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[[1968年]]に[[ミュージカル]]「[[ヘアー (ミュージカル)|ヘアー]]」の[[ヨーロッパ]]公演でデビュー、[[1971年]]にファーストシングル、[[1974年]]にファースト[[アルバム]]を発表した<ref name="barks">{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000079703 |title=ドナ・サマー、死去 |publisher=BARKS |date=2012-05-18 |accessdate=2012-05-20 }}</ref>。 |
[[1968年]]に[[ミュージカル]]「[[ヘアー (ミュージカル)|ヘアー]]」の[[ヨーロッパ]]公演でデビュー、[[1971年]]にファーストシングル、[[1974年]]にファースト[[アルバム]]を発表した<ref name="barks">{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000079703 |title=ドナ・サマー、死去 |publisher=BARKS |date=2012-05-18 |accessdate=2012-05-20 }}</ref>。 |
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[[1970年代]]に[[ジョルジオ・モロダー]]のプロデュースにより、[[ディスコ (音楽)|ディスコ・ミュージック]]の第一人者として活躍し「ディスコの女王」(''Queen of Disco'')と呼ばれ、一世を風靡した<ref name="tokyo">{{Cite web|和書|url=http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012051801000995.html?ref=rank |title=ドナ・サマーさん死去 「ディスコの女王」 |publisher=[[東京新聞]] |date=2012-05-18 |accessdate=2012-05-18 }}</ref>。70年代後半のディスコではシルヴェスター、ヴィレッジ・ピープルらの「ゲイ・ディスコ」が人気となっていた。アメリカのディスコの客は黒人とゲイが多かったが、ゲイの男性から特に支持されていたのが、ドナ・サマーである。他にゲイの男性を中心として、[[グロリア・ゲイナー]]、[[ダイアナ・ロス]]、メルバ・ムーア、[[ロリータ・ハラウェイ|ロリータ・ハロウェイ]]らもディスコの女王という見方をされた。彼女は、75年から80年にかけて「[[ホット・スタッフ (ドナ・サマーの曲)|ホット・スタッフ]]」「愛の誘惑」「アイ・フィール・ラブ」「マッカーサー・パーク」「バッド・ガール」「ワンダラー」「ラスト・ダンス」「ヘブン・ノウズ」「オン・ザ・レイディオ」「ディム・オール・ザ・ライト」 などのヒットを放った。81年は不調だったが、その後も「ラブ・イズ・イン・コントロール」(1982)「[[情熱物語 (ドナ・サマーの曲)|情熱物語]]」(1983)をヒットさせている。84年から88年にかけては、はっきり低迷状態となり、過去の人扱いされた。しかしサマーは「イッツ・フォー・リアル」(1989)のカム・バック・ヒットを放つことができた。 |
[[1970年代]]に[[ジョルジオ・モロダー]]のプロデュースにより、[[ディスコ (音楽)|ディスコ・ミュージック]]の第一人者として活躍し「ディスコの女王」(''Queen of Disco'')と呼ばれ、一世を風靡した<ref name="tokyo">{{Cite web|和書|url=http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012051801000995.html?ref=rank |title=ドナ・サマーさん死去 「ディスコの女王」 |publisher=[[東京新聞]] |date=2012-05-18 |accessdate=2012-05-18 }}</ref>。70年代後半のディスコではシルヴェスター、ヴィレッジ・ピープルらの「ゲイ・ディスコ」が人気となっていた。アメリカのディスコの客は黒人とゲイが多かったが、ゲイの男性から特に支持されていたのが、ドナ・サマーである。他にゲイの男性を中心として、[[グロリア・ゲイナー]]、[[ダイアナ・ロス]]、メルバ・ムーア、[[ロリータ・ハラウェイ|ロリータ・ハロウェイ]]らもディスコの女王という見方をされた。彼女は、75年から80年にかけて「[[ホット・スタッフ (ドナ・サマーの曲)|ホット・スタッフ]]」「愛の誘惑」「アイ・フィール・ラブ」「[[マッカーサー・パーク (曲)|マッカーサー・パーク]]」「バッド・ガール」「ワンダラー」「ラスト・ダンス」「ヘブン・ノウズ」「オン・ザ・レイディオ」「ディム・オール・ザ・ライト」 などのヒットを放った。81年は不調だったが、その後も「ラブ・イズ・イン・コントロール」(1982)「[[情熱物語 (ドナ・サマーの曲)|情熱物語]]」(1983)をヒットさせている。84年から88年にかけては、はっきり低迷状態となり、過去の人扱いされた。しかしサマーは「イッツ・フォー・リアル」(1989)のカム・バック・ヒットを放つことができた。 |
