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; (2008年)
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第一戦の[[オーストラリア]][[グランプリ]](メルボルン)で7位完走を果たし、バリチェロの失格(ピットアウト時の赤信号無視)により繰り上がり、6位入賞となった。
第一戦の[[オーストラリア]][[グランプリ]](メルボルン)で7位完走したが6位フィニッシュの[[ルーベンス・バリチェロ]]の失格(ピットアウト時の赤信号無視)により繰り上がり、6位入賞となった。


== レース戦績 ==
== レース戦績 ==

2008年3月16日 (日) 08:50時点における版

中嶋 一貴
基本情報
国籍 日本の旗 日本
F1での経歴
活動時期 2007-
所属チーム AT&T Williams
車番 8
出走回数 1
タイトル 0
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初勝利 -
(記録は2007年最終戦終了時)
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中嶋 一貴(なかじま かずき、1985年1月11日 - )は日本レーシングドライバー愛知県岡崎市出身。父は元F1ドライバーの中嶋悟2007年シーズンの最終戦でAT&T Williams からF1デビューした。血液型はRh+A型。南山大学在学中。

プロフィール

ジュニアフォーミュラ

父のレースを幼少時から見て育った中嶋一貴は、1997年(12才)にカートレースにデビューする。1999年には鈴鹿選手権シリーズICAクラスでシリーズチャンピオンとなる。その後、父の中嶋悟の親の七光りと言う評判が付くことを嫌った一貴は、ホンダ系ドライバーであった父親とは違って、トヨタが運営するフォーミュラトヨタレーシングスクール(FTRS)を2002年に受講し、スカラシップを獲得した。2003年は、そのスカラシップでエントリーする事となったフォーミュラ・トヨタにて、見事シリーズチャンピオンに輝いた。

F3/SUPER GT

2004年は全日本F3選手権にステップアップし、いきなり開幕ラウンドで2連勝し、父中嶋悟のDNAを受け継ぐ者として周囲に印象付けた。しかしその後は苦戦し、シリーズ5位に終わる。2005年も引き続き全日本F3に参戦しシリーズ2位となる。この年はマカオグランプリに挑戦するも6位に終わる。かねてから指摘されている、父と同じく予選での速さの不足及び不慣れなサーキットの攻略の遅さが表面化した形となった。また2005年はSUPER GT・GT300クラスにも参戦。スポーツランドSUGOで行われたシリーズ第4戦でクラス初優勝を飾っている。

2006年平手晃平とともに、ユーロF3シリーズへトヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム(TDP)から参戦した(所属はManor Motosport、マシンはダラーラF305 メルセデス[1])。第2ラウンド・ユーロスピードウェイで行われた第4戦において優勝するも、シーズンを通しては成績が伸び悩みシリーズ7位に終った。決勝ではレースをうまくまとめており、課題はやはり予選の速さである。なお、引き続きマカオグランプリにも参加し、予選7位・決勝D.N.Fに終わる。

GP2

2007年シーズンはTDPドライバーとしてDAMSからGP2に参戦した。初戦となったバーレーンから第2戦スペイン・レース1まで3レース連続で1ポイントを獲得。第5戦イギリス・レース1で3位となり初表彰台。第7戦ハンガリー・レース1ではシーズン最上位となる2位に入る。最終戦バレンシアではPPを獲得(決勝レース1は3位・レース2は7位)し、シーズン44ポイントでシリーズ5位となりルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。

F1

(2007年)
第3ドライバー

2006年11月8日ウィリアムズより「2007年シーズンのテストドライバー契約を中嶋一貴との間で締結した」との発表があり、2006年11月16日富士スピードウェイで開催された「トヨタ・モータースポーツ・フェスティバル 2006」において、ウィリアムズのF1カーであるFW26改を初ドライブした。

2007年シーズンは、GP2を戦いながらウィリアムズチームの第3ドライバーを兼務することになった。これはTDPの「参加ドライバー」として、初めてF1チームとの契約ドライバーになることであった。このことについては、2007年からウィリアムズのエンジンサプライヤーとなったトヨタの推薦を元に、チームオーナーであるフランク・ウィリアムズが自ら面接を行い決断したものであると、共同オーナー兼エンジニアリングディレクターであるパトリック・ヘッドが明かしている。ドライバーとしての能力は当然として、英語が堪能であることも契約に至る判断材料になったものと思われる。

F1の開催がGP2とバッティングしないレースでは、第3ドライバーとして金曜フリー走行に出走しているが、F1とGP2が併催されるレースではリザーブドライバーとして登録されている。なお、ハンガリーGPではそれまで通りウィリアムズのリザーブドライバーとしての登録と同時に、トヨタのリザーブドライバーとしても重複エントリーされた。これは本来のトヨタのリザーブドライバーであるフランク・モンタニーがトレーニング中のケガのため、サーキットに来られなかったことによる珍事であった。

