Wikipedia:投稿ブロック依頼/Pauro 2003
利用者:Pauro 2003(会話 / 投稿記録)
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利用者:Pauro 2003(会話 / 投稿記録)さんは、2010年1月にアカウントを作成され、以来今日まで活動を続けておられます。しかしその間Template:出典の明記や即時削除テンプレートを添付し、執筆者など他の利用者との間に衝突が生じるというケースを複数回引き起こされています。私は2010年10月にWikipedia:コメント依頼/Pauro 2003 20101006を提出し、Pauro 2003さんが引き起こした複数の衝突についてコメントを求めました。
その中でPauro 2003さんは、あるケースでの対話相手の利用者ページに精神疾患により闘病中であると書かれている事実を指摘した上で、「『うつ病』『パニック障害』『統合失調症』など闘病生活をされている多くの方と個人的な接点があります。概ねコミュニケーションができない場合が様々な面であるという事を経験上理解しています。」と発言されました[1]。この発言については差別や偏見と判断されても仕方がないという意見が複数寄せられましたが、なおもまったく同じ発言を繰り返しました[2]。
上記発言を繰り返したことに対し批判や苦言が寄せられると、Pauro 2003さんは問題の発言を撤回し、謝罪をするに至りました[3][4][5][6]。しかし、Pauro 2003さんは同時に、ご自身の会話ページにおいて「人権侵害を犯したとは考えていません。」とも発言されました[7]。私がこの発言について、謝罪と矛盾するのではないか[8]と質問したところ、「差別的発言、差別と疑われる発言が即「人権侵害」とされるのでしょうか?差別的個人の発言や人格を傷つけてしまう個人的発言が「人間の権利を侵害する」人権侵害とは考えていません。私はこのウィキペディアにおいて何ら権力を持ち合わせていません。また、私の発言により何か……権利を侵害してしまったのでしょうか?もしそうであるならばどのような権利を侵害したのでしょうか?」と返答されました[9]。
上記返答に対し、私は「『精神障害者に対する差別発言、差別と誤解されるような発言をしたことに関して心から深くお詫びいたします。』と発言する一方で『人権侵害を犯したとは考えていません。』と発言するという被依頼者の態度の妥当性が問題であると指摘した上で、謝罪の相手が「人権侵害を犯したとは考えていません。」という発言をどのように解釈するだろうかということを考えなかったのかと質問しました。すると、Pauro 2003さんは「すでに御説明しています。人権侵害と個人の発言として人格を傷つけてしまうこと、差別的な言動とはまったく意味が違うと考えています。その意味で人権侵害はしていないと言いました。」[10]、「『人権侵害』という言葉は、人としての権利を侵害する奪うものであることは誰でも知っていることです。私が人の権利を奪うことができると考える方はいないでしょう。実際そのような権力をウィキペディア上には持っていません。……人権侵害の中には障害に対する差別や差別的発言が属性として含まれます。しかし、差別や差別的発言=人権侵害ではないことは明らかです。人権を侵害していないのですから人権侵害はないのです。」[11]と「人権侵害を犯したとは考えていません。」という自らの発言を正当化した上で、「不知である方がどのように誤解されようと仕方のないことですね。」[12]と発言されました。
私がした、「謝罪の相手が『人権侵害を犯したとは考えていません。』という発言をどのように解釈するだろうかということを考えなかったのか」という質問に対する返答が「不知である方がどのように誤解されようと仕方のないことですね。」というのはあまりにひどいと思いました。自分が差別的発言を向けた相手への言葉とは思えません。あまりにも相手への思いやりや配慮に欠けた言葉です。コメント依頼の依頼者としては、指摘したような相手への配慮の欠如や、考えが異なる他の利用者を「不知」と呼んだ挙句、自分と異なる考えは「誤解」、つまり誤った理解や解釈であるとするその態度こそ、Pauro 2003さんがこの1年余りの間、複数の利用者と衝突を起こしてきた原因であると考えざるを得ません。しかもそのことを、Pauro 2003さん本人が問題として認識してるところが全く感じられません。それも、発言より前に、他の利用者から「パウロさんの行動にはやや独善的というか、『自分が正しいことを疑わない』というような点がありますので、その点は反省して今後の行動に活かしてもらいたいと思います。」[13]とコメントされていたにもかかわらずです。
私は、このようなPauro 2003さんの発言や対話姿勢、およびそこから感じられる他の利用者への配慮に欠けた心のありように、大きな不安を覚えます。このままでは近い将来、Pauro 2003さんの言動によってさらなる衝突が生じ、コミュニティに重大な疲弊がもたらされることを懸念せずにはいられません。以上の理由から、Pauro 2003さんの投稿ブロック依頼を提出いたします。
なお、上記Wikipedia:コメント依頼/Pauro 2003 20101006について、被依頼者であるPauro 2003さんが繰り返し、「非難することだけを目的にした」ものであるという趣旨の発言をされていることも付け加えておきます[14]、[15]、[16]。(コメントを受け補足)--Pastern 2011年2月20日 (日) 03:10 (UTC)[返信]
