Wikipedia:削除された悪ふざけとナンセンス/エイプリルフールにおける宇宙人に関するジョークの歴史
本項では、宇宙人が登場するエイプリルフール・ジョークの歴史について述べる。1938年のオーソン・ウェルズによる「火星人襲来」事件以来、宇宙人に関するジョークはエイプリルフールにおける一つの「定番」として扱われてきた[1]。
「宇宙人ジョーク」の現況と特徴
[編集]エイプリルフールにつかれる嘘にはさまざまな種類があるが、その中でも「宇宙人が襲来した」、あるいは「宇宙人を発見した」「宇宙人との交信に成功した」「宇宙人に拉致された」「エルヴィスは宇宙人だった」「気がついたら首相が宇宙人だった」といった、宇宙人が登場するものが一つの類型となっている。
2006年の調査では、世界各国のエイプリルフール・ジョークのうち、実に32%に宇宙人が登場している[2]。特に日本では宇宙人ジョークの人気が高く、2009年には宇宙人が登場するジョークサイトにアクセスが殺到し、繋がりにくくなるという騒動が起きている[3]。
こうした「宇宙人ジョーク」の特徴について、エイプリルフール研究の大家・フィッシュマンは「即ちその突拍子のなさのために本気にする人は少なく、また実害を蒙る者もいないので、全体的に罪のない他愛もないジョークが多い」と述べている[1]。
火星人襲来とその模倣
[編集]ウェルズによる「火星人襲来」
[編集]一般にエイプリルフールにおける宇宙人ジョークの元祖とみなされるのは、1938年に放送されたラジオ番組「火星人襲来」である。H・G・ウェルズの『宇宙戦争』をオーソン・ウェルズがラジオドラマ化した本作は巧みな構成により、大衆に本当に火星人が襲来したのだと信じ込ませ、パニックを巻き起こした、とされている(宇宙戦争 (ラジオ)参照)。
もっともこの事件はしばしばエイプリルフールの出来事と誤解されているが、実際にはハロウィンの企画として放送されたもので、エイプリルフールとは一切関係がない。こうした誤解が多いのは、後述するように本作の模倣がしばしばエイプリルフールに行われたこと、また1939年の『エイプリルフール年鑑』がこの事件をエイプリルフールの出来事として掲載したことなどが原因として挙げられる[4]。
いずれにせよこの事件は世界中で大きく報じられ、多くの模倣者を生んだ。その結果、「宇宙人ジョーク」というジャンルをエイプリルフールに打ち立てられたのである。
エクアドル
[編集]この番組を最も早く模倣したのは、エクアドルの首都・キトの国営放送局であった。ウェルズの事件の翌1939年4月1日、エイプリルフールの企画として、「火星人襲来」をそっくりそのまま模倣したラジオ番組を放送したのである。
ところがこの放送は、本家以上のパニックを引き起こしてしまった。聴取者がこうしたジョークに慣れていなかったこともあり(当時のエクアドルでのエイプリルフールの認知度は10%足らずであった)、人々は恐怖に駆られて道路に飛び出し、街は大混乱となった。さらにこれが作り話であることが解ると、今度は市民は怒って暴徒化し、ラジオ局と新聞社を襲撃、とうとう建物を焼き払ってしまった。
この暴動では、番組の出演者6人を含む21人が殺害され、プロデューサーが逮捕されるなど、エイプリルフール史上最悪の事件の一つとなってしまった[5]。
日本
[編集]日本でこの放送のことが広く知られたのは戦後に入ってからであったが、陸軍の一部では情報戦の観点から研究が進められていた。
1944年春、劣勢に立たされていた日本軍で、この「火星人襲来」事件を模したラジオ番組を放送してアメリカ軍を混乱させようという作戦が計画された。「アメリカ本土に火星人が襲来し、各地で戦闘が行われている」という内容の偽ニュースをアメリカ軍に向けて放送し、混乱状態になったところへ一斉反攻を仕掛ける、というもので、参謀本部の魚月四郎少佐を中心に計画が進められた。
