する敬礼・駐屯地司令に敬礼の後、自衛官としての心構え・服務の宣誓を斉唱・前月に表彰された受賞者を紹介・その他連絡事項等・駐屯地司令による訓示[5]、駐屯地司令に敬礼の順で行われる。駐屯地朝礼が終了後、司令担任部隊の統一朝礼をそのまま行う場合もある。基幹部隊のうち遠方に所在する部隊等で朝礼に参加する場合、移動時間を考慮して昼前に「駐屯地統一行事」という形で行われる場合もある[6]。
脚注
- ^ 初動派遣小隊は30分、初動派遣中隊は1時間以内に出動出来るよう待機任務を命ぜられており、派遣小隊長は2尉~曹長、派遣中隊長は中隊長若しくは副中隊長・運用訓練幹部等の管理職が指定される
- ^ 取材等は特に広報班の許可を要する上、特に市民団体等の撮影行為は調査隊による調査対象になり得る
- ^ 現職を退いたあとも立ち入りが必要な場合は、入門許可証を申請する必要がある。入門許可証は陸上幕僚長発行から駐屯地司令発行まで多岐にわたり、その立ち入る理由によって入出門出来る駐屯地は限定される。予備自衛官等は訓練出頭期間中は立ち入り可能(身分証明を提示)だが、訓練時以外でも訓練調整等必要に応じて入門可能。面会等必要な場合は、曹士は営門・警衛所の面会場・幹部は指定する場所で面会可能
- ^ 利用料金は徴収せず、主に地域貢献としての活動の一環
- ^ 主に当月に関係する予定や地域に関する訓話
- ^ 遠方に所在する隷下部隊の長及び数名の隊員のみ参加する場合もあり、特に倶知安駐屯地に所在していた28普連4中は中隊長以下6名程度を統一朝礼時に函館まで移動し朝礼に参加していた事例もあり、早朝出発して昼前に到着・朝礼に参加後そのまま帰隊といった丸1日かけての行事参加という日程を組んでいた