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Wikipedia:秀逸な記事の再選考/チンドン屋 20120911

ノート)全体的に出典不足。出典が一切/ほとんど無いような節すらあり、秀逸な記事には程遠い。ただしそれ以外の点については特に問題は見られない。--氷鷺会話2012年9月11日 (火) 16:53 (UTC)[返信]

主な部分を書いた者です。「少ない」というのが理由とのことです。脚注で対応付けたもの30ちょっと(のべ50ほど)、参考にしたとして挙げている文献数40、一部チンドンを主題としないものは参考文献に挙げず脚注で書誌情報を示しているものもあります。数点は参照しているが触れていないもの、示した資料で言及されている一次資料で入手がそれほど容易ではないもの、触れ忘れたもの、執筆後に刊行されたり、存在を知ったものもありますが、ご覧のとおり、戦前の雑誌記事や研究発表会資料、CDのライナー、パンフレットのようなものも参照して書いたものですし、これまでチンドンについて触れている文献でも参照されてこなかったものもいくつか取り上げています。数的な面で、十分な増加は見込めません。少ないということが理由ならば、改善は困難ですから、どのようにしても秀逸から外れることになるでしょう。
「出典が一切/ほとんど無いような節」については、「出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明示してください。」というテンプレートが貼られていて、また中途半端なHarvnb化がされたため、気づかれにくくなっていましたが、「全体に堀江誠二『チンドン屋始末記』を参照しつつ、朝倉、細川、およびチンドンコンクールとちんどん博覧会の記録と合わせて記述した。このため、堀江『始末記』は脚注などでは特に触れていない。」と明記しています。どの記述がどの情報源かを示す必要があると考えたものや、書名などから対応付けが判断できないものについては、およそ脚注で示しています(ラフなところはあると思いますが)。--Ks aka 98会話2012年9月13日 (木) 05:31 (UTC)[返信]
  • 除去 主筆者さんが来られているところで申し訳有りませんが、並みの記事の出典提示ならば現状でも強い事は言いませんし、Ks aka 98さんのご説明で納得するのです。しかし、FAともなると並の記事の話し、たんに検証可能性を最低限のレベルでクリアできる程度で考えてはダメなのです。どの記述も脚注で明確に検証できなければ、「並みの記事」の上「良質な記事」さらにその上の頂点(これ以上はない)である「秀逸な記事」にはなりえません。最上のランクであるFA記事では出典提示は「およそ」ではダメなのです。「提示された出典によって完全に検証することが出来る」でないと十分では有りません。主筆者がwikipediaを離れてしまっている記事に対して厳しくするのは心情的には苦しいですが、主筆者さんが自ら「突っ込みどころ無い状態には出来かねる」というのでは残念ながらFAは外さざるを得ません。この記事はもちろん十分に良質な記事でありGAとなるべき記事でしょう。FAとGAとでは文言上の選考基準は似たようなものですが、今のFA選考とGA選考を見ていただければ分かるようにFAとGAでは実際のハードルの高さはまったく違います。完璧を要求されるのがFAです。今のFA選考では「具体的な」突っ込みどころを残してはいけないのです。長々と要領得ない説明をしましたが簡単に言うと「すべての記述が、脚注で明確に出典提示されていなければ今のFAでは通らない」のです。記事が少なかった5年前と今では実際のハードルの高さは当然に違います--ぱたごん会話) 2012年9月13日 (木) 12:16 (UTC) 追記、私のFA記事赤血球白血病も数年後にはFA再選考にかけられるかも知れません。でも、それはwikipediaのトップレベルの記事が増えたという事の現れです。『赤血球!?白血病!?、こんな記事、昔はともかく今ではFAレベルの記事ではないよね』と言えるくらいにjawpのレベルが上がってくれればうれしい事です。--ぱたごん会話) 2012年9月13日 (木) 12:31 (UTC) 追記 出典が明確に示されたので除去票は撤回します。出典の検証作業は行うかもしれませんが再選考の期限内に必ず検証作業を行うと約束も出来ないので、今現在、あえて除去票を維持する理由がなくなりました。Pasternさんが加筆なされるとのことですが今までのPasternさんの加筆の例からして記事がよくなることはあっても悪くなることはないのでそれも除去票維持の理由はなりません--ぱたごん会話2012年10月17日 (水) 10:55 (UTC)[返信]
