アントニオ・ホジェリオ・ノゲイラ
獲得メダル | ||
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ブラジル | ||
男子 ボクシング | ||
パンアメリカン大会 | ||
銅 | 2007 | スーパーヘビー級 |
南米大会 | ||
金 | 2006 | スーパーヘビー級 |
基本情報 | |
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本名 | アントニオ・ホジェリオ・コヘイア・ノゲイラ |
通称 |
ミノトゥロ リオの関節双生児 |
国籍 | ブラジル |
生年月日 | 1976年6月2日(48歳) |
出身地 |
ブラジル バイーア州 ヴィトリア・ダ・コンキスタ |
所属 |
ブラジリアン・トップチーム →チーム・ノゲイラ チーム・ミノタウロ |
身長 | 191cm |
体重 | 93kg |
階級 | ライトヘビー級、ミドル級 |
バックボーン |
ブラジリアン柔術、ボクシング ムエタイ |
アントニオ・ホジェリオ・ノゲイラ(Antônio Rogério Nogueira、1976年6月2日 - )は、ブラジル出身の男性総合格闘家。ブラジリアン柔術家。チーム・ノゲイラ所属。ニックネームは「ミノトゥロ(Minotouro)」。
アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラは一卵性双生児の兄であり、兄譲りの打撃と寝技を兼ね備えるPRIDEミドル級のトップファイターであった。また、アマチュアボクシングにおいてもブラジル選手権・南米選手権優勝の実績を持つ。
来歴
総合格闘技
2001年8月18日、DEEP2001で日本初登場。藤井克久と対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。
2002年4月28日、PRIDE初参戦となるPRIDE.20で今村雄介と対戦し、フロントチョークで一本勝ち。
2002年8月8日、UFO LEGENDでウラジミール・マティシェンコに判定で敗れる。
PRIDEでは、ガイ・メッツァー、アリスター・オーフレイム、ダン・ヘンダーソン、桜庭和志、中村和裕などのミドル級の実力者相手に勝利を収めた。
PRIDEミドル級GP2005では、1回戦でダン・ヘンダーソンに腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。準々決勝でマウリシオ・ショーグンと対戦し、判定負け。試合ではショーグンからパンチでダウンを奪い、また得意の踏みつけ攻撃を長い脚を使って防御した。
2007年2月24日、PRIDE.33においてアフリカンファイターソクジュに1R23秒で初のKO負けを喫する。
2007年、UFCから試合のオファーを受け、参戦のために渡米する予定があることをインタビューにて明かしていたが、9月にカナダのHCFと契約した[1]。初参戦となる2008年2月1日の「HCF: Destiny」ではトッド・ゴーウェンバーグをスタンドのパンチと膝蹴りで攻め立て、TKO勝利を挙げる。
2008年7月19日、Affliction旗揚げ戦Affliction: Bannedでエドウィン・デューウィーズと対戦。1ラウンドに首相撲からの膝蹴りと左フックでダウンを奪い、追撃のパウンドでTKO勝ち。
2008年11月1日、戦極初参戦となる戦極 〜第六陣〜でモイス・リンボンと対戦し、判定勝ち。
アマチュアボクシング
2006年、アマチュアボクシングブラジル選手権スーパーヘビー級で優勝。同年の南米選手権でも同階級で優勝を果たす。
2007年のブラジル選手権でも同階級で優勝を果たし、2連覇を達成した。南米選手権では3位(銅メダル)に終わった。
戦績
総合格闘技 戦績 | ||||||
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19 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
16 勝 | 4 | 5 | 7 | 0 | 0 | 0 |
3 敗 | 1 | 0 | 2 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 |
