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Wikipedia:井戸端/subj/記事の品質に関するテンプレートの目的について

記事の品質に関するテンプレートの目的について

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記事の品質を問題視するタイプのテンプレートがいくつかあります。いくつか例示すると、{{要出典}}、{{独自研究}}、{{宣伝}}、{{観点}}、{{精度}}などが挙げられると思います。おそらく「Wikipedia:Template メッセージの一覧/問題のある記事」の中で{{Cleanup}}や{{Wikify}}といったスタイルを問題視するもの以外の大半は、そうであろうと思います。

これらについて、私は「この記事の品質は低いかもしれません。その点を考慮の上でお読みください。」という種類の読者向けの注意喚起が含まれているものと理解しています。例えば{{要出典}}であれば、「出典付与を促す」という記事執筆者向けの目的はもちろんありますが、それ以外に「この記述には出典がありません。(Wikipediaは記事に書かれた記述の正当性を、検証可能性を満たす出典によって担保していますが、その担保となる出典が不足している記述ですので、正当性を担保できていません。)その点を考慮の上でお読みください。」という読者向けの注意喚起が含まれている、という理解です。実際のところ、記事執筆者のみに向けて「記事の品質に問題がある」と注意を促すには、ノートに書かれていれば充分事足ります(*1)。それをあえて記事に含めるというところに、読者向けの注意喚起を含む意図がある、と理解しており、そういった観点でのテンプレートの目的が明示されているテンプレートもあります(参考:{{精度}})。しかし、ある会話ページでテンプレートの役割について話し合っていたところ、どうもそうは考えていない人がいらっしゃるようでした。これが私だけの理解、見解なのかを確認し、その確認結果を個々のテンプレートの解説文書に盛り込みたいというのが、ここに挙げた目的です。

補足 (*1) : ノートではなく記事に貼り付ける理由について、インラインテンプレートは記事に含めることで、記事の品質に問題のある箇所が記事のどこにあるのかを明示できるという点が利点として挙げられます。しかし、インラインテンプレートや節貼り付けではなく、記事冒頭に貼り付けることが多いものについてはその論点での利点はありません。

別な書き方で書くと、「前記のうち冒頭テンプレート、例えば{{独自研究}}を、なぜノート(=執筆者だけが見る場所)ではなく記事(=読者も見る場所)に貼るのか」、その理由は何か、というところに行き着くだろうと思います。

なお、最終的かつ具体的な文面は個々のテンプレートのノートで改めて提案しようと思います。ここでは大枠の方向性だけ(テンプレートの目的が執筆者向けなのか読者向けなのか両方なのか、あるいは左記以外の記事に貼り付ける理由)を確認できればいいかなと思っています。以上について、ご意見を宜しくお願いいたします。--NISYAN 2010年8月22日 (日) 05:05 (UTC)[返信]

