「長尾地区 (倉敷市)」の版間の差分
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前述の爪崎の中南部に位置する新倉敷駅前にできた新興市街地である。区画整理が行われ、爪崎から独立した新住所「新倉敷駅前」となった。地名に「玉島」を冠しない。新倉敷駅南部にあたる玉島爪崎の一部は区画整理事業により[[新倉敷駅]]を中心に新市街地を形成している。また、2005年(平成17年)には区画整理区域内が「新倉敷駅前1丁目 - 5丁目」に町名変更された。平坦な南口一帯は整然とした街区に大型店や専門店に金融機関が集中する玉島地域を代表する商業地区として成長を続けている。一方、駅北口に程近い丘陵地には[[くらしき作陽大学]]がある。駅から大学へ続く道路の歩道には、 |
前述の爪崎の中南部に位置する新倉敷駅前にできた新興市街地である。区画整理が行われ、爪崎から独立した新住所「新倉敷駅前」となった。地名に「玉島」を冠しない。新倉敷駅南部にあたる玉島爪崎の一部は区画整理事業により[[新倉敷駅]]を中心に新市街地を形成している。また、2005年(平成17年)には区画整理区域内が「新倉敷駅前1丁目 - 5丁目」に町名変更された。平坦な南口一帯は整然とした街区に大型店や専門店に金融機関が集中する玉島地域を代表する商業地区として成長を続けている。一方、駅北口に程近い丘陵地には[[くらしき作陽大学]]がある。駅から大学へ続く道路の歩道には、カラー舗装と街路樹が整備されている。 |
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* [[1996年]](平成8年)4月 [[作陽音楽大学]]・[[作陽短期大学]]が[[津山市]]から現在地に移転。翌年、「くらしき作陽大学・短期大学」に改称。 |
* [[1996年]](平成8年)4月 [[作陽音楽大学]]・[[作陽短期大学]]が[[津山市]]から現在地に移転。翌年、「くらしき作陽大学・短期大学」に改称。 |
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* [[2005年]]([[平成]]17年)[7月2日]] 玉島爪崎のうち区画整理区域内が「新倉敷駅前1丁目 - 5丁目」に町名変更され、同年11月「新倉敷駅南土地区画整理事業」竣工<ref>[http://www.city.kurashiki.okayama.jp/dd.aspx?menuid=1519 倉敷市・市街地開発課]</ref>。 |
* [[2005年]]([[平成]]17年)[[7月2日]] 玉島爪崎のうち区画整理区域内が「新倉敷駅前1丁目 - 5丁目」に町名変更され、同年11月「新倉敷駅南土地区画整理事業」竣工<ref>[http://www.city.kurashiki.okayama.jp/dd.aspx?menuid=1519 倉敷市・市街地開発課]</ref>。 |
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== 主要産業・産物 == |
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== 主要施設 == |
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; 公共施設 |
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* 長尾郵便局 - 長尾 |
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* [[玉島インターチェンジ]] - 長尾 |
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* スーパーマーケット |
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** ハローズ - 新倉敷駅前 |
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* 衣料店 |
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** 紳士服のはるやま - 新倉敷駅前 |
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** [[青山商事|洋服の青山]] - 新倉敷駅前 |
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** [[しまむら]] - 新倉敷駅前 |
