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ロジバン

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ロジバン
lojban
ロゴ
シンボル
創案者 LLG
創案時期 1987年
設定と使用 思考・表現における話者の自在性・中立性を目指す
話者数
目的による分類
参考言語による分類 文法:述語論理
語彙:アラビア語英語スペイン語ロシア語ヒンディー語中国語ラテン語ギリシャ語ログランラーダントキポナ、他
音韻:ログランエスペラント、他
公的地位
公用語 なし
統制機関 LLG (1987~1997年まで)
言語コード
ISO 639-2 jbo
ISO 639-3 jbo
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ロジバン ( lojban [loʒban] ) は、ログランを元に、さらなる機能性を追求して LLG が開発を引率してきた人工言語である。1987年に公表され、1997年に文法が暫定的に完成、2002年から実用段階に入った。主にインターネットを中心とする国際的な研鑽が進んでいる。

特徴

ログランから継承したものも含め、ロジバンは以下の性格を有する。

高性能な文法:

  • 万能な記述形態として知られる述語論理が文法の基盤をなしている。自然言語では表現が困難であるような複雑な意味合をごく明晰に記述したり、文芸的理由からあえて多義的な表現を織るなどができ、話者の自在性に尽くす。いかなる不規則性をもきたさないロジバンの表記法や構文法はまた、コンピュータによる解析やによる読解を容易にしている。日常会話だけでなくプログラミングにも適っており、機械と人間が同じ言語を共有できるようになる将来を示唆するものとして注目されている。
  • 命題に関与しないところで使える、感情態度を表すための言葉を多くとり備えている。話者が自覚できるかぎりでどのような心情表現もが可能となっている。
  • 新しい言葉を合成することが手軽にできる。約1200あまりという語根の数自体が自然言語におけるいわゆる常用単語の数と比べてはるかに少なく、それであって可能な総語彙数(最低でも144万語)が自然言語のそれをはるかに超える。同音異義語は原理的に存在しない。合成語を構成する要素の一つ一つは本来の語根として確実に照応できるようになっている。つまり、僅かな語根を習得することで膨大な語彙を生成・理解できるようになる。

文化的に中立:

  • 当初の開発者および現在の話者達に一貫して、自己の文化的な背景に流れず努めて中立を保つことが志されている。その現れの一つとして、従来の人工言語にはみられないほどに広範な語派を源泉として独自の語根を創出したことが挙げられる。
  • 表記文字は公式には指定されておらず、言文一致の原理を維持できるならばどの表記体系も認められる。今のところ主流であるアスキー式では、特殊な文字セットを要することがなく、各国のどのコンピュータ・キーボードからでも即座に入力できる。
  • 単数・複数、男性・女性、能動・受動といった文化特有的な識別に言葉の形が影響されない。これは、男性形を基本として女性形が派生されるという、自然言語に広くみられる男尊女卑の意識を回避できるということでも有意義な原理である。数や能動関係の明示・非明示は話者の意志に委ねられる。先立つログランの目的がそもそもサピア・ウォーフの仮説の如何を研究するための言語的基礎を用意することだった。言語は人の思考形態を左右する、というこの仮説にたいする肯定的な姿勢をロジバンは継承している。ときに閉塞的であったり不条理であったりする伝統と慣習を土台とする自然言語による思考の枷から離れて物事を理解し語ることの価値をロジバニストは認識する。
  • 文法が一応の完成をみた現在、開発を引率してきた LLG はロジバンの以降の育成を公共に委ねている。特定の統制機関の価値観にロジバンが癒着しないことが望まれている。

文法

概念

ロジバンの文法は人間の言語のものとしては無類の性格をしており、これを体系的に解説・把握するうえでは一般の言語学用語では間に合わない場合がある。ここでロジバン独自の概念をいくらか導入しておく必要がある。以下の表は、ロジバン文法に関する、ロジバン由来および英語由来の文法用語に、どのような日本語の文法用語が対応しうるかを示したものである。正規の日本語訳というものが定着していない。何らかの訳にたいする日本語話者の共通理解を準備するものとして暫定的な日本語を右柱に掲載してある。

brivla
bridi valsi
用言 体言 成容詞
gimvla
gismu valsi
動詞形容詞副詞 普通名詞 根語詞
単語語根内容形態素
jvovla
lujvo valsi
動詞形容詞副詞 普通名詞 合語詞
合成語熟語
fu'ivla
fukpi valsi
動詞形容詞副詞 普通名詞固有名詞 借語詞
借用語外来語
ma'ovla
cmavo valsi
用言 体言 機構詞
前置詞接置詞