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[[1980年]]に[[デヴィッド・ゲフィン]]率いる[[ゲフィン・レコード]]へ古巣の[[カサブランカ・レコード]]から移籍。その後、彼女が「[[後天性免疫不全症候群|AIDS]]は[[ゲイ]]に対する[[罰|天罰]]である」と発言したとされ、[[ゲイ]]のファンも多かった<ref>{{cite web|url=http://www.j-wave.co.jp/original/djkobys/backnumber/20060827.htm |title=DJ KORBY's RADIO SHOW |publisher=[[J-WAVE]] |date=2006-08-27 |accessdate=2012-05-19 }}</ref>ために反感を買った<ref>{{cite web|url=http://www.nme.com/news/donna-summer/2084 |title=DIVA DEBACLE |publisher=nme.com |date=1999-10-04 |accessdate=2012-05-19 }}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.metroweekly.com/arts_entertainment/music.php?ak=5531 |title=Donna Summer would like her gay fans to dwell on the hits, not the misunderstanding |publisher=[[メトロ・ウィークリー]] |date=2010-08-25 |accessdate=2012-05-19 }}</ref>。1980年代中盤の間、サマーの広報はデマについての否定声明を数回に渡って出し、レコード業界とゲイ・コミュニティの一部が彼女を支え続けた。サマー自身はこの件について沈黙を続け、彼女が直接言及するのは数年後のことだった。1989年に雑誌[[アドボケート (雑誌)|アドボケート]]のインタビューに答え、自分のキャリアはオープンゲイの多くのスタッフと共に築いてきたし、ゲイを理由に彼らを批難したことは一度も無いと述べ、「私は性的指向で人を見たりしない。ゲイかストレートかで人を判断したりしない。私の愛は人としての思いやりから成っている。」と述べた。またハフィントン・ポストの記事においても、サマーがアンチ・ゲイとのレッテルを拒否したことが明らかになっている<ref>http://www.huffingtonpost.com/.../donna-summer-anti-gay-remarks-...</ref>。 |
[[1980年]]に[[デヴィッド・ゲフィン]]率いる[[ゲフィン・レコード]]へ古巣の[[カサブランカ・レコード]]から移籍。その後、彼女が「[[後天性免疫不全症候群|AIDS]]は[[ゲイ]]に対する[[罰|天罰]]である」と発言したとされ、[[ゲイ]]のファンも多かった<ref>{{cite web|url=http://www.j-wave.co.jp/original/djkobys/backnumber/20060827.htm |title=DJ KORBY's RADIO SHOW |publisher=[[J-WAVE]] |date=2006-08-27 |accessdate=2012-05-19 }}</ref>ために反感を買った<ref>{{cite web|url=http://www.nme.com/news/donna-summer/2084 |title=DIVA DEBACLE |publisher=nme.com |date=1999-10-04 |accessdate=2012-05-19 }}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.metroweekly.com/arts_entertainment/music.php?ak=5531 |title=Donna Summer would like her gay fans to dwell on the hits, not the misunderstanding |publisher=[[メトロ・ウィークリー]] |date=2010-08-25 |accessdate=2012-05-19 }}</ref>。1980年代中盤の間、サマーの広報はデマについての否定声明を数回に渡って出し、レコード業界とゲイ・コミュニティの一部が彼女を支え続けた。サマー自身はこの件について沈黙を続け、彼女が直接言及するのは数年後のことだった。1989年に雑誌[[アドボケート (雑誌)|アドボケート]]のインタビューに答え、自分のキャリアはオープンゲイの多くのスタッフと共に築いてきたし、ゲイを理由に彼らを批難したことは一度も無いと述べ、「私は性的指向で人を見たりしない。ゲイかストレートかで人を判断したりしない。私の愛は人としての思いやりから成っている。」と述べた。またハフィントン・ポストの記事においても、サマーがアンチ・ゲイとのレッテルを拒否したことが明らかになっている<ref>http://www.huffingtonpost.com/.../donna-summer-anti-gay-remarks-...</ref>。 |