○ | ウラジミール・マティシェンコ | 2R 4:26 TKO(レフェリーストップ:膝蹴り) | Affliction: Day of Reckoning | 2009年1月24日 |
○ | モイス・リンボン | 3R終了 判定3-0 | 戦極 〜第六陣〜 | 2008年11月1日 |
○ | エドウィン・デューウィーズ | 1R 4:06 TKO(パウンド) | Affliction: Banned | 2008年7月19日 |
○ | トッド・ゴーウェンバーグ | 2R 4:34 TKO(膝蹴り) | HCF: Destiny | 2008年2月1日 |
× | ソクジュ | 1R 0:23 KO(左フック) | PRIDE.33 "THE SECOND COMING" | 2007年2月24日 |
○ | アリスター・オーフレイム | 2R 2:13 TKO(タオル投入) | PRIDE 無差別級グランプリ 2006 2nd ROUND 【ワンマッチ】 |
2006年7月1日 |
× | マウリシオ・ショーグン | 3R終了 判定0-3 | PRIDE GRANDPRIX 2005 2nd ROUND 【ミドル級GP 準々決勝】 |
2005年6月26日 |
○ | ダン・ヘンダーソン | 1R 8:05 腕ひしぎ十字固め | PRIDE GRANDPRIX 2005 開幕戦 【ミドル級GP 1回戦】 |
2005年4月23日 |
○ | アリスター・オーフレイム | 3R終了 判定3-0 | PRIDE.29 SURVIVAL | 2005年2月20日 |
○ | 中村和裕 | 2R終了 判定2-1 | PRIDE 武士道 -其の四- | 2004年7月19日 |
○ | アレックス・スティーブリング | 3R終了 判定3-0 | Gladiator FC 1日目 | 2004年6月26日 |
○ | 桜庭和志 | 3R終了 判定3-0 | PRIDE 男祭り 2003 | 2003年12月31日 |
○ | 中村和裕 | 2R 3:30 腕ひしぎ十字固め | PRIDE.25 | 2003年3月16日 |
○ | ガイ・メッツァー | 3R終了 判定2-1 | PRIDE.24 | 2002年12月23日 |
○ | 高阪剛 | 5分3R終了 判定3-0 | DEEP2001 6th IMPACT in ARIAKE COLOSSEUM | 2002年9月7日 |
× | ウラジミール・マティシェンコ | 3R終了 判定0-3 | UFO LEGEND | 2002年8月8日 |
○ | 今村雄介 | 1R 0:35 フロントチョーク | PRIDE.20 | 2002年4月28日 |
○ | ジム・シアボールド | 1R 4:59 腕ひしぎ十字固め | HOOKnSHOOT -Overdrive- | 2002年3月9日 |
○ | 藤井克久 | 1R 3:59 腕ひしぎ十字固め | DEEP2001 in YOKOHAMA | 2001年8月18日 |
エピソード
- 2004年12月31日、PRIDE 男祭り 2004に出場予定の兄ホドリゴの会場入りが大幅に遅れたため、そっくりの容貌という一卵性双生児の特徴を生かし、オープニングセレモニーに遅刻したホドリゴの影武者を務めた[2]。
- ブラジリアン・トップチームの選手の中でも特に遅刻がひどく、練習終了の10分前に顔を出すことも日常茶飯事であった。かつてトップチームに出稽古に赴いていた美濃輪育久は、その度に後発のクラスが始まる中、道場の隅でホジェリオの居残り練習に付き合わされた[3]。
獲得タイトル
- ブラジリアン柔術世界選手権(ムンジアル) 茶帯ペサード(-91kg)級 3位(2000年)
- アマチュアボクシングブラジル選手権スーパーヘビー級優勝(2006年、2007年)
- アマチュアボクシング南米選手権スーパーヘビー級優勝(2006年)
- アマチュアボクシング南米選手権スーパーヘビー級銅メダル(2007年)
関連項目
外部リンク
脚注
- ^ Hardcore Championship Fighting Signs Antonio Rogerio Nogueira
- ^ ジャンクSPORTS トークダイジェスト 3月13日『スポーツコメンテーター』 フジテレビ公式サイト 2005年3月13日
- ^ VALE TUDO ノゲイラ最強への道(DVD付書籍、東京漫画社)内インタビュー ISBN 978-4902671513