Wikipedia:投稿ブロック依頼/大和屋敷 20120820
このページは以下にある投稿ブロック依頼の議論を保存したものです。さらなる議論が必要な場合は当該ページのノートページで行ってください。このページは編集しないでください。
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議論の結果、終了 に決定しました。
南京大虐殺という論争的な記事の編集をめぐって、大和屋敷さんとの間で編集合戦に近い状態になっています。6ヶ月近く維持された導入部の表現に関して、8月17日から差し戻しが続いており、いったん、8月17日より前の状態に戻した上で、どのような表現に改めるのかノートで提案を行い、合意を取ってから実際に編集するように何度も呼びかけているのにもかかわらず[1][2][3]、大和屋敷さんはこのような呼びかけを無視して3日間で三度の差し戻しを行っています[4][5][6]。Wikipedia:合意形成を尊重した編集姿勢とはとても思えず、Wikipedia:投稿ブロックの方針#8.1項 議論の拒否や妨害にある議論が進行中であるにも関わらず自分の主張に沿った編集を強行する人に該当すると考えるので、投稿ブロックを依頼します。--Bugandhoney(会話) 2012年8月20日 (月) 21:10 (UTC)
- 賛成 依頼者票。--Bugandhoney(会話) 2012年8月20日 (月) 21:10 (UTC)
- 賛成 何度も注意・ブロックされているにも関わらず全く改善していないようなので。--こうこうやん(会話) 2012年8月21日 (火) 04:29 (UTC)
- 反対 意見の対立を話し合いではなく、ブロックという手段で収めようと言う依頼にしか見えない。第三者の意見を集める努力をして当該ノートでの話し合いで解決を目指すべき--ぱたごん(会話) 2012年8月21日 (火) 09:29 (UTC)
- 反対 大和屋敷様の立場から見ると、依頼者様サイドが同様の行為を行っている事になります。どちらもブロックされるような話ではなく、まずはコメント依頼で第3者を招いて議論すべきものでしょう。--JapaneseA(会話) 2012年8月21日 (火) 11:46 (UTC)
- (補足)大和屋敷さんと衝突するのはこれが初めてではなく、対話を軽視する姿勢が顕著で毎回苦労しています。まず、Wikipedia:常に要約欄に記入するに反して要約欄での記載のない差し戻しが非常に多いです[7][8][9]。このような編集姿勢は複数の記事で複数の編集者と軋轢を生んでいます(Wikipedia:投稿ブロック依頼/大和屋敷 解除、Wikipedia:投稿ブロック依頼/大和屋敷、管理者伝言板)。他の利用者との対話では乱暴な言葉遣いが散見されます[10]。英語版ではこのような編集姿勢がたたって無期限ブロックされています(詳細はen:User talk:大和屋敷で確認できます)。管理者との対話を日本語と機械翻訳で通そうとしたり、日本語で暴言を吐くなど、対話姿勢の欠如がはっきりとしています。ちなみに、このエピソードに関して、本人は私は英語は使えますが英語を使いたくないので英語版ではかならず機械翻訳を利用します。その結果BANされておりますなどと語っていて[11]、反省しているふしや何が原因で無期限ブロックされたのか理解しているようには見えません。以上、単に一つの記事での行動だけで投稿ブロックを依頼しているわけではなく、大和屋敷さんには対話の重要性の理解や対話姿勢が欠如していることが顕著であることを補足いたします。--Bugandhoney(会話) 2012年8月21日 (火) 15:18 (UTC)
- コメント大変失礼ですがBugandhoneyという登録ユーザーは存じ上げません。いつどのような記事で【対話を軽視する姿勢が顕著で毎回苦労】おかけしていたのか、ぜひご指摘頂きたいです。また当方としては存じ上げませんので一方的な知人扱いは止めて頂きたく、宜しくお願い申し上げます。--大和屋敷(会話) 2012年8月21日 (火) 16:04 (UTC)探しましたがちょっと発見できませんでした。いつどのような記事で【対話を軽視する姿勢が顕著で毎回苦労】おかけしていたのか、ぜひご指摘お願い申し上げます。--大和屋敷(会話) 2012年8月21日 (火) 16:19 (UTC)