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*''I Remember Yesterday'' アイ・リメンバー・イエスタデイ([[1977年]])-メジャーアルバム第4弾 |
*''I Remember Yesterday'' アイ・リメンバー・イエスタデイ([[1977年]])-メジャーアルバム第4弾 |
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*''Once Upon a Time'' ワンス・アポン・ア・タイム(1977年)-メジャーアルバム第5弾 |
*''Once Upon a Time'' ワンス・アポン・ア・タイム(1977年)-メジャーアルバム第5弾 |
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*''Live and More'' ライブ・アンド・モア([[1978年]])-メジャーアルバム第6弾(発売当時LP2枚組の1面〜3面が、1st〜5thからの楽曲のライヴ録音。4面が[[リチャード・ハリス]]のカヴァー曲「マッカーサーパーク組曲」という構成が、アルバムタイトルの所以。) |
*''Live and More'' ライブ・アンド・モア([[1978年]])-メジャーアルバム第6弾(発売当時LP2枚組の1面〜3面が、1st〜5thからの楽曲のライヴ録音。4面が[[リチャード・ハリス]]のカヴァー曲「[[マッカーサー・パーク (曲)|マッカーサーパーク組曲]]」という構成が、アルバムタイトルの所以。) |
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*''Bad Girls'' [[華麗なる誘惑 (アルバム)|華麗なる誘惑]]([[1979年]])-メジャーアルバム第7弾 |
*''Bad Girls'' [[華麗なる誘惑 (アルバム)|華麗なる誘惑]]([[1979年]])-メジャーアルバム第7弾 |
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*''On the Radio'' オン・ザ・レイディオ ([[1979年]])-ベストアルバム第1弾:全16曲入り-メジャーアルバム第8弾 |
*''On the Radio'' オン・ザ・レイディオ ([[1979年]])-ベストアルバム第1弾:全16曲入り-メジャーアルバム第8弾 |
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*''Down Deep Inside (Theme from "The Deep")'' 「ザ・ディープのテーマ」([[1978年]]) |
*''Down Deep Inside (Theme from "The Deep")'' 「ザ・ディープのテーマ」([[1978年]]) |
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*''Last Dance'' 「ラスト・ダンス」([[1978年]]) |
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*''MacArthur Park'' 「マッカーサー・パーク」([[1978年]]) |
*''MacArthur Park'' 「[[マッカーサー・パーク (曲)|マッカーサー・パーク]]」([[1978年]]) |
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*''Heaven Knows'' 「ヘブン・ノウズ」([[1978年]]) |
*''Heaven Knows'' 「ヘブン・ノウズ」([[1978年]]) |
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*''Hot Stuff'' 「[[ホット・スタッフ (ドナ・サマーの曲)|ホット・スタッフ]]」([[1979年]]) |
*''Hot Stuff'' 「[[ホット・スタッフ (ドナ・サマーの曲)|ホット・スタッフ]]」([[1979年]]) |
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ドナ・サマー | |
---|---|
1977年 | |
基本情報 | |
出生名 | LaDonna Adrian Gaines |
別名 |
|
出身地 |
1948年12月31日 アメリカ合衆国・マサチューセッツ州ボストン |
死没 |
2012年5月17日(63歳没) アメリカ合衆国・フロリダ州キーウエスト |
ジャンル | |
職業 | 歌手 |
活動期間 | 1968年 - 2012年 |
レーベル | |
公式サイト | Official site |
ドナ・サマー(Donna Summer、1948年12月31日 - 2012年5月17日)は、アメリカ合衆国の歌手、ソングライター。マサチューセッツ州ボストン近郊のドーチェスター出身。グラミー賞を5回受賞した[1]。
ディスコの女王(Queen of Disco)の異名を持つ。