副詞助詞助動詞関係詞関係副詞)、内容形態素
格標識・格助詞*、格詞
時相詞(純時相詞・法時相詞)、純詞、機能語

cmevla
cmene valsi
用言 体言 特名詞
借用語外来語
* ロジバンには文法カテゴリーとしての格は存在せず、これに相当する語句の関係性は place structure に内部化されている。文中の語順を変えるとき、この内部的な関係性を維持するために該当語句に標識を付けることになり、この機能を日本語の格助詞になぞらえることができる。

brivla、ma'ovla、そして cmevla は、それぞれ異なる形態法則に基づいており、形からはけっして混同されないようになっている。ロジバンの形態論上の三品詞である。自然言語と違うのは、品詞型そのものが構文上の働きを決定しないということである。たとえば英語の名詞はその品詞型ゆえに述部となることがないが、 brivla をはじめとするロジバンの三品詞は述部にも主部にもなる(後続の表を参照)。ただしこれは三品詞が文中においてどっちつかずの曖昧な存在であるということではない。それらが構文上どのような振舞いをするかについては精密な統語論が設けられている。また、言葉の形が文法カテゴリーに応じて変化することはない。よって、屈折活用ディクレンション格変化などはロジバンとは無縁の概念である。

ma'ovla と cmevla という名称は、それぞれの語源である cmavo と cmene に略せる。むしろそちらの方がコミュニティにおける実際の使用率は高いといえる。 valsi は「語詞」を意味する。 brivla との語呂が合致して品詞関係を把握しやすくなることから valsi を加えた ma'ovla と cmevla を用いることが正規の解説では有意義となる。

ma'ovla には多くの下位区分がある。その一つ一つに分類名称(selma'o)がついている。たとえば attitudinal は UI という類名に属する。代表的な attitudinal である ui に由来している。このように各類名はそれに属する象徴的な ma'ovla が元となっている。広義では同じ UI 類でも、たとえば evidential と discursive はさらに UI2 と UI3 という具合に狭義化されている。これらの類名は本格的な構文解析やパーサ開発の中で求められた区分であり、普段の会話で重視する必要はない。同類の ma'ovla は同じ文法に従うため、学習の際の参考材料にはなる。たとえば UI 類の用法を習得することでこれに属する ma'ovla を既知・未知に関わらず全て正しく使えるようになる。以下はいくらか簡略化した表である:

digit PA 数詞 数詞
descriptor LA LE 冠詞 冠詞
abstractor NU 形式名詞 抽象詞
pro-sumti KOhA 代名詞関係代名詞疑問詞 代項詞
*attitudinal UI 態詞
attitudinal UI1 感動詞間投詞陳述 感態詞
evidential UI2 法助動詞 拠態詞
discursive UI3 定義副詞 談態詞
emotion UI4 感動詞間投詞 情態詞
vocative COI 間投詞呼格 呼態詞
connective A BIhI JOI GA GAhO GI GIhA GUhA JA 接続詞論理演算子 接続詞
operator NAhU NUhA PEhO BIhE FUhA VUhU MAhO 演算子 演算詞
tense PU ZA VA ZEhA VEhA VIhA FAhA KI 助動詞 間制詞
aspect ZAhO ROI TAhE FEhE 助動詞 相制詞
modal BAI 助動詞 法制詞
* 英語文献ではしばしば attitudinals という言葉をもってして evidential、discursive、emotion、vocative などが総称される場合がある。文法上の振舞いがごく似通っているからである。そのあたりの共通性を反映させるものとして暫定の日本語訳には全て「態」の字を持たせている。総称としての attitudinals はそれぞれの頭字を除いた「態詞」で表せる。
rafsi 語幹 語幹

rafsi は、全ての gismu および幾つかの cmavo に具わる抄形である。それらの rafsi から構成されるのが lujvo や fu'ivla である。 rafsi は単独では働かず、かならず他の文字列と結びついて用いられる。このことから rafsi は独自の品詞型を持たない。