出演者としては東京ローズなどを起用する予定で、4月1日の作戦決行を期していたが、完成したシナリオを読んだ東条英機首相が「この火星人とやらがタコ型なのは私のハゲ頭を揶揄するものか」と激怒し、魚月の弁明にも「この脚本には空想科学精神が足りぬ」と精神論を説き、ついに計画を中止に追い込んでしまった[6]。
衰退
[編集]このように1930年代末-1940年代にかけ一時は多くのフォロワーを生んだ「火星人襲来」系のジョークであったが、総じて第二次世界大戦後、冷戦体制の確立とともに急速に衰退することとなる。
その原因としては、あまりに広く「タネ」が知られたがためにジョークとしての意味を失ったというごく現実的なものとともに、第二次世界大戦という大災禍を経験した大衆にとって「火星人による地球侵略・破壊」というテーマがもはや物珍しいものでなくなった、「あれだけの(大戦という)悲惨と黙示録的大破壊の後でいまさら黙示録的風景でもないではないか」[7]という心理が働いたのではないかと指摘されている[8]。
新たな潮流
[編集]第三の選択
[編集]1970年代に入り、宇宙人・UFOブームというべき状況が世界中で巻き起こると、エイプリルフール・ジョークの場でも宇宙人の復権が進んだ。宇宙開発の進展によって得られた新知見も、これらのジョークに影響を与えた。
そうした新世代の宇宙人ジョークの代表格とされるのが、1977年6月20日に放映された「 第三の選択」(アングリアテレビ)である。
現在では、この番組は元々エイプリルフールの冗談番組として制作されたもので、登場した関係者の大半は、俳優の演ずる架空の人物であることが広く知られている。しかしその凝った作りから、未だにこの番組で語られた内容――アポロ計画の裏には火星移住計画が隠されており、すでに米ソは秘密裏に火星に到達、火星生物と遭遇しているといった陰謀論を信じる人が少なくない。
筑紫哲也、宇宙人と交信す
[編集]1979年4月1日、日本のテレビ番組「日曜夕刊!こちらデスク」(テレビ朝日)の中で、キャスターの筑紫哲也が「宇宙人との交信に成功した」というニュースを報じた。
結果として視聴者からクレームが殺到するなど、ジョークとしてはお世辞にも成功とは言い難かったが、現代では海外の潮流をいち早く取り入れた「日本における『宇宙人ジョーク』の先駆者」として高く評価されている。
エクアドルの空に浮かぶUFO
[編集]1982年4月1日、エクアドル国営放送局は、「首都・キトに謎のUFO出現」と報道した。もちろんエイプリルフール・ジョークであったが、1939年に続きまたしてもだまされる人が続出、そして嘘だと知った民衆が放送局に暴徒と化して押し寄せる騒ぎとなった。ただし前回の教訓から、国軍によって厳重な警戒が布かれており、幸い死者は出なかった。なお、この放送のプロデューサーは、1939年の暴動で殺害された出演者の息子であったという[9]。
21世紀の宇宙人ジョーク
[編集]21世紀に入ってもなお、エイプリルフール・ジョークの登場人物として、宇宙人は広い人気を博している。
たとえば2008年のエイプリルフールには、Yahoo!JAPANがそのトップページを「宇宙人からの攻撃を受けている」という内容のものに変えたが、これなどは「火星人襲来」以来のクラシックな伝統を踏まえたものと言えるだろう[10]。また宇宙人は直接的に登場しないものの、火星への植民計画を発表したGoogleとVirgin社の2009年のエイプリルフール・ジョークは、「第三の選択」以来の火星を逆に侵略対象として描くジョークの流れに従ったものと言える[11]。日本では映像制作会社の円谷プロダクションが、毎年宇宙人や宇宙生物が多数登場するジョークサイトをエイプリルフールに開設しており、注目を集めている。
国際エイプリルフール連盟は2007年から、その年最も秀逸だった「宇宙人の登場するエイプリルフール・ジョーク」を、ウェルズ賞として表彰している。2010年には、日本の鳩山由紀夫首相の「(新年度に当たって)これからも日本のためがんばりたい」というジョークが、満場一致でウェルズ賞に選ばれた[12]。
古代から宇宙人ジョークは存在した?
[編集]日本の祭りが「火星人襲来」の元ネタだった?
