Wikipedia:秀逸な記事の選考/京王6000系電車 20130923
表示
賛成/条件付賛成/保留/反対 4/0/0/0 この項目の選考期間は、2013年12月30日 (月) 00:25 (UTC)(2013年12月30日 (月) 09:25 (JST))までです。
自薦です。終始地味な存在の電車ではありましたが、査読依頼、良質な記事の選考でのご指摘事項について修正し、秀逸な記事の基準をクリアしたものと考え、推薦させていただきます。--はひふへほ(会話) 2013年9月23日 (月) 08:29 (UTC)
- コメント 読みやすくまとまっていますが、私の読解力と教養にとっては多大なボリュームなので、とりあえず投票を控えます。「登場に至る経緯」節の「改軌問題で東京都が譲った事情から、車両全長を当時京王の標準だった18 m級から20 m級に変更する提案には応じざるを得なかったとも、車両の大型化は避けられないと考えていた京王側が譲歩したものとも言われている[27]。」については、本記事の参考文献で、[27]の出典以外に裏付けられるものがあれば、それがどれかをご教示いただければありがたいです。こう思いついたのは、1972年から導入されたという小田急9000形電車を見て「全長20,000mm」という記述が目に入ったことなどがあります。つまり、この時代は関東大手私鉄の通勤電車では20 m級が一般的であり、「譲歩」の表現が当たる状況だったのか?、という素人感覚です。これほどの事実なら、多数の参考文献の中に他にもあると思われますが念のためでもあります。なお、これは、査読依頼の時にアップするほど疑問がまとめられずに確認できなかったという事情から、私からは保留等の理由とはしません。--GDSTCB(会話) 2013年9月24日 (火) 14:06 (UTC)
- コメントコメントありがとうございます。改軌問題については[27]の文献以外にこのような表現をしているものはわたしが調べた限りではありません。車両全長の延長など、建築限界の修正は多大な投資を必要とするものです。曲線が多い京王線では建築限界修正のための工事規模が大きく、18 m級のまま当時の最長だった7両編成から8両、9両と増結していく手も取れた中、20 m車を導入することは大きな経営判断であり、地下鉄乗入のような外力が働かないとそうそうはできないのではと思い、この文章を入れ込んであります。20 m級の導入が1970年代初頭の関東私鉄の中で一般的だったか、については議論があると思いますが、京急、京成、東急多摩川線・池上線では今日でも18 m級の電車が導入されていることや、関東に多い20 m車の10両編成より、京急が運転している18 m車の12両編成の方が編成全長が長いことからも、車両のサイズには一般性はなく、「それぞれの会社の事情による」のだとわたしは理解しています。関東では戦後20 m級車体の国鉄63系電車の同形車を導入した西武、東武、小田急、相鉄で20 m級への移行が早く進みましたが、それ以外の東急、京急、京成、京王帝都では導入が遅れ、東急では1970年の8000系、京王線はこの主題である1972年の6000系から、井の頭線では1995年の1000系からです。井の頭線への20 m車の導入は特定都市鉄道整備促進特別措置法事業として行われており、これもある種の外力といえると思います。例に挙げていただいた小田急9000形は先の63系の末裔である1800形、2600形、5000形に続く4形式目の20 m級の電車であり、20 m車が1970年代初頭に既に過半に達していた小田急と、1972年に初めて導入した京王ではこの時期に20 m車を作ることの意味合いは大きく異なっていたと考えています。東急の20 m車導入は自社の輸送力増強もさることながら新玉川線建設から11号線(半蔵門線)直通が想定されたなかで行われたものであり、これも地下鉄乗り入れという外力が働いたものの一例といえると思います。--はひふへほ(会話) 2013年9月24日 (火) 15:06 (UTC)--はひふへほ(会話) 2013年9月24日 (火) 15:07 (UTC)修正
- とりあえず。ご回答ありがとうございます。とだけ書いておきます。--GDSTCB(会話) 2013年9月25日 (水) 20:45 (UTC)
- コメント 一般的には大きく取り上げられることのない通勤形車両の一形式に関する情報が検証可能性を満たしつつ大変よくまとめられていると思います。ただ、失礼ながら若干引っ掛かりを覚える箇所がないわけでもありませんでしたので、以下に現段階にて気付いたことを列挙させていただきます。