- 意味が分かりません。私が大和屋敷さんと知人であるなどという主張はしたつもりはないのですが。とにかく、私と大和屋敷さんが知人であるかどうかがこの依頼と関係があるとは思われないので、私と大和屋敷さんは知人ではないということでいいです。
- 私と大和屋敷さんが記事の編集で直接関わった例は、今回の件以外だと、ノート:南京事件 (1937年)#論点とすべき歴史的資料が十分に得られない研究実体を前提として特に中国側から見て単なる事実(史実)調査にとどまらない政治的要素が含まれるとWikipedia‐ノート:信頼できる情報源#導入部を挙げられると思います。前者では、私が付加したメンテナンスタグを記述の改善なくはがされ続けたのですが[12][13]、ノートでの説明や要約欄の記載さえなかったので理由が分からず、結局私のほうからノートで問いかけた結果、不都合があれば全部削除してくださいという答えが返ってきて、だったらなぜ二度も差し戻したのだろうと徒労感を覚えました。後者に関しては、私の大胆な編集に対する大和屋敷さんによるリバートです。ノートでしばらく対話を続けた結果、大和屋敷さんが問題視していない部分まで巻き添えにされてリバートされていたということが分かって、問題だと考える部分の修正ではなく、ぞんざいな扱いのリバートにちょっとがっかりしました。ただし、後者に関しては通常の「編集→リバート→議論」というサイクルの範疇にあると思います(投稿ブロック依頼の理由ではないです)。--Bugandhoney(会話) 2012年8月21日 (火) 23:54 (UTC)
- 賛成--ラヒーム(会話) 2012年8月22日 (水) 09:00 (UTC)
- 反対 被依頼者と依頼者の編集合戦について、一方のみをブロックというのは適当ではないでしょう。--Tiyoringo(会話) 2012年8月22日 (水) 09:35 (UTC)
- 提案 コメント依頼が提出され、ノート:南京事件 (1937年)#導入部の書き換え方で議論が行われています。話し合いの場を設ける一方で相手をブロックする、というのは矛盾しているので、一旦このブロック依頼は取り下げ、当該記事のノートでの議論の結果を待つのが良いと考えます。--Shinya1739(会話) 2012年8月22日 (水) 10:50 (UTC)
- ああ、、ノート:南京事件 (1937年)#論点とすべき歴史的資料が十分に得られない研究実体を前提として特に中国側から見て単なる事実(史実)調査にとどまらない政治的要素が含まれるの方でしたか。これは失念しており失礼しました。ところで該当箇所での検討は、当方としましては円滑に合意できたものと解しておりましたが、Bugandhoney氏におかれましては【対話を軽視する姿勢が顕著で毎回苦労】されたというよし、どのようなご不満があったのでしょうか?毎回とおっしゃるかぎり、そうとうご不快な印象を引きずっておられるように拝見いたしますが。どう見ても当方が事実関係について説明し、Bugandhoney氏は「そういうことでしたら~というふうに改定しようと思っています」という結論を得ており、まことに円満な編集検討のように当方では理解しておりましたが。--大和屋敷(会話) 2012年8月22日 (水) 11:17 (UTC)
- いえ、ちっとも円滑ではないです。大和屋敷さんが要約欄に記載しないなど自分の編集意図をなかなか明確にしないせいで、無駄なやり取りが続いてますので。--Bugandhoney(会話) 2012年8月24日 (金) 23:02 (UTC)
- そういうBugandhoneyさん自身が疲労しただとかいう個別の事情には対処出来かねますのでご容赦ください。当方は当方なりに誠実に編集検討に参加しており、Bugandhoneyさん(の中のひと、パソコンに向かわれてる投稿者ご本人)が疲労をお感じになられた理由の大半は「記事の」編集検討そのものに対する困難さに起因すると考えております。大和屋敷の理解するところの【コミュニティを疲弊させる行為】とは、弁論上のレトリックに(とりわけ過度に)依拠することで編集検討を撹乱し、議題を拡散させたり他の編集者間の議論を阻害する行為を指す。現実に他の編集者が医学的見地において疲弊したかどうかは必ずしも関係しない(確認できませんから)。たとえば暴言や荒らし行為はレトリックとして誤謬であり、編集者間での建設的な議論を撹乱したり阻害させる要素と指摘できます。-大和屋敷(会話) 2012年8月25日 (土) 00:02 (UTC)
