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「東京優駿」の版間の差分

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* 持込馬 メイヂヒカリ(第24回)
* 持込馬 メイヂヒカリ(第24回)
* 走破タイム2分30秒以内 メイズイ(第30回=2分28秒7)
* 走破タイム2分30秒以内 メイズイ(第30回=2分28秒7)
* 連覇を達成した騎手 武豊(第65回:スペシャルウィーク・第66回:アドマイヤベガ)
* 外国人騎手による制覇 M.デムーロ(第70回:ネオユニヴァース)


===開催にまつわる出来事===
===開催にまつわる出来事===

2006年2月12日 (日) 09:16時点における版

東京優駿(とうきょうゆうしゅん)は3歳牡馬クラシック三冠の2冠目として、現在は東京競馬場の芝2400メートルで施行されている中央競馬GI競走である。騸馬は出走できない。

正賞は内閣総理大臣賞、日本馬主協会連合会会長賞、東京馬主協会賞。

優勝騎手には朝日新聞社より優勝旗が与えられる。

イギリスダービーを範としているため、日本ダービー(にっぽんだーびー)と副呼称が付けられているが、むしろこちらが一般的な呼称となっている。競馬ファンからは「競馬の祭典」とも言われるビッグレースで、日本の競馬関係者はこの日本ダービーを優勝する事を1つの目標としている。

創設の経緯

東京競馬倶楽部の会長であった安田伊左衛門によって提案された。当時は欧米に比べ馬の成長が遅いといわれており、そのため秋の施行も検討されたが、欧米に追いつくようにとの願いも込められて、欧米と同じく春に施行されることとなった。第1回は「東京優駿大競走」として1932年4月24日目黒競馬場芝2400メートルで施行された。

創設当初は4月下旬の開催だったが、第7回(1938年)以後は本家・イギリスのダービーを参考に5月の末~6月の初旬に開催時期が固定されるようになった。特に戦後は一部の年の例外を除きほぼ5月最終日曜日に開催日が固定されたが、1996年NHKマイルカップと高松宮杯(現・高松宮記念)が5月開催のGIに昇格してから1999年までの4回は6月の第1週の開催となっていた。しかし高松宮杯が3月に移動したため2000年から元の5月最終日曜日に戻された。

