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ユッスー・ンドゥール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Youssou N'Dourから転送)
ユッスー・ンドゥール
ユッスー・ンドゥール(2011年)
基本情報
出生名 Youssou N'Dour
生誕 (1959-10-01) 1959年10月1日(65歳)
出身地 セネガルの旗 セネガル ダカール
ジャンル ンバラ
ワールドミュージック
ポップ
職業 歌手パーカッショニスト
活動期間 1970年代 - 現在

ユッスー・ンドゥール(Youssou N'Dour, 1959年10月1日 - )は、セネガル歌手[1]

セネガルの伝統音楽に、さまざまな民族音楽や欧米のポップ・ミュージックのエッセンスを取り入れ、独自の音楽世界を展開している同国音楽界の大御所。セネガルの楽器ジャンベを用いた伝統音楽から、カリブ音楽やその他様々なジャンルの音楽を融合したンバラという音楽ジャンルを確立した[2]。2004年、米国の『ローリング・ストーン』誌は、「アフリカにおいて存命する最も著名な音楽家であろう」と評した[3]。これまで20年以上に渡り、自身のバンドシュペール・エトワール・ドゥ・ダカール英語版 (Super Étoile de Dakar) と共に活動を続けている。

経歴

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2008年、トロント国際映画祭にて

1959年ダカールで出生。西アフリカの代表的な民族であるセレール族出身で、古くから伝わる音楽や思想を伝承する「グリオ」(語り部)の家系に生まれ育った。10代から音楽活動を始め、12歳から数年間は、1970年代初頭のダカールで最も人気があったスター・バンド (Star Band) で活躍した。1979年エトワール・ドゥ・ダカール英語版 (Étoile de Dakar) を結成。1980年頃からアフリカの隣国やフランスなどへのツアーやレコーディングを開始。1982年にシュペール・エトワール・ドゥ・ダカールを結成。1980年代に入ると、1982年に英ヴァージン・レコードと契約し、ピーター・ガブリエルと出会い、ライヴや彼のアルバム『So』(1986年)での共演を機に注目を集めるようになった。1986年にアルバム『ネルソン・マンデーラ』を発表。『ザ・ライオン』(1989年)や『セット』(1990年)はヴァージン傘下のガブリエルが関わっているリアル・ワールド・レコードからのリリースとなった。また、ポール・サイモンスティングなど有名ミュージシャンとの共演で、世界的アーティストとしての地位を確立した。

1992年には、映画監督スパイク・リーがソニー傘下で設立したレーベル「40エイカーズ&ア・ミュール・ミュージック・ワークス」に移籍し、『アイズ・オープン』をリリース[4]。同アルバムは、ンドゥールにとって初めてのグラミー賞の候補作品となった[4]。1994年に発表した『ザ・ガイド』、2000年に発表した『ジョコ』、2002年に発表した『ナッシングス・イン・ヴェイン』についてもグラミー賞の候補作品となった[5][6][7]

1994年、ネナ・チェリーと共演したシングル「7 Seconds」は、全仏チャート(SNEP)とスイス・チャートで第1位[8]、全英チャート(Music Week)第3位を記録した[9]。同曲は、MTV・ヨーロッパ・ミュージック・アワードにおいて"Best Song"(最優秀楽曲賞)を受賞している[10]

1998年、ワールドカップ・サッカー・フランス大会の公式アンセム「勇者たちの庭」(La Cour des Grands) を制作したほか、同年、アニメーション映画『キリクと魔女』の映画音楽を手掛け[11]、日本でも2003年夏にスタジオジブリ配給で公開された。日本ではさらに「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」がホンダ・ステップワゴンのTV-CMソング[12]や『笑う犬の発見』のオープニングテーマに起用された。