デビュー
デビュー戦ブラジルGPフリー走行にて

GP2閉幕後の中国GPではシーズンで5度目となる第3ドライバーを務めていたが、アレクサンダー・ヴルツが中国GP限りでの引退を発表したことにより、最終戦ブラジルGPでF1デビューをすることとなり、日本人としては16人目、そしてアジア人では初めて親子2代のF1ドライバーが生まれることになった。このドライバー選考については、GP2最終戦のバレンシアの予選において、ポール・ポジションを獲得したことや、中国GPのフリー走行で9番手タイムを叩き出したことが大きく影響したと考えられており、ブラジルGPの結果は、2008年シーズンのウィリアムズチームにおけるドライバー選考に大きな判断材料にはならないと、フランク・ウィリアムズ代表は記者会見で表明した。

F1デビュー戦となった2007年ブラジルGPでは、予選においてはタイヤを上手く使いきれず19位に終わった。決勝では、1回目のピット・イン時に、ブレーキングのミスによって自らのチームのピットクルーに接触して脚を負傷させるという失態を犯したものの、日本人最上位の10位で完走し、シリーズ22位の結果を残した。 また、レース中のファステストラップは5番手のタイムで、チームメイトのロズベルグを上回った。

これらの活躍もあり、2008年シーズンはウィリアムズとレギュラードライバー契約し、日本人8人目のフルタイムドライバーとして参戦することが決まった。

(2008年)

第一戦のオーストラリアグランプリ(メルボルン)で7位で完走したが、6位フィニッシュのルーベンス・バリチェロの失格(ピットアウト時の赤信号無視)により繰り上がり、6位入賞となった。

レース戦績

  • 1997年 - 鈴鹿選手権シリーズ・RSOクラス
  • 1998年 - 鈴鹿選手権シリーズ・ICAクラス
  • 1999年 - 鈴鹿選手権シリーズ・ICAクラス(シリーズチャンピオン)
  • 2000年 - 鈴鹿選手権シリーズ・FAクラス
  • 2001年 - 全日本カート選手権・FAクラス
  • 2002年
    • 全日本カート選手権・FAクラス
    • フォーミュラ・トヨタ・レーシング・スクール(FTRS)受講・スカラシップ獲得
  • 2003年 - フォーミュラトヨタシリーズ(TOM'S #8 ウルトラフロースカラシップFT/FT30)(シリーズチャンピオン・3勝)
  • 2004年
    • 全日本F3選手権(TOM'S #8 FTRS トムス F304 /ダラーラF304 3S-GE)(シリーズ5位・優勝2回)
    • バーレーンスーパープリ(トムス)(決勝7位)
  • 2005年
    • 全日本F3選手権(TOM'S #37 TDP トムス F305/ダラーラF305 3s-GE)(シリーズ2位・優勝2回)
    • F3マカオGP(トムス)(決勝6位)
    • SUPER GT・GT300クラス(APEXERA with apr→吉兆宝山 with apr #31 APEXERA→吉兆宝山MR-S/ZZW30 3S-GTE)(シリーズ8位・優勝1回)
  • 2006年
    • F3ユーロシリーズ(Manor Motorsport)(シリーズ7位・優勝1回)
    • F3Ultimate Masters(Manor Motorsport)(26位)
    • F3マカオGP(Manor Motorsport)(決勝DNF)
  • 2007年
    • GP2シリーズ(DAMS)(シリーズ5位・PP1回、最上位2位)
    • F1世界選手権シリーズ(AT&T Williams)(シリーズ22位)

F1年度別での成績

(2007年最終戦終了現在)

所属チーム car-No. ランキング 獲得ポイント 決勝最高位・回数 表彰台回数 予選最高位・回数 ファステストラップ獲得回数
2007年 AT&T Williams 17 22位 0 10位・1回 0回 19位・1回 0回

エピソード

  • 2005年に放送されたフジテレビのドラマ『エンジン』では、F3レース中における木村拓哉の吹き替え役を務めた。
  • 平手晃平小林可夢偉とともに、中嶋一貴はTDP三銃士と呼ばれている。
  • F1デビュー戦となったブラジルGPは、父、中嶋悟のデビューグランプリでもあった。だがサーキットは父がリオデジャネイロ、中嶋一貴はインテルラゴスと別である。

脚注

  1. ^ トヨタの育成ドライバーなのにメルセデスエンジンを使うという異例の形だったが、当時のF3で使われていたトヨタ・3S-GEはメルセデスに比べ戦闘力が大きく劣っていたため、ドライバーの成績を優先させるというトヨタとしては苦渋の決断を行った。

関連項目

外部リンク

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