- 全体的に段落(行下げ)が少ないこともあってか、些か可読性の面で難があるように感じます。例えば略史節においては「性能もそれに見合うものとされた[21]。」と「1975年から既存の編成に」の間、「8両編成での製造が基本となった[20]。」と「1980年に開始された新宿線乗り入れでは」の間など、文章として区切って差し支えない部分に行下げを入れることによって改善できるのではないかと思います。
- 節の分け方、特に主要機器・歴史節におけるそれはWikipedia:スタイルマニュアル (見出し)#使用は適度にに照らし合わせると些か過剰ではないかと感じました。節名を改めるなりした上で、統合可能なものは統合した方がよろしいかと思います。
- 形式構成節の各形式解説は、各形式節の本文内に記述された車両の記号番号の存在が文章の見通しを悪くしているように感じます。記号番号のみ一覧表化するなり、箇条書き形式とするなり、本文からは切り離してはいかがでしょうか。
- 事業用車デワ600形への改造節は、6000系電車全体の歴史を扱う節のサブセクションの内容としては些か過剰である感が否めません。詳細な内容は全体の流れとは切り離して記事の最後部へ移動させ、歴史節でのデワ600形に関する内容は簡略化してよいのではないかと思います。--MaximusM4(会話) 2013年10月5日 (土) 01:25 (UTC)
- コメント1つ目、2つ目、4つ目のご指摘についてはこの編集[1]で修正してみました。2つ目のご指摘の特に歴史のところは短いものを中心に時系列が極端におかしくならない範囲で他の節と統合しています。デワは別の節を末尾に作ってそちらに誘導、歴史部分での記述は最低限にしました。3つ目のご指摘はこの編集[2]で修正しました。車両番号は表にまとめてみました、ご確認ください。--はひふへほ(会話) 2013年10月8日 (火) 14:39 (UTC)
- コメント 編集お疲れ様でした。後ほど拝読させていただきますので、恐縮ではございますがコメントなど今しばらくお待ちくださいますようお願いいたします。--MaximusM4(会話) 2013年10月10日 (木) 16:34 (UTC)
- 賛成 拝読させていただきました。指摘させていただいた点、特に可読性に関する点が大幅に改善されていることを確認いたしましたので、賛成票を投じさせていだたきます。以下、いくつか所感を述べさせていただきます。こちらは「是非修正をお願いしたい」というわけではございませんが、ご一考いただければ幸いです。
- 形式構成の「デハ6000形」節にてデハ6400番台が唐突に現れる点について、もし出典が存在するならば、何故中間電動車デハ6000形の中に本来制御電動車の形式区分であるデハ6400番台の記号番号を付与された車両が存在するのか、説明があればなおよろしいかと思います。
- 機器の型番表記に関して、型番末尾に「形」を付したものと、型番のみとしているものが混在しているのがやや気になりました。どちらかに統一した方がよろしいかと思います。
- 4桁以上の出力ないし容量表記に関しては、千位でカンマを付与して文字列である車番表記との区分を明確にすると良いかと思います。
- 記号番号および編成番号の表記区切りは「、」より「・」の方が見やすいのではないかと感じました。あくまでも個人的印象ですので、聞き流していただいて構いません。--MaximusM4(会話) 2013年10月12日 (土) 14:56 (UTC)
- コメントコメントありがとうございました。2つ目から4つ目のご指摘についてはこの編集[3]で修正しました。
- 6400番台の電車の車号についてなぜあのような形になったのか明記されている文献をデハ6400形登場時の記事も含めて私は見つけられていません。いろいろ憶測することはできますが、番号が重複したわけではないので何とかなっていたのでしょうし、今世に出ている資料で見つけられない場合は車両が全廃されていることもあって今後も明らかにされることはないかもしれません。--はひふへほ(会話) 2013年10月13日 (日) 07:35 (UTC)