恐れ入りますが、情報源を多少増やすことはできるけれど、「少ない」を覆すことはできないと申し上げているのであって、すべての記述に対して検証可能でないとは申しておりません。実際に、記述のあやのようなもので直接対応付けが難しいものはあるかもしれませんが、記述は、ほぼすべて挙げられている情報源で検証することが可能ですし、常識的な判断力があれば、たどり着くのが難しいような記述にはなっていません(たどりつくのが難しい資料は含みますが)。「すべての記述が、脚注で明確に出典提示されていなければ今のFAでは通らない」とは、驚きますが、「少ない」が除去の理由ではなく、出典の示し方の表面的な形式が問題だという理解でよろしいですか?--Ks aka 98会話2012年9月13日 (木) 12:36 (UTC)[返信]
言葉尻の話はしたくありませんが、FAともなると「表面的な形式すらクリアできない」のでは全然ダメです。この2年以内のFA選考では私は実際に出典に当たって賛否を入れてます(圧倒的だった地方病は別)。再度繰り返しますが、実質以前に表面的にすら完璧をこなせないようではFAではたりえません。--ぱたごん会話2012年9月13日 (木) 12:51 (UTC)[返信]
一様な形式のみを善しとしてそれを完璧にこなすことをクリアするのが必要とは思わない、と受け取って頂ければ。で、再度問いますが、「少ない」が除去の理由ではなく、出典の示し方の表面的な形式が問題だという理解でよろしいですか?--Ks aka 98会話2012年9月13日 (木) 14:24 (UTC)[返信]
コメント まずは現在の他のFAやGAと見比べてみてください。そして、Wikipedia:秀逸な記事冒頭にあるように、FAは『百科事典の記事としての「質」・「量」・「書式」に問題がないか』がその基準です。表面的な形式に問題があれば、それが(jawpで言う)「秀逸」に相当しないのは明らかです。「本文中には書いていないけれど検証してみれば分かるはず」といった主張で済むのなら、どんな記事でもどうにでもなりますね。--氷鷺会話2012年9月13日 (木) 14:42 (UTC)[返信]
ええと、確認したいのはそこではなくて、最初に氷鷺さんが述べられていたように、情報源として示してあるものの数が問題ではなくて、示し方が問題ということでいいですか?--Ks aka 98会話2012年9月13日 (木) 15:03 (UTC)[返信]
文意をみれば明らかだと思いますが、yesかnoかで答えるならyesです。脚注で出典のページあるいは小節が明確に提示されていなければ十分ではありません。現状ではタグが貼られていますがタグを剥がす事が出来ない内容です。タグが貼られた秀逸などありえません。それと脚注の15と17の朝倉喬司 1984という参考文献がありません。--ぱたごん会話2012年9月14日 (金) 11:32 (UTC)[返信]
YESの件は了解しました。脚注で出典のページあるいは小節が明確に提示されていなければ十分ではないかどうかは、ほかの方の意見も含めて判断されるべきことでしょう。ひとつのご意見として承ります。文献についての指摘は把握しております。追って修正します。--Ks aka 98会話2012年9月14日 (金) 11:56 (UTC)[返信]
脚注で出典を完璧につけて私や氷鷺さんをギャフンと言わせて下さる事を期待しています。なお、私は定期的に国会図書館に行っていますので気が向いた際には検証作業を行います。--ぱたごん会話2012年9月14日 (金) 12:30 (UTC)[返信]
出典を完璧に付けることが常に正しいとは思わないので、ご期待にはそえないかもしれません。あしからずご了承ください。--Ks aka 98会話2012年9月14日 (金) 12:33 (UTC)[返信]
それは出典を完璧に付けることができないという事ですね?--ぱたごん会話2012年9月14日 (金) 13:10 (UTC)[返信]
すでに述べている通り、短期間ですべてに出典をつけるための資料を掘り出すことが困難です。その意味では、できません。そのほかに、何か含みがあるのかもしれませんが、それを云々してもしょうがないので、これ以上はお話しする必要はないと思います。除去の理由はわかりましたし、何を求めているのかもわかりました。--Ks aka 98会話2012年9月14日 (金) 13:21 (UTC)[返信]

