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10月4日、三好CC行われた[[コカ・コーラ東海クラシック]]にて通算14アンダーで優勝。2年連続で獲得賞金額1億円を突破した。 |
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10月8日~11日、プレジデンツカップに出場し、最終日には当時世界6位のケニー・ペリーに勝つなど、3勝2敗と世界選抜ではアーニー・エルス(南アフリカ)と並ぶ最多の3ポイントを挙げる大活躍を見せた。<ref>[http://www.47news.jp/CN/200910/CN2009101201000046.html 石川遼はペリーに競り勝つ プレジデンツ・ゴルフ最終日] 47 NEWS 2009年10月12日閲覧</ref>。 |
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== 記録 == |
== 記録 == |
2009年10月12日 (月) 13:33時点における版
Ryo Ishikawa | |
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ファイル:Ryo Ishikawa.jpg | |
基本情報 | |
名前 | 石川 遼 |
生年月日 | 1991年9月17日(33歳) |
身長 | 174.0 cm (5 ft 9 in) |
体重 | 68.5 kg (151 lb) |
国籍 | 日本 |
出身地 | 埼玉県北葛飾郡松伏町 |
経歴 | |
成績 | |
優勝回数 | 日本男子:6回 |
初優勝 | マンシングウェアOP(2007) |
世界ランク最高位 | 41位(2009年10月) |
賞金ランク最高位 | 日本男子5位(2008年) |
2009年10月12日現在 |
石川 遼(いしかわ りょう、1991年9月17日 - )は、埼玉県北葛飾郡松伏町出身のプロゴルファー。パナソニック所属。ニックネームは「ハニカミ王子」。
経歴
幼少期
6歳の頃、父に連れられてゴルフ練習場に行ったのをきっかけに、ゴルフにのめりこむ。小学校時代は、サッカークラブ、園芸委員会に所属。中学校は、地元の公立校に進学。中学にゴルフ部が無かったため、陸上部に所属した。理由は、短距離走で足の筋力と体力を付けるため。
アマチュア時代
2004年に、全国小学校ゴルフ選手権横尾要カップで優勝。2005年関東中学校選手権、全国中学校選手権大会・春季大会を優勝するなど、全国規模の大会で常に上位を争うレベルにあった。
高校生となった2007年に行われた、マンシングウェアオープン KSBカップにアマチュア枠でツアー初出場。この大会に、日本のプロゴルフ大会においての史上最年少優勝を達成。男子ツアーでのアマチュア優勝は「中四国オープン」で優勝した1980年の倉本昌弘以来で、史上2人目[1]。大会初日が暴風のため中止となり、最終日に2ラウンドが行われた。高校生でありながら、36ホールを回っての逆転優勝(2日目終了時点で7打差の23位)であった。この優勝は、世界最年少優勝記録(15歳245日)として、ギネス・ワールド・レコーズに認定された。
同年7月に行われた、世界ジュニア選手権に出場し、個人23位。8月17日、霞ヶ関CCで行われた日本ジュニアゴルフ選手権男子15歳~17歳の部で、大会史上最年少の15歳11ヶ月で初優勝。スコアは、大会レコードタイとなる3日間通算9アンダーで204。直後のフジサンケイクラシックでは、2日目まで首位と3打差の6位だったが、3日目でスコアを落とし、結局3日間通算1オーバーの214で15位に終わるがローアマチュア(出場アマチュア選手最上位)を獲得。東海クラシック、三井住友VISA太平洋マスターズでもローアマチュアを獲得する。また、マンシングウェアオープンKSBカップでの優勝により、その年のツアー優勝者に出場資格のあるゴルフ日本シリーズJTカップに、アマチュアとして初めて出場した[2]。この年は、プロツアー8試合に参戦して5試合で予選を通過[3]、4試合でローアマチュアを獲得する活躍を見せた。
プロ転向