条件付賛成選考への参加が遅くなりましてすみません。良質な記事の選考で依頼したことも反映されており、さらに良く充実したわかりやすい記事になったと思います。小田急3000形初代のように華のある車両とは言えないので、鉄道に興味のない人が読んで面白いかというとそこまでではないのでしょうが、通勤形車両というものはそういうものでしょうから仕方ありません。いくらか疑問に感じたところがあったので質問します。問題点を解消されるか、そのように記述すべきでない/記述のできない理由が説明されれば賛成とします。- ステンレス車体の7000系が登場してもなお、6000系の製造が並行して続行された理由が、今一つよくわかりません。「相模原線延伸に伴う新宿線乗入運用本数の増加や10両編成運転の拡大に伴って製造が継続」とありますが、そういう仕様の7000系を造ればよかっただけに思えます。わざわざ普通鋼製の車体でなければならない何かの理由があったのか、世に出ている文献ではそういうことについては説明はないのでしょうか。
- 「形式構成」末尾の年別の製造表ですが、年度ではなく年で正しいでしょうか。後の方で年度の話も出てくるので、念のため確認をお願いします。
- 「6両編成の8両編成化」の節、「当時は検車設備が6両編成までしか対応できなかったため、5両目に組み込まれていたサハ6550形を2両目に移動」とありますが、これはどういう意味でしょうか。何となく、付随車を編成の端に2両並べることで、2両を切り離せば電動車を含む側を6両の検車設備に入れられる、というようなことを想像したのですが、そういうことなのでしょうか。
- 「1977年度製造車」の節、ここだけ「年度」ですけど、これで正しいのでしょうか。1977年11月製なら、1977年とだけ書ける気がします。またこの節の始まりの文章は「1978年には5両+3両の8両編成1本と8両編成2本が製造された」となっていて、年が1977年と間違っている気がします。
- 全体としてはかなり完成度が高いと思います。5扉車の4扉化を図を用いて説明しているところなどは、特に丁寧でよいと思います。--Tam0031(会話) 2013年11月11日 (月) 14:59 (UTC)
- 1つ目のご指摘は非常に痛いところです。これも、いろいろ憶測することはできるのですが、今回参考文献に使ったものすべてで6000系と7000系を分けて扱っているためか、両者が同時に製造されていた期間があったこと自体にほとんど記述がなく、その理由について書かれているものもありませんでした。時代に翻弄された感のある5扉車はともかく、4扉車として最後に製造された6744編成はわずか18年で廃車されてしまい、生まれが遅かったのに6000系の中では比較的早く廃車されることになってしまった無念を晴らす?べく、このあたりの経緯を書くことができないかいろいろあたってはいるのですが、今のところ資料が見つかっていません。
- 2つ目のご指摘は、「年」で正しいです。その他の部分も含めて、本文、脚注、注釈の年度をすべて年に統一しました。
- 3つ目のご指摘は、
- 当時は検車設備が6両編成までしか対応できなかったため、5両目に組み込まれていたサハ6550形を2両目に移動、6100番台のデハ6000形と6000番台の電動車ユニットの位置を入れ替えたうえで新造した車両が3両目と4両目に組み込まれた。
- となっていたところ、
- 当時は検車設備が6両編成までしか対応できなかったため、2両と6両に容易に分割できるよう、5両目に組み込まれていたサハ6550形を2両目に移動し、新造した車両が3両目と4両目に組み込まれた。6100番台のデハ6000形と6000番台の電動車ユニットの位置が併せて入れ替えられている。
- と修正しました。
- 4つ目のご指摘は2つ目と同様、年度を年に修正いたしました。後半部分のご指摘は誤記です。1977年に修正しました。
- 以上、ご確認をお願いいたします。--はひふへほ(会話) 2013年11月13日 (水) 15:16 (UTC)
- 賛成 確認いたしました。6000系と7000系の並行製造の事情が不明なのは致し方ないですね。これを持って賛成とさせていただきます。--Tam0031(会話) 2013年11月13日 (水) 16:25 (UTC)
条件付賛成間際で申し訳ありません。良質な記事の選考でも触れた5扉車の件ですが、今考えてみると登場の経緯が弱いように感じます。というのは、同時期に登場した小田急1000形が「整列乗車を崩したくない」とい理由でワイドドアを導入しており、一方でJR205系では扉数を6扉にしており、これも「4扉の位置で並んでいても扉の位置と大きくずれない」ということが理由になっていたと読んだ記憶があります。そういう点で考えると、「どのような検討があって扉を増やすこととして、扉の数は5扉としたのか」という点は、もう少し詳しいほうがよろしいのではないかと思いました。なお、5扉車を4扉車に改造した経緯についても、可能であれば少し詳しく記述したほうがいいだろうとも思います。4扉化改造については、京王に詳しくない私から見ても「つまるところ、扱いにくくなったということであろう」と容易に推測できますが、もう少し詳しく出来ればと思います。その2点を詳述していただくか、あるいは「文献に記述がなくこうとしか書けない」というご説明があれば賛成票に変更したいと思います。Cassiopeia-Sweet(会話) 2013年12月14日 (土) 18:19 (UTC)