コメント除去を提案される方々にお願いですが、Ks aka 98さんの質問にちゃんとお答えください。Ks aka 98さんが求めておられるのは、個人的な信念の吐露ではなくて、具体的・客観的な問題点の指摘です。「はい」「いいえ」で事足りる訊き方をKs aka 98さんもしてくださっているはずです。もうひとつ、寡聞にして存じませんでしたが、いつからFAはWikipedia:完璧な記事になったのでしょうか? そうなのであれば、秀逸な記事は日本語版では一つも無いということですね。…気づいていただけないと困りますので念のため申し上げておきますが、直前の文は皮肉です。--ikedat76会話2012年9月13日 (木) 15:34 (UTC)[返信]

現状維持出典の明記の重要性についてなんら異論はありませんが、出典の明記それ自体はなんら目的ではなく「内容に問題がないか確認できる」「読者がさらに調べるときの参考になる」「著作権・著作隣接権の遵守」(Wikipedia:出典を明記する 2012年8月30日 (木) 13:24 (UTC) の版より引用)という目的に対する手段であるに過ぎません。したがって、目的の実現に対する費用対効果もまた考慮されるべきでしょう。その意味で、本記事 は出典の点数自体が相対的に多くなく、一方では「常識的な判断力があれば、たどり着くのが難しいような記述にはなって」おり、他方では「どの記述がどの情報源かを示す必要があると考えたものや、書名などから対応付けが判断できないものについては、およそ脚注で示」すよう配慮をしていると主たる執筆者が言っておられることを踏まえて、その成否を形式的にではなく具体的・実質的にに問うべきでしょう。それなしには、「再選考の依頼理由にはなぜその記事の再選考を依頼するのか、客観的かつ簡潔に書い」たとは言えず、ある意味で依頼不備とも見えます。

主たる参考文献である『チンドン屋始末記』は調べてみた所、191ページ程度の薄い書物です。「全体に堀江誠二『チンドン屋始末記』を参照しつつ、朝倉、細川、およびチンドンコンクールとちんどん博覧会の記録と合わせて記述した。このため、堀江『始末記』は脚注などでは特に触れていない」と明記されているだけでなく、「内容に問題がないか確認できる」「読者がさらに調べるときの参考になる」「著作権・著作隣接権の遵守」といった問題意識を真剣にに抱くような読者であれば問題になるような分量ではありえません(これが1冊1000ページ超の難解でテクニカルな学術書だとかいうのであれば、実際的な効果の問題として話は別になってきますが)。“脚注などで触れる”形になればなったで良いと思いますが、現状のままでも維持しても問題を感じる水準とは思いません。--ikedat76会話2012年9月13日 (木) 15:34 (UTC)[返信]

  • コメント除去寄り) ガイドラインであるWikipedia:言葉を濁さないにおいて曖昧な言い方の例として挙げられている、「…と考えられる」、「…と思われる」「…とされる」といった表現が用いられ、意見を述べている主体が必ずしもはっきりしない箇所が複数あります。

以下、見解の主体がはっきりしない箇所を列挙します。

  • この呼称は明治期から用いられ、昭和初期にチンドン屋へと変化したと考えられる。(「語義・語源」節)
  • 忠臣蔵になぞらえた音曲入りの口上が評判となり、人気を博したとされる。(「東西屋と広目屋」節)
  • 明治末から大正期にかけてを「暗黒期」とする意見もある。(「大正期の低迷と戦前・昭和期の繁栄」節)
  • この他、紙芝居や村芝居などからの流入があり、前者はゴロス、後者は鬘などの導入に繋がったと思われる。(「大正期の低迷と戦前・昭和期の繁栄」節)
  • 昭和に入って野外広告板、アドバルーンやネオン管によるビルなどの広告が登場し、チンドン屋は地域密着型になっていったとされる。(「広告としての位置づけ」節)
  • ゴロスは、紙芝居でも話の合の手として用いられており、紙芝居からチンドン屋へ転業する際に持ち込まれたという意見がある。(「編成と楽器」節)
  • 「名月赤城山」や「無法松の一生」「野崎小唄」などは、和洋合奏による映画の伴奏からチンドン屋のレパートリーとなったと思われる(「レパートリー」節)。