経歴
[編集]1968年にミュージカル「ヘアー」のヨーロッパ公演でデビュー、1971年にファーストシングル、1974年にファーストアルバムを発表した[2]。
1970年代にジョルジオ・モロダーのプロデュースにより、ディスコ・ミュージックの第一人者として活躍し「ディスコの女王」(Queen of Disco)と呼ばれ、一世を風靡した[1]。70年代後半のディスコではシルヴェスター、ヴィレッジ・ピープルらの「ゲイ・ディスコ」が人気となっていた。アメリカのディスコの客は黒人とゲイが多かったが、ゲイの男性から特に支持されていたのが、ドナ・サマーである。他にゲイの男性を中心として、グロリア・ゲイナー、ダイアナ・ロス、メルバ・ムーア、ロリータ・ハロウェイらもディスコの女王という見方をされた。彼女は、75年から80年にかけて「ホット・スタッフ」「愛の誘惑」「アイ・フィール・ラブ」「マッカーサー・パーク」「バッド・ガール」「ワンダラー」「ラスト・ダンス」「ヘブン・ノウズ」「オン・ザ・レイディオ」「ディム・オール・ザ・ライト」 などのヒットを放った。81年は不調だったが、その後も「ラブ・イズ・イン・コントロール」(1982)「情熱物語」(1983)をヒットさせている。84年から88年にかけては、はっきり低迷状態となり、過去の人扱いされた。しかしサマーは「イッツ・フォー・リアル」(1989)のカム・バック・ヒットを放つことができた。
1980年にデヴィッド・ゲフィン率いるゲフィン・レコードへ古巣のカサブランカ・レコードから移籍。その後、彼女が「AIDSはゲイに対する天罰である」と発言したとされ、ゲイのファンも多かった[3]ために反感を買った[4][5]。1980年代中盤の間、サマーの広報はデマについての否定声明を数回に渡って出し、レコード業界とゲイ・コミュニティの一部が彼女を支え続けた。サマー自身はこの件について沈黙を続け、彼女が直接言及するのは数年後のことだった。1989年に雑誌アドボケートのインタビューに答え、自分のキャリアはオープンゲイの多くのスタッフと共に築いてきたし、ゲイを理由に彼らを批難したことは一度も無いと述べ、「私は性的指向で人を見たりしない。ゲイかストレートかで人を判断したりしない。私の愛は人としての思いやりから成っている。」と述べた。またハフィントン・ポストの記事においても、サマーがアンチ・ゲイとのレッテルを拒否したことが明らかになっている[6]。
1990年代から2000年代にかけては目立ったヒット曲はないが、元祖ディスコクイーンたる由縁か、ビルボードのダンスまたはクラブ・チャートにおいてトップ10入りする常連であった。1992年にはハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの星を獲得した[7]。
2008年5月に9年ぶり(オリジナルアルバムとしては17年ぶり)となる『Crayons』を発表、ここからのシングル3曲「I'm a Fire」「Stamp Your Feet」「Fame (The Game)」そして「To Paris With Love」が2008年から2010年にかけて4曲連続でビルボードのダンス・チャートで1位を記録。「To Paris With Love」は、彼女にとってビルボードの各シングル・チャートにおける通算22曲目の1位となった。
2012年5月17日朝、フロリダ州ネイプルズで、肺がんのため死去。享年63歳。 なお、彼女は喫煙者ではなかった。
2013年に、ロックの殿堂入りを果たした。授賞式ではケリー・ローランドがプレゼンターを務め、彼女の家族が受賞し、ジェニファー・ハドソンが「バッド・ガール」「ラスト・ダンス」のカバーを披露した。
なお、サマーは有名になる前、約8年間ドイツを中心にヨーロッパで歌手活動をしていたため、ドイツ語が堪能であった。
- 1991年に来日公演した時に彼女の髪が金髪だったのは、その年にリリースされたアルバム"Mistaken Identity"のジャケット撮影の直後にその公演が行われたため(そのアルバムのジャケットで彼女は“人違い”の意のタイトルに因んで金髪であった)。よってあの金髪は かつらではなく、染めた地毛であった。
サマーのフォロワー
[編集]カバー曲など
[編集]- ブロンスキー・ビート・アンド・マーク・アーモンド『アイ・フィール・ラヴ』
- ブロンスキー・ビートはゲイによるエレクトロ・ポップ・バンドで、マーク・アーモンドもゲイである。
- シーナ・イーストン『恋の魔法使い』
- アンダーワールドの『キング・オブ・スネイク』のベースラインは『アイ・フィール・ラヴ』のものを手本にしている。
ディスコグラフィ
[編集]アルバム
[編集]- Lady of the Night (1974年日本未発売)-インディーズアルバム
- Love to Love You Baby 愛の誘惑(1975年)-メジャーアルバム第1弾
- A Love Trilogy ラブ・トリロジー(1976年)-メジャーアルバム第2弾
- Four Seasons of Love フォー・シーズンズ・オブ・ラブ(1976年)-メジャーアルバム第3弾
- I Remember Yesterday アイ・リメンバー・イエスタデイ(1977年)-メジャーアルバム第4弾
- Once Upon a Time ワンス・アポン・ア・タイム(1977年)-メジャーアルバム第5弾