2003年、反戦の意を込め、全米ツアーをキャンセルした。2004年、アルバム『エジプト』で第47回グラミー賞のベスト・コンテンポラリー・ワールドミュージック・アルバム部門で受賞[13]2006年ワールドカップ・サッカー・ドイツ大会ではファイナル前イベントのプロデュースを行った。同年夏には、〈東京の夏〉音楽祭にてンドゥールとシュペール・エトワール・ドゥ・ダカールによるフルステージ日本公演が10年ぶりに開催された。2007年に発表したアルバム『ロック・ミー・ロッカ』はローリング・ストーン誌選定の2007年ベストアルバムの30位に選ばれている。

2011年11月より政治活動に専念するため音楽活動を停止し、当時のセネガル大統領アブドゥライ・ワッド批判の急先鋒に立った[1]。自ら大統領選に立候補を申請したが署名数が足りず申請を却下され[1]、ワッドの対立候補で元首相のマッキー・サルを支援する立場に回った。ワッドが選挙に敗れた場合には音楽活動に復帰すると発表した[1]。結果、サルが大統領選に勝利し、ンドゥールは2012年4月にセネガルの文化観光大臣に任命された[14]。2013年9月2日、女性首相アミナタ・トゥーレ英語版の新内閣発足時に、ンドゥールは大臣から解任された[15]。その代わり、サル大統領から国家を宣伝する大臣格の特別顧問に任命された[16][17]

大臣をやめて音楽界に復帰したンドゥールは、2013年に音楽界のノーベル賞ことポーラー音楽賞英語版を受賞した[18]。2017年には7年ぶりにインターナショナル・アルバム『アフリカ Rekk』を発表すると、同年9月12日には日本の高松宮殿下記念世界文化賞を受賞した[19][20]

評価

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スティーヴィー・ワンダーDREAMS COME TRUE[21]坂本龍一[22]の作品に参加したこともある。LIVE 8などのチャリティー企画への参加、ユニセフ親善大使としての活動など、音楽を通じて社会に関わる姿勢は「歌うジャーナリスト」とも称される。2007年には、アメリカの『タイム』誌による世界で最も影響力のある100人に選ばれた[23]

ディスコグラフィ

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アルバム

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原題 日本語題 備考
1984 Bitim Rew
1986 Nelson Mandela ネルソン・マンデーラ
1988 Immigrés
1989 The Lion ザ・ライオン
1990 Set セット
1992 Eyes Open アイズ・オープン 第35回グラミー賞最優秀ワールドミュージック・アルバム賞ノミネート
1994 Guide (Wommat) ザ・ガイド 第37回グラミー賞最優秀ワールドミュージック・アルバム賞ノミネート
1996 Djamil
1997 Inedits 84-85
1999 Special Fin D'annee Plus
2000 Lii
2000 Joko: The Link ジョコ 第43回グラミー賞最優秀ワールドミュージック・アルバム賞ノミネート
2000 Rewmi
2000 Le Grand Bal
2000 St. Louis
2001 Le Grand Bal a Bercy
2002 Ba Tay
2002 Nothing's In Vain ナッシングス・イン・ヴェイン 第45回グラミー賞最優秀コンテンポラリー・ワールドミュージック・アルバム賞ノミネート
2002 Youssou N'Dour and His Friends
2004 Kirikou キリクと魔女
2004 Egypt エジプト 第46回グラミー賞最優秀コンテンポラリー・ワールドミュージック・アルバム賞受賞
2007 Rokku Mi Rokka ロック・ミー・ロッカ ローリング・ストーン誌選定の2007年ベスト50アルバム30位
2009 Special Fin D'annee : Salegne-Salegne
2010 Dakar - Kingston
2011 Mbalakh Dafay Wakh
2014 Fatteliku
2016 #Senegaal Rek
2016 Africa Rekk アフリカ Rekk
2017 Seeni Valeurs

ベスト盤

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原題 日本語題 備考
1995 The Best of Youssou N'Dour ベスト
1997 Immigrés/Bitim Rew イミグレ
1998 Best of the 80's ベスト・オブ80's
1998 Hey You: The Essential Collection 1988–1990
2001 Birth of a Star
2002 Rough Guide to Youssou N'Dour & Etoile de Dakar ラフ・ガイド・トゥ ユッスー・ンドゥール&エトワール・ドゥ・ダカール
2004 7 Seconds: The Best of Youssou N'Dour (Remastered) 7セカンズ:ベスト・オブ・ユッスー・ンドゥール

