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'''李善実'''(リ・ソンシル、리선실、[[1916年]] - [[2000年]]8月)は、序列22位まで上り詰めた[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]最高位の女諜報員である。[[朝鮮労働党]]統一戦線部副部長、党政治局候補委員、[[最高人民会議]]代議員。共和国英雄 |
'''李善実'''(リ・ソンシル、리선실、[[1916年]] - [[2000年]]8月)は、序列22位まで上り詰めた[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]最高位の女諜報員であるが、[[深化組事件]]で拷問死した。[[朝鮮労働党]]統一戦線部副部長、党政治局候補委員、[[最高人民会議]]代議員。死後に名誉回復され、共和国英雄<ref>[http://news.onekoreanews.net/print_paper.php?number=81654]朝総連衰亡史(18) |
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労働党3号庁舎と一体となった朝総連組織,[[統一日報]]</ref>。 |
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[[日本]]に渡って[[在日朝鮮人]]に偽装し、[[韓国]]に合法的に潜入するという手法を確立した。この手法は、[[対南工作]]や[[日本人拉致事件]]等で多用されている。'''申順女'''、'''李仙花'''という偽名も使用している。 |
[[日本]]に渡って[[在日朝鮮人]]に偽装し、[[韓国]]に合法的に潜入するという手法を確立した。この手法は、[[対南工作]]や[[日本人拉致事件]]等で多用されている。'''申順女'''、'''李仙花'''という偽名も使用している。 |
2018年5月4日 (金) 12:24時点における版
李善実 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 리선실 |
漢字: | 李善實 |
発音: | リ・ソンシル |
英語表記: | Ri Seong-sil |
李善実(リ・ソンシル、리선실、1916年 - 2000年8月)は、序列22位まで上り詰めた北朝鮮最高位の女諜報員であるが、深化組事件で拷問死した。朝鮮労働党統一戦線部副部長、党政治局候補委員、最高人民会議代議員。死後に名誉回復され、共和国英雄[1]。
日本に渡って在日朝鮮人に偽装し、韓国に合法的に潜入するという手法を確立した。この手法は、対南工作や日本人拉致事件等で多用されている。申順女、李仙花という偽名も使用している。
出自
済州島南部の村の出身。梨花女子専門学校卒業後、南朝鮮労働党(南労党)出身者が運営する金剛政治学園を修了した。解放前に独立運動を行い、その後、釜山で南労党の金三龍の下で女性運動を展開し、発覚するや単身越北した。朝鮮戦争当時、太白山でパルチザン生活を送り、朝鮮人民軍がソウルに進駐したとき、引き続き活動を再開した。
対南工作
戦後、正確な時期は分からないが、朝鮮労働党に工作員として召還された。1970年初め頃、日本に渡り、在日朝鮮人申順女の偽名で、工作活動を行った。
1979年、朝鮮労働党統一戦線部副部長に任命され、1980年、第6次党大会で政治局候補委員、中央委員に選出された。1980年初め、申順女の偽名で合法的に韓国に永住帰国した。同年、サボク炭坑騒擾事件の主導者であった黄仁五と接触し、黄と共に越北した。黄には、朝鮮労働党中部地域党創設の工作任務が付与された。
1982年2月、最高人民会議第7期代議員に当選して以来、10期まで継続して選出された。同年4月、金日成の70歳の誕生日に合わせて、金日成勲章を授与された。1991年1月、韓国民族民主戦線副委員長に任命されて以来、対南秘密工作部門の主要責任者であった。
帰国
1992年、江華島を経由して北朝鮮に帰国。同年4月、金日成の80歳の誕生日の宴会に党政治局候補委員の資格で出席した。同年9月の「南韓朝鮮労働党事件」時、地下党組織の責任者だったという。1994年、金日成死亡時、国家葬儀委員会委員であった。1995年、呉振宇の国家葬儀委員会委員。