Wikipedia:井戸端/subj/長期間「要出典」タグが付与された記述の編集除去について
|
長期間「要出典」タグが付与された記述の編集除去について
[編集]前から考えていたことで、特定の記事を念頭においたものではありません。「最近の井戸端での話題」あたりに誘発されたという感じの話です。左記での私のコメントで今回の話に関連することを触れていますが、話の範囲がかなり違うので別途建てます。
まず、出典の必要性について。出典付与自体は望ましいことでありますが、どこまで詳しく出典をつけるべきかという点についてはいろいろな意見があります。それらの意見については今回の本題とは異なりますので、単に「井戸端カテゴリ(要出典)」などに振っておきます。ここでは「1文1文つけるべき」という意見以外は程度差こそあれ「出典不要と考える記述もある」という意見であろうとまとめておきます。あるいは「1文1文つけるべき」という将来に向かって「出典が付与されていない現状を、一時的にやむなく容認する」であったり「(出典は参考文献に挙がっているが)参考文献内の記述位置との対応が正確に行なわれていない現状を、一時的にやむなく容認する」であったりという意見もあるのかもしれませんが、ここでの主題には影響しないので、分けずに考えます。
さて、これを言い換えると「どこまで出典が必要であるか(将来的にはともかく、現段階でどこまで必要か)という点についての境界線は人によって異なる」ということであり、執筆者が出典不要と考えている記述に対して、他者が出典必要と考え、{{要出典}}を付与することもあるわけです。「出典付与が記事の検証可能性を向上させる」という観点では、{{要出典}}付与は、基本、記事をよくするためのステップの1つであろうとも思います。ただ、貼り付けられてから後の扱いについて、どうも気になっていることがあるのです。
気になっていることというのは「{{要出典}}が貼られた記述を、長期間出典が得られないことを理由に除去すること」についてです。それに対する考えの例を挙げると、最近の井戸端での発言では「要出典タグが貼付けられても一向に出典の明示が無いなら削除されるのは当然」という意見がありますし、ある過去のコメント依頼では(期間が短いという意見こそ多いですが)「要出典付与された記述は除去されても仕方がない」という前提で書かれた意見が多くあります。直接的に関与する方針系文書としては「Wikipedia:検証可能性#方針」の「2.……出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)。」が挙げられると思います。また、{{要出典}}には「利用者による議論や出典提示の機会を与えるため」と記されているように、記述除去を前提としてその猶予期間を与えるという狙いがあるかのように見える文言も確かに含まれてはいます。
但し、もう少し状況を限定します。ここで伺いたいのは、「出典が得られないこと」そのものを理由とした除去についてです。例えば以下のようなケースは、別の除去理由(記述内容の正確性に疑問があるとか、独自研究だとか、記事主題との関連性に疑問があるとか)が元々あって、その除去を猶予する形で{{要出典}}が付与されているわけですので、後々「出典が長期間提示されないので除去」されたとしても、本質的な除去理由は別にあるわけです。こういったものはここでは除外して考えます。
- {{要出典}}の付与理由を補完する形(であることが明白な形)で{{独自研究}}、{{正確性}}、{{疑問点}}などが付与されているケース
- {{要出典}}付与時に「独自研究の疑いにより出典を求めます」「公表されていることが確認できないので出典を求めます」等が要約欄で示されているケース
- {{要出典}}付与時に、記事のノートや該当記述の執筆者のノート等で、上に示したような理由が示されるケース
