Wikipedia:執筆・翻訳者の広場/過去ログ/2021年
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Lochの日本語転写
[編集]- この節は次の利用者の依頼で過去ログ化されました: ネイ(会話) 2021年1月20日 (水) 15:03 (UTC)
英語、アイルランド語、スコットランド・ゲール語のLoch(入り江・池)という言葉ですが、日本語版では「ロッホ」と表記するのが一般的なようです(アイラ島やローモンド湖、ホーリー・ロッホ)。しかしen:Lochの冒頭を見たり、ネット上で各国語のネイティブ発音を聞いたりする限り、「ロフ」とするのが妥当ではないかと感じています。「ロフ」表記を使っている日本語文献など、私自身でも探しているのですが、何かお手元にある方はいらっしゃいませんか?また逆に「ロッホ」表記が正しいと裏付ける(あるいは信頼できる文献で慣用的に使われている)ものがあれば、教えていただきたいです。(一気に過去ログ化されてて面喰いましたが、今まで通り質問してよいのですよね・・・?)--McYata(会話) 2019年10月3日 (木) 11:36 (UTC)
- 発音:小学館 プログレッシブ英和中辞典とランダムハウスウェブスター辞典によると、lɒkとlɒxの2通りの読みとなっているので、「ロッホ/ロフ」のほかには「ロック」も選択肢に入るのではないかと思います。
- 表記:すでに定着していると思われる「ネス湖」以外でざっと検索した限りでは、ファイン湖、ロクファインとロクローモンド、ロッホローモンドが見られます。論文ではロッホ・ローモンド(1)、ロッホ・ローモンド(2)の2件が見つかりました。カタカナにこだわらない場合は「湖」などの意訳を用い、カタカナを使用する場合は「ロッホ」とするのがいいかと(ただし、「ロッホ・ローモンド」が民謡の名前として定着しただけという線も捨てきれません)。
- 過去ログ化:Wikipedia‐ノート:執筆・翻訳者の広場#過去ログ化についての提案にて、「未解決の項目は最後のコメントから2か月後に過去ログ化する」との提案があり、特に反対がなかったためそのまま成立した運びとなっています。一気に過去ログ化されたのは、たまたまメンテする方が現れなかったからだと思います。--ネイ(会話) 2019年10月18日 (金) 14:44 (UTC)
- 返信が遅くなり、申し訳ありません。調査していただき、本当にありがとうございます。こちらでも今一度調べなおし、慎重に言葉を選ぼうと思います。過去ログ化の経緯についても承知いたしました。--McYata(会話) 2019年11月22日 (金) 16:51 (UTC)
- Lochという語(綴り)を、ゲール語やスコットランド・アイルランドの発音に基づくと「ロッホ」と書き、英語話者はこれを「ロック」と読む、というところでしょう。Parisをフランス人は「パリ」と読み、アメリカ人は「パリス」と読むようなもので。
- 手近な文献を眺めてみました。
- 『ケルト歴史地図』(ジョン・ヘイウッド著、井村君江監訳、倉嶋雅人訳、東京書籍、2003) - Lochaber「ロッホアバー」、Lochgoilhead「ロッホゴイルヘッド」
- 『図説大百科7世界の地理 イギリス・アイルランド』ISBN 978-4-254-16907-2 - en:Loch Ness「ネス湖」
- 『地球の歩き方2015-16』p554「ロッホ・ネス・ロッジ・ホテル」(Loch Nessは「ネス湖」)
- 『アルファベットから引く外国人名よみ方字典』(ISBN 4-8169-1763-2)- Lochman「ロッホマン」、Lochner「ロックナー、ロックネル、ロッホナー、ローナー、ロヒナー、ロホナー」
- 手近な文献を眺めてみました。
- ネイさんもおっしゃるとおり、地名に関しては意訳の「湖」としたり、ケルト/スコットランドのアイデンティティーに基づく文脈では「ロッホ」でよいのでは。--柒月例祭(会話) 2019年11月22日 (金) 18:03 (UTC)
- コメント ちょっと調べてみたら、「ロッホ」が山程出てきました。ここに列記するときりがないので割愛しますが、スコットランドの(1)淡水湖は「ロッホ」だが、日本語文献では「Loch honyarara」を「ホニャララ湖」とするのが一般的(というより、そうしていない例がほぼ皆無)。(2)入り江も「ロッホ」だが、こちらは用例が淡水湖に比べると少ない。無いわけではない。入り江の「Loch honyarara」も(ホニャララ湾とかでなく)「ホニャララ湖」となっている。(3)水域以外の固有名詞では「ロッホ」とカタカナ化するのが一般的。たとえばLoch Nessは「ネス湖」だがHotel Loch Nessになると「ホテル・ロッホネス」という具合。町や村、山や人名に「loch」を含む場合も、基本的には「ロッホ」だが、後置される音によっては表記が変わる。たとえば「Lochaber(ロッハバー)」「Lochnagar(ロホナガール)」など。