- 賛成 コメント依頼で他の利用者から指摘されたように、Pauro 2003さんには「自分が正しい」という確信に近い思いがあるようです。このことが相手を「不知」と評するような心のありように繋がり、他の利用者との衝突や配慮を欠く発言・対話姿勢に繋がっていると感じています。Pauro 2003さんにはまず、自分とは異なる考え方を尊重するという、コミュニケーションの基本を確立するところから始め、発言内容や対話姿勢の改善のために、ご自身の心のありようをしっかりと見つめ直して頂きたいと思います。ちなみに上記コメント依頼において私が「今後同様の差別的発言(ここでは「人権侵害」発言は除外しています。その前の、「『うつ病』『パニック障害』『統合失調症』など闘病生活をされている多くの方と個人的な接点があります。概ねコミュニケーションができない場合が様々な面であるという事を経験上理解しています。」のような発言を指しています。)を行うことのないよう、どのような注意を払うつもりであるのか」ということをお尋ねした[17]ところ、Pauro 2003さんは「さて謝罪をしているということで、今後同じ誤った発言をしないということが含まれていると深慮していただきたかったですね。」と、そのための具体的な方策をなんら提示することなく、「今後同じ誤った発言をしない」と述べるだけで十分であるかのような発言をした上、「Pasternさんの御提案お聞きしたいと思います。」と、私に再発防止策を提示するよう要求しています[18]。Pauro 2003さんには誤った言動を繰り返さないための方策を自分で考えるという視点が欠落しているようです。この点に関する改善も行って頂きたいということを考慮に入れると、少なくとも年単位の期間が必要でしょう。問題点が改善されるまでの無期限のブロックにも反対しません。--Pastern 2011年2月19日 (土) 16:26 (UTC)(加筆)--Pastern 2011年2月19日 (土) 17:36 (UTC)(コメントを受け補足)--Pastern 2011年2月20日 (日) 03:10 (UTC)[返信]
- 反対 Pauro 2003さんがきわめて失礼な発言をしたのは事実ですが、謝罪と訂正が済んでいる以上1度の発言を理由にブロックを行うべきではありません。人権侵害や再発防止策うんぬんについての依頼者の主張はナンセンスです。ウィキペディアは人権侵害について話し合う場所ではありませんし、各利用者の「心のありよう」についてダメ出しする場所でもありません。今後、同様に失礼な発言を繰り返すようなら故意があろうとなかろうとブロックすべきだと思いますが、現段階でのブロックには賛成できません。--チャボ 2011年2月19日 (土) 23:22 (UTC)[返信]
- コメント 本当はコメント依頼の段階で記すべきだったのかもしれませんが、コメント依頼に気づいておりませんでしたので、本ブロック依頼段階ではありますが記させていただきます。被依頼者さんとはある案件において話し合い、結局意見の行き違いのまま、不幸な結末となったことがあります。その案件における当事者(客観的判断ができているかどうか疑わしいと見られる可能性がある)という立場から、投稿ブロック依頼への賛否については記しません。
その案件は、被依頼者さんの編集({{特筆性}}付与)およびノートでの問いかけ[19]に異議を唱えても[20]、(その頃、2010年8月14日から話が終わる9月19日まで被依頼者がWikipedia上で連日活動しているにも関わらず[21])ノートでの追加説明はなく、約1週間後に「お気づきでないかもしれないので」と会話ページに問いかけてみるも[22]、被依頼者さんご自身の行動に対する説明はなく、その代わりに「広く意見を求めたのだから(特筆性テンプレートを貼り付けたまま)最低でも一ヶ月は待つべき」[23]という発言があるというものでした。そして結局、特筆性テンプレート付与に対する説明があったのは、私が「説明がない限り特筆性テンプレートを除去する」と予告[24]した除去期日が差し迫った頃、左記の発言から約1週間後でした[25]。その後もいろいろと話を続けましたが、私の考えは正しく伝わっていないようであり(被依頼者さんの考えも私に伝わらないようであり)、最後には、私のミスをことさら取り上げる展開となって怒ってしまい[26]、その案件については意見の行き違いのままとなってしまいました。より詳しくは、「ノート:井上苑子」および「利用者‐会話:Pauro 2003/過去ログ1#井上苑子さんの記事について」をご参照ください。
今回の依頼のきっかけとなる「Wikipedia:コメント依頼/Pauro 2003 20101006」の冒頭に記されていた、依頼者の対話姿勢の傾向の一部について、私は、上に挙げたある案件においても同じような傾向を感じました。より具体的には≪自らの行動の意図に関する説明が丁寧でなく、不親切。≫の部分は上に挙げたように、特筆性テンプレート付与に対する説明を求めてもなかなか説明しようとしない点、≪相手やその言動を……「何を言っても捻じ曲げて解釈される」……そのような発言を行って上で対話を打ち切ろうとする傾向がある。≫の部分は最後に挙げた編集差分の要約欄「人の話した事を捻じ曲げ解釈するため対話終了」と記された点をご確認いただければと思います。