- Wikipedia編集参加者は、前提とする知的背景や議題に対する暗黙の前提などにおいて元々ちがいをもっており、投稿されたコメントに提示されていない暗黙の前提を投稿側=対話する側と被投稿側=対話を受ける側では共有していないことが通常です。これはインターネットのような「互いにどこの誰とも知らない・知りえない」情報ツールを利用するさいに前提としておかなければならないことで、【共有されていない】問題意識、【共有されていない】論点が存在しているのが通常です。これが家庭や職場・研究室などでの対話と大きくことなる点で、この共有されていない部分を一方的に相手に理解することを要求する姿勢はいわゆる【空気を読め】ということにほかなりません。ところで「空気を読まないことが議論を阻害する行為になる」かどうかといえばこれは単純にそうとは言えないわけで、①まだ議論の過程で共有すべき論点が提示されていないのに【空気を読んで】相手の主張を汲み取れという要求そのものは合論理的ではない②すでに議論の過程で共有すべき論点が提示されているのに相手がそれを理解していない・無視いている場合は、相手がそれを理解していなかったり読み飛ばしていたりする可能性がある、③仮に相手がそれを読んでいたとしても、相手側の事前に所持している知識や倫理に抵触しており議論の前提として共有することを明示的に、あるいは暗示的に拒否している可能性がある、④論争上のレトリックとして、提示された論点を「あえて」無視している可能性がある、などの場合があります。コミュニティを疲弊させる行為とは④であり、②③については編集検討において当然ありうる齟齬であり、これを疲弊させる行為と呼んでしまっては「互いにどこの誰とも知らない・知りえない」編集参加者間での編集検討は成立しえません。②③の過程で相手と対話するのに疲弊したから相手を投稿ブロックしてくれナドと要求するのはナンセンスな話しであり(Wikipediaは多様な参加姿勢が受け入れられます)、②③の齟齬を埋めるための合意ルールがWikipedia:合意形成である、と大和屋敷は理解しています。--大和屋敷(会話) 2012年8月25日 (土) 00:52 (UTC)
- 反対 記事「南京事件 (1937年)の履歴」と「ノート(現行ページ)の議論」を拝見しました。依頼者Bugandhoney氏は被依頼者・大和屋敷氏の編集行動を批判していますが、依頼者のいう「6ヶ月近く維持された導入部の表現」なるものは、「6年近くにわたって維持されてきた導入部の表現」をわずか一日間の提案期間ののち、反対論が提示されているにもかかわらず「歴史学歴史学者は「存否」をもはや争っていない」「歴史学の分野ではあるなしは論争されていない」という事実誤認(実際には「大虐殺」の存否を根本から否定する歴史学者が実在する)にもとづいて変更が強行されたものです。ノートの議論では、被依頼者が要所要所で反対の意思を表明しつづけていますが、書き換えを強行した人物とその賛成者がきちんと応答している様子はみえません。[14][15][16]。依頼者の支持する表現がその後「6ヶ月近く維持された」のは、変更への反対者がその期間差し戻しを強行しなかったからに過ぎません。依頼者は、被依頼者に対し、「8月17日より前の状態に戻した上で、どのような表現に改めるのかノートで提案を行い、合意を取ってから実際に編集するように何度も呼びかけている(2012年8月20日 (月) 21:10 (UTC))」そうですが、「前の状態に戻す」版としては、依頼者の主張する「8月17日」ではなく、「事実誤認にもとづいて表記の変更が強行された2012年2月18日 (土) 07:24の編集」よりも前の版とするべきだと考えます。--Dalaibaatur(会話) 2012年8月26日 (日) 11:21 (UTC)
