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Wikipedia:井戸端/subj/BLOGOS、ハフィントン・ポストは情報源になるか

BLOGOS、ハフィントン・ポストは情報源になるか

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  1. 「東日本大震災」2014年4月7日 (月) 02:06 (UTC) の編集において、BLOGOSを出典とした記述が削除されました。削除理由はWikipedia:検証可能性#自主公表された情報源に該当するとの判断です。なお、過去にWikipedia:井戸端/subj/BLOGOSの記事は2次資料として使えますか?という井戸端の議論がありましたが、二次資料か否かの議論とならずに収束したものと提題者は理解しています。
  2. 「福島第一原子力発電所事故」2013年11月8日 (金) 21:11 (UTC) の編集および":en:Fukushima Daiichi nuclear disaster" 22:22, 9 November 2013 の編集において提題者がハフィントン・ポストを出典として執筆しています。なお、これらの編集においては、ソースを本文に明記し、仮に一次資料と見做されても成立する書き方を心掛けた所存です。
BLOGOSハフィントン・ポストの相違点および提題

BLOGOSは個人ブログからの転載および池田信夫による記事(JAWP記事の表現では「ニュースサイト、まとめサイト」)、ハフィントン・ポストは寄稿および編集部の記事(JAWP記事の表現では「インターネット新聞」)であり、提題者はBLOGOSWikipedia:検証可能性#自主公表された情報源に当たりウィキペディアの出典たりえず、ハフィントン・ポストは編集機能のある媒体としてウィキペディアの出典たりえるとの見解に立ちますが、両サイトは「インターネット上の媒体であること」「転載または寄稿が主であること」等、類似点の多いサイトである故、両サイトの査読性の有無およびウィキペディアの出典たりうる(二次)資料であるか否かについて皆様のご見解を伺いたく存じます。--ジャコウネズミ会話 | 投稿記録2014年4月7日 (月) 10:11 (UTC)[返信]