- 文献は1930年代から2019年までいろいろです。今回は主に地理系の文献に限定して調べましたが、スコットランド詩(ウォルター・スコットとか)などの文学分野ではどうなっているかわかりません。古い例では、夏目漱石が「Pitlochry(ピトロッホリー)」を「ピトロクリ」とした例があり、これは「ロック」寄りです。スコットランドに関する文脈である限り「ロック」とした例はほぼ皆無でしたが、地形学の文献では「ロック/ロッホ」としたものがあり、「ロック」もありうる、という感じです。
- いまのところ、「ロフ」は全く見当たりません。(そもそも、日本語の文字体系では、無声音とかを正確に表現することは不可能ですから、耳で聞いた発音にこだわる必要はないでしょう。用例重視で。)--柒月例祭(会話) 2019年11月23日 (土) 18:53 (UTC)
- 報告 調べているうちに、記事1つできそうなボリュームになり、また「ロッホ」を単独項目として扱う情報源もでてきたのでロッホを作成しました。詳細は記事とノートを。--柒月例祭(会話) 2019年11月24日 (日) 15:11 (UTC)
- 発音では統一できない問題である一方で、既にこれだけ「ロッホ」の用例があるのですね。まったくこちらの認識と知識が不足しておりました。単独記事の方もまとめていただいて、本当にありがとうございます。参考になりました。--McYata(会話) 2019年11月25日 (月) 03:50 (UTC)
- Lochという語(綴り)を、ゲール語やスコットランド・アイルランドの発音に基づくと「ロッホ」と書き、英語話者はこれを「ロック」と読む、というところでしょう。Parisをフランス人は「パリ」と読み、アメリカ人は「パリス」と読むようなもので。
- 返信が遅くなり、申し訳ありません。調査していただき、本当にありがとうございます。こちらでも今一度調べなおし、慎重に言葉を選ぼうと思います。過去ログ化の経緯についても承知いたしました。--McYata(会話) 2019年11月22日 (金) 16:51 (UTC)
ナショナル・エレクトリック・ビーグル・スウェーデン の項目について
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ナショナル・エレクトリック・ビーグル・スウェーデンとありますが、National Electric Vehicle Swedenなのでビーグルではなくビークルだと思います。 残念ながら私はアカウント持ちではないので、ページ名の変更などの操作はできません。どなたかページ名を変更できる方、訂正お願いします。--221.32.117.121 2020年1月20日 (月) 10:57 (UTC)
- 済 上記記事の改名は終了しました。記事名の誤りをご指摘下さいまして誠にありがとうございます。片割れ靴下(会話) 2020年2月6日 (木) 04:47 (UTC)
イングランドの議会制度に詳しい方お願いします。
[編集]- この節は次の利用者の依頼で過去ログ化されました: ネイ(会話) 2021年1月20日 (水) 15:03 (UTC)
お世話になります。現在、ネイさんが翻訳された「1689年王位及び議会承認法」に触発されて、その記事中に出てくる「仮議会 (1689年)」を英語版の翻訳により立項しようとしています。その中で出てくる一文がどうしても訳出できないので、ご協力をお願いに参りました。その一文は、「the Commons agreed on the descriptor "abdicated" 」です。「descriptor」がどうしてもわかりません。イギリス下院の中の書記的な機関かと思いいろいろと探してみたのですが、全く見当たりません。ご存じの方がいらっしゃったら、ご教示ください。よろしくお願いします。--Xx kyousuke xx(会話) 2020年2月26日 (水) 11:43 (UTC)
- コメント 正直、原文は「descriptor」という語彙を用いた結果、無駄にわかりにくくなったと感じています。大まかな意味合いとしては、ジェームズ2世が退位した(abdicated)か王位を放棄した(abandoned)かについて議会で議論されたが、庶民院は2月初には「退位した」という形容で合意した、といったところでしょうか。この場合、descriptorの意味は「(ジェームズ2世の状態を)説明する語彙」だと思います。--ネイ(会話) 2020年2月26日 (水) 12:08 (UTC)
- コメント ネイさん、早々のご回答ありがとうございます。そういうことですか。早速反映させて翻訳の続きをやります。助かりました。本当にありがとうございました。--Xx kyousuke xx(会話) 2020年2月26日 (水) 12:14 (UTC)
「グルジア年代記(The Georgian Chronicles)」の話の翻訳について