上に挙げたようなものを除外すると、残るのは、記述内容に虚偽があるように思えない、独自研究色が強いわけでない、記事主題との関連性に疑問があるわけでもない、という記述です。おそらくは、その記事分野における常識に近いようなものだが現状出典が付与されていないとか、参考文献のどの場所に対応する記述かという対比が適切に行なわれていないとか、そういう状況なのだろうと思うのです。そういった記述に出典を求めることは間違っているとは思わないのですが、その後の扱い、果たして「長期間出典が得られない場合に、そのことのみを理由に除去する」ということが記事の発展に寄与するのだろうかという点で、気になっていたのです。そのような中、先に挙げた「最近の井戸端での話題」のところで「記述除去されても仕方がない{{要出典}}とは別に、純粋に出典を求め、削除を求めないタグを作成してはどうか(差分)」という話が挙がりました(というか今ならまだ井戸端に差込み表示されています)。私の感覚では「{{要出典}}自体が純粋に出典を求めるタグであり、記述除去されても仕方がない記述であるのかという判断は別のところにあるのでは?」だったので、そのあたりの確認の意味も込めて、以下の2点についていろいろなご意見を伺いたく思います。
- {{要出典}}には「純粋に出典を求める」ということ以上の意味、「将来的な編集除去までの猶予期間を与える」という意味を内包するか
- 長期間{{要出典}}が付与された記述を、そのことのみを理由に除去することについて
私の認識は、{{要出典}}自体が純粋に出典を求めるタグである、「将来的な編集除去までの猶予期間を与える」という意味を内包しているケースもあるだろうが、猶予期間経過後の記述除去が妥当であるかどうかの判断は別のところにある、であって、
- 猶予期間後の記述除去を予定した要出典付与の際には、上に挙げたような本来の除去理由を、別タグ、要約欄、ノート等で示して欲しい。
- 猶予期間後の記述除去を予定するつもりで要出典が付与されているとき、本来の除去理由が提示されていないのであれば、「出典が長期間提示されないので除去」ではなく、本来の除去理由を示して欲しいし、できれば除去に先立って本来の除去理由を別タグやノート等で補記して欲しい。
と思っています。なお、将来的な削除の要否でタグを分けるかどうかという点については「Wikipedia:井戸端/subj/Wikipedia:出典を明記する の「必要があれば」の解釈」宛にお願いします。--NISYAN 2009年8月2日 (日) 01:48 (UTC) 意図が適切に表現できていなかった文言の修正--NISYAN 2009年8月2日 (日) 04:45 (UTC)
- (コメント)出典請求はWikipediaの方針に記事が適合しているか検証するために資料元を請求していると考えるのが妥当です。なので出典不明であれは元資料を検証できないわけですから、削除する根拠がないと考えるのが普通と考えます。であるならば、別に削除すべき根拠(たとえはどのPOVにおいても記述が誤りていることを示す別の資料など)を示さずに削除するのは根拠なく削除するのと同義です。検証対象が独自研究かPOVかでは考え方が違います。独自研究であれば削除すべきということですがPOVであれば両論併記です。したがって要出典で削除するのであれば少なくとも独自研究であることを示す根拠を提示しなければ削除する理由を示したことになりません。POVの問題であれば削除はできず、ことなるPOVでの加筆をするべきだということになると考えます。いずれにしても、根拠を示さずに削除を行うのはもめごとの始まりであると存じます。--あら金 2009年8月2日 (日) 02:11 (UTC)
- Wikipedia:検証可能性の「この文書の要旨」には「情報源が明らかでない内容は、異議を述べて取り除くことができます。」とありますので異議を述べて取り除くという判断はウィキペディアでは合法です。しかし、必ず取り除くことが求められているわけではなく、出典情報があるのなら記事にいかしたいと考える人が{{要出典}}を付与するものと考えています。これで出典情報が得られないのであればウィキペディアの原則に沿って除かれるべきです。--Sweeper tamonten 2009年8月2日 (日) 03:26 (UTC)
- 1: {{要出典}}は「将来的な編集除去までの猶予期間を与える」という意味を内包しないと思います。除去を目的とする場合は、併せて{{独自研究}}を貼付すべきかと。
- 2: 長期間{{独自研究}}が付与された記述を、そのことのみを理由に除去することは可能だと思います。これを可能としておかないと、独自研究の除去ができなくなりますので。
- ただし、出典がないからといって、むやみに除去するのには賛同しかねます。WP:RS#出所の不確かな素材の地球の楕円軌道云々のあたりの話や、WP:EP#他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてくださいを参考として挙げておきます。--Akaniji 2009年8月2日 (日) 04:21 (UTC)--(修正)Akaniji 2009年8月2日 (日) 04:32 (UTC)