≪失礼な発言を繰り返すようなら≫というコメントがありますが、先のコメント依頼だけでなく、それより約半年前に提出されていた「Wikipedia:コメント依頼/Pauro 2003」を見ても、対話姿勢において他者から疑問の声が挙がるような発言は過去にも何度も繰り返されているように感じており、コメント依頼を重ねても根っこの部分は変わらない人だという印象を受けています。ただ、先に書いたように私は当事者ですので、単に過去事例を提示するに留め、私の感じ取り方を提示することが今回の依頼に沿ったものであるかどうか、妥当な感じ取り方であるかどうか、それを票にどう取り入れるかは、各投票者の方々の判断にお任せします。--NISYAN 2011年2月20日 (日) 01:18 (UTC)[返信] - 反対 彼からの赦罪がなされており、対話に応じています。Pauro 2003さんが一見厳しく見えるほどに出典を求めることは正直いって「めんどくさい」と感じてしまったことがありますが、ウィキペディアの公式方針が出典を求めており、それは記事の改善のために必要な作業であって、従来の日本語版の記事に出典の無い記述が多かったことに問題があったと言えます。--イザヤ 2011年2月21日 (月) 03:17 (UTC)[返信]
- 反対 既に謝罪を述べている相手に、ここまで追い詰める必要があるのでしょうか。依頼者は、「大きな不安を覚えます」「近い将来」「~されることを懸念」などと、漠然とした理由で、軽々しく依頼を出さないでください。--Ashtray 2011年2月21日 (月) 15:35 (UTC)[返信]
- 反対 私もパウロさんと軋轢を起こしましたが対話が通じるかどうかは別として現在の彼がブロック措置が必要なユーザーだとは思えません。--ShellSquid/履歴 2011年2月21日 (月) 16:04 (UTC)[返信]
- 反対 同感です、十分な話し合いの上に謝罪までされている方に、さらに制裁をかけるかのようにブロック依頼だ!などと、ここまで詰め寄る必要があるのでしょうか? 私もPauro2003さんと話し合いをした経験がありますが、決して他人の嫌がらせや荒らし行為などするような人ではなく、いつも真摯で率直なご意見をされる真面目な方だとお見受けしております。もう少し皆様でいろいろと話し合ってみてはいかがでしょうか?今回の件についてもブロックするまでの必要性は特に無いものと判断します。--Tsubasabbs 2011年2月24日 (木) 13:42 (UTC)[返信]
- (取り下げ)私には謝罪する一方で不誠実な態度をとっているように見え、このままでは今後また同様の軋轢を引き起こす可能性は高いように思えましたが、コミュニティの見解とは食い違いがあったようですので依頼を取り下げます。--Pastern 2011年2月24日 (木) 14:11 (UTC)[返信]
- コメント もう取り下げてしまわれたようですがコメントのみ。現時点ではブロック依頼は必要無いと思います。しかしながら「ブロック依頼までは必要ない」ことが「無問題」を保証するものではないことは勿論です。イザヤさんにはこの点で特に異論を出して置きます(外国語文献を否定的にとるPauro2003さんの見解は乱暴に過ぎますし、そういう意見が通れば、英語版のカトリック百科事典やルター派教会事典、ロシア語版の正教会事典が使えなくなります)。コメント依頼でも多くの問題点が指摘されていることもありますが、「謝罪しているのにいいじゃないか」と言う方も何人かおいでですが「謝罪」とはもっと真摯なものではないでしょうか?現状、被依頼者の依頼者に対する「誘導の結果ああいう書き込みをしてしまった」云々という弁明は、正直言って「反対」票を入れるのまでは躊躇われます(この「躊躇い」がコメントが遅くなりました最大の理由です)。被依頼者に対する警戒や不信感は依然として残っており、ブロック依頼が「今回は」通らなかったからといって、被依頼者に問題が無いかのようには、被依頼者にも第三者にもとって欲しくはありません。その事は強調して申して起きます。--Kinno Angel 2011年2月24日 (木) 16:06 (UTC)[返信]
- コメント 外国語文献を否定的にとることについては全く同意できません。ヘブライ語やギリシャ語の意味を無視、軽視してもかまわない、調べなくてもいいと主張する人たちがいて私も困り果てています。日本ではギリシャ語の意味と関係なくてもいいと主張する人もいました。ロシアはサードローマといわれたほどで、正教とユダヤに関する重要な文献でロシア語にしかないものがあります。ロシア語は死語ではなく、研究も盛んであり、検証可能です。これを出典にできないなどということはあり得ません。Pauro2003さんはもしかしたら「口がうまい」人ではないのかも知れないと感じます。文化によっては「口がうまい」人はかえって信用されないと聞きます。私は必要な時にPauro2003さんと対話していきたいと思います。--イザヤ 2011年2月26日 (土) 03:59 (UTC)[返信]
- (終了提案)既に依頼者側より取り下げ表明があったので今回は様子見で「ブロックせず」で終了で結構でしょう。--目蒲東急之介 2011年2月27日 (日) 02:23 (UTC)[返信]
- (終了)依頼取り下げ、反対票多数のため、審議を終了します。そのうえで被依頼者は、上記の意見について、ぜひご内省いただければ幸いです。アイザール 2011年2月27日 (日) 12:10 (UTC)[返信]
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