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現在、色々と問題のある「イベリア王国のキリスト教化」の改善を目的として、英語版から翻訳しようとしている最中なのですが、「Christianization of the royal family」節にあるグルジア年代記(The Georgian Chronicles)の話(Template:Cquote内の部分)の訳し方に困っています。具体的には、恐らくイベリアの王が自身の周囲が突然暗くなった後に、王がキリスト教への改宗を誓う場面だと思われるのですが、王の発言の英文訳の2文目の前半(Let~gloryの所)をどう訳せばよいかが分かりません。英語の文法に詳しい方がいらっしゃれば答えていただけると助かります。--285Sunlize(会話) 2020年5月15日 (金) 10:53 (UTC)
- 報告 コメントが来る前に翻訳を完了したため、該当記事に加筆しました。修正するべきだと判断した場合は、該当部分を修正していいただけると幸いです。--285Sunlize(会話) 2020年5月17日 (日) 15:16 (UTC)
日本語の定訳がない物理学用語WIMP, SIDMの記事名
[編集]- この節は次の利用者の依頼で過去ログ化されました: ネイ(会話) 2021年1月20日 (水) 15:03 (UTC)
現在en:Weakly interacting massive particles、en:Self-interacting dark matterの日本語記事を(翻訳ではなく)新規立項するために資料収集しているところなのですが、立項時に記事名をどうするべきか伺いたく参りました。私の知る限り、これらの主題を扱った日本語の良く知られた専門書はまだなく、日本人研究者により種々の資料で言及される際にもほとんどの場合英語で綴られているようです(例1 例2)。たまに科研費書類等で日本語の直訳をあてて書いている方もいらっしゃるようですが、ほぼ使われていません(これらの用語に関しては省略形 WIMPs, SIDM がよく使われているという事情もあると思います)。このように、日本語の定訳が現在までに与えられていないような専門用語については、現状では記事名は英語(つまりWeakly interacting massive particles、Self-interacting dark matter)とするので良いのでしょうか? Wikipedia:記事名の付け方等のガイドラインには明確な指針を見つけられませんでした。なお、前者については曖昧さ回避(WIMP)が存在すること(および前述の天文学辞典での用例)を踏まえて、WIMP (物理学)とする案も良いかもしれないと思っています(ただ括弧内が「物理学」で良いのかも疑問です)。以上、どうぞよろしくお願いします。--Osanshouo(会話) 2020年7月10日 (金) 09:34 (UTC)
- 日本でも通用している名称として、WIMPおよびSIDMを記事名にしてよいのではないでしょうか。MACHOとの整合性もとれます。WIMPの曖昧さ回避は個人的にはWIMP (暗黒物質)がよいと思います。--Kokage si(会話) 2020年7月10日 (金) 11:06 (UTC)
- 原則的に、少なくとも英語表記に関しては、定訳と見做せる日本語表記が見当らない場合は原語表記とすべきでしょう(もちろんカタカナ表記ではなくアルファベットで)。すなわち本件の場合は「Weakly interacting massive particles」、「Self-interacting dark matter」とすべきと思います。ただし、「WIMPs」のような、英語の文献において標準的と見做せる略記法があるのなら、それを使用するのもよいと思います。日本語の文献でも「WIMPs」という表記が普通に使われているのなら、それこそが「専門家による"Weakly interacting massive particles"の日本語表記」と見做してよいと考えられます。なお、「WIMP」ではなく、「WIMPs」という表記の方が普通に使われるのなら、「WIMPs」のタイトルで立項すべきです。この場合、曖昧さ回避の括弧は不用です。--Loasa(会話) 2020年7月10日 (金) 11:52 (UTC)
Kokage siさん、Loasaさん、アドバイスありがとうございます。WIMPに関しては、確かにこの省略表記でかなり普及しているようなので、WIMP/WIMPsどちらが適切か文献での用例を調査して判断した上で「WIMP (暗黒物質)」または「WIMPs」とさせていただこうと思います。一方SIDMは、(そもそもWIMPに比べかなりマイナーなのもあり)どの文献でも毎回必ず「Self-interacting dark matter (SIDM)」と定義してしている点を鑑み、「Self-interacting dark matter」としようかなと思います。どちらも目を通すべき資料が多く、記事として書き上げるのにはしばらくかかりそうですが。改めまして、今回はどうもありがとうございました。--Osanshouo(会話) 2020年7月10日 (金) 13:45 (UTC)
「オーガスタス・フィッツロイ (第3代グラフトン公)」の競馬関連の出典について