NISYANさん、こんにちは。記事冒頭に張り付ける利点は、目に付くということでしょうか。編集者にしても、編集する気のない項目のノートにまで目を通すのは稀です。ですが、{{wikify}}や{{参照方法}}が記事冒頭にあるのを見かけたら、自分の専門分野でなくとも、ちょちょいとfixできるわけです。ですから、編集者向けにも、記事本体冒頭へのタグ貼付はあって構わないと思います。そもそも、ウィキペディアという媒体は、読者と編集者の境目が極めて曖昧です。さっきまで読者だと思っていた人が、いつの間にかその記事を書き換えている。明確な区分を求めること自体、ちょっと無理があるんじゃないでしょうか。
あと、たぶんこっちがNISYANさんの本音での本題だと思いますが…{{特筆性}}は、読者向けではなく、編集者向けのタグだと思いますし、先に上げた理由により、記事本体冒頭への貼付は、そんなに言うほど非難されるべき行為とも思えません。特筆性タグが付された記事でも、google pdf検索すると、結構ちゃんとした特集記事が引っかかってくるもんです。専門分野じゃなくても、特筆性の証明に関しては、通りすがりのウィキペディアンでも十分お役に立てるので、記事本体冒頭への特筆性タグ貼付はむしろ有用だと思います。
あとこれはたぶん記事のノートで申し上げるべきなんでしょうが、あまり深入りしたくないのでここで。大阪日日新聞の特集記事を以て、特筆性は十分満たされていると私には思えます。1ヶ月も待つ必要はないでしょう。特筆性タグは、即剥がして良いかと。--Akaniji 2010年8月22日 (日) 14:13 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。私の感覚だと「読者と編集者の境界は曖昧なのは当然のこと」「≪編集する気のない項目≫を見ているときは、読者視点で見ている」「≪{{wikify}}や{{参照方法}}が記事冒頭にあるのを見かけたら、自分の専門分野でなくとも、ちょちょいとfixできる≫というのは、見ている時点では(利用者であってもその記事にとっては)読者、fixしようと思ったらその瞬間から編集者、あるいは{{wikify}}が貼ってあるという条件で記事を探しているなら最初から編集者、そして記事冒頭に貼るのは読者を編集者に巻き込む方策でもあり、読者に向けての注意喚起の意味もあり」という感じですが、それが少数派の意見であることがこの場で確認できるなら、それはそれでOKと思っています。その場合は、例えば{{特筆性}}であれば「目的:執筆者に特筆性を満たす資料を要請するテンプレートです。」({{精度}}の「読者には……」に相当する部分を書かない)のような形でテンプレートの解説文書に盛り込めればいいかなと思っています。というか、現状「Template:特筆性/doc」ありませんし。
元の件は(まあ本音といえば本音ですが)別にここではとくに取り上げなくとも構いません。元の件の本質はここでの話(テンプレートが読者向けか執筆者向けか)ではないと思っていますので、ここで話する上ではその点はお気になさらずに。--NISYAN 2010年8月22日 (日) 21:58 (UTC)[返信]
Akaniji さんのご意見に同感です。読者への注意喚起は、すなわち編集への参加を促すという効果もあり、読者・編集者を明確に区分すべき意義はないでしょう。とはいえ、テンプレートの集客効果を維持するため、目的が達されてもある程度の期間貼り付けたままにしておくというのも悪くはなさそうです。--Calvero 2010年8月23日 (月) 11:50 (UTC)[返信]
本来であれば、たとえテンプレートであっても、記事に百科事典的な記述をするべきではないと思います。ただし、記事に問題があることを示すことは、読者を信頼できない情報から守ることにもなるでしょう。Wikipedia:ウィキペディアへの自己言及で{{stub}}などが例外とされているのは、そういった理由なのだと思います。--有足魚 2010年8月23日 (月) 13:35 (UTC)[返信]
Template:特筆性/doc書いてみました。剥がすタイミングについても書いてみました。--Akaniji 2010年8月23日 (月) 13:52 (UTC)[返信]
ありがとうございます。最終的にはTemplate:特筆性にnoincludeで組み込まれる必要がありますね。テンプレートのノートで話し合った後、全保護ですから依頼して編集という感じでしょうか。--NISYAN 2010年8月23日 (月) 23:29 (UTC)[返信]

(まとめ)ご意見いただき、ありがとうございます。1週間ほど経過し、ご意見いただいた内容をまとめると、読者向けの情報が全くないとも言えないという意見もある(有足魚さんの意見より)が、大勢としては読者と執筆者の境界は曖昧で、読者向けと執筆者向けという厳格な区分けをすること自体がWikipediaに馴染まない、というところかなと思います。読者向け、執筆者向けという形の説明の組み込みを統一的に行うことはせず、個々のテンプレートのノートで必要に応じて文面の改善という形で提案させていただこうと思います。--NISYAN 2010年8月31日 (火) 00:32 (UTC)[返信]