jufra
li'erpau + cnipau + bridi
、 sentence
li'erpau
sumti + ma'ovla
話題、 prenex 題部
cnipau
ma'ovla
attitudinal 態部
bridi
terbri + selbri + sumtcita
命題論理式整論理式原子論理式 述項部
selbri
brivla
ma'ovla + sumti ( ma'ovla + brivla ) + ma'ovla
ma'ovla + sumti ( ma'ovla + cmevla ) + ma'ovla
ma'ovla + bridi + ma'ovla
ma'ovla + ma'ovla
賓辞・述語 述体
terbri
*sumti
ma'ovla
ma'ovla + brivla
ma'ovla + cmevla
主辞・主語目的語補語
変数
項体
sumtcita 付加詞 制体
tense
ma'ovla + sumti
時制**・テンス 間制
aspect
ma'ovla + sumti
相・アスペクト 相制
modal
ma'ovla + sumti
法・ムード 法制
* bridi を築くうえで selbri のとる項を特に terbri と呼ぶのにたいし、項としての性質を持つ単位全般を sumti と呼ぶ。 li'erpau 、 selbri 、 terbri 、sumtcita のいずれの中でも sumti は用いられうる。
** ロジバンでは、時間だけでなく空間や事物も tense の対象となる。よって、日本語の「時制」という限定的な用語を当てはめるのは不適切である。また、 tense ・ aspect ・ modal には、何らかの sumti を(明示・不明示に関わらず)参照して制御するという共通性がある。これを反映させて訳には「制」という字を共有させている。 sumti を含めた制御構造体を「制体」と総称できる。具体的にはそれぞれ「間制体」「相制体」「法制体」となる。
place structure 意味フレーム形成規則 述項則

全ての selbri が有する、構文上の terbri の配列規則を place structure という。変数項としてどのような terbri を幾つ取り結ぶかは selbri の意味範疇や主題役割により様々である(cf. 結合価)。デフォルトでは最大五つだが、必要に応じて拡張できる。項位置 としての諸 terbri の配列は x1 x2 x3 x4 x5 というふうに表す。 gismu 表などでもこの表記が用いられる。

或る事象における能動・受動の関係すなわちは、該当する selbri の place structure 中に内項と外項の違いとして内部化されている。主観的な能動性・受動性を特に強調するための処方としては UI 類 ma'ovla を使うものがある。

tanru 用言
複合動詞
体言
複合名詞
重語

幾つかの selbri が連なって意味合が重層化したものを tanru という。構成要素は修飾側(seltau)と被修飾側(tertau)とに分かれ、後者が基本の place structure を提出する。よって意味論上はあくまでも単一の selbri として振舞う。 selbri に当たるものが皆 sumti 化されうるように、 tanru もまた sumti 化されうる。なお、 jvovla は tanru を一語化したものと捉えられる。

音韻論(概要)

ロジバンでは音声が基盤となって文字が派生する。発音にたいする綴りの忠実さを維持できるかぎりではどの文字体系の使用も認められる。したがって“公式”のアルファベットを持たない。現在の主流はコンピュータの入力規格として普遍的なアスキー式である。言文が一致するということが前提となっているので、書言葉は口言葉と表裏一体であり、音韻論の明確さは表記法の精巧さに反映される。


形態論(概要)

ロジバンの言葉は、その姿から三つの型に分けられる。 brivlama'ovlacmevla である。これら三つの形態品詞は、それぞれに固有の音声構造すなわち子音(C)と母音(V)の並び方に特徴づけられており、互いに混同されないようになっている。換言すると、ロジバンにおいて或る語が発せられるとき、読み手・聞き手は、その語の意味を知らなくとも品詞は察知できる、ということである。これはロジバンに固有の言葉と外から借り入れる言葉とが同音異義語となるのを防ぐうえで有意義である。たとえば「近畿大学」という日本語名称を英語に持ち込むと「Kinki University」となるが、「kinki」の音は「kinky」と重複し、「近畿」本来の意味を知らない英語話者には「Kinky University」すなわち「変態大学」と解されかねない。ロジバンでは借入語をその音形から固有語と区別できるのでこのような問題が起こらない。


統語論(概要)

ロジバン文の意義は、自然言語の構文の曖昧さと比較するところで認識される。たとえば、以下は日本国憲法序文からの日本語文の引用である:

われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。

主語「われら」にたいする述語は末尾の「信ずる」だが、その途上にまず「無視してはならない」という別の述語が介在しており、また他の語句や読点による不規則的な区分がそこに交わってくるかたちで文の構造と意味関係がやや煩雑となっている。そこでは、パーサなどが「われらは~無視してはならない」と「政治道徳の法則は~と信ずる」という誤った区分に基づく解析をしてしまうことを免れるのが困難となっている。これを自然言語の曖昧さという。このような曖昧性の壁を通過して文の真意を推しはかるには一定の抽象化(たとえば「われら」と「無視してはならない」の間にある文法的引力を意図的に看過しながら文末の「信ずる」を結びとして優先し、これを受け取ったところで前半の節を参照しなおす過程)が要されるが、読み手はそれと引き換えに論理の直接性にたいする一定の認識を犠牲にすることとなる。ロジバンの統語論は、自然言語にみられる文法上のこのような多義性を根本から回避している。また、上記のような長文の記述においては、統語論的一貫性を維持しながら語順を自在に変化させて認知言語学の観点で“易しい”表現を模索することができる。曖昧でない構文はまたコンピュータにとっても扱いやすい記述につながり、この形式言語的な性格からロジバンはプログラミング言語の一つとしても使用できるという潜在性を持っている(ロジバン用のコンパイラが現在存在するわけではない)。


ロジバン文の中核をなすのは、事物と事物との関係を表す selbri である。

do mamta mi
do patfu mi

この二つの表現の差は、{do} と {mi} とがどういう関係にあるのかを表す selbri {mamta} と {patfu} の違いにある。 selbri によって取り結ばれている {do} や {mi} は terbri であり、 selbri と terbri のまとまりが bridi である(つまり {do mamta mi} というまとまりは一つの bridi である)。 selbri は全て、どのような terbri をどのように取り結ぶのかについて公式に定義されている。これを place structure (以下 PS ) という。 mamta と patfu は異なる PS を有する。 PS の違いが命題の違いを成す。或るロジバン文を理解するということは、どの terbri がどの selbri の PS によって取り結ばれているのかを把握することである。取り結ばれ方は非曖昧であり、文法を会得している者の間では bridi は全て正しく一貫して解析される。

le ti mamta cu mamta le ta mamta

{mamta} という言葉が三つ登場しているが、そのうちの一つが主要の selbri である。他の読み方はなされえない。相応の知識を身につけた話者には次のように認識される:

le ti mamta cu mamta le ta mamta
terbri selbri terbri
bridi

つまり中央の {mamta} がメインの selbri で、他の {mamta} は terbri の一部であるということ。

ロジバンの構文は形式的だが、その表現能力にはひじょうに柔軟なところがある。西洋言語における文法概念との比較においてしばしば取り上げられる「象は鼻が長い」という日本語の題述構造の文は、ロジバンにおいて次のように忠実に再現される:

lo xanto zo'u lo nazbi cu clani
sumti terbri selbri
li'erpau bridi

{lo xanto} (象)を話題として {zo'u} が区切り、続いて terbri {lo nazbi} が selbri {clani} と結びつく。 {cu} は terbri と selbri の区切を示す。この区切が無いと、1) {nazbi} は {clani} に流れて {nazbi clani} という一つの selbri をまず形成する、2) これを冠詞 {lo} が取り込んで terbri 化する、3) 結果、この文から selbri が消失する。

(terbri は原理的に sumti である。ここでは bridi の部品として捉えているので terbri と呼んでいる。 sumti は項として扱えるもの全般を指すのにたいして terbri はもっぱら selbri が取る項すなわち bridi を作り上げる項を狭義的に指す。)

ちなみに英語の「Elephants have long noses.」は次のように再現される:

loi xanto cu ponse loi clani nazbi
terbri selbri terbri

selbri が替わるほか、 terbri が二つになる。

上の二例を折衷するかたちでより一般的なロジバン表現に書き換えると次のようになる:

lo xanto cu nazbi clani
terbri selbri

あえて日本語に訳し返せば「象は鼻長である」といった趣に近い。ここでは terbri は {lo xanto} 一つであり、これが selbri {nazbi clani} と結びついている。