これらの箇所については改善を行うべきと考えます。Wikipedia:言葉を濁さないには改善方法として、「その意見を述べている主体の名前や姿をはっきりさせることが望ましい」とあります。「全体に堀江誠二『チンドン屋始末記』を参照しつつ、朝倉、細川、およびチンドンコンクールとちんどん博覧会の記録と合わせて記述した。」という出典に関する説明を踏まえ、おそらく堀江の主張であろうと解釈することも可能ではありますが、それでもあいまいな部分は残りますし、何らかの方法でより明確にしたほうがいいでしょう。

現状では維持票を入れる気にはなれません。しかし私が指摘した箇所が事実堀江誠二『チンドン屋始末記』における堀江の主張だとするならば改善を行うことは比較的容易なはずで、直ちに除去票を入れるのもためらわれます。しばらくコメントにとどめ様子をみさせてください。なおすぐに動くことは難しいと思いますが、間に合うようであれば再選考期間中に『チンドン屋始末記』を参照して自ら改善を行ってみたいとも考えています。--Pastern会話2012年9月14日 (金) 09:28 (UTC)[返信]

ご指摘について了解しました。あいまいなところで、参照できるものについては、適宜対応してみたいと思います。引越し後のためダンボールの中でひとつきふたつきで見つけるのは実質不可能ですが、始末記や朝倉はなんとかします。--Ks aka 98会話2012年9月14日 (金) 09:34 (UTC)[返信]

現状維持Wikipedia:秀逸な記事の選考#秀逸な記事の目安には「「出典」または「参考文献」が挙げられている。」とのみ記されており、その方法について脚注形式で出典を示すこと自体は求められていないため。ただしこの再選考中に指摘のあった主張者が誰であるか不明確な部分の改善は直接原資料にあたっている利用者:Ks aka 98さんにお願いすることが現状では記事をより良くする方法として(秀逸な記事の選考とは無関係に)最善の方法かと考えます。また、この再選考中の利用者:ぱたごんさんの発言、「脚注で出典を完璧につけて私や氷鷺さんをギャフンと言わせて下さる事を期待しています。なお、私は定期的に国会図書館に行っていますので気が向いた際には検証作業を行います。」ですが、この発言は初版執筆者・主執筆者にとらわれず、方針に従うのであればだれでも編集することのできるWikipediaのあり方を御理解されていない発言だと考えます。本記事に不足している部分があるとお考えだとすれば、ぜひとも検証作業が行えるほどの見識をお持ちだと主張されるぱたごんさんご自身にも記事の改善を行って頂ければと考えます。その際の検証についてはいずれKs aka 98さんにお願いできると考えております。また利用者:Ikedat76さんからもご指摘がありましたが、Wikipedia:秀逸な記事Wikipedia:完璧な記事とを混同する行為は今後の選考だけでなく他の記事執筆、編集についても悪影響を及ぼす行為だと考えます。--Himetv 2012年9月15日 (土) 07:22 (UTC)[返信]