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オーガスタス・フィッツロイ (第3代グラフトン公)の加筆が終わりましたので、良質な記事の選考に出す予定ですが、元の記事にあった記述が参考文献と紐付けされていないので、現時点では検証可能性を満たさないと考えます。つきまして、こちらにて助けを求める次第です。記述の内容は下記の通り。
サラブレッド生産も手掛け、ダービーを3回勝った。彼が生産した馬たちの子孫は現在でも非常に繁栄しており、父系ベースでみると全サラブレッドの95%がホエールボーンの父系子孫、牝系ベースでも、サラブレッドの16%を占める1号族の大半が彼が生産した馬たち(PromiseとPrincessの姉妹、及びその子供)を基礎としている。
ロジャー・ロングリグ 著、原田俊治 訳『競馬の世界史』日本中央競馬会弘済会、1976年。ASIN B000J9355O。を参考にしていると考えられます。この文献を記述と紐づけるか、別の文献からグラフトン公爵と競馬の関係について少し加筆するかで良質な記事の目安を満たすと思います。--ネイ(会話) 2020年7月17日 (金) 14:40 (UTC)
- ひとまず暫定的な情報を。
- 「ダービーを3回勝った」は出典を示すのは容易です。
- 「彼が生産した馬の子孫が繁栄」も容易です。(既に複数見つけています)
- 『競馬の世界史』には「父系ベースで95%云々」以下の記述は無いと思います。そもそも同書にはそういうタイプの記述はないと思います(ざっと眺めた感じでもない)。こういう系統の「○%が云々」を書くような情報源に心当たりがないわけでもないですが、移り変わる数字ですし、あまり意味がない記述と思います。(同書の原典は1972年の文献で、ざっと50年前のものであり、当時の「父系の%」は今では変わっちゃってる。)
- 私の手持ちの文献では、『Biographical Encyclopaedia of British Flat Racing』(R.Mortimer、1978)に3代グラフトン公爵についてまとまっています。文章量としては現在の記事の「経歴」節の2/3ほどのボリュームがあります。2,3日お時間をいただき、長すぎない程度に簡単にまとめてみます。--柒月例祭(会話) 2020年7月17日 (金) 16:48 (UTC)
- オンラインで手軽に見れるものとしては「サラブレッド・ヘリテイジ」という競馬史の専門サイトがあります。(たぶん)オンライン上のものとしては現在世界で最も充実した競馬史のサイトです。執筆陣は[1]にあり、競馬分野では(他言語版でも)「信頼できる情報源」として扱われています。
- ここの生産者(Breeder and Breeding)にグラフトン公(3代・4代)についての伝記があります。
- https://www.tbheritage.com/Breeders/Grafton/Grafton1.html (概要)
- https://www.tbheritage.com/Breeders/Grafton/Grafton2.html (一般的な経歴、特に資産について)
- https://www.tbheritage.com/Breeders/Grafton/Grafton3.html (馬主としての経歴)
- https://www.tbheritage.com/Breeders/Grafton/Grafton4Breeding.html (生産者としての業績1)
- https://www.tbheritage.com/Breeders/Grafton/Grafton5Prunella.html (生産者としての業績2)
- https://www.tbheritage.com/Breeders/Grafton/Grafton6Puzzle.html (生産者としての業績3)
- 読まなくても、ボリュームとしてジョージ4世と競馬クラスの記事が書ける人物であることがおわかりいただけるかと。(今回はそこまでやる気はないです)
- 「2」には3代グラフトン公の政治、信条、資産などに関する細かな情報・エピソードがあります。歴史学者・政治学者の論文ではないので、情報源の評価はそれらには劣ると思いますし、「政治家としてのグラフトン公」の概観を記す上では不必要かもしれませんけど、せっかくなので参考程度に。
- 現在の記事に無い情報としては、私生活、資産のこと、晩年に神学に没頭したこと、などがあります。
- 「生産者」に3ページを費やしていることからも伺えると思うのですが、様々な競馬史の文献で、「one of the most important/significant/nortable/Influential/famous」みたいな文章がバンバン出てきます。今の所、こうした抽象的な表現を、競馬に興味がない一般の方に簡潔にお伝えするのは難しそうだなと思っています。(上述の「95%」あたりは、それを可視化しようとしたものでしょう。昨夜は否定的に書きましたけど、「わかりやすさ」では有用なのかも。問題は直接的な情報源を出せるかです。)--柒月例祭(会話) 2020年7月18日 (土) 05:29 (UTC)