命題の生成には関与しないところで感情や態度を表すことができる。これには ma'ovla の一種 cnima'o を用いる。

.ui lei pendo cu klama
terbri selbri
  cnipau   bridi

文の論理性に寄与しないことから cnima'o の文法空間 cnipau は基本的に li'erpau と bridi から独立していると考えられる。それでも cnima'o が形容するのはあくまで文の特定の内容物であり、実際の文面ではしばしば基本の垣根を越えて li'erpau や bridi 中に入り込むことになる。上の例では文の頭に置かれているので右方向に文全体を形容している。 {lei pendo cu klama} (友達が来る)という事象全体について {.ui} で嬉しさを表している。文頭以外では形容が左向きとなる:

lei .ui pendo cu klama
terbri selbri
bridi
lei pendo .ui cu klama
terbri selbri
bridi
lei pendo ku .ui cu klama
terbri selbri
bridi
lei pendo cu klama .ui
terbri selbri
bridi

前者三段は日本語の「友達」一語では解析できないレベルでの嬉しさの対象の微妙な違いを表し分けている。後者は「来る」という事象についての嬉しさを表している。このように cnima'o の参照範囲は常に明確である。また必要があれば参照範囲は特定の処方によって自由に拡張させられる。

語順は自由に変えることができる。要となる観点は PS である:

mi ra ti ta ciska
x1 x2 x3 x4

x1 x2 x3 x4 は selbri {ciska} の PS の変数項である。それぞれに {mi} {ra} {ti} {ta} という terbri が収まっている。「私は・あれを・ここに・あれで、書く」という日本語表現の語順すなわち SOCV をそのまま反映させた形となっている。厳密にはロジバンの selbri は動詞でも形容詞でもなく、また terbri は主語でも目的語でもないので、 S や O や V とのアナロジーはあくまで擬似的なものでしかない。英語の SVOC を模せば次のようになる:

mi ciska ra ti ta
x1 x2 x3 x4

selbri の位置を移すだけでなく、 terbri 同士を入れ換えることもできる:

ra se ciska mi ti ta
x2 x1 x3 x4
ta ve ciska ra ti mi
x4 x2 x3 x1
fe ra fi ti ciska fa mi ta
x2 x3 x1 x4

結果として如何なる言語の訳においても本来の語順を正しく反映させることができるようになっている。

先ほどはあった {cu} がこれらの例に無いのは、 {mi} {ra} {ti} {ta} といったものがここではそれぞれ terbri としてしか解釈しえないので selbri との区切を明示する必要がないからである。このように、構文上の要素の境界を示すために用意されている境界詞は条件に応じて省略されうる。言い換えれば、解析上の曖昧さが危惧される場合には相応の境界詞で対処する。これらによって解決できない構文の曖昧性は実質的に無い。

一般の言語では文の境界を句点終止符で示す。これは書言葉の産物であり、口言葉における直の対応音声を持たない。たとえば「僕は町に行く。君が僕を待っている。」における二つの句点(。)は音声化されない。文が分かれていることはイントネーションによって漠然と示される。一方、言文の一致が徹底されているロジバンでは、文の区切を無音の記号ではなく有音の言葉で表す:

mi le tcadu klama
.i
do tu'a mi denpa


/i/ の前の点は音韻論上のものであり、これ自体が文の区切を示しているわけではないことにまず注意されたい。

文の接続を意味するものなので、文の間だけに置く。英語の終止符などと違い、文が続かない場合には必要とされない。このことから、「以上/完」よりも「そして」という語感を帯びやすいが、もっぱら論理的な「そして/AND」や時間的な「そして/THEN」を表す言葉は別に用意されている。

文の繋がりに論理性や時間性などを含める処方としてまず相応の言葉をそのまま {i} と組み合わせるものがある:

mi le tcadu klama
.imu'ibo
do tu'a mi denpa
.iju
le nu go'e cu mutce nandu


左項右項とある接続部のうちの一つを出したあとに接続を開始することからこの例は後見接続(afterthought connective)と呼ばれる。

両接続部よりもまず先に接続の言葉を出しておくという用法もある:

gu semu'igi
mi le tcadu klama
gi
do tu'a mi denpa
gi
le nu go'e cu mutce nandu


これは先見接続(forethought connective)と呼ばれる。 {i} が併用されていないが、接続されているものは文である。


考察

比較: ログラン

ロジバンは、先立つジェームズ・クック・ブラウンが開発したログランから派生した。両者の主な違いは語彙にある。ブラウンがログランの文法を幾度となく改変していたところ、一部の者達がこれを見限り、ログランの総括を独自に進めようとした。そのおり、元来の語彙について草案者であるブラウン自身が著作権を主張したので、分裂派は語根をゼロから創りなおすことにした。これが現在のロジバンの gismu の発端である。係争は法廷にてブラウンの主張が却下されるという結果になるが、その時点で gismu 開発が一通り実を結んでいたので、分裂派はこれを自分達のログラン解釈あらためロジバンの正規の語根とするにいたった(LLG もここに結成される)。LLG 自身はこれをログランからの決別とは捉えておらず、むしろログランの真価を発揮させるためのプロジェクトとしてみている。「Lojban: A realization of Loglan」という標語からもその姿勢が明らかである。

