Wikipedia:秀逸な記事の再選考/ジハード 20070916
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(ノート) 秀逸とするにはあまりにも内容不足。必須の点だけをわかりやすくカバーしただけでは不十分である事は周知の通りである。 対策室 2007年9月16日 (日) 02:45 (UTC)
- (現状維持)いったい何が不足なのか具体的に示していただきたい。YODAFON 2007年11月16日 (金) 01:34 (UTC)
- (除去)(対策室さんと意見を共有しているかどうかはわかりませんが私の意見)秀逸になった時点では小ぶりによく纏まった記事といえた。その時点からふくらませるべきものとしては、法学的な問題、特にスィヤルとの係わりや思想史的展開、現代における再解釈的問題とカリフ論とのからみ、スーフィズムにおけるジハードの取り扱いや現代諸国家におけるジハード理念の利用などがあったと思う。しかしながら、増補されたものの、いまだにこれらの内容の叙述が不足している(というより法に関わる問題など、イスラームがらみの大きな項目は軒並み赤リンクなので、それに関わる問題を叙述する際には丁寧な解説が必要である)。さらに法学的な内容やその細則と、思想史的な内容とその展開、また歴史的事象とジハードの関連などがぐちゃぐちゃになってしまっていて著しく読みにくい(コーランやマーワルディーの引用も唐突の観が否めない)し、論旨も失当である。思想史的には、最近読んだ中で手に入りやすい池内恵「ジハードの思想史に向けた試論」『RATIO』3, 講談社, 2007年., pp. 128-173.の整理は有益なので、これによって新しい研究の成果を取り入れつつEncyclopaedia of Islamの扱う論点とキーワードをうまく編成する必要がある。また現状は「侵略戦争」との係わりの問題が全編を貫いており、論理自体が破壊され、そもそも「ジハード」とは何かという問いに対して十分に答えていない。これが失当とする理由である。侵略戦争云々は侵略戦争を是としない現代世界の文脈との衝突である。政治的社会的状況の変化などから11世紀ころからジハード理念が内面的努力の方向に向かったのと同様に、現代世界の侵略戦争を是としない社会において、どのような思想的衝突があり、それがどのような変容を見せているかを記述すべきであろう。全体の分量と質も不足しているなかで、さらに出典も参考文献も、一定程度成長した現在のWikiepdiaにおいては明らかに不足している。現状を秀逸として提示するのは、読者の立場からみても、また目標としての秀逸記事という書き手からの立場から見ても、到底ふさわしいものとはいえない。--Kotoito 2007年11月16日 (金) 20:19 (UTC)
- (除去)Kotoitoさんが詳細を述べているので、あまり、書くこともないのですが。ジハードが「努力する」というアラビア語のジャハダを語源とする文章は残されているが、その後「内へのジハード」と「外へのジハード」と論旨展開されている。しかし、文章は、「外へのジハード」についての言及に終始している点を考えるとあくまでもジハードの多面性を捉え切れているとは到底言い得ない。また、ナリタブライアン、GARNET_CROW以降の秀逸な記事の選考で、もとめられているレヴェルがあがっていることも考えると秀逸のレヴェルに到達しているとは到底思えない。--Tantal 2007年11月16日 (金) 23:18 (UTC)
- 除去: 構成がそもそもしっかりしていないため。 Kzhr 2007年11月18日 (日) 17:53 (UTC)
「除去票が3票以上、全体の75%以上」となった時点から1週間が経過しましたので、秀逸な記事から除去いたしました。--氷鷺 2007年11月26日 (月) 01:55 (UTC)