Wikipedia:井戸端/subj/2chのAAの記事は必要か
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2chのAAの記事は必要か?
[編集]第1節
[編集]毎日のように2chでは新AAが作られ、それがWikipediaに持ち込まれて記事が次々と作られていますが2chAAのページは本当にWikipediaでは必要でしょうか?Wikipediaが2chのAAのデータベースになってしまいます。--Alljal 2007年2月13日 (火) 12:39 (UTC)
百科事典的でない記事として削除対象になると思います。Category:2ちゃんねるAAキャラクターにあるAAは原則全削除。例外的残すべきはモナー、ギコ猫ぐらいでしょうか。--fromm 2007年2月13日 (火) 14:15 (UTC)
- それはまた大胆な。モナーら四大AAや有名なAA(流石兄弟など)は存続、あまり有名でないものは元となったAAのところへ統合(ジャスティス (アスキーアート)をモララーへ統合するなど)、どこにも統合できない無名であるものは削除、くらいで良いと思うのだがね。もっとも、「有名かどうか」というのはかなり主観によるので、どれを残しどれを消すか判断するのは難しいところもある(そういう点では、問答無用の全削除は楽かもしれないが)。それに、たとえ全削除になったとしても、絶対に誰かが再構築するだろうから、削除は無意味でもある。
- Wikipedia:ウィキプロジェクト 2ちゃんねるあたりで話し合ってガイドラインを制定するのが良いのかもしれないが、このプロジェクトは準備中で実体の無い物なので期待はできないな。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2007年2月13日 (火) 14:43 (UTC)
- 個々に判断すべき問題でしょう。「AAだから」という理由で削除対象にするのは難しいかと。(削除依頼に挙げることは可能です。どんな記事でも。誤解の無いよう。)frommさんの判断基準にしても明文化できれば良いのですがたとえば「有名なもの」「社会的影響の大きいもの」などの客観化出来ない基準であれば難しいでしょうね。--Himetv 2007年2月13日 (火) 14:52 (UTC)
- Wikipediaは百科事典であると原点に帰って考えると簡単だと思いますよ。AAだから削除か存続かという以前の問題で、AAでも百科事典として社会的な意味があれば存続。2chらーなど一部の仲間内が見て楽しいだけとか、投稿者がAAの項目をつくってて楽しいなどは百科事典から外れてるので、ご退場願うのが正道じゃないでしょうか。--ホオズキ 2007年2月13日 (火) 15:19 (UTC)
- 上の意見に同意。個々に判断すべき。--121.83.0.152 2007年3月19日 (月) 09:27 (UTC)
- また別の問題として記事そのものは必要だが、派生AAなど不要というか余分な内容が記載されてる気がする。--121.83.0.152 2007年3月20日 (火) 16:03 (UTC)
第2節
[編集]アスキーアートでも、数行からなる大きなものについては著作物として成立すると考えられます(ただし、明確な基準は定かではない)。もし、著作物として成立するならば、著作権侵害を避けつつアスキーアートを掲載するのは一般的に困難であると思います。--全中裏 2007年2月13日 (火) 16:09 (UTC)
いくつか見てみましたが、あのような記事は「独自の調査」には当たらないのでしょうか?こちらを読むと、「一次資料のみに基づく調査」に当たりそうな気がするのですが。もしそうなら、二次資料(書籍に取り上げられたなどの情報)が揃っているものだけ残すという選択はどうでしょうか?--bcjp 2007年2月13日 (火) 17:38 (UTC)
- よく「独自の調査」に関しては誤解されがちだが、情報源がインターネットではいけないというわけではないよ。この2chAA群が独自の研究かどうかということは別として。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2007年2月13日 (火) 19:24 (UTC)
- ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQさんへ。その点は誤解していません。私の書き方が悪くて誤解させてしまいすみません。「書籍やその他の信頼できるメディアに取り上げられたなどの情報」と読み替えて下さい。ご指摘ありがとうございます。--bcjp 2007年2月13日 (火) 20:06 (UTC)