この新しい語根群、gismu は、ログランと同様、異なる自然言語から採取された言葉を融合することで作られた。ロジバンではさらに各言語の話者数を“重み”としてアルゴリズムに加えており、このことがログランとロジバンの語音の差異に大きく影響した。たとえば「標準・規範」を意味するログラン語は「norma」だが、ロジバンでは英語など他の源泉語にたいする中国語の比重が大きいため「常/cháng」の構成音が有力となり「cnano」が生まれた。また、ログランの各文法概念には英語・ラテン語・ギリシャ語などの自然言語の言葉が当てられていたのにたいし、ロジバンでは独自に内部由来の用語が編み出された。例: primitives/gismu、lexeme/selma'o、little words/cmavo、metaphor/tanru、borrowing/fu'ivla 。

ログランとロジバンは同じ文法思想を汲んでいる。具体的な違いとしては、ロジバンの設計が yacc に沿っていること、プリプロセッサの記法を取り入れていること、などが挙げられる。また、ログランにおける q と w はそれぞれ k と u- の同音異字としてロジバンでは削除された。形態論上の認識のしやすさから h は ' (アポストロフィー)に置き換えられた。ロジバンの音素配列体系がログランのそれよりも厳密に設計されていることにも注目されたい。

ちなみにログラン由来の仲間として、もっぱら中国語に影響を受けた Ceqli や Gua/spi、Visual Basic速記法にヒントを得た Lojsk などがある。

比較: エスペラント

ロジバン話者の総数は、正確な測定が不可能にせよ、エスペラントのそれよりも少ないということが両者の普及活動の規模の差からうかがえる。ロジバンの意義は、国際補助語としてではなく言語そのものとしての完成度の点で観るときに認められる。エスペラントの特徴には、

  • 大規模な普及活動に基づく大きなコミュニティ、多くの施設とネイティヴ・スピーカー
  • 長い歴史にわたって蓄えられた豊富な文学

というものがまずある。“易しくて中立的な言語”と標榜されることもあるが、これは西洋言語を母語とする者の観点に端を発しており、たとえばアラビア語や中国語の母語話者から観ればエスペラントの文法と語彙は英語のそれと同様に異質なものとなる。中立性についてロジバンと比較した際には次のような対照が浮き彫りとなる:

  • エスペラントの語彙の大半が西欧系語派の由来であるのにたいし、ロジバンの語根はより多様な語派を源泉としている。
  • エスペラントの文法がもっぱらロマンス語派に基づいているのにたいし、ロジバンの文法は文化的傾倒のない述語論理を基盤としている。
  • エスペラントの構文が自然言語の面影を残しておりパーサで処理するのが困難であるのにたいし、ロジバンの文章はその構文規則の明快さから解析が容易となっている。つまり人間のみならずコンピュータにとっても読みやすい。
  • エスペラントでは屈折造語法性差別的であるのにたいし、ロジバンの形態論はそのような文化特有的な性意識から解放されている。
  • エスペラントはその特殊な文字のために多くのコンピュータにとって入力の準備に手間がかかるが、ロジバンはどのようなキーボードからでも入力できる。

エスペラント文法における約束事の数はロジバンのそれよりも少なく、この点でエスペラントはロジバンよりも学習の荷が小さいといえる。文法の軽量さはまた表現力の限界をもたらし、この点では前者よりも後者のほうが多様な事物事象の記述に対応できるといえる。また学習の荷の大きさは、裏をかえせば学ぶ事柄・発見する事柄の多さを意味する。ロジバンの学習は、特定の言語をもっぱら話すことによって見過ごしてきた世界の側面を新しく知るきっかけになり、そのような発見自体を目的としたロジバンとの付き合いも考えられないことではない。