- コメント ご指摘の5扉車登場にあたって、どのような検討をしてワイドドアや6扉ではなく、5扉が選ばれたのかについて記述されたものは私が探した限りでは見つかっていません。これもいろいろな推測をすることはできますが、5扉車が登場した1991年2月時点でまだ京王線には18 m 3扉車が100両以上残っており、1000形ワイドドア車が登場するころに20 m 4扉車への統一が完了した小田急より、扉位置の統一に対する要望は強くなかったのだと理解しています。5扉車が登場したすぐ後の1993年7月に発行された『鉄道ピクトリアル』通巻578号 京王特集p20では当時の京王帝都電鉄鉄道事業本部長が「(5扉車の)座席数が少ないことに不満が上がっている」ことを指摘していますが、整列乗車に関するコメントはありませんので、この時点では整列乗車に関して会社側は問題視していなかったことが伺えます。
- この一方、5扉車が4扉化されて以降は座席数が少ないことに加えて整列乗車を乱していたこと、長編成化により混雑が緩和されたことが『新車年鑑2000年版』p126や『鉄道ファン』通巻583号p84などで改造の理由として挙げられるようになっています。ちなみに、京王線最後の18 m3扉車である5000系は1996年12月に最後の編成が廃車され、5扉車20両以外の京王線車両は20 m4扉に統一されています。『鉄道ピクトリアル』通巻734号p23には皮肉にも5扉車が登場したころから京王電鉄の輸送人員が頭打ちとなってしまったことがグラフで示されており、特特法事業による輸送力増強によって、列車混雑度は改善していき、乗客からの不満を受けてまで5扉車を運用し続ける理由がなくなってしまったことが伺えます。この理由についてはこの記事本文にも以下の様に記載してあります。
長編成化などにより混雑が緩和されてきたこと[149]、乗車扉位置の異なる車両の運用に苦情もあったことなどから[150][151]、整列乗車の促進、座席数増加などを目的に5扉車のうち2編成が4扉に改造された[54]。
- 以上、ご確認ください。--はひふへほ(会話) 2013年12月17日 (火) 15:43 (UTC)
- なるほど、5扉とした理由そのものは見つかっておらず、整列乗車についてはあまり問題視はされていなかったと推測されるわけですね。この後のWhaaさんの質問にも関連する話ですが、明大前駅(他の駅でもあるのかもしれませんが)での乗降時分の短縮という理由で扉を増やすことにしたということであれば、そのあたりが書かれたほうがいいのかな、と感じました。今の「混雑緩和、遅延防止」だけだとやや薄い感じがしましたのが、今回の条件を思いついたきっかけです。人によっては「車両数の増加や増発、ヘッドカットなどで済むんじゃないの?」と思ってしまうかもしれないので。
- 後半の4扉化改造は、扉位置の苦情のほかに座席数についても問題視されていたのであれば、そのあたりは書いた方がよろしいかと思います。また、混雑緩和の背景として、輸送人員が頭打ちになったことも記述した方がいいかな、と思いました。
- 以上2点について、ご対応いただくか、現状の記述のままにする理由についてご説明があれば賛成票とさせていただきます。
- ここから先は賛成票の条件とはしませんが、この5扉車導入で、乗降時間などはどのくらい短縮できたとか、5扉車導入効果の記述があるとよろしいかと思います。あわせてご検討をお願い致します。Cassiopeia-Sweet(会話) 2013年12月18日 (水) 14:40 (UTC)
- コメント ご指摘の点について、この編集[4][5]で修正してみましたのでご確認ください。1991年当時の京王線はすでに朝ラッシュ時に最大1時間あたり30本の列車を運転していて増発が限界に達していたこと、編成数増加も特特法事業の完成待ちの状況の中、多扉車を導入するしか即席に混雑を緩和する手が無かったのだと推定しています。2分間隔で電車を運転したいのに、明大前での乗降に62.5秒も停車するのが常態化していたのであれば列車の遅延が慢性化するのは想像に難くなく、座席が減ることで苦情を受けるのを覚悟の上で多扉化による乗降時間短縮を狙わざるをえなかったのが当時の状況だと思います。そこまでして投入したのに直後のバブル崩壊であっという間に邪魔者扱いになってしまったのは先の繰り返しになりますが、時代に翻弄されたとしか言いようがない不運の車両だと思っています。--はひふへほ(会話) 2013年12月19日 (木) 14:14 (UTC)はひふへほ(会話) 2013年12月19日 (木) 15:31 (UTC)追記