競走データ

歴代優勝馬

回数 年月日 優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1932年4月24日 ワカタカ 牡3 2:45 2/5 函館孫作 東原玉造 乾鼎一
第2回 1933年4月23日 カブトヤマ 牡3 2:41 0/5 大久保房松 大久保房松 前川道平
第3回 1934年4月22日 フレーモア 牡3 2:45 2/5 大久保亀治 尾形景造 土田荘助
第4回 1935年4月29日 ガヴアナー 牡3 2:42 1/5 井川為男 布施季三 高橋錬逸
第5回 1936年4月29日 トクマサ 牡3 2:42 1/5 伊藤正四郎 尾形景造 カシワ
第6回 1937年4月29日 ヒサトモ 牝3 2:33 3/5 中島時一 中島時一 セイクワン
第7回 1938年5月29日 スゲヌマ 牡3 2:33 2/5 中村広 中村広 千明賢治
第8回 1939年5月28日 クモハタ 牡3 2:36 1/5 阿部正太郎 田中和一郎 加藤雄策
第9回 1940年6月2日 イエリユウ 牡3 2:34 2/5 末吉清 石門虎吉 石田一
第10回 1941年5月18日 セントライト 牡3 2:40 1/5 小西喜蔵 田中和一郎 加藤雄策
第11回 1942年5月24日 ミナミホマレ 牡3 2:33 0/5 佐藤邦雄 東原玉造 池得次
第12回 1943年6月6日 クリフジ 牝3 2:31 4/5 前田長吉 尾形景造 栗林友二
第13回 1944年6月18日 カイソウ 牡3 2:39 1/5 橋本輝男 久保田金造 有松鉄三
第14回 1947年6月8日 マツミドリ 牡3 2:35 0/5 田中康三 茂木為二郎 松末博光
第15回 1948年6月6日 ミハルオー 牡3 2:33 2/5 新屋幸吉 上村大治郎 ハナブサ
第16回 1949年6月5日 タチカゼ 牡3 2:33 4/5 近藤武夫 伊藤勝吉 熊谷八郎
第17回 1950年6月11日 クモノハナ 牡3 2:44 2/5 橋本輝男 鈴木勝太郎 北竹清剛
第18回 1951年6月3日 トキノミノル 牡3 2:31 1/5 岩下密政 田中和一郎 永田雅一
第19回 1952年5月25日 クリノハナ 牡3 2:31 4/5 八木沢勝美 尾形藤吉 栗林友二
第20回 1953年5月24日 ボストニアン 牡3 2:34 3/5 蛯名武五郎 増本勇 岡本治一
第21回 1954年5月23日 ゴールデンウエーブ 牡3 2:34 4/5 伊藤竹男 藤本冨良 川俣欣也
第22回 1955年5月29日 オートキツ 牡3 2:36 3/5 古山良司 大久保房松 川口鷲太郎
第23回 1956年6月3日 ハクチカラ 牡3 2:36 1/5 保田隆芳 尾形藤吉 西博
第24回 1957年5月26日 ヒカルメイジ 牡3 2:31 0/5 蛯名武五郎 藤本冨良 新田松江
第25回 1958年5月25日 ダイゴホマレ 牡3 2:31 1/5 伊藤竹男 久保田金造 醍醐幸右衛門
第26回 1959年5月24日 コマツヒカリ 牡3 2:38 1/5 古山良司 大久保房松 エス・ケイ
第27回 1960年5月29日 コダマ 牡3 2:30.7 栗田勝 武田文吾 伊藤由五郎
第28回 1961年5月28日 ハクシヨウ 牡3 2:30.2 保田隆芳 尾形藤吉 西博
第29回 1962年5月27日 フエアーウイン 牡3 2:31.2 高橋英夫 松山吉三郎 溝本儀三男
第30回 1963年5月26日 メイズイ 牡3 2:28.7 森安重勝 尾形藤吉 千明康
第31回 1964年5月31日 シンザン 牡3 2:28.8 栗田勝 武田文吾 橋元幸吉
第32回 1965年5月30日 キーストン 牡3 2:37.5 山本正司 松田由太郎 伊藤由五郎
第33回 1966年5月29日 テイトオー 牡3 2:31.1 清水久雄 増本勇 北村平三郎
第34回 1967年5月14日 アサデンコウ 牡3 2:30.9 増沢末夫 藤本冨良 手塚栄一
第35回 1968年7月7日 タニノハローモア 牡3 2:31.1 宮本悳 戸山為夫 谷水信夫
第36回 1969年5月25日 ダイシンボルガード 牡3 2:35.1 大崎昭一 柴田寛 高橋金次
第37回 1970年5月24日 タニノムーティエ 牡3 2:30.0 安田伊佐夫 島崎宏 谷水信夫
第38回 1971年6月13日 ヒカルイマイ 牡3 2:31.6 田島良保 谷八郎 鞆岡達雄
第39回 1972年7月9日 ロングエース 牡3 2:28.6 武邦彦 松田由太郎 中井長一
第40回 1973年5月27日 タケホープ 牡3 2:27.8 嶋田功 稲葉幸夫 近藤たけ
第41回 1974年5月26日 コーネルランサー 牡3 2:27.4 中島啓之 勝又忠 久保谷唯三
第42回 1975年5月25日 カブラヤオー 牡3 2:28.0 菅原泰夫 茂木為二郎 加藤よし子
第43回 1976年5月30日 クライムカイザー 牡3 2:27.6 加賀武見 佐藤嘉秋 (有)三登
第44回 1977年5月29日 ラッキールーラ 牡3 2:28.7 伊藤正徳 尾形藤吉 吉原貞敏
第45回 1978年5月28日 サクラショウリ 牡3 2:27.8 小島太 久保田彦之 (株)さくらコマース
第46回 1979年5月27日 カツラノハイセイコ 牡3 2:27.3 松本善登 庄野穂積 桂土地(株)
第47回 1980年5月25日 オペックホース 牡3 2:27.8 郷原洋行 佐藤勇 ホース産業(株)
第48回 1981年5月31日 カツトップエース 牡3 2:28.5 大崎昭一 菊池一雄 勝本正男
第49回 1982年5月30日 バンブーアトラス 牡3 2:26.5 岩元市三 布施正 竹田辰一
第50回 1983年5月29日 ミスターシービー 牡3 2:29.5 吉永正人 松山康久 千明牧場
第51回 1984年5月27日 シンボリルドルフ 牡3 2:29.3 岡部幸雄 野平祐二 シンボリ牧場
第52回 1985年5月26日 シリウスシンボリ 牡3 2:31.0 加藤和宏 二本柳俊夫 和田共弘
第53回 1986年5月25日 ダイナガリバー 牡3 2:28.9 増沢末夫 松山吉三郎 (有)社台レースホース
第54回 1987年5月31日 メリーナイス 牡3 2:27.8 根本康弘 橋本輝雄 浦房子
第55回 1988年5月29日 サクラチヨノオー 牡3 2:26.3 小島太 境勝太郎 (株)さくらコマース
第56回 1989年5月28日 ウィナーズサークル 牡3 2:28.8 郷原洋行 松山康久 栗山博
第57回 1990年5月27日 アイネスフウジン 牡3 2:25.3 中野栄治 加藤修甫 小林正明
第58回 1991年5月26日 トウカイテイオー 牡3 2:25.9 安田隆行 松元省一 内村正則
第59回 1992年5月31日 ミホノブルボン 牡3 2:27.8 小島貞博 戸山為夫 (有)ミホノインターナショナル
第60回 1993年5月30日 ウイニングチケット 牡3 2:25.5 柴田政人 伊藤雄二 太田美實
第61回 1994年5月29日 ナリタブライアン 牡3 2:25.7 南井克巳 大久保正陽 山路秀則
第62回 1995年5月28日 タヤスツヨシ 牡3 2:27.3 小島貞博 鶴留明雄 横瀬寛一
第63回 1996年6月2日 フサイチコンコルド 牡3 2:26.1 藤田伸二 小林稔 関口房朗
第64回 1997年6月1日 サニーブライアン 牡3 2:25.9 大西直宏 中尾銑治 宮崎守保
第65回 1998年6月7日 スペシャルウィーク 牡3 2:25.8 武豊 白井寿昭 臼田浩義
第66回 1999年6月6日 アドマイヤベガ 牡3 2:25.3 武豊 橋田満 近藤利一
第67回 2000年5月28日 アグネスフライト 牡3 2:26.2 河内洋 長浜博之 渡辺孝男
第68回 2001年5月27日 ジャングルポケット 牡3 2:27.0 角田晃一 渡辺栄 齋藤四方司
第69回 2002年5月26日 タニノギムレット 牡3 2:26.2 武豊 松田国英 谷水雄三
第70回 2003年6月1日 ネオユニヴァース 牡3 2:28.5 M.デムーロ 瀬戸口勉 (有)社台レースホース
第71回 2004年5月30日 キングカメハメハ 牡3 2:23.3 安藤勝己 松田国英 金子真人
第72回 2005年5月29日 ディープインパクト 牡3 2:23.3 武豊 池江泰郎 金子真人

