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Wikipedia:井戸端/subj/<ref></ref>内部は1つの資料の提示以外(複数提示)は不可か?

<ref></ref>内部は1つの資料の提示以外(複数提示)は不可か?

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一般的に、<ref>A</ref>の内部・出典Aは、一つの資料(新聞記事など)であるべきと考えている方が多いとは思いますが、ウィキペディア内のルール(Wikipedia:ガイドブックWikipedia:チュートリアルWikipedia:出典を明記するWikipedia:検証可能性など)には、「refと資料は1対1の関係でなければならない」とは決められていないようであります。わたしは時々、<ref>A、B、C</ref>と記述します。WEB上の新聞記事で、連載記事1,2,3を全て収録する方法に用いたり、あるいは、同じような内容の文献(一部分が異なる)が複数ある場合や、同じ出版元の新聞記事をまとめて出典としたい場合などに用いています。そうしましたら、検証者から苦情が来ました。具体的な例を申し上げますと、以下の高校生のコメロンパンとなります。

ノート:高校生のコメロンパンでは、「情報の合成・独自研究と看做さざるを得ません[1]」、及び「大幅な除去あるいは削除になることを予告しておきます」という指摘がなされ、または、「出典と記述は1対1の関係にないと、検証のしようがありません[2]」と苦情がでました。

しかし、もともと、出典と記述は1対1の関係は、ルールに無いようでありますので、もし検証が難しい場合は、検証者は部分ごとに、{{要出典}}、{{要ページ番号}}などを用いて記述と出典箇所の特定を求めたり、あるいは、ウィキペディアに明確に「出典と記述は1対1の関係」をルールとすべきなのではないでしょうか。

常識的な範囲で考えますと、出典と記述は1対1の関係とは、「何十ページもある書籍の場合は、それが複数示されたら、著しく検証可能性を引き下げる」のは理解できますが、ウェブ上の資料では、URLさえ示しておけば、それほど検証が困難になる膨大な資料は少ない(少なくとも検証不可能なレベルではない。勿論、膨大な資料の場合はこういう出典の明記法はマズイと思いますが)、特に新聞記事は一つのURLに長大な文が書かれるケースは稀にしかない(従って検証は楽なのではないか)、と思ってしまいます。もちろん、ウィキペディアに記述を残したい側は、検証可能性を指摘されたならばそれに応える責務がありますが、【長大ではない資料3点を、<ref>A、B、C</ref>と示されても検証可能性を著しく損なうという理由で編集除去を行う】という話では、ルールに基づかない理由で編集のやり直しを求められているようで、なんとなくヘンだと思っております。--べあぱーく(Bearpark)会話2013年4月25日 (木) 18:14 (UTC)[返信]