- このたび、オーガスタス・フィッツロイ (第3代グラフトン公)が選考を経て良質な記事に選出されました。柒月例祭さん、加筆していただき誠にありがとうございました。--ネイ(会話) 2020年12月10日 (木) 15:46 (UTC)
Brian Froudの日本語版記事名について
[編集]- この節は次の利用者の依頼で過去ログ化されました: ネイ(会話) 2021年1月20日 (水) 15:03 (UTC)
英語版の記事はこちら。翻訳ではなく、「ブライアン フラウド(現代外国人名録2016)- コトバンク」の記述などを元を新規に執筆することを考えているのですが、いろいろと調べたところ日本語表記は「ブライアン・フロウド」「ブライアン・フロード」「ブライアン・フラウド」の三つがあることがわかりました。1980年に画集『フェアリー』(サンリオ)が出版されたときは「フロウド」、映画『ダーククリスタル』(1982年)、『ラビリンス/魔王の迷宮』(1986年)が公開された頃は「フロード」、2001年の画集『いたずら妖精ゴブリンの仲間たち』(東洋書林)以降は「フラウド」が多いような「印象」ですが、現在においていずれの表記も使われています。個人的には記事名は「フラウド」かなという感じですが(コトバンクでの表記とも共通)、後から名前で揉めることがないよう、皆さんの意見を聞いておきたいと思い、投稿した次第です。コメントよろしくお願いします。--ねこざめ(会話) 2020年9月7日 (月) 18:10 (UTC)
- この人については何も調べていませんが、1か月以上皆さんの意見が出ない所を見ると後で揉めることもないと思われます。Wikipedia:記事名の付け方に則って、この件の場合はWP:CRITERIAの1に依って判断されれば良いと思います。--Jgmo30(会話) 2020年10月16日 (金) 07:09 (UTC)
- 返信 ご助言ありがとうございます。あとは自分の執筆意欲次第ですね。フランス語版の記事くらいにまとめられたらいいなと思っています。--ねこざめ(会話) 2020年10月18日 (日) 18:12 (UTC)
大阪毎日会館と毎日大阪会館
[編集]- この節は次の利用者の依頼で過去ログ化されました: ネイ(会話) 2021年1月20日 (水) 15:03 (UTC)
加藤道夫の戯曲「なよたけ」の記事なのですが、各種資料では1955年に大阪毎日会館にて文学座により上演されたとあるのですが、この「大阪毎日会館」が「毎日大阪会館」のことを指すのかよくわからず困っています。なお、文学座の「終戦直後 文学座公演記録」「1950年代 文学座公演記録」をみると、「大阪・毎日会館」という表記がよくでてきます。「毎日大阪会館」の記事を読むと、“1954年に設立した毎日大阪会館は北館と南館に分かれており、1956年に北館が、1958年に南館がそれぞれ落成”とあり、文学座での公演はそれ以前から「大阪・毎日会館」で行われているので、たぶん別、というか「毎日大阪会館」の前身が「毎日会館」あたりの可能性が高そうですが。もし詳しい方がおられましたらご教授いただけると助かります。--ねこざめ(会話) 2020年10月14日 (水) 15:42 (UTC)
- 全然詳しくはないのですが、その毎日会館が自館で公演される劇の解説書として発行していたらしい月間誌『毎日マンスリー』という雑誌の一部ページが、ある古書店のブログで公開されているので非常に参考になりました。
- 文学座の公演記録を見ると、1958年1月公演の「ワーニャ伯父さん」では「「ワーニャ伯父さん」の大阪公演は毎日会館の閉館公演」、となっています。一方『毎日マンスリー』の発行元はまだ「毎日会館」となっているようです。また、『毎日マンスリー』においては公演場所は「大阪・毎日会館」となっています(丸まったページの右端に縱に書いてあるので見にくいですが)。
- 続く1958年の4月公演の「国姓爺」では、公演記録は「大阪は、毎日ホール開場記念・大阪国際芸術祭参加の公演」、となっています。また、『毎日マンスリー』も、この号では発行元が「毎日新聞社事業部」に変っているようです。。
- また、この1958年に閉館した毎日会館は「大手前・毎日会館」とも表記されていたようです。
- 1950年11月の公演「道遠からん」の公演場所は、文学座の記録では「大阪・毎日会館」とされ、毎日マンスリーの方は「大手前・毎日会館」となっています。
- その他の公演でも、文学座の記録は「大阪・毎日会館」で一貫していますが、毎日マンスリーの方は「大阪・毎日会館」と表記されたり(例:1952年9月)、 「大手前・毎日会館」と表記されたり(例: 1957年10月)して一貫していません。
- 「大手前・毎日会館」と「大阪・毎日会館」という二つの別の劇場があった、という可能性も考えられなくはないのですが、1950年11月の「道遠からん」の記録から推察すれば、同じ劇場と考えるほうが自然でしょう。
