Wikipedia:競走馬の特筆性判断の基準と独立記事作成についてのガイドライン/2018改訂案
「特筆性」とは
[編集]「特筆性」という語は、ウィキペディア内の造語です。
ふだん「この馬は特筆に値する」「このレースは特筆すべきだ」のように話すことがありますが、こうした用法とは異なる概念であることに注意してください。
端的には、次のように定義される概念です。
特筆性とは、立項される対象がその対象と無関係な信頼できる情報源において有意に言及されている状態であることを意味します。(WP:N) |
たとえばミスターシービーは大活躍をしましたが、ただそれだけでは「特筆性がある」とは言えません。ミスターシービーのことを詳しく解説した文献などが登場することで、「ミスターシービーには特筆性がある」言えるようになるのです。
ウィキペディアでは基本的にすべての記事が、そうした「特筆性がある」ことを証明する必要があります。すなわち、記事内に適切な情報源を明示することで、この馬には確かに特筆性があると確認されることになります。基本的には、記事作成の時点でこの証明を行うことが推奨されています。
どれほど活躍した馬でも、適切な情報源が示されていないと、「特筆性がある」と証明されていないということになります。
ですがこの場合、「特筆性がない」とは少し違います。まだ証明されていないというだけです。じゅうぶんに活躍した馬であれば、きちんと探せば「特筆性」を証明するための適切な情報源があるはずです。この状態を「特筆性があると推定される」といいます。
本文書では、競走馬について「特筆性があるだろう」と推定可能な目安を示します。
目安
[編集]競走馬として所定以上の実績を残したものについては、原則として「特筆性があるだろう」と推定します。
具体的な実績のの基準については下記の通りです。
A.年度代表馬・顕彰馬・殿堂馬
[編集]- JRA賞やその前身、NARグランプリ、エクリプス賞、カルティエ賞など、一定の権威を認められた賞で年度代表馬に選ばれたもの。
- 年度別・カテゴリー別の代表馬・受賞馬(最優秀3歳牡馬、最優秀ダートホースなど)
- レーティングやフリーハンデによる部門毎の首位馬
- ※これらと同等の権威があるといえるかどうか議論の余地がありそうな賞(たとえば雑誌や専門誌などによる年度代表馬など)については個別に検討・議論の余地があるでしょう。とはいえ、そうした賞に選ばれるような馬の場合、たいてい、他の要素によって特筆性を判断できるはずです。
B.重賞競走の勝ち馬
[編集]- 日本の中央競馬の場合
- 1984年のグレード制導入以後の「重賞」優勝馬。
- GI・GII・GIII競走のほか、障害重賞、アングロアラブ重賞を含む。
- パート1認定後のGI、GII、GIII、JpnI、JpnII、JpnIII競走。J・GI、J・GII、J・GIII競走。
- 未格付けの「新設重賞」を含む。
- 1983年以前の「重賞競走」についても対象としてよいが、どこまで遡って適用できるかは議論が行われていません。
- 古い時代の競走馬はインターネット検索で容易に情報源をみつけられるとはいきません。事前にじゅうぶんな下調べを推奨します。
- 日本の地方競馬の場合
- 統一グレードのGI、GII、GIII競走
- 基本的には地方競馬の重賞競走も対象とします。
- ただし地方重賞しか勝っていない競走馬の場合には、実績不十分として削除となった事例もあります[注 1]。特筆性をしっかり証明するためには、単に重賞を勝ったという事実や戦績のみでなく、適切な情報源を示すとよいでしょう。
- 日本国外馬の場合
- パート1国のG1・G2・G3以上の競走の優勝馬
- リステッド競走(LR、L)は含まないものとします。
- G制導入前の競走については、個々の記事できちんと適切な情報源を示して特筆性の証明を行うことを強く推奨します。
- 国外のG制導入前の競走(パターン競走)については、単純な方式でレースを分類することは困難です。イギリスダービーやケンタッキーダービー、凱旋門賞のような競走では、おそらく古い時代の勝馬から「特筆性があるだろう」と推定することは妥当でしょう。しかりそれらより知名度が低い(がしかし賞金はずっと高い)競走も無数にあり、それらを単純な基準で選り分けることは難しいでしょう。
「推定」とは
[編集]上記A・Bの条件を満たす場合は、当面は「特筆性がある」ものと推定して取り扱います。
すなわち、その時点では、記事内に特筆性を証明する適切な情報源が示されていないとしても、きちんと探せばそうした情報源がみつかると仮定し、適切な情報源を探索して加筆する、という方向性であたります。
じゅうぶんな探索をしてもなお、その馬に関する適切な情報源が見当たらない場合には、どんな探索をしたかをノートページなどに明記して誰でもわかるようにしてください。そのうえで、記事の統合や削除を検討してください。
