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Wikipedia:井戸端/subj/道路記事における記事のあり方についての質問です

道路記事における記事のあり方についての質問です

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初心者的な質問で恐縮ですが(当方の活動経験は5年超です)、どうしても私個人の判断力では考え及ばないため皆様のお知恵をお借りしたくこの場にて質問させて頂きます。名古屋第二環状自動車道(以下「名二環」と呼称)の大治南インターチェンジの編集を行いましたところ[1]WP:NOTGUIDEおよび無出典を理由に執筆が取り消されました。では出典として地図は有効であるか否かを問うた所、「百科事典たるウィキペディアの本分はあくまでもインターチェンジ設置の社会的背景や経緯の説明であり、利用ガイドではありません」とのご回答を削除された方より頂戴致しました。当方、出典はもとよりこの「利用ガイドではありません」に引っ掛かりを覚えました。名二環(内回り)大治南ICの次は名古屋高速5号万場線東名阪自動車道で、それすなわち大治南IC出口が名二環にとっての最終出口となります(もっとも、大治南ICが最終出口という根拠を示せとのご要望に対し、では地図で大丈夫かと問い返した訳で、地図を出典として認めて良いなら提示する用意があります。ですがここでは出典よりもNOTGUIDEに焦点を当てて参ります)。この「最後の出口」たる事実を執筆することは「利用ガイド」としてWP:NOTGUIDEに抵触するのかという点です。例えば、横浜駅にて「横浜市の中心駅であり、JR・私鉄・地下鉄の各線が集まるターミナル駅である」「島式ホーム4面8線を有する地上駅で、のりばの番号は京急からの通し番号になっている」との案内文が載せられていますが、これらの事実はNOTGUIDEが当てはまるのか、ということです。駅を説明するにあたって、設置された社会的背景や経緯の説明を記述するだけでそれで充分か?ということでもあります。何も駅弁のメニューやホームのどこそこでたまにこんな催しが行われる、と記述することを承認せよと言っているわけではありません。駅の記述を「設置された社会的背景や経緯」だけの内容に絞れば、何とも味気ない内容になると考えます。「年度別一日平均乗車人員」も停車列車もNOTGUIDE故に載せてはいけないのでしょうか?これについての皆様の意見をお寄せいただければ幸いに存じます。--Oka21000会話2015年4月16日 (木) 12:54 (UTC)[返信]