※勝時計:第1~26回 1/5秒表示、第27回~ 1/10秒表示

第72回日本ダービー

2005年東京優駿・無敗で二冠馬を決めたディープインパクト
  • 2005年5月29日 東京競馬場 第10競走 芝2,400m サラ系3歳牡馬・牝馬(指定)
  • 優勝賞金:150,000,000円
  • 負担重量:牡馬57kg、牝馬55kg
  • 外国産馬:最大4頭

優勝

  • 馬名:ディープインパクト(5戦5勝)
  • 勝ちタイム:2分23秒3(キングカメハメハのダービーレコードタイ)
  • 2着との着差:5馬身(ナリタブライアン、スペシャルウィークと同じ)
  • 前半1000メートル:59秒9
  • 上がり3F:33秒4
  • 史上6頭目の無敗の二冠馬。
  • 馬体重:448kg
  • 日本ダービー史上初の単勝1.1倍。ダービー史上最高単勝支持率73.4%(ハイセイコーの66.6%を更新)。
  • 2着:インティライミ

第73回日本ダービー

  • 2006年5月28日 東京競馬場 第10競走 芝2,400m サラ系3歳牡馬・牝馬(指定)
  • 優勝賞金:150,000,000円
  • 負担重量:牡馬57kg、牝馬55kg
  • 外国産馬:最大5頭

競走名の変遷

  • 第1回(1932年)から第6回(1937年)は、東京優駿大競走
  • 第7回(1938年)から第14回(1947年)は、東京優駿競走
  • 第15回(1948年)と第16回(1949年)は、優駿競走
  • 第17回(1950年)以降は、東京優駿(日本ダービー)

施行競馬場の変遷

トライアル

そのほかに以下の2競走が「ダービートライアル」に指定されている。

  • 青葉賞(GII 東京 芝2400m)3着までの馬に優先出走権
  • プリンシパルステークス(オープン特別 東京 芝2000m)2着までの馬に優先出走権
    (優先出走権についてはいずれも内国産馬に対してだが、青葉賞は2005年からの外国産馬枠拡大に伴い、3着までに入線した外国産馬にも出走権が与えられるようになった)

出走条件の変遷

  • 第62回(1995年)より指定された競走で一定の着順を得た地方馬にも出走が認められる。
  • 第68回(2001年)より外国産馬が出走可能となる(2頭以内)。
  • 第72回(2005年)より外国産馬の出走枠4頭までに拡大
  • 第73回(2006年)より外国産馬の出走枠5頭までに拡大