いずれの場合にも、記事の説明はすべて適切な情報源による裏付けが必要です。特筆性がありそうだとしても、情報源を示すことなく加筆をしないでください。(適切な出典を欠く記述は除去される可能性があります。)
上記のA・Bに合致しない場合
[編集]上記のA・Bの条件をクリアしない場合には、個々の記事できちんと「特筆性」を示して証明する必要があります。
適切な情報源
[編集]「特筆性」を証明するための情報源は、下記の条件を全て満たしている必要があります。
- 信頼できる情報源であること。
- 個人サイトやブログ、SNS、誰でも編集できるサイトなどは、ウィキペディア内では情報源として認められません。
- 対象と無関係であること。
- その馬の公式サイト、馬主のサイト(共同馬主クラブの公式サイトを含む)、生産牧場や繋養牧場のHP・文書類は、「特筆性」の根拠としては採用できません。別の情報源で特筆性を証明した上で、一般的な記述を行う上での情報源としては利用可能です(ただしWikipedia:検証可能性、Wikipedia:中立的な観点などの点では注意する必要があります)。
- 主催者によるレース結果資料などは、一次資料に分類されます。主催者によるものではなくとも、単なるレース結果・データなどの情報は「特筆性」の根拠としては採用できません。たとえばスポーツ新聞のレース結果表などがこれにあたります。
- 有意な言及であること。
- その馬について「直接的かつ詳細に述べている」ものを指します。たとえば、単に毎週のレース結果を報じるだけで、あるレースの勝ち馬として馬名が登場するだけでは「直接的かつ詳細に述べている」とはみなされないでしょう。
- 多くの場合、重賞を勝てば、しばらくするとその馬についての詳しい特集記事が登場します。生産者や生産牧場への取材、調教師や馬主への取材などを通じて、その馬の誕生から重賞勝利までのことが詳述されるでしょう。たとえば『優駿』では前月の重賞勝ち馬の特集記事が掲載されます。そうしたものは「有意な言及」としてじゅうぶんな特筆性を証明することができるでしょう。
いずれの条件も、単純に「可/不可」のように二分できるものではありません。信頼度、無関係さ、有意さなどは、大から小まで幅をとるものです。情報源が皆無ではないが少ない、信頼性が無いとまでは言えないが乏しい、完全に無関係とまでは言えない、それほど詳細に述べているものではない、などの条件が積み重なった場合には、特筆性の証明が不十分だと指摘されるかもしれません。
適切な情報源を示すためには、事前に調べ物をする必要があるかもしれません。
「目安」をクリアした場合
[編集]上記のA・Bのいずれかに合致し、「特筆性があると推定される」場合でも、ただそれだけで終わりにしないでください。
ウィキペディアの記事は必ず、検証可能な信頼できる情報源を明記しながら、中立的な観点にたって書く必要があります。
適切な情報源を示して加筆し、競馬に詳しくない第三者の目にもその記事が間違いなく特筆性が証明されていると納得できるようにしましょう。
また、たとえ「特筆性があると推定される」条件を満たしていたり、そうした情報源が多少あったとしても、記事があまり発展しなかったり、適切な情報源による解説が乏しい場合などには、より包括的な記事に統合してその中でふれるようがよい、という場合もあります。
「目安」を満たさない場合
[編集]上で示したものはあくまでも、適切な情報源が示されていない場合に、特筆性の有無を推測するための条件にすぎません。つまり重賞を勝っていないというだけで「特筆性がない」と断定できるわけではありません。
ハルウララのように、成績が奮わなくても、そのことで耳目を集めてさまざまな情報源に登場するようになるものもいます。ロイスアンドロイスのように「惜敗している」ことで注目されたものもいます。このような馬の場合には、「目安」で簡易的に特筆性があると推定できないだけであって、適切な情報源をきちんと示すことで特筆性を証明することができます。
しかしながら、重賞勝ちなどの実績を欠く馬については、特筆性に疑義をもたれる可能性があります。最良なのは、そうした疑念を払拭するような適切な情報源を示して特筆性を証明することです。(ただし、特筆性を示す情報源の質や量には幅があります。いくらかの情報源をかき集めても、コミュニティからこれでは不十分だとみなされる場合もあるでしょう。)
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ Wikipedia:削除依頼/メイセイオペレッタ、Wikipedia:削除依頼/メイセイユウシャ。一方、Wikipedia:削除依頼/サンクリントのように、同条件で削除にならなかった事例もあります。いずれも2005年-2007年頃の事例で、当時はまだWikipedia:独立記事作成の目安も未整備だったため、近年とは状況が違うかもしれません。