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'''菊池 正義'''(きくち まさよし、生年不詳 - [[寛永]]4年(1627年)は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]から[[江戸時代]]前期にかけての武将。[[菊池氏]]の末裔。[[陸奥国]][[糠部郡]]・[[鶴ヶ崎順法寺城]]、[[田名部館]]城主。
'''菊池 正義'''(きくち まさよし、生年不詳 - [[寛永]]4年(1627年)は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]から[[江戸時代]]前期にかけての武将。[[菊池氏]]の末裔。[[陸奥国]][[糠部郡]]・[[鶴ヶ崎順法寺城]]、[[田名部館]]城主。


官位は伊豆守(自称)。兄は[[阿尾城]]主・[[菊池武勝]](義勝)。
官位は伊豆守。兄は[[阿尾城]]主・[[菊池武勝]](義勝)。


[[永禄]]7年(1564年)、嫡子・[[菊池正興|正興]]と共に[[南部氏|根城南部氏]]に従い、初め[[鶴ヶ崎順法寺城]]に居住。後に[[田名部館]]に移り住む。
[[永禄]]7年(1564年)、嫡子・[[菊池正興|正興]]と共に[[南部氏|根城南部氏]]に従い、初め[[鶴ヶ崎順法寺城]]に居住。後に[[田名部館]]に移り住む。

2022年8月28日 (日) 16:05時点における版

菊池 正義(きくち まさよし、生年不詳 - 寛永4年(1627年)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。菊池氏の末裔。陸奥国糠部郡鶴ヶ崎順法寺城田名部館城主。

官位は伊豆守。兄は阿尾城主・菊池武勝(義勝)。

永禄7年(1564年)、嫡子・正興と共に根城南部氏に従い、初め鶴ヶ崎順法寺城に居住。後に田名部館に移り住む。

参考文献

  • 『北海道・東北地方の中世城館』東洋書林 2000年
  • 『むつ市史: 近代編』むつ市 1988年

関連項目

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