- また、これらの情報を総合すると、文学座が1940年代から公演していた「大阪・毎日会館」は「毎日大阪会館」とは別の劇場であり、「大阪・毎日会館」は1958年の1月以降に閉館している、ということは確実のようです。また、「毎日会館」が「毎日大阪会館」の前身だろう、というねこざめさんの推測も正しいと思われます。ただし大手前は「毎日大阪会館」のあった堂島とは離れていますから、少なくとも「毎日会館」の跡地に「毎日大阪会館」が作られた、ということではないと考えられます。--Loasa(会話) 2020年10月15日 (木) 02:20 (UTC)
- 情報 「毎日会館 現・国民会館」の表記が大阪音楽大学のサイトの『100周年史 > 1946年~1955年』で見られます。(個人ブログにも)--Strangesnow(会話) 2020年10月15日 (木) 07:29 (UTC)
- (追記) 大阪市中央区役所・市民協働課まち魅力推進グループ発行の『大阪市中央区わがまちガイドナビvol.5 (裏面) 受け継がれる城下町文化』(参考)の上段中央「城下町を知る」の「人づくりを支える教育・教養施設が集まる」節には「ドーンセンター(府立男女共同参画・青少年センター)は昔は大手町国民会館といわれ(毎日会館といわれた時期も)」と表記があります。--Strangesnow(会話) 2020年10月15日 (木) 07:42 (UTC)
- Loasaさん、Strangesnowさん、いろいろと調べていただき、ありがとうございました。大手前の「毎日会館」はいつ頃建てられたんだろう、「国民会館」ってどんな施設だったんだろう、同じ大手前だけど「國民會館」とは違うみたいだけど? とか、新しい疑問がつぎつぎ湧き上がってきますが、元々の目的である「なよたけ」の記事における「大阪毎日会館」につきましては、ひとまず現状のままといたします。せっかくの情報を記事に反映させたいとは思ったのですが、自分の技量不足なため、そちらは今後の課題とさせていただきます。「大阪毎日会館」と「毎日大阪会館」は所在地が違うゆえ同一扱いしないほうが良いだろうことが確認できてホッとしました。--ねこざめ(会話) 2020年10月15日 (木) 17:06 (UTC)
Homburg hatの日本語記事名
[編集]- この節は次の利用者の依頼で過去ログ化されました: ネイ(会話) 2021年1月20日 (水) 15:03 (UTC)
ホンブルグ・ハットの記事が削除されたため、新たにen:Homburg hatなどから翻訳し直そうと思いましたが、記事名としてどの日本語表記を採用すべきか迷っています。「ホンブルク」と「ホンブルグ」の表記揺れに加え、「~帽」「~ハット」「~・ハット」と後ろに付く場合を含めると8通りの表記が存在します。ウェブ上で調べたところ、朝日新聞出版発行『とっさの日本語便利帳』[2]とアルクの『英辞郎 on the WEB』[3]において第一表記である「ホンブルク帽」にする方向で考えていましたが、私の独断で決めてしまって良いのでしょうか。それともページの改名手続きに従って削除された記事のノートで合意形成が必要なのでしょうか。--ブルク警察(会話) 2020年10月25日 (日) 17:12 (UTC)
- コメント ご質問についてですが、まさにこのページで意見を募るのが良いと存じます。該当する状況についての記述は方針文書にはなさそうです。ブルク警察さんが作成しようとしているページは削除済のページとは関係ありませんし、また、項目名を決めるにあたり合意形成を行うほどの厳格さは必要ないと思います。もし前例などがあれば参考にできましょうが…。
- その項目名の表記について、コトバンクと国立国会図書館サーチにて調べると下記のようになりました。最低限の出典で恐縮です。
- ホンバーグ - 日本大百科全書(ニッポニカ)『帽子』・『ソフトハット』
- ホンブルク - 世界大百科事典 第2版『中折帽』、ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典『ホンブルク』
- ホンブルク帽 - とっさの日本語便利帳『ホンブルク帽』
- ホンブルク帽子 - ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典『バートホンブルクフォルデアヘーエ』
- ホンブルグ - 繊維総合辞典『ホンブルグ』[h 1]、新・繊維総合辞典『ホンブルグ』[h 1]、マイペディア『ソフト帽』、imidas『ホンブルグ[カタカナ語』
- ホンブルグ・ハット - モダリーナのファッションパーツ図鑑 新版『ホンブルグ・ハット』[h 2]
- ホンブルグ帽 - プログレッシブ英和中辞典 第4版『Homburg』、ランダムハウス英和大辞典『homburg』、伊和中辞典『lobbia』、ポケプロ伊和辞典『lobbia』