- 「2ちゃんねる辞典」など、書籍媒体でのソースが確認できれば、存続も可能かもしれませんが、書籍媒体での確認がなく、無名人物によるインターネット配信でしか確認できないAAは削除対象だと思います。-経済準学士 2007年2月13日 (火) 19:27 (UTC)
- AAに限ったことではありませんが、紙媒体では無く、質的にも「紙の百科事典」とは異なるウィキペディアが、書籍媒体ソースに拘る理由が判りません。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年2月13日 (火) 20:08 (UTC)
- おそらく、紙媒体に比べてインターネットの性質上『責任』という話に弱いからだと思います。例えば企業運営のサービスコンテンツであれば、そのコンテンツの内容に関する責任は、企業にあるので紙媒体に拘る必要はありません。ですが著名者でない個人のブログ(≠著名なブログ)等は紙媒体に比べ著しく内容に責任が持てないので出典として用いられないのでしょう。個人的には「事実」としてページを作る要素にはなりえますが(この作る作らないの事実は検索該当量が判断基準にしてもよいでしょう)「出典」として用いることのできない情報だと思います。そして出典の無いページは削除しても問題ありません。--Chiether 2007年2月14日 (水) 01:30 (UTC)
- それはウィキペディア自体に対しても含まれる言葉ですよね。「ウィキペディアは紙媒体の出典を以って著されている」と言っても、ウィキペディアが「インターネット上のサービスコンテンツ」である以上、詭弁に過ぎなくなります。私は、こうした自己矛盾した理屈はナンセンスであると考えます。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年2月14日 (水) 04:01 (UTC)
- ええ。事実そうだと思っています。ですが自己矛盾であるとは思いません。『ウィキペディアは責任ある出典を求めている。よりよい出典があれば置き換える。よりよい出典には責任ある(査読なり何なりされた)出典も含まれる』ということと『ウィキペディアという非営利団体(財団)のサービスコンテンツがあり、このサービスコンテンツは、責任ある出典として不適切であるという指摘がある(事実、ジンボ自身が重要な事にウィキペディアを引用しないよう表明しています)』ということは矛盾しません。ですがより良くなろうというプロジェクトの目的に沿って、出典や中立性を柱に据えたり、引用する側にも版の特定を求めたりしているのでしょう。--Chiether 2007年2月14日 (水) 07:12 (UTC)
- 私には「出典の出典は何の出典だ」というか、タマゴとニワトリというか、そのような類のものにしか感じられません。ウィキペディアが聖域であるという考え方は、いびつでしょう。ネット上が発祥でありそれが書籍に掲載されるのと、書籍に掲載されてネットで流布するものと、なぜにそのような意識の差があるのか、全く以って理解できません。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年2月14日 (水) 09:59 (UTC)
- おそらく、あくまでも私が今感じていることですがウィキペディアに求めるものが「結果(記事内容)」なのか「過程(プロジェクト)」なのかの違いかもしれません。結果を主とした場合、出典Aを元にした記事Bは、出典Aという存在の事実しか保証せず(典拠と成りうるかどうかは記事Bの内容に依存します)、記事Bの内容の信頼性は出典Aによって賄われるものではありません。ですが過程を主とすると、例えば出典Aを元にした記事Bを引用し、調査結果等をぶつけて反論する記事Cは現実的に成り立ちますし、その結果が信頼に値するのであれば記事Bの後版に反映されるかもしれません。ウィキペディアの記事を引用するにあたって信頼性があるかないかは、引用者が判断するべきことであり、過程を求めるのであれば、引用者が引用するに値する記事であるように向上心をもってあたるのがウィキペディアの過程であると私は考えて編集にあたっています。--Chiether 2007年2月14日 (水) 12:28 (UTC)
- 「おそらく~かもしれません」という事は、Chietherさんご自身も判らぬ何物かに囚われて、その何物ともつかぬ物を理由にされているということになります。Chietherさんご自身の中ではそれで納得されていようと一向に構いませんが、私を含めた「他の人」に説明する根拠としてはまったくのナンセンスでしょう。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年2月14日 (水) 15:34 (UTC)
