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== 人物 ==
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== 来歴 ==
== 躰道選手として ==
躰道部に入部し、大学3年時までは目立った結果を残せずにいたが、大学4年時の[[2001年]]に[[2001年世界躰道選手権大会|那覇世界選手権]]の日本代表に抜擢される。するとその秋の[[全国学生躰道優勝大会]]で初のメダリストとなり、また[[全日本躰道選手権大会]]では団体展開競技において日本一の栄冠に輝く。その後[[2002年]]、[[2003年]]も数々の実績を残した。
躰道部に入部し、大学3年時までは目立った結果を残せずにいたが、大学4年時の[[2001年]]に[[2001年世界躰道選手権大会|那覇世界選手権]]の日本代表に抜擢される。するとその秋の[[全国学生躰道優勝大会]]で初のメダリストとなり、また[[全日本躰道選手権大会]]では団体展開競技において日本一の栄冠に輝く。その後[[2002年]]、[[2003年]]も数々の実績を残した。


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現在は[[2017年]]に日本で開催される、次回の世界選手権大会への出場を目指している。団体実戦競技での代表入りも視野に入れており、実現すれば実戦競技、法形競技、展開競技全てで日本代表歴をもつ初めての選手となる。
現在は[[2017年]]に日本で開催される、次回の世界選手権大会への出場を目指している。団体実戦競技での代表入りも視野に入れており、実現すれば実戦競技、法形競技、展開競技全てで日本代表歴をもつ初めての選手となる。


== 主な戦歴 ==
== 躰道における主な戦歴 ==
* [[2001年]] [[世界躰道選手権大会]] 団体展開競技5位
* [[2001年]] [[世界躰道選手権大会]] 団体展開競技5位
* [[2001年]] 全国学生躰道優勝大会 男子団体法形競技3位、男子団体展開競技3位
* [[2001年]] 全国学生躰道優勝大会 男子団体法形競技3位、男子団体展開競技3位
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* [[2013年]] 国民体育大会 団体実戦競技3位、団体展開競技1位
* [[2013年]] 国民体育大会 団体実戦競技3位、団体展開競技1位


== スポールブール選手として ==

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| 氏名 = 堀内 和一朗
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2015年7月よりスポールブールの練習を開始し、主に[[埼玉県]][[三郷市]]で練習を行っている。[[2015年]]10月11日に[[愛知県]][[小牧市]]で行われた第16回日本スポールブール選手権大会において、プレシジョン種目で7位入賞を果たしている。
== その他 ==
== その他 ==
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趣味の囲碁では、[[IGO AMIGO]]幹事として普及指導に携わっている<ref>{{cite web|url=http://www.igoamigo.com/about/staff/|title=スタッフ紹介|publihser=IGO AMIGO|accessdate=2015-01-23}}</ref>。公益財団法人[[日本棋院]]認定の普及指導員、学校囲碁指導員の資格を所持している<ref>{{cite web|url=http://waichiro.jp/about/|title=碁りむちゅう。の中の人について|publihser=堀内和一朗|accessdate=2015-01-23}}</ref>。

== 脚注 ==
== 脚注 ==
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2015年10月11日 (日) 23:16時点における版

堀内 和一朗
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1980-01-03) 1980年1月3日(44歳)
故郷 東京都世田谷区
居住地 東京都世田谷区
種目 男子躰道
代表 2001 那覇世界選手権日本の旗 日本
所属 湯島道場
学歴 桐蔭学園高校東京医科歯科大学
獲得メダル
男子 躰道
全日本選手権
2001 団体展開

堀内 和一朗(ほりうち わいちろう、1980年1月3日 - [1])は、東京都出身の躰道選手、スポールブール選手、医師フォン・シーボルト七代目子孫[2]湯島道場副代表。東京医科歯科大学躰道部監督補。日本体育協会公認スポーツリーダー2001年那覇世界選手権日本代表として、男子個人法形競技、団体展開競技に出場。段位は教士六段。趣味は囲碁。MENSA[3]、ISI-Society[4]、HELLIQ Society[5]の会員。