- 私が差し戻しを主張している版の編集に関しては、変更は強行などされていません。Miyaさんが「真偽や程度」を「期間や規模」に変更したのは2012年2月17日 (金) 22:24であり、その時点では武蔵曙さんの提案に対して私の賛意があるだけで、もちろん、議論が十分に尽くされたわけではないですが、その時点では反対意見はないわけですから編集強行ではなくて単なる「大胆な編集」です。大和屋敷さんとTENDERASが反対意見を述べたのは、さらにその後の2月20日です。この議論は私の再反論で沙汰止みになっていて、さらに、その後3月8日に、武蔵曙さんが「真偽」という言葉がなくなったのでおそらく不要だと考えたと思うのですが、「とされる」という言葉の除去を行っています。こちらに関しては8月17日に至るまで、ノートでの反対意見も差し戻しもないです。大和屋敷さんの編集とMiyaさんと武蔵曙さんの編集は同列に論じることはできないです。もう一度、履歴の時系列の確認をお願いします。
- (大和屋敷さんへ)すいません。書き方が悪かったかもしれないですが、投降ブロックの理由はコミュニティを疲弊させたことでも、ましてや(仮にそんなことがあったとして)私を疲弊させたことでもなくて、冒頭に書いてある通りです。
- (反対票を投じた方へ)喧嘩両成敗的な反応をされると困ってしまいます。大胆な編集に対して差し戻しがあればノートで合意を得てから記事本文に反映させる、という単純な手続きを守れない人とどうやって共同して記事を執筆しろというのでしょうか。--Bugandhoney(会話) 2012年8月27日 (月) 15:05 (UTC)
- (コメント)時系列を確認しました。
- 北村稔による『南京事件の探求』の発行は2001年のことです。
- ●武蔵曙氏の「南京大虐殺否定論が歴史学会で全く取り上げられていない」を理由とした提案(2012年2月17日 (金) 18:25 (UTC)
- ●Bugandhoneyさんの「歴史学の分野ではあるなしは論争されていない」を理由とした賛成( 2012年2月20日 (月) 15:30 (UTC)
- ●miyaさんの 「歴史学者は「存否」をもはや争っていない」ことを理由とした削除の実行(2012年8月20日 (月) 05:39 (UTC)
- がいずれも事実誤認で、拙速な削除でした。削除が実行されてすぐ反対論が提出されており、ノートの議論では反対者が繰り返し反対論を述べ続けています。
- (1)Bugandhoneyさんは、編集合戦が発生した原因・理由・責任を大和屋敷さんだけの責任だと主張していますが、私のみるところ、武蔵曙さんが提案し、Bugandhoneyさんが賛成し、miyaさんが提案の翌日、提案期間わずか一日で実行してしまった編集にも、非常におおきな原因があると思います。存否に言及する記述が6年間維持されてきたことにはそれだけの理由があるのであって、miya氏の編集はそれを改めるにしては、議論を尽くしたとはとてもいえない拙速なものです。Bugandhoneyさんは、自分が賛成し、miya氏が実行した編集を「大胆な編集」だと自己弁護していますが、「提案」が行われた2月17日の翌日にはさっそく変更されているでしょう?その短い期間の間に「反対意見」がでてこないのはある意味当然です。6年間維持されてきた「存否をめぐる議論」についての記述を削除するにしては、拙速にも度がすぎています。そしてその変更が行われてただちに「否定論は実在している」と反対論が提示されているでしょう?
- その反対論に対してBugandhoneyさんは「私の再反論で沙汰止みになっ」たと主張していますが、あなたの「再反論」なるものは「否定論が実在する」という指摘が誤りであることをまったく立証できてはおりません。あなた自身、その「再反論」のなかで【「南京大虐殺はなかった」という論者はいます。(中略)だから、あるないの論争は事実としてあります】と述べているではありませんか。ゆえに武蔵曙氏の3月8日の編集は、ゆえに「ごり押し」にあたる。その後も、「否定論が実在する」という指摘に、武蔵曙氏もBugandhoneyさんもmiya氏も、一度たりとも反証を示せていないでしょう?