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* 他 |
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** タイム - 爪崎 |
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** エディオン - 新倉敷駅前 |
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** ひまわり - 新倉敷駅前 |
** [[ププレひまわり|スーパードラッグひまわり]] - 新倉敷駅前 |
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; 金融機関 |
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* [[笠岡信用組合]] - 新倉敷駅前 |
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* [[倉敷レーザー]] - 長尾 |
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* 中国電業舎 - 新倉敷駅前 |
* 中国電業舎 - 新倉敷駅前 |
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; 医療機関 |
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* ゆのき医院 - 新倉敷駅前 |
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* 西崎内科 - 新倉敷駅前 |
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* 鳥越医院 - 新倉敷駅前 |
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; 娯楽施設 |
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* ボウル8 - 爪崎 |
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; 神社仏閣 |
; 神社仏閣 |
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* [[長尾神社 (倉敷市)|長尾神社]] - 長尾 |
* [[長尾神社 (倉敷市)|長尾神社]] - 長尾 |
2012年10月21日 (日) 07:53時点における版
長尾 ながお | |
---|---|
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陽地方) |
都道府県 | 岡山県 |
自治体 | 倉敷市 |
旧自治体 | 長尾町 |
面積 |
5.8km² |
世帯数 |
4,393世帯 |
総人口 |
10,766人 (住民基本台帳、2012年3月30日現在) |
人口密度 |
1,856.21人/km² |
隣接地区 | 船穂 |
長尾(ながお)は、岡山県倉敷市玉島北部にある地区である。かつての浅口郡長尾町にあたる。
玉島長尾(-ながお)・玉島爪崎(-つまさき)・新倉敷駅前(しんくらしきえきまえ)からなる。
概要
当地区は倉敷市玉島長尾、玉島爪崎及び新倉敷駅前1丁目から5丁目から成り、玉島旧市街の北に位置する長尾小学区[1][2]にほぼ相当する。山裾の長尾町旧市街は駅の北側を曲がりくねって走る旧玉島往来沿いにあり、古い町家、海鼠壁を張り巡らした土蔵等が残り、足袋や線香等の産業で栄えた往時の面影を残している。
高梁川の右岸に位置し、北部は丘陵地、中南部は平地となっている。平地の大部分は17世紀前半(元和期)以降に干拓し開かれた[3]。
1889年(明治22年)に浅口郡長尾村と爪崎村が合併し長尾村、1925年(大正14年)に町制施行し長尾町、1953年(昭和28年)に玉島市編入合併した[3]。
1891年(明治24年)に山陽鉄道(現JR山陽本線)玉島駅が爪崎中部に開業。にわかに交通の要衝として発達した。さらには1975年(昭和50年)に新幹線と接続し、新倉敷駅へと改称。さらに1985年(昭和60年)に南部に国道2号バイパスが造成され、1988年(昭和63年)には東部に山陽自動車道玉島インターチェンジも設置された。新倉敷周辺は区画整理事業などにより新興市街地としての体裁がなされた一方、長尾地内の旧長尾町中心部はいまだ古い町並みが残り、昔の佇まいもみせている[3][4]。
