Wikipedia:秀逸ピックアップ/光厳天皇
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光厳天皇は、日本の北朝初代天皇。諱は量仁。後伏見天皇の第三皇子。母は左大臣西園寺公衡の娘で後伏見の女御の西園寺寧子。後醍醐天皇によって廃位されたが、建武政権崩壊後に治天の君となって北朝を主導し、室町幕府との公武徳政や『風雅和歌集』の親撰などを行った。天龍寺や安国寺利生塔の建立にも関与している。正平一統が破綻した際、南朝によって拉致された。
正和2年(1313年)7月9日、誕生。幼少期は持明院統の正嫡として、叔父である花園上皇をはじめとする親族から帝王教育を受けた。嘉暦元年(1326年)7月、後醍醐天皇の皇太子となる。元弘元年(1331年)9月20日、鎌倉幕府の打倒に失敗した後醍醐が京都を出奔したことで、19歳で践祚……