[編集]近年、オーソン・ウェルズをエイプリルフールにおける宇宙人ジョークの始祖とする説に、いくつかの疑問が提出されている。
例えば民俗学者の蒲津賀志は、福井県の沿岸部の一部に「異人(または鬼、天狗、蛸など、地域により異なる)祭り」などと呼ばれる祭りが中世以来存在し、その祭りの内容と「火星人襲来」との間に類似点が見られることを指摘している。
この祭りでは、毎年旧暦4月1日、籤で選ばれた一人の若者が「異人が襲って来たぞー!」と村中に触れて回るのだが、その際「○○の家は襲われて焼かれてしまったぞ、××の田は荒らされてしまっているぞ」と、その状況をさも本当のように克明に説明することが求められるのである。そしてこれを聞いた村人は、皆で家を飛び出して、近所の山に「避難」し、異人たちが病で死に絶えるのを待つのである[13]。
蒲津はこの祭りの内容と「火星人襲来」の構造があまりにも似ていることから、オーソン・ウェルズは何らかの形でこの祭りの話を知り、これを参考に「火星人襲来」のラジオドラマを制作したのではないかとしている[13]。
なお古来、旧暦3月から4月の特定の日は家を出て山や海辺に遊ばねばならない、その日家にいると不幸があるとする風習は日本各地にあり、東北地方ではしばしば4月1日をこの日に当てている[14]。通説ではこの祭りもその変形であるとされ、即ち人々を家から出すための名目として、こうした「過激な」嘘がつかれたのだという。
ちなみに郷土史家の志賀津一はこうした通説に対し、これは単なる「嘘」などではなく、実際にこの地域にそのような「異人」――即ち宇宙人が襲来したことがあり、これらの祭りはその名残であるという説を提示しているが、学界の承認は得られていない[15]。
中国における4月1日の宇宙人伝承
[編集]一方中国には、宇宙人と「4月1日」という日の関係性を思わせる伝承が、さらに時代を遡って存在している。
秦の始皇帝の頃、永不離留(えい・ふりる)という武術の達人があった。不離留は修行のため各地を旅していたが、その途中、魔悪痴闇(まあちあん)なる怪物がある村を荒らしているところに遭遇した。魔悪痴闇は流星に乗って飛来した、8本の手足を持つ異星の怪物で、村人はそれのために長らく苦しめられていた。
不離留は勇敢にも戦いを挑んだが、8本の手足を駆使した技の数々に重傷を負い、命からがらある民家に逃げ込んだ。その家の主・風瑠(ふう・る)は不離留を暖かく迎え入れたが、やがて不離留を追って魔悪痴闇がやってきた。風瑠は不離留を屋根裏に隠し、魔悪痴闇に対しても「不離留はあっちの方に逃げていきますよ」と嘘をついた。その嘘に魔悪痴闇が騙された隙を突いて、不離留は魔悪痴闇に奇襲を仕掛け、見事魔悪痴闇退治に成功した。
人々は村を救った永不離留と、それを助けた風瑠の功績を称え、魔悪痴闇を退治した日である4月1日を、「永不離留・風瑠の日」と呼ぶとともに、風瑠が魔悪痴闇を巧みに騙したことを記念して、この日のみは嘘をついてよいことにした。これが西洋に伝わったものが、後の「エイプリルフール」であることはあまりに有名である[16]。
この伝承が正しいなら、エイプリルフールと宇宙人はその起源から密接に関係しているということになる。
出典
[編集]- ^ a b ウズーキー・フィッシュマン著、古降エイリ訳『エイプリルフール研究序説』(民明学術ライブラリー文庫、2008年)、128頁
- ^ ラプリ・ルフー、古降エイリ「ジンバブエにおけるエイプリルフール・ジョークについての統計的考察」『エイプリルフール年鑑2007』(国際エイプリルフール連盟、2007年)、67頁
- ^ 今年も白熱、エイプリルフールネタ合戦「円谷プロ」など定番から新顔まで
- ^ 百田鷽八『オーソン・ウェルズに学ぶ西洋武術:極めろ市民拳!』(民明書房、1999年)、41頁
- ^ カール・シファキス著、鶴田文訳『詐欺とペテンの大百科』(青土社、1996年)、98頁
- ^ 卯月はじめ『ラジオと戦争――殴って殺せ、驚きのラジオ格闘術』(民明書房、1978年)、485頁
- ^ 種村季弘『魔術的リアリズム メランコリーの芸術』(ちくま学芸文庫、2010年)、31頁
- ^ 古降理衛『戦後の小咄史 マッカーサーからエヴァまで』(民明書房、2000年)、34-5頁
- ^ オレノ・オレオ『あなたの知らないエクアドル武術入門』(民明書房、1988年)、54-68頁
- ^ 2008年4月1日のYahoo!JAPANトップページ
- ^ Google&Virginからのエイプリルフールネタ-火星移住プロジェクト"Virgle"
- ^ ウェルズ賞に鳩山首相……世界一面白い宇宙人ジョーク
- ^ a b 蒲津賀志「異人と蒙古〜祭礼行事に見る宇宙人の面影」(「月刊福井の宇宙人」2002年4月号)、25-31頁
- ^ 柳田国男監修『民俗学事典』(東京堂出版、1951年)、640頁
- ^ 志賀津一「福井県民はぎなたでエイリアンを撃退していた」(「義鉈研究」、2006年号)、7-9頁
- ^ 右祖月『中国びっくり達人列伝』(民明書房、1989年)、79-82頁
エイプリルフールに作られた記事:この項目はエイプリルフールに作られた記事です。ジョークは楽しむためのものです。本気にしないでください。 |