- 想像以上に揺れていますが、強いて挙げるならば繊研新聞社発刊の繊維・服飾専門辞書―繊維総合辞典の見出し語には「ホンブルグ」[h 3]とあるため、信頼できる情報源の観点では『ホンブルグ』または『ホンブルグ (帽子)』が妥当に見えます。一定の用例が認められる『ホンブルグ帽』についても、曖昧さ回避の括弧を避けられるため判りやすさの面で優れており問題なさそうです。--Yizumin(会話) 2020年10月28日 (水) 17:16 (UTC) 1件表記間違えていたので修正。返信いただいたあとで申し訳ないです。 --Yizumin(会話) 2020年11月1日 (日) 13:20 (UTC)
- 返信 詳細な調査ありがとうございます。すでにドイツの都市「ホンブルク」の記事が存在することから、その表記揺れの範囲内である「ホンブルグ」で立項するのは適切でないように思いますので、「ホンブルグ (帽子)」で立項する方向で進めてみます。--ブルク警察(会話) 2020年10月31日 (土) 05:17 (UTC)
脚注
[編集]「詩とメルヘン賞」と「サンリオ美術賞」
[編集]- この節は次の利用者の依頼で過去ログ化されました: ネイ(会話) 2021年1月20日 (水) 15:03 (UTC)
詩とメルヘン賞
[編集]- きのゆり - 第1回(1975年度)
- 西尾君子 - 第2回(1976年)
- ゆきやなぎれい - 第3回(1977年)
- 東君平(?) - 第4回(1978年)
- 安浪雄嗣 - 第5回(1979年)
- 水原エリ - 第6回(1980年)
- 川滝かおり(小手鞠るい) - 第7回(1981年)
- むろふしチコ - 第8回(1982年)
- [[]] - 第9回(1983年)
- 川添エイコ - 第10回(1984年)
- 内城文恵 - 第11回(1985年)
- 青木景子(早坂類) - 第12回(1986年)
- [[]] - 第13回(1987年)
- 村上ゑなよ - 第14回(1988年)
- [[]] - 第15回(1989年)
- 詩村あかね - 第16回(1990年)
- 浦川堤 - 第17回(1991年)
- [[]] - 第18回(1992年)
- [[]] - 第回(年)
サンリオ美術賞
[編集]- 味戸ケイコ - 第1回(1975年度)
- 牧村慶子 - 第2回(1976年)
- 葉祥明 - 第3回(1977年)
- 林静一 - 第4回(1978年)
- 牧野鈴子 - 第5回(1979年)
- [[]] - 第6回(1980年)
- 永田萌 - 第7回(1981年)
- 渡辺藤一 - 第8回(1982年)
- 黒井健 - 第9回(1983年)
- 松永禎郎 - 第10回(1984年)
- きたのじゅんこ - 第11回(1985年)
- おおた慶文 - 第12回(1986年)
- 北見隆 - 第13回(1987年)
- 東君平(?) - 第14回(1988年)
- 宇野亜喜良 - 第15回(1989年)
- やなせたかし - 第16回(1990年)
- いもとようこ - 第17回(1991年)
- エムナマエ - 第18回(1992年)
- [[]] - 第回(年)
- ふと思い立って、かつてサンリオから刊行されていた雑誌『詩とメルヘン』の、「詩とメルヘン賞」「サンリオ美術賞」の歴代受賞者をネットで調べてみました。大きな図書館にいけば雑誌のバックナンバーも揃っているんでしょうが、あいにくと図書館に行く時間がほとんどとれません。もしご存じの方がおられましたら穴埋めや修正をしていただけると嬉しいです。記事をつくるかどうかは、『詩とメルヘン』すらない状態なので、すぐには難しいですが、検討はしています。--ねこざめ(会話) 2021年1月11日 (月) 22:27 (UTC)
- 『詩とメルヘン』の記事を立項しましたので、今後はそちらでやります。2003年8月号(最終号)に受賞者一覧が載っているらしいので、図書館でお取り寄せしてもらってきちんと出典を付ける予定です。いつになるのかは……うーむ。--ねこざめ(会話) 2021年1月13日 (水) 17:46 (UTC)
都市雇用圏について
[編集]都市雇用圏で、2015年の神戸都市圏は2419973人というのが2箇所で確認できます。一方神戸都市圏では2482039人となっています。 おそらく後者は西脇都市圏が消滅して神戸都市圏に包含されたと誤解しての数値と思われますが、http://www.csis.u-tokyo.ac.jp/UEA/uea_code.htm の一番下の方、小都市雇用圏の2015年基準に「西脇都市圏」は入っています。さらに、神戸都市圏の郊外都市に、西脇市や多可町は含まれていません。 神戸都市圏を編集しようとしても「2482039人」などという数字は含まれておらず、市町村の人口などと同様にどこかに まとめてデータを作っていてそこからの引数だと思います。修正をお願いできないでしょうか? --Nannyanenn(会話) 2021年3月14日 (日) 11:41 (UTC)
- 神戸都市圏のソースに直接数字は記入されていませんが、Template:都市圏を利用して{{都市圏|神戸|248|2039}}と記入されています。--Loasa(会話) 2021年3月14日 (日) 12:59 (UTC)