コメントBLOGOS、ハフィントン・ポストなどは、基本的には境界的な位置にあるメディアです。それらのメディアが総体として情報源になるかどうか、ではなく、事実に関しては他の情報源がないかをまず考え、探すのが先だと思います。意見などについては、その話者、発言の内容、そこからの拡散の程度など、個々の記事、個々の記述との対応の中で、適した情報源か、使うべきでない情報源かを判断していくことにあると思います。
例示された前者については、元はアゴラの記事で[1]、著者は松本徹三[2][3]なので、単なる一般人のただのブログとは異なりますから、分野と内容の判断次第でしょうか。直ちに除去できるというふうには思いませんでした。
この件については、除去する前に検索すれば、NHK[4]、ユースト[5]、ITmedia報道の残骸アーカイブや、インターネットウォッチ記事を参照している記録アーカイブ、堀川裕介「東日本大震災時の情報取得におけるソーシャルメディアの位置づけ」[6]、ジャーナリスト[7]など、より適切な情報源が容易に見つかりますし、十分話題となった事柄だということが分かります。除去するのでも、情報源として適切かどうかの議論を始めるのではなく、単に情報源を探して置き換えることが求められると思います。
後者については、震災時の首相で、当時自ら対応につとめた当事者なのですから、本人のブログであっても、信頼できる情報源として扱うことができるでしょう。メディアとして伝達能力そのものに疑義を抱かなければならないような媒体でなければ、掲載誌は気にしなくていい。--Ks aka 98会話2014年4月7日 (月) 10:59 (UTC)[返信]
(被ったけどそのまま。Ks aka 98さんの内容は目を通していません)結論から言えば執筆者に依存せざるを得ないと考えます。つまり、BLOGOS(池田信夫はアゴラ (メディア)です。BLOGOSはアゴラの記事も扱うのです)やハフィントン・ポストに限らずこの種の投稿記事集合体的なサイトは、媒体としてそれ単体がある程度の信頼性を与えるようなものではなく、あくまで「場」として扱うべきであろうと。その上で、個々の執筆者の立場・経歴を考慮して扱う一般的なブログと同様の対応をすれば良いのではないでしょうか。つまり、一般のブログと同様に一概に情報源でないとすることは出来ないと考えます。個別に見ますと、東日本大震災はソフトバンクモバイルの取締役特別顧問松本徹三によるもの。自身の分野であるインターネット上で発生したことに対する言及で、しかもユーストリームアジアはソフトバンクグループに属します。これをブログであるという理由で除去するのは方針の乱用になると考えます(これが分野外となる案件。例えば[8]のように領土問題に対する発言ですと、一個人の見解として切り捨てれば良いのです)。これは書き方(一次情報として扱う)の問題でしょう。ただ、松本徹三の示した内容まで扱っておりませんので、出典としてはユーストリームアジアの社長インタビューの方が適しているでしょう。福島第一原子力発電所事故ですが、これはもう当事者の発言ですから、あくまで菅直人の言であるという書き方になるのは当然のことと考えますし、媒体がブログと同様のハフィントン・ポストだからと切り捨てるのは論外といった段階ではないかと。--Open-box会話2014年4月7日 (月) 11:11 (UTC)[返信]
コメント提題者です。Ks aka 98様、Open-box様、有難うございます。項目「東日本大震災」においては、Open-box様のお示しくださったユーストリームアジアの社長インタビューを出典として記述を復帰いたしました。「BLOGOS、ハフィントン・ポストなどは、基本的には境界的な位置にあるメディア」、「個々の執筆者の立場・経歴を考慮して扱う一般的なブログと同様の対応をすれば良い」というご見解は本提題に対する基幹的見解として承知いたしました。同時に新たな懸案事項も浮上してしまいました。項目「刺激惹起性多能性獲得細胞」といった項目において、未だ理化学研究所、科学誌、マスコミが取り上げていない情報を、執筆者の専門性の高いブログ(例:11jigen氏kaho氏)を出典に書いてよいのか、という問題です。現時点でそういった編集はありません。執筆者のハンドルネームの匿名性を理由に却下できるのか、理化学研究所、科学誌、マスコミが調査および追及をしていることを理由にそこで報じれれているか否かで一線が引けるのか、悩ましいところです。--ジャコウネズミ会話 | 投稿記録2014年4月7日 (月) 12:39 (UTC)[返信]
執筆者が何者か分からず、自主公表物しか判断の素材がなく、その公表物について信頼できる情報源は評価していないのですから、執筆者の立場・経歴から専門性の高さが評価できない、というのが正確な判断のはずです。「専門性が高い」を前提に出来ないので、信頼性が高い情報源として扱うことは出来ない。
匿名/ハンドルネームでも、それでアイデンティファイされる活動によって信頼が得られるような場合もあります。たとえばハッピーさんの本[9]は、関連する記事では出典に使えるでしょう。--Ks aka 98会話2014年4月7日 (月) 13:40 (UTC)[返信]
コメント 提題者です。Ks aka 98様、ご見解有難うございます。一つの論法として成立するものとして承知いたしました。STAP細胞論文の件に限って言えば、記者会見でのマスコミの理化学研究所に対する追及をはじめとする報道が、先述のサイトをはじめとするネット上の論文検証者の成果を後追いしているという見方が妥当であるならば、「執筆者の立場・経歴から専門性の高さが評価できない」とは断定し難く、「アイデンティファイされる活動によって信頼が得られるような場合」に該当するのではないかとの反論も容易に想像できますが、まずは、Ks aka 98様の仰る論法で押すのが一点。もう一つは、主旨は同じかと存じますが、言い方を変えたものとして、本題の「東日本大震災の事例」に例えれば、ネット上の論文検証者による成果は、「少年が独断でストリーミングを始めたこと」に類する事柄であって、彼らの示すデータが研究不正疑惑の先端を走って科学界やマスコミをも動かしている現象や、そこに取り上げられた彼らの検証の一部分にこそ特筆性があるのだという論法が誘発されました(そのうえで記載するかは項目の主題との関連性如何によります)。いずれにせよ、本提題および個人ブログの件はWikipedia:ウィキペディアは何ではないかにも関わってくる重要な事案であると認識しており、一定の基準が設けられないものかとかねてより思案していたのですが、出典の信頼性と記事の書き方の双方を個別にWikipedia:五本の柱Wikipedia:方針とガイドライン、良識および論理性に則って諮っていく性格のものなのだと示されたように思います。「五本の柱」の最後が「ウィキペディアには、確固としたルールはありません」とあるように。--ジャコウネズミ会話 | 投稿記録2014年4月7日 (月) 16:05 (UTC)[返信]
blogosについてお聞きしたいのですが。blogosはさまざまなブログ的サイト(たとえば池田信夫氏のアゴラ等)などに掲載された記事の内容を、転載しているサイトですよね。もともとの記事自体は池田氏のサイトなど出典元サイトに存在しており、それをblogosが池田氏などの許諾の基に転載しているわけですよね。とすれば、blogosそのものを出典にするのはいわゆる「孫引き」にあたるのではないのでしょうか? 似たような形態としては、さまざまな報道系サイト(たとえば毎日jpなど)などに掲載された記事の内容を、転載しているYahoo!ニュースなどがあります。この場合も、毎日jpのURLを出典として挙げるならわかりますが、Yahoo!ニュースのURLを出典として挙げるのは孫引きにあたるのではないでしょうか?
コメント 提題者です。ここでのこれまでの議論の示すところは、「BLOGOSに転載されたから二次資料です」という主張は成立しないでしょう、ということかと存じます。一次資料としてBLOGOSを使うのか、元のブログを使うのかについては、一絡げに縛る理由はないのではないかと思います。元のブログの方が発信者の実績や専門性を把握しやすいと考える方もいらっしゃるでしょうし、元のブログの可塑性(後から本人が自由に推敲・訂正・非表示・削除などができる)やアフィリエイトとの兼ね合いでBLOGOSを推す人もいると思います。BLOGOSの記事からは元のブログにハイパーリンクが付けられていますが、その逆は保証できないことも考慮に入れるべきかもしれません。Yahoo!ヘッドラインについては、リンク切れが早く、アーカイブリンクサイトのアーカイブも追いつかない(見つからないか、記事が削除された後の版しか残っていない)ことが多々あるという経験則から、私個人としては、目の届く範囲で転載元のニュースにリンクを置き換えていますし、最初から転載元のニュースを出典とすることを推奨したい考えです。--ジャコウネズミ会話 | 投稿記録2014年4月9日 (水) 11:46 (UTC)[返信]