エピソード

史上初あれこれ

  • 無敗 フレーモア(第3回)
  • 牝馬 ヒサトモ(第6回)
  • 父持込馬 カイソウ(第13回)
  • 父が日本ダービー馬 マツミドリ(第14回)
  • 公営出身 ゴールデンウエーブ(第21回)
  • 持込馬 メイヂヒカリ(第24回)
  • 走破タイム2分30秒以内 メイズイ(第30回=2分28秒7)
  • 連覇を達成した騎手 武豊(第65回:スペシャルウィーク・第66回:アドマイヤベガ)
  • 外国人騎手による制覇 M.デムーロ(第70回:ネオユニヴァース)

開催にまつわる出来事

その他特記事項

  • 第16回のタチカゼの単勝配当55430円はダービー史上最高。
  • 最年少勝利騎手は、第38回を優勝した田島良保の23歳7ヶ月。ちなみに第12回を優勝した前田長吉は当時見習騎手であり、それよりも若かったとされるが年齢を証明する公式な記録がない。
  • 騎手としても調教師としても優勝を経験したのは大久保房松、橋本輝雄、二本柳俊夫の3人。
  • フルゲートが20頭代後半であった1990年頃まではテレビによく映るからとの理由で距離がもたないと分かりながらも、大逃げを打つ「テレビ馬」と言われる馬も存在した。そのためダービーは概ねハイペースとなった。また、その頃まで第1コーナーに入る時点での10番手以内は「ダービーポジション」と呼ばれ、大外枠(8番枠)は勝てないという至極真っ当なジンクスもあった。そのジンクスが破られたのはフルゲートが20頭となってからの1991年のダービーであった。この年の勝ち馬であるトウカイテイオーの枠番は、8枠20番だったのである。
  • 俗に「運のある馬が勝つ」と言われているが、実際にその後に好成績を残した馬が少ないのも特徴である。シンボリルドルフ以降の22回の優勝馬を見ても、その後の故障などによりダービーがラストランになってしまった馬がアイネスフウジンなど4頭、その後のGIを未勝利で引退した馬がウイニングチケットなど11頭もいる。また、トウカイテイオー、ナリタブライアンなどGIを勝ちながら度々故障などに付きまとわれ、決して順風満帆とは行かなかった例を考えると、近年のダービー馬のその後はあまり芳しいものではなく、ダービーを勝ったことで運を使い果たしてしまったようにも思えてしまう。
  • 逆にこのレースで2着になった馬はその後1着馬以上に活躍・出世するケースが近年顕著になってきている。1990-2004年の2着馬15頭のうち実に13頭がその後GIレースを制しており、その中にはビワハヤヒデシンボリクリスエスといった歴代最強クラスの名馬も存在している。理由は説明できるものではなく謎である。
  • 日本ダービー開催に因んで、日本ダービー制覇騎手のみが騎乗出来るダービージョッキーズステークスと、日本ダービー産駒のみが出走できるダービースタリオンステークスという競走が開催されていたが、ともに出走対象が激減していた為に廃止された。
  • 例年、日本ダービーのファンファーレ、表彰式の演奏は、陸上自衛隊中央音楽隊が担当している(他にもジャパンカップや、年度にもよるが有馬記念でも同様に演奏を担当している場合がある)。
  • 歴代のダービー優勝騎手は連覇、3勝目以降をそれぞれ達成できないというジンクスがあったが、武豊騎手は1998年に念願のダービージョッキーに輝くとその勢いで1999年に当時のダービー最多勝レコードタイの2勝目を史上初のダービー連覇という偉業で飾る。更に2002年2005年にも勝ち星を挙げており、この8年間だけでダービー4勝という偉大なる金字塔を達成した。
  • ダービーを2勝している馬主はこれまでに8人いる。この内、金子真人は2004年のキングカメハメハ、2005年のディープインパクトで史上初のダービー連覇を達成した。
  • 中央競馬の3歳クラシック競走では、ゼッケンは紺地に黄色の数字のものを使用するが、本競走に限り白地に黒の数字のものを用いる。但し一般戦でのそれと異なり、金糸による縁取りが施されている。また、馬番の下に記載されるものは、スタンド側から見えるものについては馬名、内馬場側から見えるものについては第○○回日本ダービーの表示である。なお、その他のGI競走で使用されるゼッケンは、紺地に白色の数字を用いたものである。
  • 現在の中央競馬では草木の名前を冠した競走は3歳(あるいは2歳)馬限定で行われるが、本競走の前に行われる「むらさき賞」に限っては例外で4歳以上の競走として施行される。
  • 東京優駿、日本ダービーが混ざり東京ダービーと呼ぶ人もまれにいるが、東京ダービーは大井競馬場で実際に行われている競走である。

関連項目

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