2008年1月10日、記者会見を行いプロ転向を宣言。16歳3ヵ月24日の史上最年少のJGTOツアープロとなる。また、2009年末までシード権を保有していることから、同時に史上最年少のシード選手となった。JPGAのプロゴルファー資格は2008年4月1日に取得。
2008年1月25日にはヨネックスと5年間総額10億円の用具総合使用契約(ボール以外のクラブ、ウェアなど)を結んだ。ヨネックスと契約をしたのは、石川が10歳のとき実父とヨネックス本社に赴き、用具提供の支援の依頼をし、それをヨネックスが快諾したという関係からとされる。ヨネックスの他に、所属契約をパナソニックと、移動サポートをANA、サングラスを山本光学などとも契約した。その他、4月1日からトヨタと2年契約、コカ・コーラと5年契約、NTTドコモと3年契約、新学社と1年契約(2009年現在継続中)を交わした。
2008年
プロデビューは2008年2月5日に行われたオーストラリアのシドニーで行われた全英オープン予選会で4オーバー(1日制、36ホール)の41位。国内ツアーデビューは2008年4月の東建ホームメイトカップで2日目、3日目に首位に立ったが、最終的に5位Tであった。その後は5戦連続予選落ちなどで低迷するが、長嶋茂雄Invitational セガサミーカップゴルフトーナメントで3位タイに入り復調の兆しを見せ、2008年8月21日から24日にかけて滋賀GCで行われた関西オープンでプロ転向後初優勝を挙げた[4]。この際、「僕のプロ初優勝に立ち会えた皆さんも幸せなんじゃないですか?」とはにかんだ。2008年11月2日のABC・GCにてマイナビABCチャンピオンシップで優勝し、プロ転向後ツアー初優勝、ツアー通算2勝目を飾ると共に2010年までのシード権も獲得した。
2008年度の獲得賞金は106,318,166円で賞金ランキング5位に入り、史上最年少で1億円を突破した。この活躍により史上最年少での内閣総理大臣杯日本プロスポーツ大賞を受賞した。2008年シーズン終了後に行われたジャパンゴルフツアー選手会(JGTPO)において、JGPTO理事に選出された。
2009年
4月9日から開催されたマスターズ・トーナメントに、2008年シーズン終了時の世界ランキング60位であったため自動的に出場権を得ることはできなかったものの、17歳での日本ツアーでの活躍が認められ、特別招待された。17歳6ヶ月でのマスターズ出場はアマチュア枠で出場したトミー・ジェイコブスの17歳1ヶ月に次ぐ史上2番目の年少記録、プロゴルファーとしては史上最年少。日本人では戸田藤一郎の21歳を抜き史上最年少での出場。結果は73位で予選落ちとなった。
6月28日、よみうりCCで行われた全英への道 ミズノオープンよみうりクラシックで優勝、同時に7月の全英オープンの出場権を獲得し、日本人選手最年少での初出場を決めた。
全英オープン選手権初日、石川遼は5バーディー、3ボギーの68、2アンダーの好スコアで回り、同組となった優勝候補のタイガー・ウッズのスコア71を上回ったが、二日目は後半に崩れトータル6オーバー85位。タイガー・ウッズと共に予選落ちした。
8月2日、小樽CCで行われたサン・クロレラクラシックにて通算17アンダーで優勝。初日から4日間首位を守りきる完全優勝は自身初。
9月6日、富士桜CCで行われたフジサンケイクラシックにて通算12アンダーで優勝。この優勝で賞金ランクトップに躍り出た。この勝利によってワールドゴルフランキングは自己最高の47位となり、17歳11ヶ月20日での史上最年少でのランキングトップ50入りを果たした。また、これが大きな要素となり、アメリカ合衆国代表と非米・非欧州地域代表で争われる団体戦・プレジデンツカップのインターナショナルチームに、キャプテン・グレッグ・ノーマンの推薦によって史上最年少で選出された[5]。
10月4日、三好CC行われたコカ・コーラ東海クラシックにて通算14アンダーで優勝。2年連続で獲得賞金額1億円を突破した。
10月8日~11日、プレジデンツカップに出場し、最終日には当時世界6位のケニー・ペリーに勝つなど、3勝2敗と世界選抜ではアーニー・エルス(南アフリカ)と並ぶ最多の3ポイントを挙げる大活躍を見せた。[6]。
記録