- いいえ、私自身は「それが一因の可能性がある」と示唆しているに過ぎず、それぞれの違いも述べています。ですから「自身も分からぬ何物か」ではありません。懐疑的に捉えられてしまうような発言であったことは反省します。説明する根拠たるかどうかという話であれば、そもそも誰がそれに当てはまるのかといった事は考えても居ませんし、その違いが全てを紐解くものであるとも現段階では考えても居ません。--Chiether 2007年2月14日 (水) 18:27 (UTC)
- 話を少しもどします、ウィキペディアが情報源を信用するかどうか。つまり出典として適切かどうかの判断基準として「責任あること」「査読されていること」などの基準が設けられています。書籍が必ず出典として相応しいわけではありません。単なる紹介だけに留まる書籍であれば『そういうものがある』というだけに過ぎず、記事項目があってもよいという判断基準になりますが、出典に値しないでしょう。逆に、例えばですが「どういういきさつで、そのアスキーアートが生まれたか」などまで追及しているのであれば書籍媒体だろうがネット媒体だろうが出典として相応しいものです。ただしインターネット上の情報通信が『責任を明らかにすることまで見て作られていない』という問題があるので『紙媒体に拘る』というよりも『紙媒体の方が優れている』というところだと思います。単純判断で図式にすると『紙媒体の良い出典=>電子媒体の良い出典>配信媒体の良い出典>紙媒体のずさんな出典=電子媒体の杜撰な出典=>配信媒体のずさんな出典』というのが私の価値基準になっています。--Chiether
第3節
[編集]個人的には「AA記事はあっても良い」くらいの気持ちです。積極的に存続とも削除とも思いません。精力的にAA関連項目を立てる気もしなければ、排除すべきと東奔西走するほどのものにも感じられない。なお、ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQさんの仰る「楽だから全削除」という理由は削除する側の都合過ぎる気がするので賛同しかねます。いずれにせよ、AAについては著作権的な概念なども含めて議論すべき部分も大いにあると考えます。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年2月13日 (火) 19:42 (UTC)
作られた背景やAAに因んだストーリーがなく、ただAAとその説明、出典のスレッドのみのページは削除または統合すべきでしょう。--Alljal 2007年2月13日 (火) 19:49 (UTC)
論点は3つ有ります。(1)百科事典的な記事か否か(2)AAの著作権(3)パロディ系AAの著作権上の問題、アソパソマソとか。 込み入った(2)(3)の議論に入る前に、(1)の議論をした方がよいと思います。あと、AA好きとしては、wikipediaでズレの多い汚いAAは見ててつらいです。こちらのブラウザ環境の問題かもしれませんが。Vistaのメイリオフォントではさらにズレるようですね。--fromm 2007年2月14日 (水) 02:08 (UTC)
- 余談ですがズレは、WindowsのIEでMS Pゴシック12ポイントの環境で最適なようです。特定の環境でしか適切に閲覧できないというのも変な話です。--fromm 2007年2月14日 (水) 02:30 (UTC)
切り口を変えて考えてみましょう。2ちゃんねるを元とする記事のアスキーアートが大量に投稿されているので私自身が抜け落ちていましたが……。切り口を変えれば『作者不詳の絵画』などと同等の次元ではないでしょうか。例えば今この瞬間に、私が何かを風刺する絵を描いたとして、その絵がどのような過程で著名になるかと考えてみました。絵画であれば例えば、オークションカタログ等が挙げられますが、作品を紹介するのであれば、やはり作品解説の詳細が必要になるので『出典』を拠り所にするべきではないでしょうか(その出典は少なくとも商業地位にある責任管理下にあるべきです)。これはアスキーアートに限らず、表現作品(例えば人工言語も含む)に関わるもの全てに必要とされることのような気もしますが。--Chiether 2007年2月14日 (水) 18:27 (UTC)
それ以前に調べ物をしにWikipediaを利用する読者にとってAAなど全く役に立たない。読者に役立つ記事を書くという基本的なことが抜けている。--220.211.164.120 2007年2月15日 (木) 12:40 (UTC)
