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* [[あしたからの恋]](1970年) |
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* [[二人の世界 (テレビドラマ)|二人の世界]](1970年) |
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* [[太陽の涙]](1971年) |
** [[太陽の涙]](1971年) |
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== 受賞 == |
== 受賞 == |
2024年5月8日 (水) 11:12時点における最新版
かわず よしろう 川頭 義郎 | |||
---|---|---|---|
生年月日 | 1926年4月28日 | ||
没年月日 | 1972年12月30日(46歳没) | ||
出生地 | 東京府東京市牛込区(現・東京都新宿区) | ||
職業 |
映画監督 脚本家 | ||
著名な家族 | 川津祐介(弟) | ||
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川頭 義郎(かわず よしろう、1926年4月28日 - 1972年12月30日[1])は、日本の映画監督・脚本家。
経歴
[編集]東京市牛込区(現・東京都新宿区)出身。暁星中学校、日本映画学校を卒業し、1945年(昭和20年)に松竹撮影所に入る。カメラマン助手を経て、木下惠介の助監督となる。1955年(昭和30年)の「お勝手の花嫁」で監督デビューを果たした。[2]晩年は、テレビドラマの演出にも携わった。
家族
[編集]息子は「イタリアワイン最強ガイド」や「イタリアワイナリー最上の24蔵」の著者でもある川頭義之。イタリアワイン業界で最も注目され「ヴィエディロマンス」や「レマッキオレ」「モンキエロカルボーネ」などの有名なワイナリーとエージェント契約を結び、日本に紹介している。
主な監督作品
[編集]映画
[編集]- お勝手の花嫁(1955年)
- 子供の眼(1955年)
- 愛と智恵の輪(1956年)
- 涙(1956年)
- 体の中を風が吹く(1957年)
- 恋して愛して喧嘩して(1957年)
※川頭義郎と松山善三の共同シナリオ。
- 青空よいつまでも(1958年)
- 有楽町0番地(1958年)
- 東京1958(1958年)[4]
- 風の中の瞳(1959年)
- 手さぐりの青春(1959年)
- 伊豆の踊子(1960年)
- かあちゃんしぐのいやだ(1961年)
- 母と娘(1961年)
- ママおうちが燃えてるの(1961年)
- 小さな花の物語(1961年)
- 霧子の運命(1962年)
- かあさん長生きしてね(1962年)
- 風の視線(1963年)
- ローマに咲いた恋(1963年)
- 青い目の嫁はん(1964年)
- 海抜0米(1964年)
- あねといもうと(1965年)
- おしゃべりな真珠(1965年)
- いつか来るさよなら(1969年)
テレビドラマ
[編集]受賞
[編集]- 第13回(1955年度)ゴールデングローブ賞 外国語映画賞 - 『子供の眼』
- 第7回(1956年度)ブルーリボン賞 新人賞 - 『子供の眼』『涙』