- 日本ツアー史上最年少優勝(2007年マンシングウェアオープンKSBカップ、15歳8ヶ月)
- 日本ツアーアマチュア選手優勝(倉本昌弘以来2人目)
- 史上最年少プロゴルファー(2008年1月10日JGTOプロ宣言、2008年4月1日PGA入会)
- 日本ツアープロ選手史上最年少優勝(2008年マイナビABC選手権、17歳1ヶ月)
- 史上最年少獲得賞金1億円突破(2008年、日本ツアーのみ)
- 史上最年少賞金シード獲得(2008年)
表彰
- JGTO・最優秀新人賞(2008年)
- JGTO・MIP賞(2007・2008年)
- JGTO・ゴルフ記者賞(2007年・2008年)
- JGTO・特別賞(2007年・2008年)
- 日本プロスポーツ大賞(2008年)
- 新語・流行語大賞(2007年、ハニカミ王子)
ギア
2008年11月2日マイナビABCチャンピオンシップ当時
- ドライバー ヨネックス ニューナノブイ スペック450D
- ウッド ヨネックス ニューナノブイ フェアウェイウッド 3番
- アイアン ヨネックス ニューナノブイ プロトタイプ 2I
ヨネックス サイバースターフォージドCB 3I-PW
- ウェッジ ヨネックス プロトタイプ 52度
タイトリスト TVD58 58度
- パター オデッセイ black series i 9
- ボール ブリヂストン X-01 B+
ハニカミ王子
マンシングウェアオープンKSBカップの優勝インタビューでの言動から「ハニカミ王子」というニックネームが付いている。ちなみにその名づけ親は、この大会のテレビ中継を実況し、彼の優勝インタビューの最中にふと彼を「ハニカミ王子」と呼んだ瀬戸内海放送(KSB)の多賀公人アナウンサーである[7]。まさに優勝した瞬間に生まれたニックネームであった。優勝記者会見で石川本人も「ハニカミ王子」のニックネームについてコメントした。
なお、優勝当日フジテレビジョンの新報道プレミアAでは、サンバイザーをつけている姿から「サンバイザー王子」と呼んでいたが、まったく定着しなかったため翌週から「ハニカミ王子」と呼んでいた。この愛称が定着した理由としては、すでに定着していた野球選手斎藤佑樹の愛称「ハンカチ王子」と響きが似ていたことも挙げられる。2007年の活躍などが評価され、「ハニカミ王子」が2007年の流行語大賞に選ばれる。 また嬉しくない意味で「監禁王子」もあった。
また、海外では「shy prince」などと訳されている。
[8]。
石川フィーバーに伴う騒動
- 2007年関東アマチュアゴルフ選手権にて、TBSが石川に取材を試みようとし、同伴競技者に小型マイクを装着する依頼を行った。しかし、依頼は通らず、選手は大会主催者に報告をした。また、同日にTBSのヘリコプターを大会中に飛ばし、プレイを妨げる事件が起きた。この迷惑行為により、TBSは関東ゴルフ連盟に謝罪を行い、同日午前放送の番組で陳謝した[9]。また、同局の「筑紫哲也NEWS23」の膳場貴子キャスターが石川宛に書いた手紙をスタッフが手渡そうとしたことも発覚。ちなみに、この作戦は失敗に終わった。
- また2007年の全米オープンの開幕前の会見でテレビ朝日の記者がタイガー・ウッズとフィル・ミケルソンに「ハニカミ王子を知っていますか?」と質問し、産経新聞が「メジャーの舞台では全く場違いな質問であり、世界中の記者から失笑がもれた」と報じた。ウッズとミケルソンは大人の対応でその質問に答えた。またテレビ朝日はウッズには事前に石川のプレーのビデオを見せていたことも分かった。
- 2007年9月3日、ギネスブック認定会見では、日本テレビの番組「ラジかるッ」のカメラが主催者の許可無く勝手に取材をし、お笑い芸人が石川にポーズを強要したとのことで主催者側の怒りを買うという事件も発生。なお、同局は映像の放送を自粛した。
- 2008年4月25日~27日に行われたつるやオープンゴルフトーナメントでは、多数のギャラリーの対応の為に、送迎バスの増発や会場の最寄駅である能勢電鉄日生中央駅の発車ダイヤは臨時ダイヤになり増発となった。また、ギャラリーの女性が転倒骨折し救急車に運ばれる事故も発生。