  • コメント どこから何処へと通じるというのは、道路の本質に関わる重要事項だと思います。その道路を利用する理由も、独自研究や瑣末でなければ、あって問題ないと思います。そもそも、notgideは利用ガイド的に書いていけないということで、利用ガイドと同じことを書いていけないというわけではありません。--Yhiroyuki会話2015年4月16日 (木) 13:49 (UTC)[返信]
  • コメント差分を拝見しました。厳し目の意見かも知れませんが「名二環にとっての最終出口である」ことを書くうえでは、出典は地図だけでは足りないように思います。「厳しめ」というのはつまり、みちまんさんは高いレベルの水準を求めてらっしゃるということです。
高速道路というのは(普通の道路もですが)、全通する前から部分的に供用されるものであり、ある時点で地図上では○○ICまで供用されていることはわかっても、そこが「最終出口」という術語で言ってよいかは怪しいと思います。「飛鳥IC」まで延伸の計画があるなかで、その途中のここを「最終出口」と表現するのかどうか。堅い出典(つまり、国交省や自治体やNEXCOが出すような資料)が「最終出口」というような(平べったい)表現をするのかどうかもどうだろう、という感じもします。もうちょっと砕けた、新聞記事やガイドブックあたりだとそうした記述もあるかもしれません。
名古屋第二環状自動車道も読みましたが、(出典がないのでアレですが)もともと「東名阪」の途中のいちJCに過ぎなかったのが、2011年に再編があって路線の区分けや名称を変更して今に至る、というような経緯が書かれており、「大治南が最終」という観念がどこまで有効なんだろうという感じはします。
これには容易な回避方法があって、要は「最終」と書かなければいいんです。「大治南インターチェンジを過ぎると次は名古屋西ジャンクションを経て東名阪自動車道や名古屋高速5号万場線に入る」みたいな表現であれば、地図出典でも許容範囲かなあという気がします。
みちまんさんがおっしゃっているもう1つの点、つまり「そんなことは書くに値することか」についても、この方法ならば許容範囲かなあというふうに思います。たとえば、地図で確認できるからといって「大治南ICを過ぎると左へカーブする」とかいちいち書く必要があるのか、ということです。別の出典がそう書いているなら、それは書くに値するから書いているんだろう、と推定されるわけで、そういうものが何もない状態で単に地図からよみとれるだけの根拠で書くのはいかがなものか、ということです。「最終出口である」という表現からは、「ここで降りないともう一般道に出れないよ」というような趣旨と、「最初の、2番めの、3番目の、4番目の、最後の」というような趣旨とが読み取れます。後者の場合、じゃあ「大治北IC」に「最後から2番めの出口である」とか、「甚目寺南IC」に「最後から3番目のICである」とか、「甚目寺北IC」に「大治北ICから数えると2番めのICである」とか、地図から読み取れるからといっていちいち書くのか、ということになります。書きませんよね。ふつう。これも、もし書くのであれば、そう書いてある出典があれば・・・ということになります。前者の「ここで降りないと・・・」の意味の場合、まあ結局これも「そんなこと書くに値することなの?」ということになります。普通に走ってればそのまま引き続き高速道路を走っていくわけですし、高速道路の名前が変わったからなんなの?という感じがします。「当ICで降りないと、次はどこどこまで降りられない」というような記述は、「大治町役場に行くなら大治北ICで降りないと遠回りになる。」と書くのと近いレベルの記述であるようにも思います。「のぞみに乗って、名古屋で降りないと、次は京都まで止まらない」みたいな話でして。つまり、「それはそうなんだろうけど、それをいちいち書く必要あるの?」という疑問に対する答えは、それをわざわざ書いてある出典を持ってくることです。
これも回避方法はあって、「○○ICから先は路線が変わって○○自動車道になる」「○○ICから先は料金体系が異なる」というような記述であれば、記述の性格は変わるように思います。(しかしそんな情報はふつう地図からは読み取れません。)