以上のような相違は、両者の設計思想の違いによるところがある。エスペラントは、いずれはフランス語英語スペイン語にとってかわる国際語として多数の人に話されることを目指して創られた。一方でロジバンは、言語そのものの本質や可能性、そしてそれらと人間個人との関わりを主眼に置いている。また、もともとエスペラントは当時未発達であった言語学プログラミング学の恩恵を蒙ることができずに構想されたため、結果として設計部分の多くが現代の基準や需要に合わないものとなっている。ロジバンの誕生は、偶然にもエスペラントが発表されたちょうど100年後に当たる。この間に言語に関する知識は大きく革新し、その潮流の中でログランすなわちロジバンの親が生まれた。既存の国際語を別なものに置き換えるという挑戦のうえにあっていくらかの宗教性を巻き込むことになったエスペラント運動の一方で、ログランとロジバンは人間が使える言語としての機能性の高さを求める言語学者とプログラミング学者達によって支えられてきた。

比較: 日本語

言語学的にみてロジバンは無系統である。しかし、同様に孤立した言語とみなされる日本語との間にいくつかの共通点を見出すことができる。

三上章の研究によると、日本語は述語が中心となって主語・目的語・補語をまとめる題目述部の構造にあるという。名詞はそれぞれ格助詞を有するが、英語ほどに能動・受動の関係は強くはない。これは、文法的に対等な sumti を selbri が束ねるというロジバンの構造とよく似ている。「象は私が餌をやります」の「象は」といった話題もロジバンでは忠実に表現できる。

日本語では単数と複数の区別が必須ではない。この「通数」の原理がロジバンにもある。「le lorxu cu zvati」は「キツネがいる」と同様、「There are some foxes」とも「There is a fox」ともなる。あえて複数を明示する「キツネたちがいる」は「lei lorxu cu zvati」()や「le'i lorxu cu zvati」(集合)に対応する。男性・女性による語形変化も両者には無い。

「共同」と「制作」といった語を屈折なしに連ねた「共同制作」という熟語は、「kansa」と「zbasu」をそのまま連ねてできる「kansa zbasu」という tanru と同じ造語法にもとづいている。また、「共同制作」の構成字から「共作」とできるところは、「kansa zbasu」の rafsi から「kanzba」とできることによく似ている。

またロジバンでは俳句を作ることができる。以下はアルゼンチン出身のロジバニスト Jorge Llambías による作品からである:

vifne cergusni (5)
i le tricu cu klaku (7)
le clani ctino (5)

応用: 文学・科学

文芸活動におけるロジバンのメリットが期待されている。意思や現象を明晰に記述したり或いは必要に応じて漠然と多義的に表現したり、またその成果を建設的に模索・推敲するうえで、ロジバンの機能性が大きな役割を持っているからだ。科学の諸分野における数理的記述にも広く使用できることが提唱されている。基本単語のレベルでロジバンは諸々の数学・幾何学的概念の記述に要される言葉を多く備えている。

応用: 自然言語処理

人工知能自然言語をどのように処理すればいいのか。その研究において、自然言語の文法の非一貫性や表現の事故的な多義性はしばしば混迷をきたすものである。この問題を解決する直接の手掛かりとしてロジバンのような言語が研究者達の間で着目されている。自然言語の文はロジバンに訳される際、前者由来の制約を抜け、意図されていない意味と意図されている意味とが淘汰されながら再構築される。これは、原文が有する多義性の全てを無差別に駆逐するということではなく、あくまで話し手・書き手が求めたとおりの意味合を自然言語の“靄”から掬い出して復刻させるということである(文芸上の理由で表現の曖昧さが初めから意図されているものであればこれはそのとおりに再現される)。ここに、“靄”を扱えない人工知能と“靄”に包まった自然言語という両者の間の仲介としてのロジバンの姿がある。

誤解にもとづく批判

ノーム・チョムスキーに学んだスティーブン・ピンカーは、自著で、曖昧性をいっさい欠いた言語を作るのは不可能だとしている。人間の想像しうる概念は無数とあり、それらの存分な表現が求められるところでは既成の単語だけでは間に合わず、言葉が2つ以上の意味を兼ねるという事態がやってくる、したがって、ロジバンなどにつき標榜されている明確性というものは、特殊な狭い範疇でのみその言語が使用される限りで表出するものでしかない、と彼は考える。ところが、ロジバンが提唱する非曖昧性というのは構文解析にまつわるものであって語釈のそれではない。ロジバンで抽象的なことを漠然と語るというのはいたって可能なのである。