まず、AAそのものの著作権については2ちゃんねる側がGFDLもしくはPDを宣言しない限りどうにもなりません。また、二次創作のAA(アソパソマソなど)ですが、これも原著作者がGFDLもしくはPDを宣言しないかぎり著作権侵害となるでしょう。 また、情報源の信頼性および検証可能性も気になるところですが、AAの場合は「2ちゃんねるに載っている」こと自体が「容易に確認可能な事実」となるので、2ちゃん情報のゴシップ記事と異なり、情報の信頼性を考慮する必要はありません。さて、一番難しいのが「百科事典的な記事かどうか」です。これには個々人の「百科事典観」という主観が入ってくるだけに難しい問題なのです。削除主義と包摂主義の対立を持ち出すまでもなく、ウィキペディアンの中ではこれに対する合意は取れていません。この解釈しだいでAA記事の存否が決まるといっていいでしょう。ですから、AA記事を残したいと考える人は自分たちの主張を有利にするために、ウィキプロジェクトのような何らかの手段でコミュニティの合意を取っておくのがよいと思われます。--春野秋葉 2007年2月15日 (木) 18:39 (UTC)
- Wikipedia:ウィキプロジェクト 2ちゃんねるの存在をすっかり忘れていました(自分も参加してるのに…)AA記事を残すための合意形成の場所として非常に有用だと思います。趣旨に賛同される方はぜひご参加ください。--春野秋葉 2007年2月17日 (土) 01:00 (UTC)
- 自分で著作権侵害と言っておきながら(事実その通りだけど)プロジェクトで有利にするというのは、少々理解し難いものがありますが--210.250.110.227 2007年2月22日 (木) 12:52 (UTC)
- いや、まぁ2ちゃんねるがGFDLもしくはPDを宣言するという天変地異が起こらないとも限らないし(w --春野秋葉(ウィキダス計画準備中) 2007年2月23日 (金) 02:58 (UTC)
第4節
[編集]少し話を戻します。2ちゃんねるのトップページ には「2ちゃんねるのデータの利用に関して、原則的に自由ですが、2ちゃんねるのデータ自体を利用して対価を取る行為はご遠慮下さい。要するに、2ちゃんねるをモニターして、お金をとってるマーケティング会社の方はご相談頂けないと面倒なことになるかもしれません、、、ってことです。」と書かれています。これを「限定されたPD宣言」と取ることは出来ないでしょうか。ウィキペディアは「2ちゃんねるのデータ自体を利用して対価を取る」ものでも「お金をとってるマーケティング会社」でもないので、ウィキペディアに対しては自由な使用を認めていると取ることも出来るのではないでしょうか。最も、一番いいのは2ちゃんねるがトップページでCC-表示 を宣言することですが。--春野秋葉(Talk / Cont.) 2007年2月28日 (水) 05:32 (UTC)
- 著作権に関する正式な文書やコメントではない以上、PDと解釈することは出来ないと思います。著作権とは使うほうが一方的に解釈するものではないと思うのですが。確かにWikipedia自体はお金を取っているわけではありませんが、GFDLである以上、Wikipediaの記事を商用利用することは可能です。それらの情報を利用する人が個々に2ちゃんねるに相談する必要があるのならば、そもそもWikipediaに載せること自体が不適でしょう。ここで議論しても答えが出ないことですし、必要であれば2ちゃんねるの管理者に問い合わせたほうがよいのでは。--Clapon 2007年3月2日 (金) 00:53 (UTC)
- あ~確かに2chライセンス(と仮に名づけるとする)が限定されたPDというのはちょっと言いすぎだったかも。2chライセンスで禁止されている「2ちゃんねるのデータ自体を利用して対価を取る行為」というのは、2chの全掲示板のログを集めて、そのログの中から例えばある会社名を探し出し、その会社の2chでの世評を有償でその会社に提供する…というビジネススタイルがあったことから書き加えられたものです。ウィキペディアの記事を商用利用することはもちろん可能ですが、それだけではまだ2ch以外のデータが含まれているので「2ちゃんねるのデータ自体を利用して対価を取る行為」にはなりません。「2ちゃんねるのデータ自体を利用して対価を取る行為」というのは前述したとおり、2chのデータだけを集めて商用利用することです。これは著作権法で認められている引用の話に似ていて、最初に引用したときに引用の要件を満たしていても、のちの編集で引用の要件を満たさなくなる(よって転載となり、著作権侵害になる)場合があるけどどうするのか?というのと近い話です。