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櫻井敦司

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櫻井敦司
出生名 櫻井敦司
生誕 (1966-03-07) 1966年3月7日(58歳)
出身地 日本の旗 日本, 群馬県藤岡市
学歴 群馬県立藤岡高等学校卒業
ジャンル ロック
J-POP
職業 BUCK-TICKボーカル作詞家
担当楽器 ボーカル
活動期間 1985年 - 現在
2001年SCHWEIN
2004年(ソロ)
2015年(THE MORTAL)
レーベル HAPPY HOUSE
事務所 BANKER
共同作業者 BUCK-TICK
SCHWEIN
公式サイト 櫻井 敦司|@Victor Entertainment
THE MORTAL official website
バウハウス
デヴィッド・ボウイ
MORRIE

櫻井 敦司(さくらい あつし、1966年3月7日 - )は、日本ミュージシャンで、ロックバンドBUCK-TICKヴォーカリスト群馬県藤岡市出身。血液型はO型。

初期の頃は新字体で「桜井敦司」、または「ATSUSHI」と表記されていた。愛称は「あっちゃん」。

BUCK-TICKの所属事務所である有限会社バンカーの代表取締役(二代目)を務める(初代社長はドラムスのヤガミトール)。

来歴

2004年にはデビュー17年目にして初となる本格的なソロ活動を行い、シングル3枚、アルバム1枚をリリース。

2015年、10年ぶりのソロ活動としてソロプロジェクト「THE MORTAL」を始動。映画『ウーマン・イン・ブラック2 死の天使』へ楽曲「MORTAL」を提供[1]

人物

バンド内において

  • バンド内では主に作詞を担当し、幅広い音楽性の内包された楽曲を独特の簡潔な抽象性でまとめる役割を担っている。
  • 作曲に携わった例はほとんどなく「今井ヒデが曲を持ってこないと詞は書けない。自分はあくまで待つ側の立場。今井とヒデはミュージシャン。俺はバンドマン」と語っている。

生い立ち

  • 2人兄弟の次男。顔立ちが似ており、自身のルーツであると語る父親とは誕生日も血液型も同じ。「父親は不器用で愛情表現が苦手だった」人物であり、自身や母親に暴力を振るうことも度々あったという[2]。父はバンドの拠点を東京に移す前後に、母はバブル期の多忙さの最中に亡くなっている。
  • 群馬県立藤岡高等学校出身。高校時代は他校の友人とばかり絡んでいたため、学校にいる間は一言も口を利かないことも多かったという。しかし3年次に仲間の1人が警察沙汰となる事件を起こしたため、グループは分解してしまう。その後は校内の友人とも関わりをもつようになり、その中の1人に今井の実家へと連れて行かれる。これがヤガミ以外のメンバーとの出会いとなる。[2]
  • 高校卒業後、一旦地元の自動車部品メーカーに就職。後に退職し上京。BUCK-TICKの前身バンドである『非難GO-GO』を結成。バンド初期はドラムを担当していたが、ストレートなパンクロックからの転換を迎えていたバンドとの音楽的アプローチの齟齬から、当時のボーカリストが脱退したことでボーカルへと転向。後任のドラムには樋口豊の実兄ヤガミトールを迎えた。
    • 前ボーカリストの脱退が決定した際、櫻井が「俺にボーカルをやらせてほしい」と熱望したという。しかし今井が新たなボーカリストを迎える算段をとっていた為、当時ボーカルの穴が空いていたヤガミのバンド『S.P.(スポッツ)』へもボーカリストとしての加入を打診している。[2]
    • ボーカルに興味を持ったのは、同郷の氷室京介に「顔がいいからボーカルになった方がいい」と言われたことがある。[2]
    • 櫻井曰くこの一件は「ずっと周りに流されて生きてきた自分が生まれて初めてした自己主張」であり「初めて心の底から湧き上がってきた衝動」だったという。[2]
  • 1996年、撮影のため訪れていたネパールにて急性腹膜炎を発症。即帰国、及び即入院を与儀なくされ、予定していたツアー『CHAOS After dark』を延期する。復帰後のライブでは「改造されて帰ってきました」という台詞も飛び出している。
  • 2004年、デビュー17年目にソロ活動を開始し、国内外のニューウェイヴオルタナティヴ・ロックのビッグ・ネームや旧知の仲であるミュージシャンを招いて、シングル三枚、アルバム一枚、ライヴDVDを一年強の間にリリースする。また北村龍平監督の中編映画『LONGINUS』、写真集『SACRIFICE photo and frame』、詩集『夜想』と、音楽媒体にとどまらない活動をみせた。