- 私からみれば、このお3方のほうこそ、その後ずっと「反論に窮している」のであり、にも関わらずmiya氏が記事のノートで大和屋敷氏のほうを指して「これは議論離脱による緩やかな合意とウィキペディアではみなされていると思います」(2012年8月25日 (土) 03:51 (UTC))と述べているのが、まったく理解不能。
- Bugandhoneyさんも、ノートでノート:南京事件 (1937年)#大和屋敷のリバート行為に対して という節をたてて、その冒頭でコメント現在の導入部に関して、『「南京大虐殺」とも呼ばれ、その真偽や程度などが論議されている』での議論を受けて2月17日にMiyaさんが「真偽」という言葉を除去し[2]、その後、3月8日に武蔵曙さんが「とされる」という言葉を除去した後[3]、SFmaniac2641さんが「事実存否」という言葉を書き加えるまで、半年近くにわたり異議申し立ては行われていません。つまり、合意があったとみなせます。と主張していますが、「半年ちかくにわたり」、あなたを含むお三方のほうが大和屋敷氏の「否定論が実在する」という指摘に反証を上げることができず、それ以上の反論に窮しており、つまりノートの議論は大和屋敷氏が制した状態であったように見えます。その場合、大和屋敷氏は、お三方が「反対論の実在」についてなにか反証を提示しないかぎり、あらたに何か言い出す必要はないわけで、そこをどうしてBugandhoneyさんが「半年近くにわたり(大和屋敷氏の注:引用者による挿入)異議申し立ては行われていません。つまり、合意があったとみなせます」などと結論できるのか、私にはまったく理解不能です。
- (2)私が8月25日からこのノートに文章を寄せようとおもった理由は、編集合戦の発生には一方だけでなく、両当事者に責任があることをご理解いただき、「(反対者からみれば)改悪された版への復帰への同意という、到底うけいれることのできない要求」や「反対者へのブロック依頼」などの無駄なことにエネルギーを費やすのはやめて、【合意可能な表現】にむけての話し合いに時間と労力を注いでいただきたいと思ったからです。
- (3)2012年8月28日12:40に確認したところ、BugandhoneyさんによるWikipedia:投稿ブロック依頼/大和屋敷 20120820は、現在でも取り下げられていません。残念なことです。
- (4)Wikipediaのルールでは、典拠がついてなくて削除された記述を、検証可能性を満たす典拠を附してあらためて復帰させることは、ルール上なんの問題もないかと思います。どんな記述を復帰させたいかは、ノート:南京事件 (1937年)のほうで述べています。編集合戦の発生を防ぐため、ただちに復帰を実行することはせず、Bugandhoneyさんにノートでのご意見をお願いします。(ノート:南京事件 (1937年)に投稿した文章に加筆)--Dalaibaatur(会話) 2012年8月28日 (火) 03:57 (UTC)
- つまり、要約すると、Bugandhoney氏による大和屋敷への投稿ブロック依頼の理由は①コミュニティを疲弊させる行為が理由ではなく②6ヶ月間保持されていた記事をノートで事前の議論もなく変更したためであり③また3rrルール違反というわけではない、こういうことで宜しいですか?ところが②についてはすでに論じておるように[17]、ノートですでに議論された結論であるところの2012年8月17日(金)23:27におけるSFmaniac2641氏の編集[18]をさいしょにリバートしたのはBugandhoney氏です。そしてその理由が「今の表記で合意しています」[19]。ところがそのような合意はノートでも本文でもおこなわれていない。うそのリバート理由です。ですので大和屋敷は差し戻した。これを非難して大和屋敷に対する投稿ブロックを提起されたのが本件提案です。Bugandhoney氏は本文で6ヶ月も編集されず放置されている記述は編集者間で合意がえられたものと仮定できる、などと論じるが、そもそもSFmaniac2641氏の編集は「ノートでの議論の結果を反映させたものであり」Bugandhoney氏の主張は成り立たない。Bugandhoney氏の主張が正しいと仮定すれば、本文に6ヶ月放置されていた記述を、ノートでの議論の結論により修正することはWikipedia編集ルール違反となるからである。以上のように、非常に片寄った弁論により自分自身の編集参加態度を不当に正当化し、大和屋敷に対する投稿ブロック依頼をうその理由により提起し、編集参加者を不当に本来の議題であるところの記事編集から遠ざけようとし、議論を撹乱させようとする行為は【コミュニティを不当に疲弊させる行為】と呼べるものであるから、そろそろ自らの誤謬を自覚し、不毛な自己正当化を止めるよう宜しくご検討下さいます様お願い申し上げます。--大和屋敷(会話) 2012年8月29日 (水) 01:24 (UTC)