多義性を欠いた合理的な言語は人間の感情を十分に表せないだろう、という憶測もある。これは、“体系的で整ったもの”にたいする偏見にもとづく誤解である。ロジバンには、命題の生成そのものには関与しない特殊な言葉(態詞)を多く備えている。いわゆるムードモダリティなど、心の状態・度合を示すのに使われる。自然言語においてイントネーション顔文字が果たしている機能をこれらの言葉がつかさどる。組み合わせられるので、必要に応じてより深いレベルの心の振る舞いに言及することができる。いわば話者が自身の心情を十分に自覚しているところではロジバンはそれらを洗練された体系の中で表現することのできる優れた感情言語なのである。

学習に関して

ロジバンの習得は、或る面において易しく、また或る面において難しい。

  • 文法がきわめて整っており、知識を一貫して摘みとることができる。しかし上級者向けの文法原理には自然言語の知的枠組を超えているものがあり、その会得には相応の専心が要される。
  • 述部(selbri)として使える言葉の全てが、どのような主部(sumti)をどのような位置関係で取り結ぶかについてあらかじめ定義されている。いわゆる place structure と呼ばれるこの定義の存在に当惑する初心者は少なくない。よくある誤解は、 place structure が量的な暗記を要する、というもの。たとえば klama という言葉は、それと結びつく一番目の語が「行く者」、二番目が「行く地点」、三番目が「発つ地点」というふうな place structure を有するが、その会得を量的な学習とみなしてしまうという思い違いがある。実際にはこれは量ではなく質の学習である。 place structure によって示されている「行く者」「行く地点」「発つ地点」といった概念は、 klama がつかさどる「行く」という事象が必然的に内包するものである。「行く者」なしには「行く」という事象は成立しない。「行く地点」や「発つ地点」を欠いた場合も同様である。 klama という語およびそれによって取り結ばれる「行く者」などのとそれらの位置関係は、「行く」という事象にたいする質的理解を深めるなかで捉えるものであって量的に暗記されるものではない。問題は、事物の関係構造そのものを扱うこのロジバン語のパラダイムが特殊であること。伝統的な言語の多くは個体主義的で、その認識形式の影響下にある者は当然ロジバンの構造主義的な性格にたいする難しさを覚えることになる。
  • 解説文献やコミュニティの補助言語として英語・フランス語・スペイン語・ロシア語などが使われている。比較的外国語能力の乏しい日本人にとっては参入が難しく、日本語圏におけるロジバンの認知度は著しく低い。ロジバンと日本語との間にはそれなりの近似性があり、日本人にとって特に難解な言語であるわけではない。


ロゴ

LLGのメンバーによる投票でロジバンのロゴが採択されている。直交座標系ベン図を元にしたものである。色の指定はない。

このロゴが意味するところについて公式の説明はない。解釈の一つとして、ベン図が述語論理を、直行座標系が合理性を象徴している、というものがある。

他にも次のようなものがコミュニティでは使われている:

参考書籍

(すべて英語)

  • Cowan, John Woldemar. The Complete Lojban Language. Fairfax, Virginia: The Logical Language Group, 1997. ISBN 0-9660283-0-9
  • Nicholas, Nick; Cowan, John Woldemar. What is Lojban?. Fairfax, Virginia: The Logical Language Group, 2003. ISBN 0-9660283-1-7
  • Goertzel, Ben: Potential Computational Linguistics Resources for Lojban. Self-published, March 6, 2005. [1](PDFファイル)
  • Speer, Rob; Havasi, Catherine: Meeting the Computer Halfway: Language Processing in the Artificial Language Lojban. Massachusetts Institute of Technology, 2004. [2](PDFファイル)

関連項目

外部リンク

一般

文学: 小説・童話・民話

文学: 詩

教材: 講座

教材: 辞書

  • pixra liste : 写真で見る gismu
  • ma'oste : 全 cmavo
  • gimste : 全 gismu (place structure 付)
  • jvoste : 全 lujvo (place structure 付)
  • jbovlaste : 日本語含む諸言語に対応した公式のロジバン辞書プロジェクト

教材: ソフトウェア

教材: そのほか

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