シングル

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タイトル 順位 アルバム

Hot 100

モダン・ロック

メインストリーム・
ロック

シングル

シングル

シングル

シングル
1989 "Shaking the Tree" - # 9 - - - - - 『ザ・ライオン』より。
1994 "7 Seconds" #98 - - # 3 # 8 - - ネナ・チェリーとのデュエット。
2002 "So Many Men" - - - - - # 15 - 『ナッシングス・イン・ヴェイン』より。パスカル・オビスポとのデュエット。

脚注

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  1. ^ a b c d セネガル歌手ンドゥール氏、大統領選で現職敗北なら音楽再開へ、ロイター日本版サイト、2012年3月2日閲覧。
  2. ^ Youssou N'Dour / ユッスー・ンドゥール / プロフィール”. Warner Music Japan. 2014年9月28日閲覧。
  3. ^ Youssou N'Dour To Officiate the 2nd African Creative Economy Conference”. ModernGhana.com (2012年10月9日). 2013年2月16日閲覧。
  4. ^ a b Harris, Craig. “Youssou N'Dour - Biography - AllMusic”. 2014年9月28日閲覧。
  5. ^ Youssou N'Dour - Guide (Wommat) CD Album”. cd Universe. 2014年9月28日閲覧。
  6. ^ Youssou N'Dour - Joko: The Link CD Album”. cd Universe. 2014年9月28日閲覧。
  7. ^ Youssou N'Dour - Nothing's in Vain CD Album”. cd Universe. 2014年9月28日閲覧。
  8. ^ [1]lescharts.com Single Chart Highest Position:1 1994/6
  9. ^ [2]MUSIC WEEK Single Chart Highest Position:3 1994/6
  10. ^ Pride, Dominic (November 5, 1994), “Brandenburg Gate Setting For First MTV Euro Awards”, Billboard 106 (45): p. 10 .
  11. ^ キリクと魔女2 4つのちっちゃな大冒険”. Albatros Film. 2013年2月16日閲覧。
  12. ^ clicccar (2012年4月7日). “ステップワゴンが進化するなら、CM曲の外人歌手も立身出世だ~! - エキサイトニュース”. 2013年2月16日閲覧。
  13. ^ Past Winners Search”. The Recording Academy. 2013年2月16日閲覧。
  14. ^ Senegal musician Youssou Ndour given ministerial post”. 英国放送協会 (2012年4月5日). 2013年2月16日閲覧。
  15. ^ Sénégal : un nouveau gouvernement formé, sans le chanteur Youssou Ndour”. Africa N°1 (2013年9月2日). 2018年2月5日閲覧。
  16. ^ C’est officiel : Youssou N'dour nommé Conseiller spécial, avec rang de ministre” (2013年9月9日). 2018年2月5日閲覧。
  17. ^ Yasmina Khadra, Youssou N’Dour, George Weah… Ces personnalités qui rêvaient d’être président” (2013年9月8日). 2018年2月5日閲覧。
  18. ^ 2013”. Polar Music Prize. 2014年9月28日閲覧。
  19. ^ 【世界文化賞】ユッスー・ンドゥール氏(音楽部門)「賞金は全額寄付」「坂本龍一さんとのコラボは忘れられない」”. 産経新聞 (2017年10月17日). 2018年2月5日閲覧。
  20. ^ ユッスー・ンドゥール「第29回高松宮殿下記念世界文化賞」音楽部門を受賞”. TOWER RECORDS (2017年9月13日). 2018年2月5日閲覧。
  21. ^ Sing or Die - Dreams Come True : Credits”. AllMusic. 2013年2月16日閲覧。
  22. ^ Beauty - Ryuichi Sakamoto : Credits”. AllMusic. 2013年2月16日閲覧。
  23. ^ アフリカの魂 ~闘う歌手 ユッスー・ンドゥール~”. 日本放送協会. 2014年9月28日閲覧。

外部リンク

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