明治期より、線香や足袋の家内工業的生産が発達。線香は周辺で栽培が盛んであった除虫菊と結びついて生まれた産業である。全盛期より減少したものの、2011年現在も製造は続いている[3]。
また、北部のなだらかな丘陵地では、モモやブドウなどの果樹栽培が盛んである[3]。
地域
長尾
長尾地域東部を占める。丘陵部およびその南麓部は古代においては、浅口郡船尾郷の一部であったと推測され、近世の始めまでは海が湾入し、西高梁川(現在の高梁川)の河口西部沿岸地帯であった。それ以南の平野は近世における干拓地である[5]。
元和年間に前新田・内新田が造成され、続いて寛永初年に外新田、万治2年に万治新田が干拓された[5]。
寛永19年、松山藩主水谷勝隆の所領となる。外新田や万治新田は水谷氏の開発である。元禄6年、水谷氏が除封となる。徳川幕府領を経て元禄15年、丹波国亀山藩の飛地領となる[5]。
玉島から松山までを結ぶために美袋から玉島へ至る街道の玉島往来が当地を通過し、その沿線に町家が多く建ち並んだ。現在も当時を偲ばせる景観をとどめている[5]。
当地には天正年間から小野氏一族が住み、江戸時代には同家を訪れる文人墨客が多く、頼山陽などもしばしば往来している。また、幕末の歌人木下幸文、不遷流柔術の達人田辺虎次郎なども当地から輩出している[5]。
1889年(明治22年)6月1日に爪崎村と合併し、長尾村の大字長尾となった[5]。1891年(明治24年)には、西の爪崎に山陽鉄道玉島駅(現JR西日本新倉敷駅)が開業し、それまでは農村地帯であったが同駅から当地の中心である玉島往来沿線の町並みまで商店が多く立地した[5]。
1988年(昭和63年)には、東部の船穂町との境界付近に山陽自動車道の玉島インターチェンジが設置された。現在は古くからもの商店よりも、周辺の整備された幹線道路を中心とした郊外型店舗などが多くなっている。
かつては米・麦・イグサ・除虫菊などの農産物として生産され、近世には綿花も多く栽培された。その派生で近現代では線香や足袋、花筵や畳表のなどのイグサ加工品などの製造も盛んであった[5]。
爪崎
長尾地域の西部にあたる。近世の始めまでは西高梁川の河口西部沿岸地帯であった。高梁川の堆積作用により干潟が広がるようになり、寛永19年に当地を領有していた松山藩主水谷勝隆は干拓を計画。承応年間から干拓に着手し明暦元年に汐止め、万治2年に第一期工事を終え、新田を開発した。ついで乙島寄りの沖合を干拓し、寛文8年に完成。これらの新田地帯は玉島村として併合された。その後に枝村として北部を爪崎村、東部を上成村として分割したが、その年代は不詳である[5]。
元禄6年、水谷氏が除封となり江戸幕府領となったが、元禄15年に爪崎・上成とともに丹波国亀山藩の飛地領となる[5]。三宅千秋『備中の新田開発』では、1877年(明治9年)の爪崎村は114町1反7畝20歩であった[5]。
1877年(明治9年)10月30日、爪崎・上成・玉島の3村が合併し玉島村となったが、1881年(明治14年)に元の3村に分村。1889年(明治22年)6月1日に長尾村と合併し長尾村となり、同村の大字爪崎となった[5]。1891年(明治24年)に当地に山陽鉄道玉島駅(現JR西日本新倉敷駅)が開業し、それまでは農村地帯であったが駅周辺は市街化が進行した[5]。現在は大型幹線道路の整備と新倉敷駅前の区画整理、近隣への大学の進出により、それ以前より増して市街化が進行している。地域南部を東西に1985年(昭和60年)に造成された国道2号バイパスが通過している[5]。
新倉敷
前述の爪崎の中南部に位置する新倉敷駅前にできた新興市街地である。区画整理が行われ、爪崎から独立した新住所「新倉敷駅前」となった。地名に「玉島」を冠しない。新倉敷駅南部にあたる玉島爪崎の一部は区画整理事業により新倉敷駅を中心に新市街地を形成している。また、2005年(平成17年)には区画整理区域内が「新倉敷駅前1丁目 - 5丁目」に町名変更された。平坦な南口一帯は整然とした街区に大型店や専門店に金融機関が集中する玉島地域を代表する商業地区として成長を続けている。一方、駅北口に程近い丘陵地にはくらしき作陽大学がある。駅から大学へ続く道路の歩道には、カラー舗装と街路樹が整備されている。
地勢
沿革・歴史
長尾町 | |
---|---|
廃止日 | 1953年2月11日 |
廃止理由 |
編入合併 長尾町 → 玉島市 |
現在の自治体 | 倉敷市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陽地方) |