- 賛成 編集を確認しました。やはり、わざわざ異端の5扉車を導入したのですから、このくらい書いてある方が「何故そんな特殊な車両を世に出さないといけなくなったか」という理由が理解しやすいと思います。今回指摘させていただいた点が修正されたので、賛成票に切り替えさせていただきます。これは将来的な課題ということになりますし、ダイヤなども絡んでくるので大変な作業となりますが、通勤輸送への対応の歴史を別記事でより細かくまとめるという方向性はあるかもしれませんね。Cassiopeia-Sweet(会話) 2013年12月22日 (日) 14:58 (UTC)
- コメント ご指摘の点について、この編集[4][5]で修正してみましたのでご確認ください。1991年当時の京王線はすでに朝ラッシュ時に最大1時間あたり30本の列車を運転していて増発が限界に達していたこと、編成数増加も特特法事業の完成待ちの状況の中、多扉車を導入するしか即席に混雑を緩和する手が無かったのだと推定しています。2分間隔で電車を運転したいのに、明大前での乗降に62.5秒も停車するのが常態化していたのであれば列車の遅延が慢性化するのは想像に難くなく、座席が減ることで苦情を受けるのを覚悟の上で多扉化による乗降時間短縮を狙わざるをえなかったのが当時の状況だと思います。そこまでして投入したのに直後のバブル崩壊であっという間に邪魔者扱いになってしまったのは先の繰り返しになりますが、時代に翻弄されたとしか言いようがない不運の車両だと思っています。--はひふへほ(会話) 2013年12月19日 (木) 14:14 (UTC)はひふへほ(会話) 2013年12月19日 (木) 15:31 (UTC)追記
条件付賛成多くの資料を参照して作成された力作です。画像やデータが豊富に盛り込まれ、出典が丁寧に付けられているのが印象的です。『京王電鉄のひみつ』(PHP研究所編、2012年)をタネ本に記事と選考コメントを確認してみたところ、条件付賛成としました。以下の問題点がクリアされれば賛成に切り替えますので、ご検討ください(選考の終盤ですみません。)。
- 上でGDSTCBさんが問題にされた概要節「改軌問題で東京都が譲った事情から、車両全長を当時京王の標準だった18 m級から20 m級に変更する提案には応じざるを得なかったとも、車両の大型化は避けられないと考えていた京王側が譲歩したものとも言われている[29]。」の「譲歩」の表現が妥当かという問題に関してです。
- まず、「通勤形車両 (鉄道)」を見ますと、「関東では、東武鉄道や小田急電鉄などで国鉄63系電車の割り当て以来、20m車が入線可能な設備の整備が進められ、西武鉄道や京王帝都電鉄など急激な利用客増加への対策として車両の大型化を選択する会社も多かった。」(出典無し)とあります。譲歩というよりは、状況の変化に積極的に対応していったように読めます。
- また、『京王電鉄のひみつ』でもはっきりとは書かれていないのですが、(1)章タイトルとして「高度経済成長で輸送量激増 進む中型車の淘汰と長編成化の進行」を掲げ、(2)京王線と井の頭線の1日当たりの利用者数が69万人(1962年)から91万人(1967年)に大幅に増え、(3)編成数は昭和20年代は3両編成だったのが1968年には7両編成が登場し、(4)これら長編成化にともない1969年には14m級の中型車が姿を消し、(5)1971年に相模原線が多摩ニュータウンの手前の京王よみうりランドまで開業し、(6)1972年に20m級4扉車6000系のデビュー(6両編成)、(7)1974年に念願だった多摩ニュータウンへの乗り入れ実現、という文脈になっています(pp196-197)。つまり、京王が利用者数の激増に対応するために、編成数を増やすとともに、車両の大型化を図ったという流れになっているので、この文脈からすると「譲歩」という表現は疑問である、ということになります。
- 思うに、『京王電鉄五十年史』(京王電鉄広報部編、1998年)のような、京王の社史あたりを確認すれば執筆できると思いますが、いかがでしょうか(参考文献には特にあげられていないので)。また、改軌問題が関連しているのであれば、東京都発行の資料からもアプローチできるかもしれません。