- 要約欄にしょっちゅう記入し損なっている人から要約欄のことで咎められるとは思ってもなかったですね...。--Bugandhoney(会話) 2012年8月30日 (木) 21:40 (UTC)
- 提案 上記Shinya1739さんと同じく、私からも依頼取り下げを提案いたします。喧嘩両成敗とかぁ言いたくないんですが、ただ両者とも一理ありますし、逆にツッコミ所もあります。記事ノートに戻って、ゼロベースで議論を開始することをお勧めします。
- 「○○の期間に相手側から意見がなく合意があったと見なされる」という曖昧な合意よりも、「AさんとBさんとCさんがノートで全員一致しました」という明確な合意の方が望ましいですし、その方が、今後は安易に書換えされず、安心です。
- これ以上、ここでの非難の応酬は不毛なだけです。記事にもWikipediaにも益しません。--Ashtray (talk) 2012年8月29日 (水) 12:52 (UTC)
- コメントどうもです。そのためにはノートでの議論が尊重されるという前提が必要なのであって、呼びかけを無視して編集を強行するというのであれば、ノートで議論すること自体に意味を見出せなくなってしまいます。そのような事態はウィキペディアにとって損失ではないでしょうか。--Bugandhoney(会話) 2012年8月30日 (木) 21:40 (UTC)
- では最初にSFmaniac2641氏の編集[20]のリバートをおこなった[21]Bugandhoneyさんがノートで議論を提起すべきでしたね。なにしろノートでの議論がおこなわれそれを反映した編集であるにも関わらず、「今の表記で合意しています」[22]などというウソの理由でリバートを行い自分の主張に沿った編集を強行し、それをリバートした大和屋敷を「編集強行」として投稿ブロックまで依頼しいまだ撤回すらしない方にお見受けしますので。--大和屋敷(会話) 2012年8月31日 (金) 01:46 (UTC)
- だから、
- 今の表記で合意しています。変更を加える場合はノートで先に議論してください。2012年8月17日 (金) 23:36
- 合意なき編集を差し戻し、先にノートで提案して合意を得てください2012年8月20日 (月) 15:13
- だから、
- と二度にわたって要約欄でノートでの議論を呼びかけて、その後さらに実際ノートでなぜ合意が必要なのか説明したんでしょ2012年8月20日 (月) 15:26。大和屋敷さんがこの件で編集合戦気味になっておりますがなどとノートで初めて応答したのはその後の2012年8月20日 (月) 19:30になってからでしょ。もうこの時点で大和屋敷さんが望むような編集になってますから、もう終わったことになってます。--Bugandhoney(会話) 2012年8月31日 (金) 21:51 (UTC)
- ええっと。それがどのWikipedia:投稿ブロックの方針に抵触するんですかね。こちらも細部を修正した編集に対する「ウソの理由」を根拠とした馬鹿げたリバートにいちいちノートで議論を呼びかけたりはしませんよ(【リバート合戦にでもならない限り】)。IPアドレスやら捨てアカやらの荒らし行為は日常茶飯事でありまして、「どこのどちらさま」とも存じ上げませんでしたBugandhoney氏なる方の「ウソの」理由からなるリバートを素朴に差し戻しただけのことです。--大和屋敷(会話) 2012年9月1日 (土) 18:37 (UTC)
- まず、「どちらが正しかった」「どちらが先だった」という議論は、御仕舞にしましょう。でなければ、適当な版で保護依頼をかけるまでです。ゼロベースでの話し合いとは、そういった経緯を抜きにして、交渉の場に座ることではないでしょうか。せっかく、Dalaibaaturさんからも、新たな提案が出ていることですし。
- (Bugandhoneyさんへ) 一般論で申し上げれば、ブロック依頼と同時進行での話し合いは、まずありえません。ノートでの議論を正常化させたいのでしたら、条件抜きでこの依頼を取り下げていただくしかないと思います。そのうえで、もし執拗にRvをかけるユーザーがおりましたら、再度依頼をすれば良いと思います。当然ながら、その時は私もそれ相応の票を投下することになると思います。
- (大和屋敷さんへ) 少しは言葉を選びましょう。「不当」「撹乱」「ウソ」「強行」といった単語が並べは、相手側も引くに引けなくなります。そのうえで、今現在の版には拘らず、ノートで話し合い、その結果を本文に反映させませんか。余裕ある大人の対応をみせてください。--Ashtray (talk) 2012年8月31日 (金) 03:17 (UTC)