都道府県 | 岡山県 |
郡 | 浅口郡 |
総人口 |
4,814人 (1953年2月11日) |
隣接自治体 | 西:浅口郡富田村 |
長尾町役場 | |
所在地 | 岡山県浅口郡長尾町大字長尾2163番地 |
特記事項 |
[6] |
ウィキプロジェクト |
歴史
中世は「甕ノ海」と「吉備の中海」の境目にある入江にあった当地区は、江戸時代初期に備中松山藩主であった水谷氏の新田開発により沖合が長尾新田と玉島新田となり、現在の地域がほぼ陸地となった。新田開発当初、この一帯は備中松山藩領であったが、水谷氏の改易により東の船穂村と共に江戸時代終焉まで丹波亀山藩領となった。
かつて、丘陵地の反対側には旧山陽道が通り、山陽道と瀬戸内海を結ぶ海岸沿いの村であったが、陸地化して以後は高梁川から玉島湊への「高瀬通し」と呼ばれた水路を経由する物資輸送の中継地として繁栄。その後、江戸時代末期には綿花と小麦にくわえ除虫菊の生産が盛んになり、足袋や線香と「麦稈真田」(麦わらを材料にして編んだ真田紐)の一大産地になった。
明治時代に山陽鉄道の開通により、物流の中心が船から鉄道へと移っていくことで当地区は玉島地域の交通の拠点へと変わってゆく。昭和時代の高度成長期の自動車普及に併せるように道路網が整備された後、新倉敷駅南口の区画整理が行われたことで急激に市街化が進んだ。そのため、平野部は農地の多くが宅地化されていったが、線香や足袋の生産は現在も行われている。
沿革
- 1642年(寛永19年) - 備中松山藩主・水谷勝隆が長尾・船穂の新田開発を始める。
- 1885年(明治18年)9月 長尾小学校の前身、允中小学校開校。
- 1889年(明治22年)6月1日 町村制が施行され、浅口郡長尾村・爪崎村が合併し同郡長尾村を新設。
- 1891年(明治24年)7月14日 山陽鉄道開通、玉島駅開業。
- 1925年(大正14年)11月1日 長尾村が町制施行して長尾町発足。
- 1953年(昭和28年)2月11日 長尾町が玉島市に編入合併する。
- 1967年(昭和42年)2月1日 玉島市・倉敷市・児島市が合併し、新たな倉敷市を新設。長尾と爪崎は同市玉島長尾と玉島爪崎になる。
- 1975年(昭和50年)3月10日 山陽新幹線岡山-博多間が開通、玉島駅は新倉敷駅に改称。
- 1988年(昭和63年)3月1日 山陽自動車道倉敷JCT-福山東IC間開通、玉島IC開設。
- 1994年(平成6年)3月17日 国道2号玉島バイパス全線開通。
- 1996年(平成8年)4月 作陽音楽大学・作陽短期大学が津山市から現在地に移転。翌年、「くらしき作陽大学・短期大学」に改称。
- 2005年(平成17年)7月2日 玉島爪崎のうち区画整理区域内が「新倉敷駅前1丁目 - 5丁目」に町名変更され、同年11月「新倉敷駅南土地区画整理事業」竣工[7]。
主要産業・産物
- 農業
- 米
- 麦
- イグサ - 2011年現在は衰退
- 除虫菊 - 2011年現在は衰退
- 製造業
- 線香
- 足袋
- イグサ加工品 - 2011年現在は減少
- 畳表
- 花筵
主要施設
- 教育・福祉施設
- 公共施設
- 長尾郵便局 - 長尾
- 玉島インターチェンジ - 長尾
- 新倉敷駅 - 爪崎
- 商店
- スーパーマーケット
- 衣料店
- 他
- ホームセンタータイム - 爪崎
- エディオン - 新倉敷駅前
- スーパードラッグひまわり - 新倉敷駅前
- 金融機関
- 企業事業所
- 倉敷レーザー - 長尾
- 中国電業舎 - 新倉敷駅前
- 神社仏閣
- 公園
- 新倉敷駅南公園 - 新倉敷駅前
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名所・旧跡
- 長尾神社 - 通称「長尾八幡宮」、応永の頃に九州の宇佐神宮から勧請された。江戸時代は備中松山城主池田長幸・長常親子2代、その後城主になった水谷勝隆等の新田開発祈願所であった。参道は旧市街上之町南の新幹線高架横の小高い山にあり、現在の社殿は1879年(明治12年)に改築されたものである。
交通
- 一般道路
- 有料道路
- 鉄道
- バス路線
脚注
参考文献
- 『長尾町誌』ー 編集;花田一重、出版;長尾町文化会、1951年
- 巌津政右衛門『岡山地名事典』(1974年)日本文教出版社
- 岡山県大百科事典編集委員会『岡山地名事典』(1979年)山陽新聞社
- 渡辺光・中野尊正・山口恵一郎・式正英『日本地名大辞典2 中国・四国』(1968年)朝倉書店
- 下中直也『日本地名大系第三四巻 岡山県の地名』(1988年)平凡社
- 黒田茂夫『県別マップル33 岡山県広域・詳細道路地図』(2010年)昭文社