- 6000系の外観について、『京王電鉄のひみつ』によると「前面窓の大きさが左右で異なる「非対称」形が大きな特色です」とありますが(p116)、記事(外観節等)では特に触れられていません。これが事実であれば、記事に盛り込むべきと思いますが、いかがでしょうか。
- 記事全般にいえることですが、ウィキペディア利用者のために、西暦に和暦を併記した方がよいのではないでしょうか。あらかじめ和暦が併記されていれば和暦変換の手間が省け、利便性が高まります。当記事の場合、昭和と平成、20世紀と21世紀と2つの時代区分がまたがっていますので、なおさら和暦を併記した方が便利に思われます。また、年号を切り口に調べ物をする場合もあると思います(試しに「昭和の鉄道」でgoogle検索したところ、約400万件ヒットしました)。
- Wikipedia:表記ガイド#年月日・時間でも、和暦併記は義務ではないとしながらも、「日本に関する事柄の場合は和暦(昭和・平成など)を併記することが望まれます。」とあります。和暦併記の無い12記事(讃岐うどんなど)が秀逸な記事として既に通過してしまっているので、過去の選考ではさほど重視されてこなかったのでしょうが、少なくとも本文中の西暦には和暦を併記する必要を感じました。
- 以上です。なお、上でCassiopeia-Sweetさんが指摘されている「5扉車」の導入事情に関して、『京王電鉄のひみつ』には「・・・1972(昭和47)年から、あわせて304両が製造された6000系のうち、1991(平成3)年、最後に製造された20番台の5両編成4本は、京王線唯一の5扉車となりました。京王線明大前ホーム中央部にある井の頭線との乗り換え階段付近の混雑が激しく、スムーズな乗降を行うために、5扉車は前後に2・3両編成をつないだ10両編成で、階段付近にあたるようにと考えられたのです。・・・」(p117)という記述があります。これしか記述が無いので参考になるかどうかはわかりませんが、情報提供します(社史なら載っていそうですが)。--Whaa(会話) 2013年12月16日 (月) 15:25 (UTC)
- コメント ご指摘ありがとうございます。1つ目のご指摘は、今回この記述の出典として使った書籍以外の本項の参考文献、社史にはこのような記載はされていません。単に「輸送力増強のため20 m車を導入した」とあるものがほとんどです。『京王電鉄まるごと探見』には明らかに誤記と思われる記述が何箇所かあるため、この書籍以外には記載されていない事柄をこの書籍だけをもとに検証可能とみなすのは危険かもしれません。同じところについて2回ご指摘をいただき、この文献以外にこのことを検証できるものがみつかっていないため、該当の記述を[6]でいったん削除しました。この本を出典としている他の箇所については別の文献でも検証できるところがほとんどですので、時間を見ながら置き換えていくつもりです。
- 2つ目のご指摘については、「外観」のところに以下の記述があります。
車掌室窓部にリレー類を納める箱を設置したため、進行方向を向いて右側の窓の天地寸法が運転席側より小さくなり、バランスをとるため窓下に車号板が取り付けられた[42]。
- この文で、ご指摘の文とほぼ同じ意図をもたせていますが、いかがでしょうか。
- 3つ目のご指摘は、スタイルマニュアルで「望まれる」とだけ記載されていることをよりどころに、最初のころは和暦も書いてあったものを途中ですべて消した[7]ものです。昭和と平成にまたがっているからこそ、あえて書かない方が混乱しないのでは、との考えです。このあたりは執筆者の趣味に委ねていただいても良いのかな、とは思っています。どうしても直すべき、とのご意見であれば修正しますが、しばらくお時間をいただければ、と思います。
- 最後の部分、5扉車が明大前駅での乗降時間短縮目的で製造された件についてはご指摘の文献以外にも複数の文献に同じ内容の説明があります。文献によっては桜上水駅の名前が挙がっている例もありましたので、駅名をあえて書かず、以下の様に記載してあります。
5扉車は混雑の激しい編成中央部に連結するため、2両 + 5両 + 3両の編成で朝ラッシュ時は運用され、ラッシュ以降は3両または2両編成を切り離した7両または8両編成で各駅停車に運用された[92]。
-