- Akanijiさん、私は{{独自研究}}を知りませんでした。長期間の目安はどのくらいでしょうか?--Sweeper tamonten 2009年8月2日 (日) 05:22 (UTC)
- Template:独自研究/docに定めはないようです。期間について興味をお持ちのようですが、最も大切なことは、テンプレートを貼る前に、当該記述の投稿者に相談することだと思います。履歴を追っても投稿者が見つからない場合は、少なくとも当該項目のノートに相談を書き込んでおくと良いと思います。相談が成立しない場合に限って、テンプレートを貼って期間云々…の話になるものと思います。--Akaniji 2009年8月2日 (日) 06:33 (UTC)
- Wikipedia:「要出典」をクリックされた方へに書かれている通り、このテンプレートは「いきなり記述を除去しては編集合戦となるから、その前にワンクッションを置く方法」のひとつであると考えます。編集者への質問は(相談という表現はこの事例では適切ではないと思うので)、同じく方法のひとつであると考えますが、最近記述された内容ならば履歴の確認は容易ですが、いつ書かれたかを特定するだけでも困難な場合もあります。そもそも「記述する根拠」が証明がされていないのですからそれが、除去する根拠となります。独自研究については、出典がない場合とはまた別の話でしょう。
- 二点について、{{要出典}}には「将来的な編集除去までの猶予期間を与える」という意味を内包し、長期間{{要出典}}が付与された記述を、そのことのみを理由に除去することについては可能であり問題がない、という結論になると考えます。除去するしないは、テンプレートの使用者や記事に関わっている編集者の自由判断であり、もちろんずっと貼り付けられているケースもあるでしょうから、それを否定するつもりはありません。
- 少なくとも現時点での公式な方針はこう言っており、テンプレートの使用や行動に対する要求は、「余裕がある・できる場合にはやっておいた方が無難かもしれない」ものでありお願いという形を取ることはできますが、それを当然の事項として合意を得るのは難しいと思います。--春日椿 2009年8月3日 (月) 14:28 (UTC)
- コメントいただきありがとうございます。が、「合意を得る」とかそういう意図はありませんので、一応その点だけは誤解されているかもしれませんので補記しておきます(井戸端のこんな話で合意に至るくらいなら、そもそも要出典にまつわる論争なんて起きないだろうと思っています)。後は引き続き、いろいろな視点でのご意見をお待ちします。--NISYAN 2009年8月3日 (月) 16:59 (UTC)
「純粋に出典を求める」というような場合は、そうそう多くなくて、そのような場合では、あまり論争にならない、というように思います。
「記述内容に虚偽があるように思えない、独自研究色が強いわけでない、記事主題との関連性に疑問があるわけでもない、という記述」で、なおかつ「百科事典の記述として必要である」ということについて、まったく争いがないような場合でに限定して考えるなら、「要出典」タグは、記述に対して必要な情報源を誰かが探すまでの猶予と捉えられると思います。記事の発展を考えるなら、ぐだぐだ言わずに出典を探す。上記のような限定をした上でなら、除去するというのは、その記述の重要さもわからず、情報源を探す事も怠っている、と。
ただし、広く信じられているとされる事柄で、実は誤りであるものもあるでしょうし、「広く正しいとされている」ということにしたい人が、出典不要と言い張ることもあるでしょうから、その見極めは大事だと思います。安易に「出典不要」と言うべきではない。化学や生物分野の基礎的で争いのない事柄などでは、場合によっては、脚注機能などを用いて直接ひとつの情報源を示す事が適切ではないこともあるでしょうから、情報源の示し方などは、幅があってよいと思います。その項目について多少知識があれば誰でも知っているというようなことであっても、ごく基本的なことを知るために記事にたどり着いた閲覧者は、それを知らないのですから、誰でも知っているような事を知るためには、何を読めばいいのかを書いておくべきでしょう。十分知識があるならば、自身で確認した資料のなかから、初出となるもの(原著論文や一次資料)と、入手が容易なもの(復刻本など)と、代表的な入門書や理解しやすいもの(教科書や新書など)を選んで示していただければ、読者の益となるでしょう。