このばあい、後から著作権侵害になることはあっても、GFDLはそこまでを許可するものではないから、最初の引用をGFDLでライセンスすることができると考えています。2ch内のデータについても同じように考えればいいでしょう。2chライセンスでは最初にウィキペディアに書かれたときに「2ちゃんねるのデータ自体を利用して対価を取る行為」でなければライセンスされたものとする。あとからライセンス外の利用がされる場合はあっても、GFDLはそこまでを許可するものではないから、最初の2chライセンスによる転載をGFDLでライセンスすることは全く問題ないのです。ちなみに2chのトップページの例の文をClaponさんは「著作権に関する正式な文書やコメントではない」とおっしゃっていますが、ではどのような文が「正式」なのでしょうか。--春野秋葉(Talk / Cont.) 2007年3月2日 (金) 03:11 (UTC) 一部修正済み
- 公式ではないというのは春野秋葉さんがおっしゃっていた「限定されたPD宣言」や、先の発言にある「最初の2chライセンスによる転載をGFDLでライセンスすることは全く問題ないのです」という部分について、あくまでも春野秋葉さんの推測であって、2ちゃんねるからの公式見解ではないということです。勝手な推測で著作権を論じることはできないのではないですか。なお、2ちゃんねるのトップページには自由利用マークが貼り付けられており、このうちコピーOKマークの意味はコピーOKという意味で、改変・加工・翻訳・部分利用等はできない([1])という意味だと、文化庁のページに書かれています。これは2ちゃんねるのトップページに上げられている文章を春野秋葉さんが解釈なさった部分とは、若干矛盾があるように感じます。--Clapon 2007年3月3日 (土) 09:31 (UTC)
- あ~確かに2chライセンス(と仮に名づけるとする)が限定されたPDというのはちょっと言いすぎだったかも。2chライセンスで禁止されている「2ちゃんねるのデータ自体を利用して対価を取る行為」というのは、2chの全掲示板のログを集めて、そのログの中から例えばある会社名を探し出し、その会社の2chでの世評を有償でその会社に提供する…というビジネススタイルがあったことから書き加えられたものです。ウィキペディアの記事を商用利用することはもちろん可能ですが、それだけではまだ2ch以外のデータが含まれているので「2ちゃんねるのデータ自体を利用して対価を取る行為」にはなりません。「2ちゃんねるのデータ自体を利用して対価を取る行為」というのは前述したとおり、2chのデータだけを集めて商用利用することです。これは著作権法で認められている引用の話に似ていて、最初に引用したときに引用の要件を満たしていても、のちの編集で引用の要件を満たさなくなる(よって転載となり、著作権侵害になる)場合があるけどどうするのか?というのと近い話です。このばあい、後から著作権侵害になることはあっても、GFDLはそこまでを許可するものではないから、最初の引用をGFDLでライセンスすることができると考えています。2ch内のデータについても同じように考えればいいでしょう。2chライセンスでは最初にウィキペディアに書かれたときに「2ちゃんねるのデータ自体を利用して対価を取る行為」でなければライセンスされたものとする。あとからライセンス外の利用がされる場合はあっても、GFDLはそこまでを許可するものではないから、最初の2chライセンスによる転載をGFDLでライセンスすることは全く問題ないのです。ちなみに2chのトップページの例の文をClaponさんは「著作権に関する正式な文書やコメントではない」とおっしゃっていますが、ではどのような文が「正式」なのでしょうか。--春野秋葉(Talk / Cont.) 2007年3月2日 (金) 03:11 (UTC) 一部修正済み
- ええと、2chの公式見解はトップページにある「2ちゃんねるのデータの利用に関して、原則的に自由ですが、2ちゃんねるのデータ自体を利用して対価を取る行為はご遠慮下さい。要するに、2ちゃんねるをモニターして、お金をとってるマーケティング会社の方はご相談頂けないと面倒なことになるかもしれません、、、ってことです。」という文章そのものですよね。私はこれを「2chライセンス」と定義した上で考察を入れていますが、確かにその考察は公式見解ではありません。また、2chのトップページには自由利用マークがついていますが、これは「自由利用マークの示す範囲でしか許可していない」という意味ではないでしょう。上に挙げた公式見解である「トップページの原文」を文字通りに解釈すればよいのだと思います。--春野秋葉(Talk / Cont.) 2007年3月3日 (土) 10:08 (UTC)