- 2009年8月2日のサン・クロレラクラシック最終日の17番ホールと最終ホールにて、同スコアで並んでいたオーストラリアのブレンダン・ジョーンズがパットを外した際、観客の一部から拍手が起こった。後に大会主催者がブレンダンに謝罪した。テレビの解説者も放送内で苦言を呈し、石川も「ゴルフは紳士のスポーツで、(相手が)外したことを喜ぶ応援のスタイルはない。ギャラリーの方も真摯な気持ちで観戦してもらいたい」と話している[10]。
その他
- 石川は、スターシステムの代表例として取り上げられることが多い。
- 「ぽっちゃり王子」こと古田幸希と仲が良い。記者会見などでは、2人が漫才のような絶妙の掛け合いで会場を笑わせるため、各局のスポーツニュースでは「W王子の爆笑会見」として、トップニュースとして扱うことがある。
- 2007年5月25日に、優勝報告のため、埼玉県庁を訪れた際、上田知事から県のマスコット・コバトンのぬいぐるみが贈られた。
- 子供の頃、サッカー少年だったこともあり、大のサッカー好きで、地元のサッカーチーム・浦和レッドダイヤモンズのファンである。
- 憧れのプロゴルファーは、イアン・ポールターで、彼の独特なファッションセンスに魅力を感じている。また、憧れの男性は、SMAPの木村拓哉と自身のブログで綴っており、2008年に、番組での対談がきっかけで、メル友になった。
- 2008年に、出身地の松伏町の松伏総合公園に、石川選手を称える石碑が設置された。また、同町を管轄する吉川警察署の一日署長に任命された。
- 試合前には、音楽を聴いて気持ちを落ち着かせている。よく聴いているアーティストはYUIで、「SMAP×SMAP」内のコーナー「BISTRO SMAP」に出演した際、YUIからビデオ・メッセージが送られた。
CM
- 信用金庫(父が信用金庫職員、これが縁で出演。)
- 全日本空輸(2009年~)
- FOOD ACTION NIPPON(2009年~)
脚注
- ^ “誰も予想しなかった、世界最年少アマチュアV!!”. DUNLOP SPORTS ENTERPRISES (2007年5月20日). 6月6日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
- ^ アマチュアには出場資格はなかったが、東児が丘マリンヒルズGCにて石川がマンシングウェアオープンKSBカップで優勝したため、規定を変更して出場資格が与えられた
- ^ 、ゴルフ日本シリーズJTカップは予選がないため含めず
- ^ ただし関西オープンはツアートーナメント外の大会で賞金もランキングに加算されない
- ^ NORMAN, COUPLES ANNOUNCE CAPTAIN'S PICKS PGATOUR.COM 2009年9月9日閲覧
- ^ 石川遼はペリーに競り勝つ プレジデンツ・ゴルフ最終日 47 NEWS 2009年10月12日閲覧
- ^ 「東児が丘の王子は笑顔がすてきなハニカミ王子でもあった」と、中継終了直前に喋った
- ^ “石川遼、マスターズ出場決定 17歳7カ月は大会史上2番目の若さ”. 産経新聞 (2009年1月23日). 同日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
- ^ “ゴルフの石川選手取材、TBSが不適切行為として陳謝”. 朝日新聞 (2007年6月6日). 6月6日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
- ^ ゴルフ:パット外れ観客拍手、豪州選手にツアー主催者謝罪毎日jp2009年8月15日
関連項目
- 斎藤佑樹 - 「ハンカチ王子」と呼ばれ、「ハニカミ王子」の由来の一つ。
- 鷹巣南雄 - 「2008年4月1日」付で、杉並学院ゴルフ部監督就任。
- ジャンボ尾崎 - 師匠と仰いでいる。
- 逢川まさき - 演歌歌手。キャッチフレーズは「甘い艶のある低音の響きを持つ新人」「歌謡界のハニカミ王子誕生」。石川に似ていることから名づけられた。
- スターシステム - 石川の大衆へのメディアイメージ戦略。
外部リンク
- 石川 遼オフィシャルサイト
- イソガバ.マワルナ - オフィシャルブログ
- 日本ゴルフ協会 - 石川 遼
- JGTOによるプロフィール - 石川 遼