それから、虚偽ではない、独自研究ではない、記事との関連性に疑問を感じない、と判断できるということは、その背景となる知識があり、その情報源が存在するはずですから、それを挙げることは、不可能ではないはずです。とりわけ、その記述が古典的な百科事典として重要な記述であれば、比較的容易に見つかるはずです。そうでないなら、その項目や記述そのものが百科事典として本当に有用なのかどうかというところを自分なりに問い直す必要があるかと思います。従来の百科事典では扱われていないもので、ウィキペディアの特性を生かして、ぼくたちが新たに「百科事典的」とみなしているような項目や記述については、基礎的な研究を、いちからやらないといけないというようなものも含まれるでしょう。モーツァルトやビートルズについてならば詳細な研究が山ほどあるでしょうけれど、同時代的な日本のポピュラー音楽の若手音楽家については、ファンであれば知っていて当然ということはあるけど、まとまった書籍などにはなっていない。そういう場合は、逐一インタビューが掲載された雑誌などを挙げていくしかない。--Ks aka 98 2009年8月3日 (月) 17:21 (UTC)
- コメントありがとうございます。そういえば「純粋に出典を求める」に関連して、かなり以前に、私の知識不足ゆえに「ここには出典があったほうがいいかな」と過去に要出典を付与した記事があったのを思い出しました(参考:ノート:ヒートショック現象)。その箇所については私の知識不足でしたが、記述内容の真偽を判断する上での前提知識が、執筆者と私の間で異なっていたのでしょうね。
そして「記述内容に虚偽があるように思えない、独自研究色が強いわけでない、記事主題との関連性に疑問があるわけでもない」のかどうかという部分の認識が、要出典付与者と出典を求められた側との間で共有できていればいいのですが、説明なく要出典のみを付与されている場合には、どの程度共有できているのかが判らないっていうのがあります。出典を求められた側は「常識的な内容ではあるが、出典を希望する人もいるのだ、また付けておこう」程度の認識でいたら、要出典付与者は「記述内容に懐疑あり、こんな疑問な記述は出典がない限りは取り除いておくべきだ」という認識でいるのかもしれない。その要出典付与者の前提知識不足が原因で「記述内容に懐疑あり」なのかもしれない。出典を求められた側が「広く正しいとされている」ということにしたいのかもしれない。先の私のように「出典あったほうがいいよね(将来的な編集除去は予定していません)」レベルの要出典なのかもしれない。そこの認識を合わせるには、《要出典に「将来的な編集除去までの猶予期間を与える」という意味を内包している》と認識している人がいるならなおさら、要出典付与者の意図が「純粋に出典を求める」のか、それ以上の意図(将来的な編集除去)があるのか、ファーストアクションを取っている要出典付与の段階で説明して欲しいとは思うんですけど、まあ上で書かれているようにお願い程度しかできないのかなとも思います。
ちょっと言葉が多くなったので、また少し発言を控えて、意見を伺う側に回ります。--NISYAN 2009年8月4日 (火) 00:09 (UTC)
(コメント)まず第一の質問ですが、要出典タグは反射的・因縁的な貼り逃げが多いような気がします。タグを削除してノートに誘導。どの程度本気なのか。議論する気があるのかを確かめて貼り逃げなら、そんなタグは無視です。相手が議論する気がある場合かつ出典を示せないなら、相手の納得するように記述を変更するしかありませんね。猶予を与えられているんだからとの時間稼ぎは見苦しいと思います。第二の質問ですが、反論できる人が居ずにタグが放置されているなら、文章を除去したい人が除去しても何の問題もありません。どこかに理由を書いた方が親切ですが、問答無用もありだと思います。その後で除去に反対する人が現れて編集合戦になるならなったで、そこから議論が始まるだけです。双方が納得するまで何週間でも議論をし続ければ、そのうち妥協が成立します。もしくは第三者を交えて投票です。結論としては事前規制より事後対応。マナーよりも相談を重視すべきというのが私の考えです。--長島左近 2009年8月8日 (土) 19:57 (UTC)