その他

  • デヴィッド・ボウイDEAD ENDDER ZIBETなどの他、バウハウスをはじめとしたゴシック・ロックなどを愛好している。
    • ソロアルバム『愛の惑星』に伴うツアーではボウイの「Space Oddity」のカヴァーを披露した。
    • 2006年Creature Creatureでカムバックを遂げたMORRIEと雑誌『音楽と人』で対談を果たし、ISSAYとはDER ZIBET、ISSAYのソロ、そしてBUCK-TICKとそれぞれの楽曲で共演しており、『TABOO』や『悪の華』などバブル期のバンドの音楽性には櫻井の志向が反映されているなど、自身にも大きな影響を与えている。
  • 無類の愛猫家で、ファンクラブの会報やバンドのオフィシャルサイトには愛猫の写真が頻繁に掲載されている。
  • またBUCK-TICKのメンバー共々相当な愛酒家でもある。

THE MORTAL

2015年に始動したソロプロジェクト名称。作詞は櫻井、作曲をバンドメンバーが担当し、5人の固定メンバーでアルバム制作とツアーを行った。表記はすべて大文字で、ロゴではTHEのみフォントサイズが小さい。

バンドメンバー

作品

アルバム

  発売日 タイトル 規格品番 収録曲 備考
1st 2015年11月11日 I AM MORTAL CTCR-14876, CTCR-14875/B(初回版) 初回生産盤特典としてDVD付スペシャルパッケージ仕様
Mini Album 2015年10月14日 Spirit CTCR-14874 初回生産分のみスリーヴ仕様

DVD、Blue-ray

  • IMMORTAL(2016年3月9日) - 2015年11月26日NHKホール公演を全曲収録。初回版のみCD2枚組ライブ音源付き。

ライブ

  • TOUR THE MORTAL 2015(2015年11月16日 - 大阪なんばHatch、11月17日 - 大阪オリックス劇場、11月19日 - 東京新木場STUDIO COAST、11月25日・26日 - 東京NHKホール)

エピソード

  • 高校のOBで当時BOØWYのボーカルでデビューしていた氷室京介から「お前、顔が良いからボーカルやった方がいいよ」と言われた逸話がある。ただしこのことがボーカル転向への直接のきっかけとなった訳ではないと本人は語っている。
  • インディーズ時代のライブで、あと20秒ほどでステージに上がるという状況にも関わらず、楽屋に戻って衣装を総替えしたというエピソードがある。そのため今井が1曲目のFLY HIGHのイントロを5分ほど弾き続けなければならない羽目になったという。後に今井はバンドの衝撃事件として「イントロ弾き続け事件」と称している[3]

作品

シングル

  1. SACRIFICE (2004年5月26日)
  2. 胎児/SMELL (2004年7月21日)
  3. 惑星 -Rebirth- (2005年2月23日)

アルバム

  1. 愛の惑星 (2004年6月23日)

DVD

  1. LONGINUS (北村龍平監督による初主演ショートムービー)
  2. -EXPLOSION-愛の惑星Live2004

その他

  • Various Artists 『DANCE 2 NOISE 002』 - 初のソロ曲「予感」収録(後にリミックスしてソロアルバムに収録)
  • 土屋昌巳 『森の人 Forest People』 - 「真夏の夜の森」、「小さな森の人」の作詞・ボーカルを担当
  • ISSAY 『FLOWERS』 - 「恋のハレルヤ」にヴォーカルで参加
  • DER ZIBET 『思春期II』 - 「マスカレード」にヴォーカルで参加
  • PIG 『NO ONE GETS OUT OF HER ALIVE』 - 「NO ONE GETS OUT OF HER ALIVE」にコーラスで参加
  • 栗山千明CIRCUS』 - 「深海」の作詞を担当 (同曲に星野英彦もギター、作曲、編曲、プロデュースで参加)

書籍

写真集

  • SACRIFICE(ぴあ)
  • 櫻井敦司 Live写真集(通信販売限定商品)

詩集

参考文献・出典

外部リンク

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