- はい。当初の提案どおり[23]投稿ブロック依頼の取下げを待たせて頂いており、取下げがあれば「よくある錯誤」ということであって当方にはなんら存念ありません。--大和屋敷(会話) 2012年8月31日 (金) 14:32 (UTC)
- (大和屋敷さんへ) 申し訳ない。私にできるのは、どうやらここまでのようです。が、Bugandhoneyさんが決断された時には、ぜひそのような対応でよろしくお願いいたします。--Ashtray (talk) 2012年9月1日 (土) 03:24 (UTC)
- (Ashtrayさんへ)この依頼の理由はノートでの議論を正常化させるためではないです。もうちょっとウィキペディア全体的なことを考えています。具体的には「再度依頼をする」事態になることを懸念しています。大和屋敷さんへのブロック依頼は私が知る限りこれが三度目です(Wikipedia:投稿ブロック依頼/大和屋敷、[24])。この依頼の中では、賛成票が私以外で二つあるにもかかわらず、大和屋敷さんは自分の編集にはなんら問題はないという趣旨を繰り返しているだけです。再び、似たようなことが起こる恐れは現実的にあると思っています。ウィキペディアの方針を尊重する人は、執拗に編集を繰り返されたら編集合戦を避けようとしてノートでまず合意することを目指そうとします。一方で、ウィキペディアの合意は基本的に全員一致なわけですから、大和屋敷さんのように自分の望むような状態に無理やりした上で、ノートで今現在の版でも良かないですか?[25]などと応答しておけば、元に戻されることはないわけです。このようなやり方で押し通す人とノートで議論することには意味が見出せないです。似たような事態に巻き込まれる別の編集者のことを心配しています。--Bugandhoney(会話) 2012年8月31日 (金) 21:51 (UTC)
- (Bugandhoneyさんへ) あとで文章を練り、ご返事をさせていただきます。ただ、そもそもBugandhoneyさんはどれくらいの期間のブロックを求めているのでしょうか。1ヶ月?、それとも1年?、それとも無期限?--Ashtray (talk) 2012年9月1日 (土) 03:24 (UTC)
- 大和屋敷さんの「今現在の版でも良かないですか?[26]などという応答」は、ノートでのやりとりで、私とmiyaさんが、おたがいに受け入れ可能な表現について条件をだしあっているのをごらんになって、「(miyaさんのその条件なら)今現在の版でも受け入れ可能なのでは」とmiyaさんに打診する文脈で出てきた発言です。上のBugandhoneyさんの解説は、発言がでてきた実際の文脈とは全くかけはなれていることを指摘しておきます。
- また、Bugandhoneyさんの「自分の望むような状態に無理やりした」というコメントについてですが、miyaさんは大和屋敷さんが提案した版をそのまま受け入れることはせず、ふたつの単語を付け加えて2012年8月31日 (金) 16:58時点における最新版ができあがりました。miyaさんは、大和屋敷さんが特に重視した「〜とされる」という語を残したので、この文面で合意が成立するものと思われます。この版は、最後の加工を加えたのはmiyaさんなので、この版については大和屋敷さんが「自分の望むような状態に無理矢理した」という主張がまったくあてはまらないことを指摘しておきます。--Dalaibaatur(会話) 2012年9月1日 (土) 15:27 (UTC)
- えーと、そのMiyaさんの編集というのは、導入部のうち今問題となっている箇所とは無関係な箇所に対するものですよね。大和屋敷さんによる編集とは関係がないと思うのですが、今のところ誰も変更も差し戻しも行っていないので、そのMiyaさんの編集に関しては合意したとみなせると思います。大和屋敷さんによる編集に対しては、その直後にMiyaさんも修正を加えていますので[27]、少なくともその時点ではMiyaさんも単純に大和屋敷さんの編集を承認したわけではないことははっきりしていると思います。--Bugandhoney(会話) 2012年9月6日 (木) 18:47 (UTC)
- Wikipedia:投稿ブロックの方針のどの項目にも該当しないにもかかわらず、結果として「ぼくが不愉快な思いをしたから」としか理解しようのない投稿ブロック依頼を提出し、その粗忽さを指摘されても撤回しないようなやり方で押し通す人と、まともな編集検討が可能だとは信頼しようがないです。みずからの間違いはさっさとみとめてしまいなさい。【似たような事態に巻き込まれる別の編集者のことを心配しています】。--大和屋敷(会話) 2012年9月1日 (土) 18:18 (UTC)