- 概要節:20 m車導入経緯について、該当部分を確認しました。社史も参考にされているとは、知りませんでした。参考文献には、単行本2冊以外はすべて雑誌記事なので、若干の資料の偏りも感じていたのですが、ゴッホのようにたくさん文献があるわけでないので、これも止むを得ないという認識でした。もし、社史等ほかに参考にしているものがあれば、参考文献に追加した方がよいと思います。そうでないと、社史等を確認せずに執筆していると誤解を受けてしまいますので。
- 外観節:前面窓の左右非対称の理由について、了解しました。ただ、『京王電鉄のひみつ』では左右非対称を「大きな特色」としているので、このことをはっきりと記述した方がわかりやすいと思います。ただし、左右非対称が、特に珍しいものではなく「大きな特色」とはいえないのであれば、このままでもよいとは思いますが(私は鉄道に詳しくないので、判断をつけかねます)。
- 和暦併記について、はひふへほさんのお考えはわかりました。しかし、混乱の恐れについては、西暦に和暦が「併記」されているのだから問題ない、というのが私の考えです。ただ、スタイルマニュアルでは併記が「望まれる」だけなので無理強いするつもりもなく、お考えはうかがったので、とりあえずこれでよしとします。
- 5扉車については、上でCassiopeia-Sweetさんが対応されていますので、私からは特にありません。
- 以上、ご検討ください。--Whaa(会話) 2013年12月21日 (土) 01:00 (UTC)
- コメント 社史は参考にはしていますが、社史から新たに分かったことがあまりなかったので脚注での引用はしていません。上記で挙げていただいた『京王電鉄のひっみつ』も同様です。両者とも引用をしていないので参考文献には挙げませんでした。今回参考文献に挙げたのは本2冊は書籍といってもいわゆるムック本ですので、雑誌記事とどちらが信頼性があるかは判断が難しいところだと思います。今回の記事作成では、引用するかしないかはともかく、よほど細かい車両の改造などを除いて、複数の文献で確認できたことを主体に書くようにしています。その意味で、Whaaさん、GDSTCBさんにご指摘いただいた「譲歩」の部分はやはり残しておくべきではありませんでした。ご指摘に改めて感謝いたします。6000系についての数ある記事で、ほぼすべての記事で前面形状が左右非対称であることに触れていますが、「大きな特色」とまで書いているのは『京王電鉄のひみつ』だけですので、表現を抑えています。Wikipedia:大言壮語をしないの考え方に併せているつもりです。この後、6000系が走っていた時代が遠くなっていくと、強めの表現が増えてくるかもしれませんが、その時はその時で対応したいと思います。以上、ご確認ください。--はひふへほ(会話) 2013年12月21日 (土) 04:41 (UTC)
- コメント はひふへほさんのご回答について、以下のとおりコメントいたします。
- 参考文献について、引用しているもののみを挙げているという、はひふへほさんのお考えはわかりました。しかし、「Wikipedia:スタイルマニュアル (レイアウト)」では、参考文献節には引用文献だけではなく参照文献も挙げることになっています。また、「Wikipedia:出典を明記する」でも、「参考文献の節には、記事の内容を裏付ける実際に参考にした文献を挙げてください」となっています。はひふへほさんは、上に書かれているとおり実際に社史を参考にされていますし、特に社史は基本的な文献なので、そこも踏まえて執筆されているということを明示するためにも、記述した方がよいのではないでしょうか。
- 外観節:「大きな特色」については、了解しました。
- 以上です。参考文献については、細かなことかもしれませんが、Wikipedia:秀逸な記事の選考では「書式」も点検項目となっているので、よろしくお願いします。--Whaa(会話) 2013年12月22日 (日) 01:22 (UTC)
- コメント 参考文献3冊を追記しました[8]のでご確認ください。--はひふへほ(会話) 2013年12月22日 (日) 05:56 (UTC)
- 賛成 追記を確認しました。よって、賛成に切り替えました。選考期間ぎりぎりまで、おつかれさまでした。--Whaa(会話) 2013年12月23日 (月) 00:25 (UTC)
- コメント 参考文献3冊を追記しました[8]のでご確認ください。--はひふへほ(会話) 2013年12月22日 (日) 05:56 (UTC)
(秀逸)選考基準の賛成のみ3票以上より1週間、特に異論がありませんでしたので、この項目は秀逸な記事となりました。--totti(会話) 2013年12月30日 (月) 01:47 (UTC)