- 状況によりけりだと思います。たとえば2chで問題になった、のま猫問題はAAが必要でしょう。(リンクでモナーに飛べる)AAがなければ説明しづらいです。そして蛇足すぎるAAは不必要という意見もわかります。まあ私が言いたいことはひとつであり、『AAは不必要』という流れをすべてに適応する人達が存在します。(AA完全否定派)。その人達は記事にAAが載っているとすぐさま削除議論をかけて著作権違反で記事の一部を削除するような脊髄反射的な行動を行っています。このようなおかしな行動だけやめてくれれば助かります。AAが明らかに不必要な記事が存在しているのはわかります。しかし『AAが確実に必要な記事』まで削除議論かける人達の存在はとても認められません。記事すら読まずに作業的に削除議論かけるなんて論外でしょう。論というか話し合う気もないぐらいの作業的機械的なやり方ですね。--222.144.144.205 2007年3月2日 (金) 11:59 (UTC)
- いくらアスキーアートが必要な項目であっても著作権を侵害しているものであったら許容出来ないのは当然だと思いますが。それとも、「著作権侵害ではないのに著作権侵害だと主張している人がいる(し、その誤った主張が認められている)」という意味でしょうか。 By 健ちゃん 2007年3月5日 (月) 11:03 (UTC)
- 2chが許可しているかしてないか関係なく著作権違反の時点で掲載不可能な事くらい分からないものでしょうか?--Vlp 2007年3月7日 (水) 12:58 (UTC)
- 著作権者である2chが許可していたら著作権侵害にならないのですが?「許可しているかいないか関係なく著作権違反」という状態は存在しません。--春野秋葉(Talk / Cont.) 2007年3月8日 (木) 07:51 (UTC)
第5節
[編集]春野秋葉さんは版権ものでなくオリジナルのAAについて言っているんじゃないでしょうか(じゃないと辻褄が合わないような)--220.211.155.57 2007年3月8日 (木) 14:18 (UTC)
キャラクターの著作権や肖像権は作者にあるのであってAAの作者はそれを無断使用してるだけなのでその時点で著作権違反ですからね。--122.209.112.163 2007年3月9日 (金) 06:34 (UTC)
- 意味がないかも知れませんが、有名でないAAについては、Wiktionaryに2chのAAの情報を移すというのはどうでしょうか? --hsz 2007年3月10日 (土) 12:44 (UTC)
- 何か春野秋葉氏はものすごく根本的なところで誤っている気がするが……2chAAキャラクターは、2ch(ひろゆき)の所有物じゃないぞ。「AAは2ch利用者の共有財産で、誰のものでもない」という今までの著作権法にない解釈が、誰が決めたわけでもないが何となく暗黙の了解として取られている。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2007年3月13日 (火) 18:45 (UTC)
- 法的根拠のない「暗黙の了解」などを持ち出されても…。2chに書き込みをすると出てくることがあるメッセージには「投稿された内容に対する著作権は、掲示板運営者(=ひろゆき)に対し無償で譲渡することを承諾します」のような内容の文章が出てきます。この文章を読む限り、法的には2ch(もしくはそれを統括するひろゆき)が著作権者であることは間違いないと思います。それを「暗黙の了解」で覆すのは無理じゃないかと思うのですが。「誰のものでもない」っていわゆるパブリックドメイン(PD)のことですよ?2ch自身がPDと相容れないメッセージを出しているのに、PDとして扱うのはいくらなんでも無茶です。この問題は2ch(もしくはひろゆき)がPDもしくはGFDLをはっきりと宣言しない限り解決しません。「暗黙の了解」は宣言ではありません。--春野秋葉(Talk / Cont.) 2007年3月13日 (火) 20:42 (UTC)
- 春野氏よ、それは「AAはひろゆきのもの」というのとは違う話だろう。2ちゃんねるに投稿された投稿内容に関しては2ちゃんねるに帰属するが、それはAAが2ch(ひろゆき)のものになったことを意味しない。2ch外で2chAAが使われても、2ch側は「著作権侵害だ」と訴えることは今のところ絶対にできない(将来的にかわいいコックさんのような状況になる可能性もあるが、もしそうなったらひろゆきに対して大暴動が起こるだろう)。