- Live and More ライブ・アンド・モア(1978年)-メジャーアルバム第6弾(発売当時LP2枚組の1面〜3面が、1st〜5thからの楽曲のライヴ録音。4面がリチャード・ハリスのカヴァー曲「マッカーサーパーク組曲」という構成が、アルバムタイトルの所以。)
- Bad Girls 華麗なる誘惑(1979年)-メジャーアルバム第7弾
- On the Radio オン・ザ・レイディオ (1979年)-ベストアルバム第1弾:全16曲入り-メジャーアルバム第8弾
- The Wanderer ワンダラー(1980年)-メジャーアルバム第9弾。ゲフィン・レコード移籍第1作
- Donna Summer 恋の魔法使い(1982年)-メジャーアルバム第10弾。彼女の名前が冠した記念すべきアルバム。
- She Works Hard for the Money 情熱物語(1983年)-メジャーアルバム第11弾
- Cats Without Claws キャッツ・ウィズアウト・クロウズ(1984年)-メジャーアルバム第12弾
- All Systems Go オール・システムズ・ゴー(1987年)-メジャーアルバム第13弾
- Another Place and Time アナザー・プレイス・アンド・タイム(1989年)-メジャーアルバム第14弾
- Mistaken Identity ミステイクン・アイデンティティー(1991年)-メジャーアルバム第15弾
- Christmas Spirit クリスマス・スピリット(1994年)-メジャーアルバム第16弾。クリスマスの名曲が色んなジャンルによってカヴァーされた。
- I'm a Rainbow アイム・ア・レインボー(1996年、しかしレコーディングは1981年)-メジャーアルバム第17弾。度重なる延期の末、発売されたアルバム。
- Live & More... Encore! ライブ&モア・アンコール!(1999年)-メジャーアルバム第18弾。(VH1)のライヴのハイライトの中から選りすぐりのナンバーをセレクト。
- Crayons クレヨン(2008年)-メジャーアルバム第19弾。ドナ・サマーにとって最期のアルバム。エレクトロニック・ダンス・ミュージック系や色々なジャンルか詰まったダンスミュージックの見本的アルバム。
- Love To Love You Donna (2013年)-メジャーアルバム第20弾。最近流行りのエレクトロニック・ダンス・ミュージックサウンド全開のリミックス・ミニアルバム。アフロジャックをはじめとするエレクトロニック・ダンス・ミュージックサウンドを代表する様々なリミックス・アーティストが集結。
シングル
[編集](日本盤シングルとしてリリースされた曲に限り邦題を「」内に表記。)
- The Hostage 「恐怖の脅迫電話」(1974年) (ただし当時はドンナ・サマーとして)
- Lady of the Night (1974年) (欧州のみリリース)
- Love to Love You Baby 「愛の誘惑」(1975年)、ヒット曲
- Could It Be Magic 「恋はマジック」(1976年)
- Try Me I Know We Can Make It 「愛のたわむれ」(1976年)
- Spring Affair 「スプリング・アフェアー」(1976年)
- Can't We Just Sit Down (And Talk It Over) 「貴方のひざで」(1977年)
- I Remember Yesterday 「アイ・リメンバー・イエスタデイ」(1977年)
- Love's Unkind (1977年) (欧州のみリリース。)
- I Feel Love「アイ・フィール・ラブ」 (1977年) (日本では「貴方のひざで」のB面としてリリース)、ヒット曲
- Rumour Has It (1977年) (日本では「ワンス・アポン・ア・タイム」のB面としてリリース)
- Once Upon a Time 「ワンス・アポン・ア・タイム」(1977年)
- I Love You 「アイ・ラブ・ユー」(1977年)
- Down Deep Inside (Theme from "The Deep") 「ザ・ディープのテーマ」(1978年)
- Last Dance 「ラスト・ダンス」(1978年)
- MacArthur Park 「マッカーサー・パーク」(1978年)
- Heaven Knows 「ヘブン・ノウズ」(1978年)
- Hot Stuff 「ホット・スタッフ」(1979年)
- Bad Girls 「バッド・ガールズ」(1979年)
- Dim All the Lights 「ディム・オール・ザ・ライツ」(1979年)
- Sunset People 「サンセット・ピープル」(1979年) (欧州・日本のみリリース)
- No More Tears (Enough Is Enough) 「ノー・モア・ティアーズ」(1979年)
- On the Radio 「オン・ザ・レイディオ」(1979年)
- Walk Away 「ウォーク・アウェイ」(1980年)
- The Wanderer 「ワンダラー」(1980年)
- Cold Love 「コールド・ラブ」(1980年)
- Looking' Up 「ルッキング・アップ」(1980年) (日本のみリリース。)
