富川春美
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富川 春美(とみかわ はるみ、1968年9月26日 - )は、日本の元アイドル。
千葉県出身。
略歴
- 1985年4月5日に『夕やけニャンニャン』の「ザ・スカウト アイドルを探せ!」のオーディションに出演、会員番号12番の河合その子、13番の内海和子と共に合格し、おニャン子クラブの会員番号14番となる。(夕やけニャンニャンの前身である「オールナイトフジ女子高生スペシャル」に応募したものの書類の受付期限が間に合わず同番組へは出られなかったが、プロデューサーの目にとまり、夕やけニャンニャンのオーディションを受けるように勧められた。)
- 番組初回から最終回まで在籍(※)した唯一のメンバーであり、片岡鶴太郎命名の「お富さん」の愛称で親しまれた。(※ 厳密には第一週は在籍でなく出演。また後述の「5ヶ月の空白」があり、実質的な最長出演者は城之内早苗である。)
- 個性派揃いの初期メンバーの中では控えめな存在であったが、モデルの様なルックスや八重歯で根強い人気を博した。
- 中期の頃になると、曲のフロントボーカルを務め、初期メンバーのほとんどが卒業した後にはメンバー全員を引っ張っていった。また、早い段階からソロデビューが決まっていたようだが、学校の反対などがあったらしく結局実現はしなかった。(余談だが、石橋貴明も彼女の事をイチ押ししており、「内海和子をソロで出すなら、春美に倍金かけても良い。」と言っていた。)
- おニャン子のメンバー横田睦美とは、1年違いの同月同日生まれ。(横田は1967年生まれ)
- メンバー内での人気も高く、38番の工藤静香に「私が男だったら惚れていた」とまで言わせていた。
- 1986年の1月より番組から姿を消し、その間、何のアナウンスもされなかったことから、「第二の週刊文春喫煙事件による降板か」と、ファンをやきもきさせた。但しこの休業は「夕ニャン」を含むテレビ出演に限られていた。1986年の3月から4月1日にかけて行われたツアー「おニャン子のあぶな~い課外授業」にはリハーサルから参加しており、ステージ上や舞台裏でおニャン子の一員として自然に活動する姿がDVD「バックステージ」に収められている。<br.>しかし5ヶ月後、当日の日直(司会)の永田ルリ子が「今日から仲間が帰ってきました。お帰りなさい。」と紹介、「ただいま、戻りました。」と復帰を果たした。
- これは、当時の在籍校内で、おニャン子所属ということで目を付けられていじめを受けていたためであるとか、学校で禁止されていたサインをしたために謹慎処分を受けた、であるとか、成績降下に伴い、一時的に学業に専念した、と諸説あるが、いずれにせよ番組に出られない彼女をメンバーが優しく励ましていたということから、彼女にとってもおニャン子クラブは大事な存在になっていた。
- おニャン子クラブの解散後も芸能活動やモデルをしており、1988年の秋頃には女優への転進も予定されていた。
- 現在は、沖縄の一流リゾートホテルに就職しマリンスポーツのインストラクターをしている。その後結婚し、一児の母となっている。
エピソード
- メンバー内では内海和子と仲が良く、姉のように慕っていた。
- 肩幅が広いことから、メンバー内で「ハンガー」と呼ばれていた。「ツッチーホラーショー」のクイズで、永田ルリ子が何の脈絡も無く「ハンガー」とフリップに記し、その際富川の方にチラっと目線を送ったことは、コアなファンの中では「ハンガー・チラ事件」として有名である。
- 現役時代は、回転寿司巡りが好きだったと、番組本及びおニャン子の「新・会員番号の唄」で明かされている。
- 『夕やけニャンニャン』の「ザ・スカウト アイドルを探せ!」のオーディションにてチャームポイントは八重歯と答えていたが、綺麗な歯並びに憧れていたらしく今は矯正している。
音楽
フロントボーカル曲
シングル曲
アルバム曲
- 恋愛御見舞申し上げます
- 避暑地の森の天使たち
- 体育館はダンステリア
- 早口言葉でサヨナラを
- ハートに募金を
- シンデレラのシューズ
- 白いコスモスの頃
- 間に合うかもしれない
その他参加曲
- なぜ?の嵐(吉沢秋絵 with おニャン子クラブ)
- 黄昏の孔雀(吉沢秋絵 with おニャン子クラブ)