最初に「厳しめの意見」と書きましたが、仮に大治南インターチェンジという記事がじゅうぶんなボリュームと豊富な話題のある立派な記事だったら、この程度の記述は見逃されるような許容範囲かもしれません。逆に緩い目にみれば、道路系の記事はたいがいこんなもんであり、もっと情報に乏しい記事もいっぱいありますので(愛知県道40号名古屋蟹江弥富線みたいな記事です)、誰の目にも止まらなければ放置されていただろうという程度の記述かなあという気もします。(実現が困難な)理想論だけ言うと、百科事典での道路の記事は、その道路の建設によって交通や経済がどう変わったとか、誰が計画に尽力したとか、どういう動機で計画された道路なのかとか、物流にどう貢献しているのかとか、そういうことが書いてあるのが理想型です。御幸道路(GA)や北越急行ほくほく線(FA)が交通系のマスターピースです。まあいきなりそこまで話を広げるのは持って行きすぎですが、目指すべき方向はこういうものだ、ということでしょう。御幸道路#地理にも、似たような記述がありますが、ちゃんと出典があります。(例「大鳥居をくぐると下り坂になる[48]」)この水準で書けば、堂々とできるでしょう。--柒月例祭会話2015年4月16日 (木) 15:02 (UTC)[返信]
  • コメント 大治南ICが名二環内回り最終出口であるから、次の蟹江ICなどの前に料金所があって料金区分が変わる(例えば首都高速4号の永福出入口のようなもの)があるなら、特筆するべき内容かもしれないと検討できますが、単に一つのICであるなら「この先、同一路線の降り口がない」ことは特別なことではないと考えることが出来ます。単純な疑問なんですが、大治南に限らず名二環のICのほとんどがハーフICに該当するんだと思うんですが、路線マップみると、同一方向への出入り口ではなく、西行入口/南行出口あるいは南行入口/西行出口タイプのハーフICじゃないんでしょうか?概要や名古屋第二環状自動車道#インターチェンジなどの説明では同一方向の出入口が設置されている路線と解釈できるのですが、私はこの路線を利用したことがないので「どうなの?」ということでお話させていただきました。--アルトクール(/) 2015年4月16日 (木) 15:26 (UTC)[返信]
  • コメントあまり議論に参加出来ないので単なる意見になってしまいますが、本件問題はどちらかと言うと特筆性の問題です。
出典として地図は有効であるか否か
一般論として
地図は「事実の複製」であるので二次資料ではありません。二次資料ではないので出典として不適切であると考えます。wikipediaは一般に百科事典と呼ばれる「三次資料」なので、wikipediaに於ける出典は(特殊な場合を除いて)二次資料でなければなりません。
本件問題に限って
上記の特殊な場合とは、「百科事典に記載すべきか否か以前に虚偽疑惑がある/閲覧者が誤認し易い」場合です。本件問題では「大治南ICは名二環の最終出口ではない」と反論をされているわけではありませんので、「大治南ICが名二環の最終出口である」証拠となる一次資料を提示する意味はありません。本件問題の争点はその記述の特筆性/有用性です。
実際、内容除去を行なったみちまん氏はその要約に「路線が異なるとか別料金だとかで掲載するならば特筆たる出典を要する」と書いています。特筆たる出典です。故に本件問題に於いては、地図は出典として有効ではありません
「最後の出口」たる事実を執筆することは「利用ガイド」としてWP:NOTGUIDEに抵触するのか
一般論として決定することは不可能です。特筆性の問題です。少なくとも「特筆性の無い」事実を執筆することは明にアウトです。WP:NOTGUIDEはこの「特筆性の無い事実」を執筆しないように促す為の数あるガイドラインの一つに過ぎませんので、如何なるガイドラインに抵触していなかろうとも「特筆性の無い事実」を執筆出来るようになるわけではありません。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年4月17日 (金) 05:02 (UTC)[返信]