- (Ashtrayさんへ)以前は編集を取り消した上で、改めてノートで提案してから合意を得る、というのがブロック依頼の取り下げ条件だったのですが、Dalaibaaturさんが大和屋敷さんの編集を取り消すことに反対していて難しくなったので、ブロック期間は、大胆な編集が差し戻されたら同じ編集を繰り返す代わりにノートで提案して合意を得る、という当たり前の編集手続きを大和屋敷さんが守ることが確約されるまで、というふうに変更します。そうでなければ、そうでなくとも意見が対立しやすい論争的な記事を共同して執筆することなど不可能なので。具体的にどれだけ、というのではなくて申し訳ないです。--Bugandhoney(会話) 2012年9月6日 (木) 18:47 (UTC)
- まだ自身のあやまりを認めようとしないようですね。ノートでの議論の結論を反映させたSFmaniac2641氏の2012年8月17日(金)23:27編集[28]を「今の表記で合意しています」なるウソの理由でリバートしたのはBugandhoney氏である[29]。Bugandhoneyはノートのどこで「今の表記で合意しているのか」指摘せよ。さらに「ウィキペディア記事で大胆な編集をおこなうさいにはノートであらかじめ提案すべきだ」という命題について、この命題を守ることを大和屋敷に義務化しなければ、大和屋敷に対する投稿ブロック依頼は撤回しない、などと強弁しているが、これは【典型的な論点回避】の誤謬であり、みずからの粗忽な編集態度とみずからのあやまりを決して認めようとしない姑息な態度から出たもので、もやは詭弁と非難してよいものである。--大和屋敷(会話) 2012年9月7日 (金) 00:10 (UTC)
- (Bugandhoneyさんへ)前回、ブロック期間を確認しましたのは、その期間が明けた後、どのような形で対話を再開なさるつもりなのか、その展望をお聞きしたかったからです。ところが、上記のご返事によれば「○○という条件が満たされるまでブロックを」という内容でした。それは、事実上の「期限を定めないブロック」であり、それは…ちょっと酷過ぎない?、というのが感想ですね。
- 以前にも申しましたが、私からすれば、両者ともにツッコミどころ(過失)があります。いろいろと理由をあげつらって、被依頼者・大和屋敷さんに対するブロック賛成票を投じることもできますし、逆に反対票を投じつつ依頼者Bugandhoneyさんのブロックを求めることも可能です。ただ、それをしないのは、私がそうしたくないからです。そのへん、察してください。
- 編集合戦の際、まずどの版に戻すべきかで揉めやすいのは、経験としてよくわかっています。しかし、それは「どちらが正しいか」といった正悪二元論ではなく、対話で解決すべき問題であると考えます。ブロック依頼を前提条件・交渉材料にすべきではありません。ブロック依頼を取り下げ、「ゼロベース」で対話を開始するよう、お願い致します。--Ashtray (talk) 2012年9月7日 (金) 11:02 (UTC)
- 論争的な記事でゼロベースの話し合いというのはありえないです。それまで数々の対立を経てその形になってますし、他の編集者の意向もあるので。基本的に揉めたらそのままの形ですよね。どの版に差し戻すのかはすでに結論が出ていて、問題となった箇所に関しては大和屋敷さんが編集したままの形となります。こういうふうに、見解が対立しているときに、編集強行によって話し合いを経ずに記述が確定してしまうことを問題にしています。
- ○○という条件が確約されたら、というのは大和屋敷さんがそう約束・言明して実際に実行するのでいいです。ウィキペディアの合意形成プロセスを他の編集者に尊重するよう求めるのは何も酷なことではないですし、それを求められた編集者は拒む理由もないと思うのですが。逆に言うと、合意形成プロセスを尊重するつもりがないのであればウィキペディアの編集に参加するべきではないです。投稿ブロックはそのような編集強行を防ぐための手段だと考えています。導入部以外の記事の内容に関しては大和屋敷さんと今までどおり対話しながら決めていくしかないと思います。
- ちなみに参考までに、私に対するブロック依頼というのは何を根拠にしたものですか?--Bugandhoney(会話) 2012年9月7日 (金) 23:03 (UTC)
- 終了ブロックが必要との合意は存在せず、また依頼者による取り下げは現状では無いと考えますので、本依頼は終了とします。KMT(会話) 2012年9月7日 (金) 23:34 (UTC)
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