- Who Do You Think You're Foolin' (1980年) (日本では「ルッキング・アップ」のB面としてリリース)
- Love is in Control 「恋の魔法使い」(1982年)
- State of Independence 「ステイト・オブ・インデペンデンス」(1982年)
- Protection 「プロテクション」(1982年) (日本・欧州でリリース)
- The Woman in Me (1982年) (日本未発売)
- She Works Hard for the Money 「情熱物語」(1983年)
- Unconditional Love 「アンコンディショナル・ラブ」(1983年)
- Love Has a Mind of its Own 「愛を心に」(1983年)
- There Goes My Baby 「ゼア・ゴーズ・マイ・ベイビー」(1984年)
- Supernatural Love 「スーパーナチュラル・ラブ」(1984年)
- Eyes (1984年) (欧州のみリリース)
- Dinner With Gershwin 「ディナー・ウィズ・ガーシュウィン」(1987年)
- All Systems Go(1987年) (欧州のみリリース)
- Only the Fool Survives 「オンリー・ザ・フール」(1987年)
- This Time I Know It's for Real 「イッツ・フォー・リアル」(1989年)
- I Don't Wanna Get Hurt 「アイ・ドント・ウォナ・ゲット・ハート」(1989年) (米国未発売)
- Love's About to Change My Heart 「チェンジ・マイ・ハート」(1989年)
- When Love Takes Over You (1989年) (欧州のみリリース)
- Breakaway (1990年) (日本未発売)
- When Love Cries 「ホエン・ラブ・クライズ」(1991年)
- Work That Magic 「ワーク・ザット・マジック」(1991年)
- Carry on (1992年) (日本未発売)
- La Vie en rose (1993年) (欧州のみリリース)
- Melody of Love (Wanna Be Loved) 「メロディ・オブ・ラヴ」(1994年)
- Whenever There is Love (1997年) (日本未発売)
- I Will Go With You 「アイ・ウィル・ゴー・ウィズ・ユー」(1999年)
- Love is the Healer (1999年) (日本未発売)
- The Power of One (Theme from "Pokémon 2000") (2000年) (日本未発売)
- You're So Beautiful (2003年) (日本未発売)
- I Will Live for Love (2003年) (日本未発売)
- I Got Your Love (2005年) (日本未発売)
- I'm a Fire (2008年)
- Stamp Your Feet (2008年)
- Sand on My Feet (2008年)
- Fame (The Game) (2008年)
- To Paris With Love (2010年)
日本公演
[編集]- 6月19日 日本武道館、21日,22日 大阪フェスティバルホール
- 12月11日新潟県民会館、12月12日横浜スペシャル・イベントサイト
- 12月14日福岡サンパレス、12月16日名古屋市公会堂
- 12月18日大阪厚生年金会館、12月19日,20日NHKホール(東京)
- 12月21日新高輪プリンスホテル「飛天の間」(ディナー・ショー)(東京)
- 1991年 American Music Awards in Yokohama Arena
- 3月23日 横浜アリーナ
なお、大宮ソニックシティでの公演は5曲ほどで中止になった。これは前日までの六本木ヴェルファーレ公演で喉を潰してしまったためで、次の神奈川県民ホールでのコンサートのチケットとの引き換えか、全額返金という形で対処された。
脚注
[編集]- ^ a b “ドナ・サマーさん死去 「ディスコの女王」”. 東京新聞 (2012年5月18日). 2012年5月18日閲覧。
- ^ “ドナ・サマー、死去”. BARKS (2012年5月18日). 2012年5月20日閲覧。
- ^ “DJ KORBY's RADIO SHOW”. J-WAVE (2006年8月27日). 2012年5月19日閲覧。
- ^ “DIVA DEBACLE”. nme.com (1999年10月4日). 2012年5月19日閲覧。
- ^ “Donna Summer would like her gay fans to dwell on the hits, not the misunderstanding”. メトロ・ウィークリー (2010年8月25日). 2012年5月19日閲覧。
- ^ http://www.huffingtonpost.com/.../donna-summer-anti-gay-remarks-...
- ^ “Donna Summer”. Hollywood Walk of Fame. Hollywood Chamber of Commerce. 2018年7月6日閲覧。