コメント refの中に複数のものを入れるのは、状況によってはありだと思います。
  • GPLのような、正式なもの(あるいはもともと発表されたもの)が日本語以外の出典に対して日本語訳を付ける
  • Webサイトの前編・後編や同じ著者が発表した一連の論文のように、強く関連した出典
  • ある1つの事実を提示するために、複数の出典を使う場合
ただ、今回のように、いろんな事実を提示するために複数の出典を一気に使っていると、その場で関係しない出典までまとめて提示することになってしまい、好ましくないなと感じました。むしろ、動機として「出典番号の数を節約したい」というのがあったようですが、その動機がどうにも納得できません。--Jkr2255 2013年4月25日 (木) 22:45 (UTC)[返信]
コメント 何故「出典を明記する」のかと言えば、それは読者のためにその記述の検証を容易にするのが目的あって、編集者のためではないのですから、「出典番号の数を節約」する必要は全くありません。
出典と記述は1対1の関係は、ルールに無い」とお書きですが、逆に言えば出典の数を制限するルールもありません。もっと言うなら、それは既に「ルールの悪用」「法律家ごっこ」と捉えることも可能です。先にも書いた通り、「出典を明記する」は、読者のためなのですから、読者の視点に立った場合に「解りにくい」と言われたのであれば、素直に修正する方が編集者として正しい姿勢かと思われます。
<ref>(或いは<ref name="hogehoge">)と</ref>の間は一つの文献を提示するべきです。特に<ref name="hogehoge">は同一の出典を(その中に複数の事象に関する言及があるため)複数箇所に使用する為のタグであり、同じタグでありながら内容が違う出典と言うのは使用方法が間違っています。
また、出典の記述の際にurlのベタ書きリンクと「○月○日閲覧」の様な記述をされていますが、新聞・雑誌記事であれば{{Cite journal}}、書籍ならば{{Cite book}}、WEB上のニュースサイトであれば{{Cite news}}、その他WEB上の情報であるなら{{Cite web}}を使用して、それぞれに<ref>(或いは<ref name="hogehoge">)と</ref>を付けて並べるのがスマートかと思います(出典用のテンプレートは多数ありますのでCategory:出典テンプレートを確認頂いて、最適なものをご使用下さい)。--Szk7788会話) 2013年4月25日 (木) 22:59 (UTC) (この井戸端サブページが「出典テンプレート」カテゴリに収録されていたため、勝手ながらSzk7788さんのコメントを一部修正させていただきました。--むじんくん会話2013年5月8日 (水) 00:35 (UTC)[返信]
コメント一般論として。
ひとつの事柄を複数の情報源で強固に示す、複数の性質が異なる情報源で様々な読者への便宜を図る(専門性など)、自ら検証できない別の出典が付いていた場合に判断できずに両方を残す、といった場合は、複数の情報源を示すほうが好ましい。たとえば、宍戸常寿「通信の秘密について」[3]の脚注1や6。一方があれば他方は不要という判断が出来るなら、そのように取捨選択をして整理をすることも歓迎されるでしょう。一方で、どれかを選ぶことが、中立性を損なうこともある。
複数の情報源を示したい場合、単一のrefタグの中に複数のものを入れるか(「ほげほげ[3]。」として脚注3で出典列挙)、複数のrefタグをつけるか(「ほげほげ[3][4][5][6]。」)、という点について、合意は得られていないはずです。記述と情報源の関係によって、執筆者が適切なほうを選べばよいと思います。出典番号を「節約する」必要はないですが、後者のほうが常に読者にとってわかりやすいとは思わない。節約というのの意図が、読者の読みやすさのためにということであれば、前者を選ぶという考えもあると思います。
まあ、だからこそ、ルールがどうこうという話ではなくて、どうすればわかりやすくなるかということを考えるのがいいと思います。--Ks aka 98会話2013年4月26日 (金) 05:39 (UTC)[返信]
コメント 少なくとも「不可」ではないし、一つの脚注の中に複数の出典を列挙するのが不適切だとして除去するような行為は難癖というか記事破壊でしかありません。ただ、悪くはないが、積極的に常時その方法を取るというのは避けたほうが良いでしょうね。脚注番号を「節約する」必要はまったくありませんし、(関連のある出典は別として)たかだか2個とか3個の脚注をまとめるのはどうかと思いますが、しかしあまりに(個人的な感覚では5個以上)多数の出典を列挙しなければならないような状況では有効な方法でしょう。--氷鷺会話2013年4月26日 (金) 13:54 (UTC)[返信]
コメント えーっと。思うところもあって利用者:いすか/出典を捨てろという私論を書きました。よろしければごらんください。
出典をまとめること自体は特に問題はないですし、有効だと思いますが、「検証できない」といわれた時点で、出典の整理整頓は必要だと思います(私だったら、それを言われた時点で、自分の編集能力が低かったのだと思いますね)。今回は、整理整頓をおこなうべきケースだと思いました。-- いすか (talk/wikimail/contributions) 2013年4月27日 (土) 09:39 (UTC)[返信]