- また、2chAAがPDだとは一言も言っていないし、PDではない。大雑把に説明すれば「誰のものでもないし、共有財産だから自由に使っても良いけど、独り占めしようとしたり金儲けの道具に使おうとしたら逝ってよし」だろうが、これはのまネコ騒動を知っている人になら納得してもらえるだろう。PDは「誰のものでもないし、共有財産だから自由に使っても良いし、改変したものは独り占めしてもいいし金儲けの道具に使ってもいい」だから、見比べれば2chAAがPDでないことは明らかだ。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2007年3月13日 (火) 23:45 (UTC)
要か不要かという論点は置いといて、出所がネット界隈のAAについては、別に2ちゃんねるだけが出所でもないし、2ちゃんねらのものでもなければ、ひろゆきのものでもありません。実質パブリックドメイン扱いです。たとえば、(^o^)とか:-)といった顔文字と同じです。Hello worldもかな?どこの誰かが作ったのかは分かりませんが、顔文字も立派な創作物であり著作権が存在すると思います(Hello worldについても、ディスプレイに「こんにちは世界」などと書くのは思いつかないし創作的だと思います)。慣習としてPDとなっているだけで、コンピュータの歴史から考えてもまだ著作権の保護期間が終了しているとは思えません。あと、のまネコについては、他者の著作物を自分の著作物と偽っていたのですから、所謂盗作にあたるのでまた別問題と思いますけどね。いくらPDでもこれは俺が作ったと嘘吐いたら犯罪です(のまネコはあとで翻案と認めたが)。あと、2ちゃんねるの投稿するときに出てくる注意書きは、無断駐車禁止。違反した場合は金5万円を申し付けます。みたいなもんでしょ。法的根拠がないといいながら、法的根拠のない注意書きを根拠に持ち出すのはどうかと。--Monaneko 2007年3月17日 (土) 01:32 (UTC)
- 追記。逆に法律云々抜きにして、要か不要かという点について。個人的には、落書き帳的な使用法でAA記事を書き散らす行為はNGと思いますが、ちゃんとした百科事典の体裁を成していれば存在しても問題ないと思います。他所の言語版ではボットを使いまくって小惑星一個一個の記事を作りまくってるところもあるし(これは問題だと思いますが)、権利侵害や宣伝でなければ、いかなる記事でもちゃんと百科事典の体裁を成していればOKと思います。--Monaneko 2007年3月17日 (土) 01:40 (UTC)
基本的には2ちゃんねる内で完結しているような事象は項目にすべきではないと考えるのです。いわゆるAAのみならず使用範囲がほぼ2ちゃんねる内に限定されるような用語なども含めて。「AA大辞典」や「2典」という2ちゃんねる利用者で運営してるまとめサイトもあるわけで、本来はそちらでやっていただくのが筋というものでしょう。Wikipediaは2ちゃんねるの外郭団体でも2ちゃんねるを補完する立場でもないと私は思います。--那珂川 2007年3月19日 (月) 06:24 (UTC)
- というかまず春野秋葉さんの言うAAがどういったものなのかがよくわかりません。(モナーやらギコやらの)2ch発のAAなら問題ないでしょうが、大抵のAAは既存のキャラクターや人物の複製なわけで、そういうものはパブロックドメインとか以前の問題なんですけど。--220.211.155.57 2007年3月20日 (火) 07:32 (UTC)
問題を整理しませんか?
- 1. (PDでない)既存著作物の二次創作のAA
- 論外
- 2. 2chに限定されない詠み人知らずのAA
- 可
- 3. 2chに固有のAA
- 2chのライセンスの解釈による
という事になると思いますが、現実問題として 3. は存在しないでしょう。2chでよく見られるAAだからといって2chが初出であるとは2chの原理上証明不能ですから。
つまり問題は単純に、投稿されたAAが既存著作物の二次創作であるか否か、でしかないと思います。そしてそれは個別に処理するしか手がなく、一般論は成り立たない。220.145.242.211 2007年3月20日 (火) 11:37 (UTC)
- 相変わらず、ウィキペディアの議論は特殊ですよね・・・。一風変わった議論をしてるのが分かりますか? つまり、著作権違反だと認めてるんですから、元々、法律が想定してない事態なんですよ。しかし、一般的には「苦情が来たら削除する」が、スタンダードになっているじゃないですか。それを範疇に入れないと言うのは、なんて言いますか、独自の文化なんですよね。神経症的なんですよ。220.148.89.191 2007年3月20日 (火) 15:47 (UTC)