人物

東京都世田谷区出身[6]世田谷区立用賀小学校桐蔭学園中学校・桐蔭学園高校を経て、東京医科歯科大学医学部医学科卒業。大学入学後躰道部に入部して躰道を始め、宮下宏紀と出会う。第3回世界躰道選手権大会(那覇)男子個人法形競技、団体展開競技日本代表。大学時代からメキメキと力をつけ日本を代表をする選手に成長した。また2015年からスポールブールにも本格的に取り組んでいる。

躰道選手として

躰道部に入部し、大学3年時までは目立った結果を残せずにいたが、大学4年時の2001年那覇世界選手権の日本代表に抜擢される。するとその秋の全国学生躰道優勝大会で初のメダリストとなり、また全日本躰道選手権大会では団体展開競技において日本一の栄冠に輝く。その後2002年2003年も数々の実績を残した。

2004年に大学を卒業し、横浜市躰道協会に移籍。2005年には東京城北地区躰道協会に復帰した。実戦競技にてその年のヨーテボリ世界選手権出場を目指していたが、最終選考にて代表を逃す。

2007年暮れからつくば躰道協会に移籍し、翌2008年末には古巣の東京城北地区躰道協会に戻った。そして2009年広島世界選手権出場を目指すも、古くからの持病であった腰椎椎間板ヘルニアが悪化、2009年8月に緊急入院、手術の運びとなり断念した。

腰椎椎間板ヘルニアにより、左下肢の激痛と運動麻痺(左足関節と足趾を背屈することができなかったという)が生じており、術後もその症状がすぐに回復したわけではなかった。しかし1年に及ぶ厳しいリハビリを経て、2010年の東京城北地区躰道優勝大会にて試合復帰を果たした。

その後宮下宏紀とともに湯島道場を立ち上げ副代表に就任。2013年ヘルシンキ世界選手権を目指していた。2012年の全日本躰道選手権大会男子展開競技予選にて3位となったことが評価され、日本代表候補となる。しかし、2013年3月31日に中野区立第八中学校で行われた最終選考にて代表入りを逃した。その去就が注目されていたが、現役を続行することを決め、第68回国民体育大会の展開競技にて優勝した。

現在は2017年に日本で開催される、次回の世界選手権大会への出場を目指している。団体実戦競技での代表入りも視野に入れており、実現すれば実戦競技、法形競技、展開競技全てで日本代表歴をもつ初めての選手となる。

躰道における主な戦歴

  • 2001年 世界躰道選手権大会 団体展開競技5位
  • 2001年 全国学生躰道優勝大会 男子団体法形競技3位、男子団体展開競技3位
  • 2001年 全日本躰道選手権大会 男子団体展開競技1位
  • 2002年 全国学生躰道優勝大会 男子団体法形競技2位、男子団体展開競技2位
  • 2005年 全国社会人躰道優勝大会 団体法形競技2位
  • 2008年 全国社会人躰道優勝大会 団体実戦競技2位
  • 2012年 全国社会人躰道優勝大会 団体法形競技2位
  • 2013年 国民体育大会 団体実戦競技3位、団体展開競技1位

スポールブール選手として

堀内 和一朗
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1980-01-03) 1980年1月3日(44歳)
故郷 東京都世田谷区
居住地 東京都世田谷区
種目 男子スポールブール
所属 日本ペタンク・ブール連盟
学歴 桐蔭学園高校東京医科歯科大学

2015年7月よりスポールブールの練習を開始し、主に埼玉県三郷市で練習を行っている。2015年10月11日に愛知県小牧市で行われた第16回日本スポールブール選手権大会において、プレシジョン種目で7位入賞を果たしている。

その他

趣味の囲碁では、IGO AMIGO幹事として普及指導に携わっている[7]。公益財団法人日本棋院認定の普及指導員、学校囲碁指導員の資格を所持している[8]

脚注

  1. ^ 道場生紹介”. 2012年9月5日閲覧。
  2. ^ 道場生紹介”. 2012年9月19日閲覧。
  3. ^ 碁りむちゅう。の中の人について”. 2015年5月29日閲覧。
  4. ^ Waichiro Horiuchi”. 2015年6月9日閲覧。
  5. ^ Waichiro Horiuchi”. 2015年6月4日閲覧。
  6. ^ 道場生紹介”. 2012年9月5日閲覧。
  7. ^ スタッフ紹介”. 2015年1月23日閲覧。
  8. ^ 碁りむちゅう。の中の人について”. 2015年1月23日閲覧。

関連項目

外部リンク


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