言いがかりはよして下さい。私は白血病、赤血球、現在では八百屋お七を改稿しています。それは誰が初版執筆者・主執筆者など関係有りません。誰が書いたかは関係なく、その記述を残したい人が必要なレベルに仕上げるべきだと言ってます。私がこの記事をFAに残したいと思えば私が加筆・出典提示しています。その気にならないだけであって、記事を誰が初立項したかなどはまったく無関係な話です。この記事を残す気になるかどうかは任意であって、私の記事の私物化云々の指摘はまったく的外れです。私が記事の所有者=初版立項者だと思っているなら何故白血病や赤血球、八百屋お七に労力使って改稿するのでしょうか?Wikipedia:秀逸な記事Wikipedia:完璧な記事とを混同などしておりません。出典が脚注で示されていなければ検証が困難だと言っているだけです。--ぱたごん会話2012年9月15日 (土) 14:10 (UTC)[返信]
コメント検証を行なえるだけの高い見識と傾けられる労力をお持ちならば、是非その能力と労力を加筆のため傾けてください。それこそが記事をよりよいものにする最も速い解決方法でしょう、というのが先ほど申し上げた意見の趣旨でした。御理解いただければ幸いです。なお、ご自身がWikipedia:秀逸な記事Wikipedia:完璧な記事とを混同されていないとすれば御自身については勿論それで構わないのですが、この論議を見た他の利用者が混同しかねない状態になっておりましたのでご指摘申し上げました。また、誰が書いたかは関係なく「その記述を残したい人が必要なレベルに仕上げるべきだ」という御主張であれば、「脚注で出典を完璧につけて私や氷鷺さんをギャフンと言わせて下さる事を期待しています。」という御発言はKs aka 98さんのみに対して期待しているような記述になっており、ぱたごんさん御自身のお考えに反していると考えております。なお、2012年9月15日 (土) 14:10 (UTC)の御発言でぱたごんさんがこの記事に対して検証する以外の労力について傾けるつもりがないことだけは強く伝わってきましたので、ぱたごんさんがこの記事について加筆することは求めません。しかしながら、脚注で出典が完璧についた状態であれば行え、それが無いと困難になるような検証手順であれば、ぱたごんさんだけでなく他の多くの利用者が作業に掛かれると考えますし、作業に掛かれる方の中でぱたごんさん以上の見識・技量をお持ちの方も大勢いらっしゃるでしょう。今回の場合検証作業についても他の方に任せた方がよろしいのではないでしょうか。私としましては、加筆・執筆することについてその気になれない方が検証についてのみは積極的に手を挙げられているこことが極めて不自然に感じましたので御意見申し上げました。ご寛恕頂ければ幸いです。--Himetv 2012年9月15日 (土) 16:55 (UTC)[返信]
あるかないか分からない出典を探すのと指し示された出典にあたるのとでは労力がまったく違います。Himetvさんが私に検証するななどという権利はないかと思います。で、Himetvさんはタグがこんなにたくさん貼られた記事が秀逸に値すると本気で思っているのですか?--ぱたごん会話2012年9月15日 (土) 22:06 (UTC)[返信]
コメント勿論ただ単にタグを貼るだけなら荒らしの利用者も行うことですのでタグの有無だけでは判断できませんが、この記事に貼られているタグ荒らしや中傷目的ではないと考えます。但し、ぱたごんさんこの記事について「タグがこんなにたくさん貼られた記事」と仰っている件に関しては、節別に同じタグが貼られているだけであって、冒頭のひとつにまとめられるものを多く見せているだけのように感じます。しかも指摘内容は「参照方法」のタグであり、Wikipedia:秀逸な記事では求められていないものです。これのみを理由にWikipedia:秀逸な記事ではないと断ずるのは無茶だと考えます。なお私にはぱたごんさんの検証を強制的に止める権利はありませんが、ぱたごんさんは検証を行わないべきだと非難する権利はあると考えています。--Himetv 2012年9月15日 (土) 22:56 (UTC)--2字挿入2字削除--Himetv 2012年9月16日 (日) 00:03 (UTC)[返信]
あなたがどう思おうが、必要と思えば出典を検証します。虚偽出典でなければ困ることはないしょう。つか、本音を言えば私の記事の脚注も国会図書館で検証していただきたいのです。脚注が100も200もあればケアレスミスもあるかも知れません。のりまきさんやさかおりさんのようなJAWPの頂点に立つ優良執筆者の記事だって探せば1つか2つくらいはケアレスミスはあるかもしれません。検証作業を拒否するのは虚偽出典をしている人だけです。--ぱたごん会話2012年9月19日 (水) 14:21 (UTC)[返信]

コメント 問題のタグは、基本的に問題点があるという考えて貼られるものと言えよう。「軽易」というからには長文の理屈を繰り返している間に修正できるということ(特にあらためての説明・釈明を求めるものではありません)。--GDSTCB会話2012年9月17日 (月) 05:11 (UTC)[返信]