Yhiroyukiさん、㭍月例祭さん、アルトクールさん、Maddestmagicianさん、貴重なお時間を割いて当方の質問にご回答頂き有難うございました。貴重なご意見を鑑みるに「特筆性」に焦点が絞られるものと解釈致しました。もう少しご意見を募ってみましても恐らくはこの点に収斂されるものと考えます。どうも私は問題の本質を見誤っていたようです。「最終出口」たる事実はさしたる意味を持たないということには流石に頭が回りませんでした。現に最終出口ではあるけれど、これは中間の山田東ICでも出口は出口で最終も中間もありませんからね。あと、「この水準で書けば、堂々とできるでしょう」とのご意見には大いに今後の執筆に対する勇気を頂きました。ただ、一朝一夕には完成された記事には到達できないでしょうから、今後暫くは画像の投稿に専念し、並行して出典資料の収集を行い、時機を見て執筆に取り掛かりたいと考えています。このたびは有難うございました。--Oka21000会話2015年4月17日 (金) 13:51 (UTC)[返信]

  • (コメント)私は「百科事典たるウィキペディアの本分はあくまでもインターチェンジ設置の社会的背景や経緯の説明であり」というのは、疑問というか本末転倒だと思います。知らない人が頑張って勉強をしなくてもいいように、知識を集めて解説し啓蒙するための本が百科事典で、その項目を説明するのに何が有用になってくるかはその項目によって変わるものと思います。ただ、次の出口は遠いからここで降りなければならないというような情報は、ある意味、社会的な背景の解説に繋がるものであるとも言えます。次の出口が遠い程、路線のネットワークの中で意識すべき要所になります。近ければ忘れててもさほど問題無い出口になります。どこらへんに置いたらいいかということを考えて設計されているはずで、その地域の背景があってこその道路ネットワークです。なので「東名阪自動車道蟹江IC、又は名古屋高速5号万場線烏森出口まで降りられない」という情報自体は悪くないですが、もう一歩進めて、それらの出口までの距離とか方向をきちんと書いていくというのもあると思います。他の地方の人が読んでも蟹江とか烏丸と言われても分からないですから。特記すべき事柄かどうかと無関係に、いろんな道路にそういった情報まで書いてあれば、この地方はこのくらいの距離でICが置かれるのが普通なのかとか、うちの地方より出入り口が密に配置されているようだとかいうことも判断できる記事になっていくのでは。--Sureturn会話2015年4月19日 (日) 04:31 (UTC)[返信]

Sureturnさん、ご意見有難うございます。情報の重要性は分野によって異にするようで、実を申しますと、私も内心戸惑っている状態です。以前は某鉄道分野における執筆で特筆性についても十分配慮した執筆を行いましたが、こと道路となるとまた一味違う内容が求められるようです。否、特筆性は分野は違えど共通のものですから、以前携わった分野において私1人が脱線していたのかも知れません(その点ではたとえ鉄道分野において経験が長いベテランユーザーからも指摘を受けることはありませんでした)。今回は最終出口を議題として扱いましたが、その受け止め方は各人異なるようです。例えば、名二環勝川ICから入場して東名阪蟹江ICで流出となりますと2つの高速道路の料金が発生します。しかし、大治南ICから蟹江ICまでは車で普通に走ってみても5分程度で、これならば大治南ICで流出して、あとは下道で蟹江ICまで移動して東名阪の料金を浮かせる、そういう選択もあるわけです。昨今の物流業界は時間短縮と同時にコスト低減も要求され、トラックにおいては高速道路料金にも頭を痛めていると想像できますが、であるならばいかに時間に見合ったうえで料金を節約するかも重要な訳です。つまりトラック運転手や運営会社にとってはわざわざ別高速にまたがる必然性がない、故にその辺の事情を知っている人なら大治南ICで流出することは有意義な情報となりえると私は考えますし、マイカー利用の私ですら同じことを考えます(これについては出典を要求されますが、話がややこしくなるため今回の井戸端会議においてのみ度外視します)。その背景まで考えて、それでも特筆性(有用性)があるかないか、と(恐らく似た事情が全国の高速道路でもあると思います)。冒頭、私が戸惑っていると申し上げたのはそのためです。どこまで知らない人のために知識を提供できるか、その提供情報はどういった質が求められるのか、Sureturnさんのご意見も踏まえ今後ともこの問題に対して真摯に向き合っていきたいと考えております。--Oka21000会話2015年4月24日 (金) 19:14 (UTC)[返信]

  • 特筆性と有用性は別物です。ここが1つの混乱の元です。特筆性とはWP:Nにあるようなnotabilityの事で、信頼できる資料を基に書ける事を意味します。つまりそれは特筆すべきという意味ではりません。その概念とは区別するために、特筆すべきとか、解説として何を書いていくべきかといったことを、私は解説として有用と表現しています。有用性の方は個人的に使っているだけです。よく解説に必要ではないという言い方をする人がいますが、私はそういう考えは事典には合わないと思います。字引ではないので、細かい解説もあれば荒い解説もあります。必要最低限な事を書くだけなら定義だけで終りの筈です。なので私は解説に有用という表現を用いています。そのICに関して有用なら私は書けばいいと思いますし、他の地方の方にもポイントが伝わるように書けばそんなに厳しく見られる事は減ると思います。長くやっている人同士でも論争がありますから、必ずしもベテランの意見が正しいというわけではありませんし、何かあれば、ノートで議論したりコメント依頼をしてみてください。--Sureturn会話2015年4月26日 (日) 14:23 (UTC)[返信]