- 独自の文化ではなく一般の著作と同じ扱い、という事です。Wikipedia は不特定の人間のコミュニケーションを目的とした BBS ではなくあくまで百科事典ですし。そして法的に問題の無い記事しか集積できない、その全てがGFDLである、という制限も。220.145.242.211 2007年3月20日 (火) 16:15 (UTC)
(戻し)そんな、ことはどうでもいいんですよ。あまりにも議論のレベルが低すぎるんです。なんで「苦情が来たら削除する」の議論が行われてないんですか? そんな当たり前の議題も上ってない。たぶん、現在のウィキペディアは、2chより議論のレベルが低いと思いますね。これ議論じゃないでしょ? ただ修辞学を駆使してるだけです。「一般の著作と同じ扱い」って何ですか? 定義も定まってない、持続性もない場当たり的な発言が、日本語版ウィキペディアでは多すぎるんですよ。だから、熱しやすい割に冷めやすく、結果がいつまでたっても出ない。
- 「独自の文化」ではなく「一般の著作」と同じである
- 「A」ではなく「B」と同じである。
これじゃ論理になってないでしょ。主語が抜けてるんですよ。もう、傍目から外部サイトから見てると、見てらんない理由です。一般やら高度を気取ってるくせ、実際のレベルはかなり低いです。2chやブログ以下と見ていいでしょう。220.148.89.191 2007年3月20日 (火) 16:32 (UTC)
- (追加)裏側は複雑な構図になるのでしょうが、結論としては【AAをWikipediaに掲載するか否か】それだけの話じゃないですか。「Yes or No」ですよ。議論?の経緯を見てると結論を出す気があるのか怪しいんです。例えば、2chなどのBBSは「載せる」という決断をしてる訳ですよ。あれは営利利用をすると決断してるんです。AAを使って広告料貰ってるんですから、実質的にはあれは営利でしょう。法律も定まってないので無法状態ですが(違法ではなく無法)、それでも「やる」と決めてるのです。Wikipediaはそういうのが無いんですよね。責任者がいないので、小物がわーわー言い合ってるだけで、鶴の一声がない。
- 載せようが、載せまいが、どちらでもいいですよ。載せないなら「Wikipedia:」に書いて置けばいいし、載せるならそれも良し。とかく結論が出ないと、何時までも方針が定まらないじゃないですか。
- 管理者はなにをやってるんですか? ウィキペディアの管理者は悪評がたってますからね。本当に何もせず荒らしと遊んでるばかり。その場凌ぎのいい加減な管理であると有名ですよ。220.148.75.57 2007年3月21日 (水) 14:56 (UTC)
- (IPだったんですがアカウントを取ってみました)管理者やWPへの批判は、それ相応の場所でやるべきです。無理矢理に繋げる理由も無いでしょう。あと、Wikipediaは利用者間の対話でルールが決まるんであって、管理者が決めるんじゃありませんよ?
(インデント戻し)さて、議論が止まっているようなのですが……。2ch系アスキーアートの掲載可否についてですが、これがパブリックドメインであるか否かを論ずるのは不毛と考えます。2ch側のAAに対する公式なアクションが無い限り、権利周辺にどう言及しようと推測の域を出ませんので、勝手にWP側が著作権を元にしてAAの掲載可否を決めたところで、判断基準が独自研究なんて落語オチがつきかねません。2chの書き込み時の注意書きにしても、2chローカルルールに則れ、以外の何の意味も無さそうです。ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ氏も仰っていますが、2ch管理側がフリーハンドで管理しているのは書き込まれたデジタルデータだけであって、AAの存在や文化的価値に著作権を主張するのは難しいでしょう。電車男とは話が違います。AAには厳密には著作権は存在するのかもしれないが、権利を主張する権利者が存在しないのが現状ではないかと思うのですよ(これが=PDであるかは議論の余地があります)。 AAについて掲載の可否の争点は個人的嗜好を除けば、AAそのものが著作権に引っ掛かるものであるか、および掲載時の2ch側の反応によるリスク、の2点になるでしょう。法的リスクはこの際問題にならない(というかしようがない)と思います。 似て異なるものとしてこれなんかがありますが、AAと比較すると面白いかもしれません。こちらを見ると……知らぬが仏。 Moisture 2007年6月27日 (水) 15:24 (UTC)
- あまりにAA美術館になっているならその分をWikibooksに移してアスキーアート解説書とでも題せばよいとおもいますが。--Otaku is beautiful 2007年10月12日 (金) 07:26 (UTC)