  • コメントKs aka 98様が大幅に改善されるみたいですのでその結果を見たいと思います。今の時点の記事をもしも新規にFA選考に出したら通らないと思います。つかGAでも難しいでしょう。今では脚注がビシバッシとついてないと通りません。今の状態で維持になってしまったら再選考で落とされた他の記事がかわいそうだし不公平だと思います。でも、Ks aka 98様が大幅に改善されて脚注が隙なくビシバッシとついたらFAに留めるべきだと思います。--朝姫会話2012年9月17日 (月) 07:27 (UTC)[返信]
    • コメント「脚注がビシバッシ」?私のコメントをお読みになったうえでこのコメントをなされているのでしょうか。脚注は手段の一つに過ぎないと申し上げているとおりですし、具体的に記事を読み込んだ上での評価とは理解できません。また、再選考は「かわいそう」などという理由でするものではありません。読むに堪えないような不適当なコメントはお控えください。--ikedat76会話2012年9月17日 (月) 13:56 (UTC)[返信]
    • コメント参照方法を脚注化すること自体はWikipedia:秀逸な記事の選考#秀逸な記事の目安では求められていません。ご確認いただければ幸いです。--Himetv 2012年9月17日 (月) 14:03 (UTC)[返信]
  • 除去 「広告としての位置づけ」や「チンドン屋の芸」の一部にはいまでも出典がありませんな。Wikipedia:秀逸な記事の選考#秀逸な記事の目安は必要条件であって、十分条件ではない。必要条件とはそれを満たさなければ問題外だが、満たしさえすればいいというものではない。--Naitou1980会話2012年9月28日 (金) 00:40 (UTC)[返信]
  • 除去 そうそれです。私が言いたかったのはWikipedia:秀逸な記事の選考#秀逸な記事の目安は必要条件であって、十分条件ではない。です。2週間たった今日になってもまだ出典がついてないところがあります。もしもいまのちんどん屋を新規に選考にかけたら通らないと思います。昔の基準でOKでも今の基準では参照方法を脚注化されてないと難しいので見直すことは必要だと思います。--朝姫会話2012年10月2日 (火) 07:34 (UTC)[返信]
わかりにくいと言われたので書き直しますがWikipedia:秀逸な記事の選考#秀逸な記事の目安は必要条件であって、必要条件を満たさないのは全然ダメだけど、満たせば良いという十分条件ではないので、はやり脚注で明確に参考文献のページ数が示されていなければ、いまのFAでは不十分だということです。--朝姫会話2012年10月4日 (木) 00:57 (UTC)[返信]

出典が整備されたので取り消します。--朝姫会話2012年11月29日 (木) 02:40 (UTC)[返信]

  • 現状維持問題無し。検証・確認箇所を明確化するために現在実施されている作業は継続していく方が望ましいと思われます。「チンドン祭」に関しては歴史もあるようなので取り上げても良いかもしれません。名称については現代では屋をつけないのが一般的とする意見[1]もあったので、調査して「語義・語源」の節に追記した方が良いかもしれませんが、どちらも特に強くは求めません。--ayasesaya会話2012年10月20日 (土) 06:38 (UTC)[返信]
  • 現状維持Ks aka 98さん、Pasternさんによる改稿により再選考に際し指摘されていた問題点は改善されたため。
本記事のFA再選考は内容そのものに際し疑義が生じたための再選考ではなく(Pasternさんによる指摘以外に内容について問題とする指摘は当初依頼も含めて見当たらない)、出典の掲示形式が主要な論点となっているので、その点に改善が図られた現在となっては除去が必要とする根拠がないものと考えます。
なお、本記事の主要参照文献とされている堀江『チンドン屋始末期』他関連書籍を読みましたが、疑わしい内容の記述は見当たりませんでした。また、本記事がFAとなった2007年以降にリリースされた記事主題についての情報の反映という観点からも、私が閲覧できた文献のうち本記事に反映すべきであろうと思われた、大場ひろみ・矢田等『チンドン 聞き書きちんどん屋物語』が記述に反映されたことから問題ないと考えます。--WDS487会話2012年11月8日 (木) 14:21 (UTC)[返信]

除去2、 現状維持4。除去票は75%に達しないため、現状維持。--ikedat76会話2012年11月28日 (水) 17:21 (UTC)[返信]

規定に反する虚偽の終了宣言のため取り消します。--氷鷺会話2012年11月29日 (木) 11:20 (UTC)[返信]

終了 規定により、現状維持で終了とします。--氷鷺会話2012年12月8日 (土) 13:31 (UTC)[返信]