*ありがとうございます。法則がわかったので、神戸都市圏と西脇都市圏を書き換えておきました。しかしこれ、国勢調査の度に手動で書き直してるんですか?大変な割に、間違いが多発しそうですよね…--以上の署名の無いコメントは、Nannyanenn(会話・投稿記録)さんが 2021-03-14T13:48:33 に投稿したものです。
- この節は次の利用者の依頼で過去ログ化されました: 春春眠眠 🗨️会話 2023年4月21日 (金) 07:19 (UTC)
年号が確定していないイベント(出来事)の年号表記について
[編集]現在フィエーゾレ(Fiesole)の戦い(it:Battaglia di Fiesole (405)、en:Battle of Faesulae (406))の翻訳作業を行っている者です。英語版のペーシや日本語版の曖昧さ回避ページ「フィエーゾレの戦い」にもある通り同地では二つの戦いの存在が知られており例によって年号によるページ名の区別を行うことになるのですが、冒頭のリンクや他言語版本文からも明らかなとおり405年か406年かで確定していないようで、この場合のページ名表記についてWikipedia:記事名の付け方にも規定が見られずいかにすべきか悩んだのでこの場に投稿させていただくことになりました。どなたかご意見をよろしくお願いします(補足:日本語版のゴート族のページでは406年に起こったものとして扱われています、またフランス語版はページ名末に「405/406」とおいてます)。--Hop-step-junge(会話) 2021年12月30日 (木) 12:21 (UTC)
- コメント 最も基本的なのは、日本語情報源でローマ史やイタリア史、ゴート史などの文献をしっかり調査することです。。。たとえば文庫クセジュ『アッチラとフン族』(原著fr:Louis Hambis)151ページには(ラダガイト率いるゴート人集団の3隊のうち1隊が)「四〇六年八月二三日、フィエーゾレの近くでスティリコにより壊滅させられた。」とあります。イタリア語版でも出典3つつけて同日の出来事が示され、フランス語版にもfr:Prosper d'Aquitaine(同時代の年代記=一次史料)を情報源として「8月23日」に関する言及がありますし、英語版では「Encyclopedia of World History」が示されていますね。「他言語版では確定していない」とおっしゃいますが、本当に確定していないのか、関連文献をよく調べてみてください。
- 同書によれば、この一団がドナウを渡川して「侵入」してきたのは405年の末で、「合戦」が406年8月23日で、その後に増援があって406年12月31日にはマインツあたりでラインを越えたとあります。
- そもそも、英語版・フランス語版を含むほとんどの言語版で、「戦闘のあった日付」を出典付きで書いてないのでは?ドイツ語版では冒頭で出典なしで「406年夏」としています。
- たとえばピンポイントで合戦だけを示すなら「406年」ですが、もうちょっと俯瞰的に一連の出来事を叙述するなら405-406ともいえます。
- もちろんLouis Hambisのこの書が正しいのか、何に依拠しているのかなども検討に値するでしょうし、他の情報源と照合することもしていいでしょう。各言語版を信じるならば、「8月23日」は「戦闘のあった日」というよりは「ラダガイトがごめんなさいした日」という感じですけども。情報源がないので当てずっぽうですが、おそらく規模からして戦闘は(関が原みたいに)1日だけだったというよりは、何日間か何ヶ月間か知りませんが、いくつかの戦闘行為が複数回あったのではないでしょうかねえ。
- と言う感じで、よく調べてください。
- まあ、少し甘いことを言いますと、今回の曖昧さ回避はフィエーゾレの戦い (前225年)との区別のためにあるものですから、405年か406年かはどうでもよくて、フィエーゾレの戦い (5世紀)でもいいんですよ。原則は原則ですけども、原則で処理できない場合には個別に合意形成なので、(405-406)でも(405/406)でも(5世紀初頭)でも、皆がそれでよいと言えばいいんです。--柒月例祭(会話) 2021年12月31日 (金) 06:02 (UTC)
- 記事名は「ラダガイト率いるゴート人の侵入」とかにしたっていいんですよ。「○○の戦い(xxx年)」形式に過度にこだわる必要はないです。(既存の赤リンクはリダイレクトにでもすればいい。)信頼できる日本語情報源で「○○の戦い」が普及しているならともかく、そうでないなら、ヘタに記事名に「xxx年」とつけてミスリードするよりも、「一連の出来事」として記述し、それ相応の記事名にすればいいんです。--柒月例祭(会話) 2021年12月31日 (金) 06:12 (UTC)
- ありがとうございます。
- とりあえず差し当たりすぐに参照できそうな資料もないうえどのみち確定してなさそうので現在行っている翻訳・加筆が済み次第(5世紀)の名前で投稿をしようと思います。--Hop-step-junge(会話) 2022年1月1日 (土) 09:45 (UTC)
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